*『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎 を複数回に分け紹介します。7回目の紹介
被爆医師のヒロシマ 肥田舜太郎
はじめに
私は肥田舜太郎という広島で被爆した医師です。28歳のときに広島陸軍病院の軍医をしていて原爆にあいました。その直後から私は被爆者の救援・治療にあた り、戦後もひきつづき被爆者の診療と相談をうけてきた数少ない医者の一人です。いろいろな困難をかかえた被爆者の役に立つようにと今日まですごしていま す。
私がなぜこういう医師の道を歩いてきたのかをふり返ってみると、医師 として説明しようのない被爆者の死に様につぎつぎとぶつかったからです。広島や長崎に落とされた原爆が人間に何をしたかという真相は、ほとんど知らされて いません。大きな爆弾が落とされて、町がふっとんだ。すごい熱が放出されて、猛烈な風がふいて、街が壊れて、人は焼かれてつぶされて死んだ。こういう姿は 伝えられているけれども、原爆のはなった放射線が体のなかに入って、それでたくさんの人間がじわじわと殺され、いまでも放射能被害に苦しんでいるというこ と、しかし現在の医学では治療法はまったくないということ、その事実はほとんど知らされていないのです。
だから私は世界の人たちに核 兵器の恐ろしさを伝えるために活動してきました。死んでいく被爆者たちにぶつかって、そのたびに自分が感じたことをふり返りながら、被爆とか、原爆とか、 核兵器廃絶、原発事故という問題を私がどう考えるようになったかということなどをお伝えしたいと思います。
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**『被爆医師のヒロシマ』著書の紹介
前回の話:『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎 ※6回目の紹介
きっと広島までの道は行けば行くほど負傷者でいっぱいになっているはずです。私は道をあきらめて、そばを流れる太田川を歩いてくだっていくことにしました。太田川はどの流れをくだってもかならず広島市内を通るからです。夏草がおいしげる川のふちを、腰まで水につかりながら一目散に進みました。
どんどん川をくだっていくと、真っ黒な煙が水面でうずを巻いています。行く手に炎が舞っているのか、川下から熱風が吹いてきて息苦しいほどでした。川底の砂利が砂に変わって、どうやら太田川が最初に左へ分かれる猿猴川に出てことがわかりました。ここから先が広島市内になります。
ちょうどこのあたりには工兵橋という橋がかかっているはずです。広島にたった一つある吊り橋で、土木の仕事をする工兵隊という部隊がつくったものでした。この左岸には工兵隊が兵舎をかまえています。煙のあい間から真っ黒になった工兵橋が見えました。春になると桜並木がみごとな長寿園という公園がある対岸の土手から上がろうと思い、川を右に横切り始めたとき、急に風が変わったのか、あたりをおおっていた真っ黒な煙が下流に消えたかと思うと、不意に青空があらわれ、真昼の光が輝きわたりました。
すると、長寿園の岸辺は、見渡すかぎり焼けただれた肉のかたまりでぎっしり埋まっています。倒れたままの姿はすでに息絶えた死体なのでしょうか。
川のなかにも多くの人がいます。折り重なって倒れる肉体を乗りこえて、あとからあとから川から岸にはい出ようとする人の数は数えようもありません。
猿猴川をまたぐ工兵橋ではつり手のあたりに炎がちりちりとあがり、その火のなかを虫がはうように赤く焼けた肉体がうごめいています。左岸の工兵隊の兵舎は、いままさに爆発の真っ最中です。黒煙が巻き上がり、大音響とともに吹き出す火花がその煙を赤々と染めます。火に追われて火だるまになった人々が、次々と川に飛び込んでいました。(次回に続く)
※続き『被爆医師のヒロシマ』は、9/4(金)22:00に投稿予定です。
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