*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。19回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第3章 緊迫の訓示
「駆けつける当直長」 P62~
(前回からの続き)
海に向かって、ゆるやかな坂をまっすぐ下っていた平野の前に、突然、”湖”のようなものが広がった。
それは一面、泥水の湖だった。にわかには信じがたい光景だった。平野は、海がそのまま陸地まで”上がって”きているかのような錯覚に陥った。
スピードをゆるめた平野の車は、事務本館前を過ぎ、泥水がつくった”湖”のぎりぎりのところまでやって来た。平野は来る前から降り、立ち尽くした。
その泥の湖の中に没した「道」を塞ぐ、丸くて巨大な”何か”があった。
(これは・・・)
平野は言葉を呑み込んだ。”何か”の正体は、タンクである。海沿いにあったはずの巨大な重油タンクが、こんなところまで押し上げられていたのだ。
高さ9メートル、直径12メートルの円筒形に重油タンクは、重油をおよそ800トンも収めることができる巨大なものだ。四円盤に2つ設置されている。その重油タンクが150メートル以上も流され、道を塞いでいたのである。
それだけではない。
同じように津波に流されたと思われる車がひっくり帰ったり、建物にひっかかったりして、無残な姿をさらしている。そのうちの1つが、クラクションを鳴り響かせていた。
誰ひとり人影のない中で、クラクションが鳴り続けている。それは、目の間の異様な光景を余計、薄気味悪いものにしていた。
平野が最も驚いたのは、”漁船”である。
流されてきた重油タンクの手間に、なんと漁船まで打ち上げられていた。実際には、漁船ではなく、東電が使用している測量や放射能関係の調査船だったかもしれない。いずれにしても、こんなところまで海に浮かぶ「船」が流されてきている意味が、平野にはわかった。
(津波だ・・・)
これは、プラントがやられているー。それは、この地が考えられないような規模の大津波に襲われたことを示していた。その時、初めて「津波」の襲来という事態が、頭の中で像を結んだのである。
(一刻も早くいかなければ・・・)
目的地に行くには、この泥水の湖をわたっていかなければならない・平野は覚悟をして、そこに足を踏み入れた。
平野はこのとき、黒のダウンジャケットに下は綿パン、そしてスニーカーという姿である。
「水は、10センチか15センチぐらいあったでしょうか。長靴なら大丈夫だけども、スニーカーですから、水が靴の中に入ってきました。びしょびしょになりながら歩いて行くと、タンクの手間で大きな魚が一匹、白い腹を出して死んでいました。なんという魚かわかりませんが、大きさは30センチほどありました」
いつも見慣れたその場所が、想像もできない姿に変貌していた。材木や鉄、フェンスなど、瓦礫が流され、目の前でぐちゃぐちゃなごみの塊となっていた。平野は、いやでも事態の深刻さを頭に刻むほかなかった。
「自分が渡っているところが、津波のあとの”たまり水”であることがわかりました。でも、たまりというより、ほとんど(十円盤の)全域を覆っている感じでした。私にはこの段階で、まだ電源がやられてるというのは、わかっていません。しかし、こんな状態ですから、冷却用に使っているポンプ類がダメになっていることは覚悟しました。おそらく水をかぶって、もう使えないだろうなって・・・」
それは、原子力プラントにとって、きわめて厳しい事態である。
(これは長い闘いになる)
平野は、自分にそう言い聞かせた。
( 次回は、「手も足も出ません」)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/3/1(火)22:00に投稿予定です。