*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。18回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第3章 緊迫の訓示
「駆けつける当直長」 P62~
この時、大地震の発生に伴って、非番の当直長たちが、ただちに自分のいる中操に駆けつけようとしていたことを伊沢はまだ知らない。
それは、日ごろから決められているマニュアルではない。事故があった際、原子炉の制御のために「駆けつける」という行為は、彼ら原子力発電の現場で仕事をする人間たちにとっては、習性のようなものだったかもしれない。
1、2号機の当直長の1人である平野勝昭(56)も、地震発生後、自宅から福島第一原発1、2号機の中操に向かっている。
平野は、地震が発生した時、福島第一原発から10キロほど離れた双葉町の自宅にいた。この日、平野は午前中に決まっていた病院での大腸の内視鏡検査のために、休みをもらっていたのである。
実は、この日の当直長勤務は、本来は平野が担当だった。当直の班は、A班からE班までの5班に分かれていて、それぞれ当直長がいる。
5人の当直長の中で、最も年長者が平野である。A班の当直長が平野で、伊沢はD班である。
平野は内視鏡検査と重なったために、この日の当直長を伊沢に代わってもらい、昼までに検査を終えて自宅に戻り、体を休めていた。
「地震が起こった最初は、いつもの地震だと思ったんですが、揺れがだんだん大きくなって、台所の食器棚から食器がどんどん外に飛び出し、パリンパリンと割れ、私は縁側から庭に出ました。うちの4人家族なんですが、女房も、息子と娘も、働いていますから、その時、家の中には私1人しかいませんでした。まるで船がすごい荒波に揺られたような、立っていられない状態だったので、これは、完全に(原子炉)がスクラムしていると思いました。すぐに(職場)に行かなければならない、と思いました」
この日は、本来なら平野が当直長である。
「これは、伊沢が大変だ」
平野は4年後輩にあたる伊沢の顔を思い浮かべ、ただちに出勤する準備を始めた。平野は居ても立ってもいられなかったのだ。地震直後はまだ携帯のメールが通じたため、まず家族の安否を確かめた。
「娘は東京のほうにいたんですけど、だいぶ揺れて、どうしたらいいのかっていうような問い合わせがありましたんで、とりあえず近くの安全な場所に移動しろと伝えました。女房からは返信がなかったので、まず女房の勤務しいるところに寄って会社に行こうと思い、車で自宅を出たんです」
しかし、地震によるとてつもない被害がすぐ平野の目に飛び込んできた。
「道路が隆起したり、割れたり、沈没したりしていました。道路が沈んでいるんで、段差ができて、川にかかっている橋の橋桁が上がった形になって、来る前が通れない状態になっていた。いつも使うメインの道路の6号線も1部通れなくなっていました。女房の勤め先までは、4、5キロしかありませんが、信号も(停電で)落ちていますから、なかなか着きませんでした」
平野は仕方なく海側から迂回する道を取ろうとする。地元では「浜街道」と呼ばれる道だ。しかし、途中に通行止めのバリケードがあって、ここへも行けなかった。
仮にそのまま海の方に行っていたら津波に巻き込まれた可能性もあり、そのあたりは、幸運に恵まれたと言える。
「Uターンして、また元の場所に戻って、双葉町の駅の前の旧国道を通りまして、やっと女房の職場に行きました。途中、電柱が斜めになっていたり、道路がひび割れてマンホールのところが盛り上がっていたり、逆に沈んでいたり、あるいは、家が2、3軒、つぶれているのも目に入りました。女房は、自宅に戻ろうとしたけど、できなかった、と言っていました。私が自宅に帰ることができるルートを教えて、”おまえは戻って、うちの対応をしろ。俺は会社に行く”と伝えました」
この時は、まだプラントが最悪の状態になりつつあることなど想像もしていない。平野はそこまで深刻には考えていなかった。
再び6号線を経由して、やっと平野が福島第一原発の正門ゲートについたのは、もう薄暗くなった午後4時半ごろのことだ。自宅を出てから1時間以上が経過していた。
この時、すでに大津波が襲来したあとであるにもかかわらず、そのことを平野はまったく知らなかった。
「正門が近づいてくるにつれ、(原発から)出てくる協力企業の人たちの車の渋滞が起こっていました。逆に、(原発に)向かっている車は、この時点では、私の車しかいなかったと思います」
正門につくと、やはり出ていく来る前で一杯だった。だが、中に入ろうとしているのは、平野の車だけだ。いつもの入構証を見せて、平野の車は入っていった。
正門から入って600メートルほど真っすぐ走ると「ふれあい交差点」と呼ばれる十字路がある。ここを海側に右折すると、あとは、まっすぐ海にむかっていけばいい。
海の手間に目指す原子炉建屋などが並ぶエリアがある。十円盤である。いつも車を止める駐車場に平野は車を走らせた。
異変に気付いたのは、その時だ。
「なんだ、あれば・・」
( 「駆けつける当直長」は、次回に続く)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/2/29(月)22:00に投稿予定です。