*『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎 を複数回に分け紹介します。6回目の紹介
被爆医師のヒロシマ 肥田舜太郎
はじめに
私は肥田舜太郎という広島で被爆した医師です。28歳のときに広島陸軍病院の軍医をしていて原爆にあいました。その直後から私は被爆者の救援・治療にあた り、戦後もひきつづき被爆者の診療と相談をうけてきた数少ない医者の一人です。いろいろな困難をかかえた被爆者の役に立つようにと今日まですごしていま す。
私がなぜこういう医師の道を歩いてきたのかをふり返ってみると、医師 として説明しようのない被爆者の死に様につぎつぎとぶつかったからです。広島や長崎に落とされた原爆が人間に何をしたかという真相は、ほとんど知らされて いません。大きな爆弾が落とされて、町がふっとんだ。すごい熱が放出されて、猛烈な風がふいて、街が壊れて、人は焼かれてつぶされて死んだ。こういう姿は 伝えられているけれども、原爆のはなった放射線が体のなかに入って、それでたくさんの人間がじわじわと殺され、いまでも放射能被害に苦しんでいるというこ と、しかし現在の医学では治療法はまったくないということ、その事実はほとんど知らされていないのです。
だから私は世界の人たちに核 兵器の恐ろしさを伝えるために活動してきました。死んでいく被爆者たちにぶつかって、そのたびに自分が感じたことをふり返りながら、被爆とか、原爆とか、 核兵器廃絶、原発事故という問題を私がどう考えるようになったかということなどをお伝えしたいと思います。
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**『被爆医師のヒロシマ』著書の紹介
前回の話:『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎 ※5回目の紹介
倒れたのを見て、私ははじめてその人が生きた人間だということがわかりました。かけ寄って「しっかりしてください」と言ったのは覚えています。脈をとろうと思いました。医者は倒れた人を見ると、最初に脈をとります。心臓に勢いがあるかどうか知るためです。ところが、私がふれようとした腕にはどこにも皮膚らしいものは残っていません。赤むけの状態なのです。
私がはじめボロきれと思ったのは、素っ裸の人間の生皮がはがれてぶらさがっているのでした。したたり落ちる黒い水は、人間の血でした。けれども、男とも、女とも、兵隊とも、一般の人とも見分けることができない、焼け焦げた肉の固まりが、泥にまみれて倒れている! そのように見えました。
こう状態の人間を私は見たことがありません、どうすることもできずにおろおろしていると、その人はピクピクッとけいれんを起こして動かなくなってしまいました。重傷のまま数キロも歩いてきて亡くなったのです。
それが私が最初に出会った被爆者の死でした。
見たことも聞いたこともないような大怪我です。私は何をどうしたらよいかわかりませんでした。こんなふうに焼かれる人がいるのだとすれば、いったい広島のなかはどうなっているのだろう。とにかく広島に急がなければと、勇気をふるい起こして自転車にまたがって走りだそうというとき、さっきの人と同じような人が大勢やって来ていたのです。
立っている人、ひざをついている人、腹ばいの人、となりの人に寄りかかっている人・・・。誰もが焼けただれて赤むけの状態です。道いっぱいにひしめいて、私の行く手をふさいでいました。
恐ろしくなりました。その人々にとりすがられても、私は治療の道具、薬品の一つも持っていないのです。そうかといって、重傷を負っていたましい姿の人たちをおし分けて道を通っていく勇気はさらにありませんでした。(次回に続く)
※続き『被爆医師のヒロシマ』は、9/3(木)22:00に投稿予定です。