*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。10回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第2章 大津波の襲来
信じられない光景 P35~
(前回からの続き)
ドアは、最初の津波の衝撃に耐えた。しかし、水は、侵入してきた。ドアの下から水が入ってきたのだ。
しかし、次の瞬間、伊賀の閉じ込められていた小部屋のドアの窓ガラスが割れた。それが津波の第2撃によるものだったのか、あるいは津波に運ばれてきた何かが当たって砕けたのか、伊賀にはわからなかった。
「もう、ダメだ」
一気に入ってきた海水の中で、伊賀は初めて「死」を意識した。閉じ込められた空間に、凄まじい勢いで水が入ってきたのだ。
「一挙に入ってきた水の勢いに呑まれて、狭い空間なんで、たちまち天地もわかんない状態になりました。水がドワーッと入ってきて、洗濯機の中でぐるぐる揉まれているような感じでした」
伊賀はヘルメットをかぶっていた。だが、そのあごヒモが喉を締め上げていた。”水中”でもがいていた伊賀は、苦しくなって、そのあごヒモを外した。
隣の小部屋に閉じ込められていた荒も、水の中で「死」を意識していた。
荒の閉じ込められた小部屋はドアが小さかったため、窓ガラスも小さく、割れなかった。
だが水は、下から容赦なく入ってきた。最初の一撃で、中にかなりの勢いで津波が入ってきた。
たちまち荒の胸まで水位は達した。
ついさっきまでの余裕はもうなかった。荒は、インターホンに、
「出してくれ、出してくれ!」
そして、次には、
「出せ、出せ、出せ!」
そう叫んでいた。
(これは、死ぬ)
荒は、そう思った。しかし、一気に胸まで来た水は、ここで少しだけ勢いが鈍った。荒は、狭い部屋の壁に両手を両足をつっかえ棒にして、少しずつ上がっていった。
天井までは、2メートル以上ある。必死で、手と足でつっぱりながら、荒は徐々に上がっていった。
だが、身体のすべてを水の上にだすことはできない。水中で足を壁に突っ張り、胸から上をなんとか水の外に出しているのである。
勢いは落ちても、じわじわと水位は上がってくる。天井までは、あと4、5センチだろうか。このままいけば、自分は水中に没するだけだ。
「ああ、終わった・・・もうだめだ」
荒は、悲壮な気持ちになっていた。さすがにこの状況では生き残ることは難しい。予想もしない状態で、突然、「死」が目前に迫ったのである。
家族の顔が浮かんでは消えた。独身の荒は、育ててくれた両親の顔が浮かんだ。
「自分が親より先に死んでしまうので、ほんと申し訳ないというか、自分が死んだら、絶対悲しむだろうな、という気持ちで・・・。親に申し訳ないという思いがぐっとこみ上げてきました・・・」
普段は思ってもいないことが、荒の頭の中でぐるぐるとまわっていた。
「それまでは、親の大切さとか、そういうのはあんまり感じてなかったんですけど、そのときは、やっぱり一番はじめに親のことが頭をよぎりました。ああ、やっぱり大事なのは親だなと、ちょっと再認識させられたところもありました」
隣の部屋で水中に揉まれていた伊賀もこの時、家族の顔を思い浮かべていた。
「水の中で気が動転して今思うと、一瞬、生きることをあきらめたような気がしました。体が水中でぐるぐるまわっているわけですから、水も何回か飲みましたしね。僕には妻と、子どもは15歳から3歳まで男3人に女1人の4人いるんですが、家族の顔が浮かびました。よく一生を終える時、いろいろなことを頭に思い浮かべるということを聞きますが、そういうことだったと思います。ああ、溺れて死ぬというのは、こういうふうになるんだな、と思ったことを覚えています。長く感じましたが、おそらく実際には数秒ぐらいしかなかったんじゃないでしょうか」
ぎりぎりの状態を伊賀はそう回想する。
(中略)
伊賀と荒は、必死でその「時間」を耐えた。そして、2人は、奇跡的にこの危機を乗り越えることができた。それは、人知をこえた幸運というほかないだろう。
2人が必死に耐えている間に、水位の上昇がストップした。いや、少しずつだが、水位が下がっているような気がした。
間違いない。水は引き始めている。自分たちを”水没”させるはずの水が海に戻り始めたのである。
この時、4号機のタービン建屋の地下では、同僚2人が津波によって命を落としている。
伊賀と荒は”地上”で津波を受け、亡くなった2人は、地下にいたために不幸にも命を落とした。その差は、偶然だったというほかはない。わずかの差が、生と死を分けたのである。
伊賀は、徐々に水位が下がり始めた時、外への脱出を試みた。伊賀が閉じ込められた部屋の扉のガラスは、津波によって破壊されている。
そこには、外に出るための”空間”ができていた。伊賀は、ここからやっと外に出た。知らないうちに、伊賀の両手は血で真っ赤に染まっていた。なにかで切れたのだ。
(「信じられない光景」は、次回に続く)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/2/15(月)22:00に投稿予定です。