*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。4回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第1章 激震
「動くな! 動くんじゃない」 P25~
所長室のある事務本館から南東側におよそ400メートルの位置にある原子炉建屋と、それを管理するサービス建屋にも、同時に激震が襲っていた。
「地震だ!」
「しゃがめっ」
「つかまれ!」
52歳となっていた伊沢郁夫は、この時、原子炉1号機、2号機を操作する中央制御室(通称「中操」)の当直長だった。この日、担当の当直長がたまたま病院での精密検査が入っており、別の班の当直長である伊沢が代わりに当直業務を務めていたのだ。
中操が揺れ始めた瞬間、伊沢が当直長席から立ち上がった。
原子炉を操作・運転するのは、当直長とその部下の運転員たちだ。彼ら原子力の専門知識と操作技術を習得した当直の運転員たちが、24時間体制でこれにあたっている。組織的には、福島第一原発の運転管理部に所属している面々だ。
1号機と2号機、3号機と4号機、5号機と6号機という具合に2つずつの原子炉を制御するため、福島第一原発には、中操が「3つ」存在する。
そのうちの1、2号機を操作・制御する中操の当直長が伊沢だったのである。
運転員たちには、地震の場合、見なければならないパラメータが数多くある。中操は、700平米(およそ200坪)を超える広さがある。伊沢が当直長を務める中操には、右側に1号機、左側に2号機の制御盤(パネル)が壁いっぱい並んでいる。
地震の発生を告げる声と、まず「身を守れ」という声が交錯する中、制御盤の近くにいた運転員たちは、揺れが始まると同時に、反射的に制御盤の手前についているハンドレール(手すり)を握っていた。
だが、揺れは尋常なものではなかった。
マグニチュード9・0という経験したことのない地震が、彼らの”動き”を封じていた。最初に制御盤についているハンドレールにとりつくことのできた運転員以外は、制御盤に近づくこともできなった。
ある者は、立ったまま、ある者は、床に座り込んで激震に耐えていた。
伊沢は、目の前にあるパソコンのディスプレイが机から転げ落ちないように右手で押さえ、左手は自分の体を支えるために机の縁を握った。
「動くな! 動くんじゃない」
伊沢は部下の運転員たちにそう叫んだ。だが、ゴゴゴゴゴゴゴ・・・という凄まじい音と揺れのために、おそらく自分の声は届いていないだろう。
揺れはますます激しくなっていく。伊沢は、立ったままこう叫んでいた。
「スクラムするぞ!」
スクラムするーそれは、原子炉が緊急停止する、という意味である。原子炉は、地震などの揺れや異常事態に遭遇した時に、自動的に炉心に制御棒が入り、停止する仕組みになっている。制御棒には、中性子を吸収し、核分裂を抑える働きがある。
もし、自動停止しない場合は、制御棒を挿入するために、手動でさまざまなことをおこなわなければならない。
伊沢は、「スクラム」を運転員達に向かって伝えたのである。もちろん運転員たちには、揺れの烈しさから原子炉の緊急停止がすでに頭の中にある。
「伊沢さんが叫んでいる時には、もう自分たちの頭の中には、”スクラムする”という認識がありました。スクラム信号には、A系、B系があって、どちらかだけの段階をハーフスクラムというんですが、伊沢さんが叫んだ時に、まず1号がハーフスクラムになりました」
そう語るのは、主任の本馬昇(36)である。中操には、全体を見渡せる真ん中より少し後の方に、当直長席があり、その横に副長席がある。本馬は制御盤に近い正面の主任席に座っていた。それぞれの運転員たちの席は、当直長席前の中央テーブルにある。
ひとつの班は、当直長以下、通常は11人のスタッフで構成される。これに研究の人間など2、3人が加わり、中操には十数人が、常時詰めていることになる。運転員は年次と経験度によって、主機操作員、補機操作員に分けられており、この時は、全部で14人の人間は1、2号機の中操内にいた。
その時、1号機がハーフスクラムに入った信号がパネルに表示された。
「1号、ハーフスクラム!」
本馬が伊沢に向かってそう大声を挙げた瞬間、今度は2号機がハーフスクラムを経て、スクラムした。
「2号、スクラム!」
次いで、1号機もスクラムした。
同時に、制御棒をあらわす「CR」という言葉を使って、
「CR全挿入!」
本馬は、そう声を上げた。
だが、中操のあるサービス建屋が崩れ落ちるのではないか、と思うほどの揺れである。建物全体がきしむ音と、パネルに表示されると当時に発せられる警告音のため、伊沢の耳には、わずか数メートルしか離れていない本馬の声が届かない。
(「動くな! 動くんじゃない」次回に続く)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/2/3(水)22:00に投稿予定です。