*『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎 を複数回に分け紹介します。5回目の紹介
被爆医師のヒロシマ 肥田舜太郎
はじめに
私は肥田舜太郎という広島で被爆した医師です。28歳のときに広島陸軍病院の軍医をしていて原爆にあいました。その直後から私は被爆者の救援・治療にあた り、戦後もひきつづき被爆者の診療と相談をうけてきた数少ない医者の一人です。いろいろな困難をかかえた被爆者の役に立つようにと今日まですごしていま す。
私がなぜこういう医師の道を歩いてきたのかをふり返ってみると、医師 として説明しようのない被爆者の死に様につぎつぎとぶつかったからです。広島や長崎に落とされた原爆が人間に何をしたかという真相は、ほとんど知らされて いません。大きな爆弾が落とされて、町がふっとんだ。すごい熱が放出されて、猛烈な風がふいて、街が壊れて、人は焼かれてつぶされて死んだ。こういう姿は 伝えられているけれども、原爆のはなった放射線が体のなかに入って、それでたくさんの人間がじわじわと殺され、いまでも放射能被害に苦しんでいるというこ と、しかし現在の医学では治療法はまったくないということ、その事実はほとんど知らされていないのです。
だから私は世界の人たちに核 兵器の恐ろしさを伝えるために活動してきました。死んでいく被爆者たちにぶつかって、そのたびに自分が感じたことをふり返りながら、被爆とか、原爆とか、 核兵器廃絶、原発事故という問題を私がどう考えるようになったかということなどをお伝えしたいと思います。
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**『被爆医師のヒロシマ』著書の紹介
前回の話:『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎 ※4回目の紹介
4 初めて出会った”被爆者”
太田川沿いの道をしばらく行くと、まわりの村では大騒ぎになっていました。つぶれた家もあるし、死んだ人もいます。広島市街までちょうど半分というあたりで、市街からのがれてきた被爆者に、私ははじめて出会いました。原爆が落とされてから一、二時間くらいたっていたと思います。
広島へむかう道が、長い直線の下り坂になっていて、その先が急角度で左に曲がっています。その曲がり角から突然、何かの影があらわれました。私はブレーキをかけました。
かなり遠くから見たのですが、その影は「人間」には見えません。全体が真っ黒で、人間くらいの高さの棒のようなものがゆらゆら動いている。そう見えました。
だんだん近づいていくと、ボロを着ているように見えます。ボロきれを胸や腰のあたりからぶらさげているようです。胸の前にだらんとつき出している両方の手の先にもボロがたれ下がっています。そして手の先からは黒い水がしたたり落ちていました。
その顔は ー 、それはいったい顔なのでしょうか?!
たしかにまるい頭があるのだけれども、顔があるのかないのかわからないのです。おまんじゅうのようにはれ上がったところに二つの穴が開いていて、鼻はありません。上下のくちびるがふくれあがって、耳のほうまで口が広がっています。髪の毛はあるかないかわかりません。とても「人間」だとは思えませんでした。
その人が「ウッウッ」とうめき声を上げながら、私のほうにむかって歩いてきます。私は自転車に乗っていたのですけれど、おそろしくなって自転車から降りて、自転車をおしながらゆっくり歩いていきました。早く助けてほしいのか、その人はよろよろしながら急ぎ足でやってきます。
私はすがりつかれるとこわいと思いました。悪いけれど、自転車をおいてだんだんと後ずさり。ほんとうに悪いことをしてしまいました。私のおいた自転車につまずいて、その人はばったりと倒れたのです。(次回に続く)
※続き『被爆医師のヒロシマ』は、9/2(水)22:00に投稿予定です。
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