*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。14回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第2章 大津波の襲来
「ヤバい! ・・・ヤバいです!」 P52~
(前回からの続き)
福島第一原発の1~4号機の非常用ディーゼル発電機と配電盤は、海面十メートルの敷地にあるタービン建屋の地下室に設置されていた。福島第一原発の津波の想定は、建設時には約3メートル、その後、2009年には、およそ6メートルの高さへの対策となった。
しかし、それ以上の高さの津波に対する備えは、まったく施されていなかった。非常用ディーゼル発電機やメタクラ(メタル・クラッド・スイッチ・ギア)と呼ばれる高圧配電盤がタービン建屋からより高い場所に移されることはなく、今回の津波によって、ひとたまりもなく水没してしまったのである。
そこにこそ、自然災害に対する東電の油断とおごり、さらに言えば慢心が存在したのではないか、と思われる。
暗闇の中にいる伊沢や運転員たちには、そんな事態が起こっていること、あるいは、それに限らず中操の外の状況も、ほとんどわかっていない。
しかし、外は津波によって見るも無残な状態となっていた。それは、あまりに「容赦のないもの」だった。サービス建屋1階は浸水し、放射線管理区域に入る時のために準備されている線量計や、そのほかの装備品はことごとく海水につかり、それらを収納しているラックなども、倒れたり、あるいは津波に持っていかれていた。
電源は、交流、直流の区別なくすべてが失われた。これによって、電動式の弁やポンプのほか、制御のための”命”ともいえる監視計器などがすべてストップしたのである。
それだけではない。
建屋外部は、まるで集中爆撃を受けたかのような様相を呈していた。津波がもたらしたがれきが散乱し、道路も陥没するなど、凄絶な光景へと変わり果てていた。それは、人間が通行することを「瓦礫の山」が拒絶しているかのようだった。
しかも、余震は依然、繰り返されていた。大津波警報が継続する中、実際に中小の津波がさらに何度も押し寄せている。
いつ、あの大津波が来るかもわからない。そんな絶望的な状況に、彼らは置かれたのである。
(次回は、第3章 緊迫の訓示 「なぜなんだ!」)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/2/22(月)22:00に投稿予定です。