原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

乳ガン死亡率、原子炉の距離に相関!!>乳ガン死亡者のうち3分の2は、原子力施設から100マイル以内の住民

2013-08-19 21:28:09 | 放射能汚染

<乳ガン死亡率、原子炉の距離に相関!!>

乳ガン死亡者のうち3分の2は、原子力施設から100マイルの住民。

(1.2) 乳ガンの死亡率の上昇
http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/note/naibuhibaku/naibuhibaku1.htm#12setsu

グールドは、この政府の統計処理に疑問を持ち、全米3053郡が保有していたその40年間の乳ガン死亡者数を使い、増加した郡と横這いか減少した郡とに分類して、郡ごとの動向を調べた。その結果わかったことは、けして全米一様に乳ガン死亡者が2倍になったのではなく、1319郡(43%)が増加し、1734郡(57%)では横這いか減少していたのである。つまり、明瞭に地域差があるということである。

しかも、グールドは増加している1319郡について、増加要因を探し、じつに乳ガン死亡率が、郡の所在地と原子炉の距離に相関していることを発見したのである。原子炉から100マイル(161㎞)以内にある郡では乳ガン死亡者数が増加し、以遠にある郡では、横這いか減少していたのである。(なお、原著からの直接の図が公開されていて、さらに、詳しい説明もついている。High Risk Counties Within 100 Miles of Nuclear Reactors

アメリカの3053の郡のうち1319郡は原子力施設(原子力発電所と核兵器工場、核廃棄物貯蔵所)から100マイル以内に位置している。図の黒い部分。1985~89年のアメリカの乳ガン死亡者のうち3分の2はその郡の住民である。(前掲書p141より ただし、引用者の判断で脚注を修正した)


原子力施設から100マイル以上離れている地域では、おそらく、40年間の医療検診やガン治療の改善によって死亡者数は横這いか減少を示すという予想通りのことが起こっていた。ところが、原子力施設から100マイル以内では乳ガン死亡者が増加していたのである。これによって、原子力施設から乳ガンの原因物質が排出されているという蓋然性が大きいことが示されたということは出来よう。いうまでもなく、その「原因物質」は放射性物質である、といいたいところだが、状況証拠は濃厚にあっても、そのものズバリを示したわけではない。
重要なことは、これらの原子力施設でなにか事故が起こっていた、というのではないのである。そのことが、とりわけ重要なのだ。日常運転をしていて「原因物質」が周辺に出てきている、と考えざるを得ないのである。これは、かなり絶望的なことだ。

 


東海村再処理施設 トラブルで40万ベクレルのヨウ素放出、放射能漏れ伏せていた
http://ameblo.jp/x-csv/entry-11097627479.html
2011-12-04 18:45:38

放射能漏れ伏せる 再処理施設「ヨウ素放出」
核燃機構東海事業所

核燃料サイクル開発機構東海事業所(茨城県東海村)の再処理施設で、低レベル放射性廃液の処理中に放射性ヨウ素129が大気中に放出されるトラブルが、14日に起きていたことが分かった。
核燃機構は「ヨウ素が放出された」とだけ広報して、放射性物質とは説明せず、警報が鳴ったことも伏せていた。経済産業省原子力安全・保安院も「丁寧な広報を心掛けるべきだ」と同機構の姿勢を批判している。

関係者によると、14日午前11時すぎ、原発の使用済み燃料を再処理する施設の一部「低放射性濃縮廃液貯蔵施設」で、中間排気モニターの放射性ヨウ素の値が、自主的な管理設定値を超えて1分当たり350カウントに急上昇し、施設内に警報が鳴った。その後、外部に通じる排気筒のモニターの値も急上昇し、大気への放出が確認された。

東海事業所の広報担当者が「ヨウ素放出量の指示値が一時的に上昇」などと書いた紙を茨城県庁の記者クラブで配ったが、放射能漏れとの説明はなく、警報が鳴ったことも伏せられていた。

このトラブル中に漏れた放射性ヨウ素の量保安規定に定める1日当たり最大放出量の560万ベクレルの14分の1に当たる約40万ベクレル

(中日新聞 2004/10/17)

 

※放射性ヨウ素129 半減期 約1570万年

 

原子力の技術は全然確立していなかった Part1
・・とにかくハチャメチャなんですね、施工というか原発を造っていく工事の段階で。

http://blogs.yahoo.co.jp/x_csv/20234976.html
 
原子力の技術は全然確立していなかった Part2
推進する側の人は本当の原発の実態を知らなさすぎます。

・・人間が放射能まみれの炉の中に入っていくことは確かです。
http://blogs.yahoo.co.jp/x_csv/20244079.html
 
原子力の技術は全然確立していなかった Part3
電力会社にも国にも隠しているトップシークレットってあるんです。

そういうものはみんな隠されたまま安全だと宣伝されているんです。
http://blogs.yahoo.co.jp/x_csv/20245010.html
 
原子力の技術は全然確立していなかった Part4
廃棄物処理建屋から放射能を液体、気体、固体と別々に処理して
外に出しているんですけど、薄めて出せばいい事になっているんです。
http://blogs.yahoo.co.jp/x_csv/20245995.html
 
 
 

 
 
 
★原発は普段から、放射能を放出している
 
  廃棄物処理建屋から放射能を液体、気体、固体と別々に処理して外に出している
  んですけど、薄めて出せばいい事になっているんです
 
   だから薄めて出している分には総量規制がないですから、
  出たやつはみんな、特に海の場合はプランクトンからはじまって、
  生体濃縮というのでどんどん濃縮されていきます。
 
 プラント建設中の最後の配管洗浄というのがあるのです。
 そのような時に、ものすごい化学薬品が海に流れているんです
 
 流れている水みたらぞっとするくらい色が変わっています
 
 最近はそういうのを見られたくないのか、排水口の側にブロックをいっぱい積んで、
 その水がどーっと沖に流れていくのが見えないようになっていますね、
 たいがいの発電所は。以前はそういうのがなくて、どうどうと流していました。
 
 
 
★原発は事故がつき物で、事故を起こしたときには放射能は確実に漏れている
 
 事故るということはあまりにも大きくてですね、その都度放射能が出る場合、
 いろいろなケースがあるのですね。大量に出ちゃう場合もありますんでね。
 
 例えば美浜の細管破断事故というのがあったですね。
 その汚染された蒸気が大量に外に吐き出されている写真は見ましたし、
 それを実際自分の目で見たという学者にも会いました。

 そんな時に、じゃどれだけの放射能が出たかと、
 本当のことが報道されているかというと、まったくされていません

 
 確実に放射能漏れとかそういう事はあります。
 
 僕等は事故といいますけども、推進側は決して使いません。
 よっぽどのことがなければ、死人でも出たら別でしょう。何人か。
 なかったら事故といいません。みんな事象という言葉を使います。
 
 福島2-3のポンプ事故の前、試運転でも事故は起きていたのです。
 試運転で機能試験やったらポンプの羽根がぶっとんで、モーターも燃え・・・
 
 
 
 
福島原発事故は起こるべくして起こった 事故、不正の数々・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/x_csv/folder/628664.html
 
冷却機能喪失は何度も指摘され続けていた
そして、福島第一3号機の7時間の臨海事故の隠蔽(1978年)など、
事故、不正の数々・・
 
福島第一原発1、2、3、5号機と第二原発3号機の炉心隔壁の
ひび割れ損傷隠しについて、法的処罰なし(2002/10/2)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-10-02/17_1501.html
 
福島第一3号機制御棒駆動配管282本中242本にひび、3本は貫通(2002/9/26)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-26/03_0102.html

柏崎刈羽、福島第一、福島第二の三原発で新たな損傷隠し(2002/9/25)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-25/13_1501.html

福島第一原発1―5号機、同第二原発3号機、再循環系配管の
 溶接部にひび割れ、隠蔽(2002/9/21)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-21/01_0102.html

福島第一6号機など複数原発の制御棒にひび多発、
制御棒脱落や駆動できなくなる可能性(2006年3月5日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-05/2006030501_02_0.html

福島第一のコンクリート「アルカリ骨材反応」試験データのねつ造発覚(2004年12月12日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-12-12/04_01.html

東芝、福島第一の原子炉注水流量計の試験データ改ざん(2006年2月1日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-02-01/2006020115_01_0.html

東電から原発検査短縮に協力の業者(日立など)に報酬、460日分37億円、
 福島第一は9億円支払い(2002/12/8)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-12-08/14_1502.html

天下り5年で45人 点検の偽装多発 (2002/10/20)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-10-20/10_0501.html

福島第一原発6号機、茨城県沖地震(2000年7月・震度4)で配管破断事故(2007年10月27日)
老朽化も深刻です。東京電力の福島第一原発6号機では二〇〇〇年七月に発生した茨城県沖の地震で震度4相当の揺れだったにもかかわらず配管が破断する事故が起こっています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-27/2007102703_01_0.html

福島第一、2・3・5・6号機の制御棒駆動水圧系配管裂傷について「点検項目ではない」「技術基準を満たしていないだけでは罰則がない」国の回答(2002/9/25)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-25/09_0401.html

小泉内閣、配管などがヒビ割れた状態での運転許可を閣議決定「現在の法律で、ひび割れがあっても安全上問題がなければ運転が可能」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-25/09_0401.html

福島第二3号機の残留熱除去機器冷却系配管ポンプ故障判明、
 翌日に国が安全性認可・再稼動許可(2004年1月17日)
運転を停止している東京電力の福島第一原発2、4号機と福島第二原発3号機の三基について、再稼働しても安全性に問題がないと確認しました。ところが、第二原発3号機では十五日に、配管からの水漏れとみられるトラブルが発生していたことが明らかになりました。保安院は、トラブルの起きている原発を「安全」と確認したことになります。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-01-17/15_03.html

福島第一3号機、制御棒が脱落・7時間臨界事故(1978/11/2)記録、2007/3/30まで隠蔽 (2007年3月31日) “不正”“隠ぺい”97件
七時間半にわたって意図しない臨界状態が続いていたにもかかわらず、運転員が五時間も気づかずに放置されていたことがわかりました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-03-31/2007033115_03_0.html

福島第一の臨界事故(78年)把握せず、国のずさんな監督責任(2007年3月23日)
北陸電力志賀原発1号機での臨界事故隠しが明らかになった後、同型(沸騰水型)の原発での制御棒脱落事故が次々明らかになっています。二十九年も前の一九七八年に、東京電力福島第一原発で重大な事故が起きていたにもかかわらず、これまで国はまったく把握していませんでした。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-03-23/2007032315_02_0.html

小泉内閣、原発災害用ロボット研究開発打ち切る
http://megalodon.jp/2011-0412-2243-17/alp.jpn.org/up/s/6459.jpg

小泉内閣、原発専用耐震テスト施設(建設費310億円)を廃止
売却されスクラップに 世界最大級の原発の耐震テスト設備
http://www.aera-net.jp/summary/110327_002304.html

発電所内の火災防護チーム設置を求めたIAEA勧告(2004)および中越地震時の刈羽原発火災をうけた共産党申入れ(2007/7/25) その後も対策取られず
中越沖地震・・変圧器から出火した東京電力柏崎刈羽原子力発電所では設計値の三・六倍にも達した激しい揺れを経験し、地盤が大きく波打ち、消火用配管の損傷など六〇件を超える異常が発生した。そればかりか、空と海へ放射性物質を放出したほか、最低限度の防火体制さえ整備されていないことが明らかになった。
http://www.shii.gr.jp/pol/2007/2007_07/O2007_0726_2.html

自民党の電源立地調査会、「原子力政策と東京電力の原発トラブル隠しは違う問題だ」※会長・顧問大島理森  同席した東電の南直哉社長は「弁解の余地がなく謝罪するしかない。先生方に多大なご心配をお掛けしたことにあらためておわび申し上げたい」と議員らに陳謝
http://www.47news.jp/CN/200209/CN2002090401000229.html

小泉内閣、損傷隠し「安全」とIAEAで報告、福島第一原発1、2号機、福島第二原発1号機など十機の定期安全レビュー、安全基準オーバー(2002/10/13)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-10-13/15_1501.html
 
2006年に米公電で在日米外交官が疑念「日本の原発はコストを優先し安全性が疎か」
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201103/2011032300090

安倍内閣、福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ(2007/7/24) 却下
2007年7月24日
東京電力株式会社
取締役社長 勝俣 恒久 様
(略)福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、すでに明らかになっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ、最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。
http://www.jcp-fukushima-pref.jp/seisaku/2007/20070724_02.html

巨大地震発生時の非常電源・冷却機能の喪失についての質問主意書 安倍内閣「安全確保は万全」と却下(平成18年12月13日)
政府は、巨大地震に伴って発生する津波被害の中で、引き波による海水水位の低下で原子炉の冷却水も、停止時の核燃料棒の崩壊熱を除去する機器冷却系も取水できなくなる原発が存在することを認めた・・ 
・・・これだけデータ偽造が繰り返されているのに、何故、国はそうしたことを長期にわたって見逃してきたのか。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a165256.htm

20年前から米原子力規制委員会(NRC)が福島第一原発の非常冷却機能に警鐘、無視される
地震発生時に炉心溶融につながる事故の例として、原子炉を冷却するため水を外部からくみ上げるポンプを動かす非常用ディーゼル発電機の破損や停電、貯水タンクの故障などによる冷却機能不全が高い確率で起こると指摘していた。
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920000&sid=a.lK3UI3LjpM

麻生内閣、反対を無視し福島原発の定期検査の間隔を13ヶ月から24ヶ月に延長
http://www.47news.jp/localnews/hukushima/2008/12/post_2422.html (2008/12/13 09:30) 

 

 


 

悪性リンパ腫多発地帯の恐怖

http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/21537cc693b82de25e102d163e753474

福井県敦賀原子力発電所の半径10キロ圏内調査区域で住民健康調査を行った結果、過去3年間の悪性リンパ腫発生率が全国平均の1.71倍、とくに敦賀半島対岸の風下地域では集中的に患者が多発し、この風下3集落の悪性リンパ腫発生率は、全国平均の10.05倍だった。

 

 

原発周辺住民が苦悩の告白!!恐ろしい実態を暴露
 
「やっぱり原発だべか?」
 奇形魚は普通にみかけるようになり、最近、ガンで亡くなる人が多いよな・・・」
「そして奇形は、とうとう子供にまでみられるようになりました」

http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/e65611097f18ff16a48805ab07faad37

暮らしの質が上がり誰も反対しなくなった頃、異変が起こり始めた

収入も福祉も確かに良くなって来てる=暮らしの質も上がると誰も反対はしなくなります。「原発が1機あるのも2機あるのもかわらんべさ。」こんな感じで、さらにズブズブの関係は深まり、関連雇用や経済効果(建設作業員向けの民宿、飲食店など)は周辺自治体にも波及して行きます。そうして豊かさを実感できるようになった頃に、異変が起こり始めます。釣った魚がおかしい…子供の体調がどうもおかしい。「やっぱり原発だべか?…」そうこうしている内に、営業開始から5年、10年と経ち、最初は珍しかった奇形魚は普通に見かけるようになり、最近、ガンで亡くなる人が多いよな…

そして奇形は、とうとう生まれてきた子供にまで見られるようになりました。(すみませんが個人情報に触れるので、これ以上の詳細とソースは明かせません)「やっぱり、原発が…」しかし、今更、原発そのものを無かった事にはできません。以前の海は戻って来ない。仕事はどうする?税収は?

 

 


【JAL123便墜落事故】彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた

2013-08-19 14:58:03 | 放射能汚染

【JAL123便墜落事故】

国家機密を守るため、特殊部隊が編成され事故処理にあたった。

123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。

殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?

彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、

火炎放射器で生きたまま焼かれた。

待機命令に反し、人命救助に急いだ隊員は射殺された。

精神状態がおかしくなる隊員も少なくなかったという。

口外すれば家族にまで危害が及ぶと言う事を暗にほのめかされ・・

日航ジャンボ機JAL123便墜落事故(M氏の証言_完全版)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Pf3-eJgnOkM
2011/1/8

証言を箇条書き
・13日午前4時、公式発表ではまだ発見され
 ていないはずの墜落現場に自衛隊員が既に100名程度は来ていた
・自衛隊員は人命救助よりも何かの回収を優先していた
・4~50名の生存者の声が聞こえた
・1時間後には生存者の声が全く聞こえなくなった

 

(事故概略)

1985年8月12日 18時12分に羽田を大阪に向け離陸した日航123便(ボーイング747型ジャンボ機・乗員15人、乗客509人、計524人)は離陸してまもなく大島西方上空付近で機体の異常を訴え、数十分間ダッチロールと呼ばれる異常飛行の後、18時56分すぎ、群馬県上野村の三国山の北北西約2.5キロメートル、標高1,565メートルの通称・御巣鷹の尾根に激突し炎上した。4名の重傷生存者と520名死亡の犠牲を出した。

このとき、横田基地所属のC-130機が墜落現場を発見し、座間基地所属の陸軍ヘリUH-1が救助活動のため現場に入ろうとしたが、どうした訳か(日本政府から協力を拒まれ?)、墜落現場の真上でロープ降下しようとしていた救助ヘリと上空で待機していたC-130を引き返させるという不可解な命令が出た。

米C-130は午後7時30分に墜落場所を特定し、20分後には横田基地に正確な墜落場所を知らせている。

自衛隊は、当日から明け方まで墜落場所の誤報を意図的に繰り返していた。
朝になって長野県警のヘリが正確に位置を確認、
生存者を発見したのも長野県レスキュー隊。
自衛隊はそれまで何かを運び出すのに精一杯)だった。(意図的誤報についての引用元

 

実際の事故機墜落現場は早くからわかっていたが、

訓練中の標的機(オレンジ色)が123便にぶつかった残骸の回収を優先

JAL123軍事破壊・軍事焼却の背景は中曽根康弘軍事指揮にあり
http://heiwarikkoku.jugem.jp/?day=20100601 より(抜粋引用)

「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。 
ナゾの自衛隊のチームの ナゾの10時間の行動。かれらは なにをしていたのか。

狭い空間に三人もいて高浜(機長)さんだけ木っ端微塵になったのはなぜですか
コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれます。それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったといいます。

当時 突然 垂直尾翼が大破し 不可解な「攻撃されているというSOS信号」が発信され(JAL123便の「スコーク77」の発信) 自衛隊機2機がスクランブル発信しました(自衛隊のマッチ・ポンプ?)。そのあと墜落までの数十分間 管制塔との交信がされていて レーダーでも捕捉されています。
 そして 空中で ナゾの爆発が2回起こり(前後に付き添う2機の自衛隊機が目撃されています) とうとう 御巣鷹山に墜落。

「奇跡的四人の生存」の件だが、これは現場自衛隊員による、上官命令に逆らった「名誉ある反乱」の結果だろう。軍事隠蔽からすれば「全員死亡」がシナリオだった筈だ。御巣鷹山墜落現場に辿り着いた消防・救命救急及びアメリカ軍・救命救急まで「軍事拒否」している訳だし。

自衛隊員の告白 本当の話です。事故原因も分かっていない時期に、私に、いずれは分かると思うんだけど(直ぐに真の原因が分かると言う意味だったんだと思います)...と言って話してくれた事は、「123便の事故は、本当は○○隊が○落させたんだよ。当時訓練で標的機を飛ばしていて、それが操縦不能になって、行方が分からなくなり、そのとき近くを飛んでいた123便にぶつかったんだ。墜落現場には標的機のオレンジ色の残骸があったから、誰もいないうちにヘリで回収したんだ」と。

実際の事故機墜落現場は早くからわかっており、地元民らは救出に向かおうとしていたのに、わざと違う事故現場を報道させ、また地元民らにも救出に向かうことを禁止した。

日本自衛隊・人命救助に急ぐ隊員を射殺! JAL123便墜落時には、「待機命令に反して御巣鷹山へ怪我人救助を急いだ自衛隊員1名が射殺された」旨、当日のNHKニュースで発表

これもまた鋭い資料だ!!!
]2007年08月27日
●衝突6分前から気付いていた操縦クルー(EJ第1056号)
 JAL123便の操縦クルーは、謎の飛行物体にぶつかる少し前に気がついていたの
ではないかと思われるフシがあります。

 JAL123便が羽田空港を離陸したのは、午後6時12分のことです。そのまま順
調に飛行を続け、水平飛行に移行した午後6時18分過ぎ、右側に富士山と江ノ島が見えます。高度は、約3500メートル。富士山と眼下の相模湾が一望できる風光明媚な場所で、この場所を飛行するパイロットたちがホッと息をつく瞬間だそうです。
 そのとき、右前方から奇怪な飛行物体が飛行機に近づいてきたのです。あり得ないことであるだけに、操縦クルーに緊張がはしります。「危ない!衝突する!」
 それとほぼ同時に、座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏(当時41歳)も、その飛行物体に気がつき、それをカメラに収めているのです。この写真は、JAL123便事件の謎を解く、唯一の貴重な物的証拠として後世に遺ることになるのです。

(抜粋引用終了)

 

 

加藤紘一氏(当時の防衛庁長官)、

 事故当夜、現場の上空まで行っていた!!

 遭難者を救助する前に、

 自衛隊が「大事件」証拠物件を搬出するのを見届けに行ったのか?

http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2010/08/post_1819.html より(抜粋引用)

この"重大事件"を隠蔽しようと画策し、123便の横田基地への着陸を拒否し、2機の自衛隊機を発進させ、遠く御巣鷹(=地元)の尾根まで同機を誘導させた、その命令権者としての中曽根元総理は、当日、一体、何を考え、何を命令したのか?
 2機の自衛隊機が、ミサイルで123便を撃墜したという説(池田昌昭氏)もある。また、二つの原爆の様な「きのこ雲」が湧き立つのを見たという、多くの目撃証言もある。
 さらには、墜落した123便の機体後部(尾翼付近)に、ミサイルAIM4(オレンジ色の機体)が突き刺さっていたという証言(佐宗邦皇氏の言)さえもある。
 実際、ご遺体の識別や鑑識に関わった医師や歯科医師が、「単なる墜落事故の遺体とは思えない」と語っているのを、われわれは、すでに聞いている。

 それゆえ、私は、正直に問いたい。
中曽根元総理、あなたは、あの日、防衛庁、とりわけ航空自衛隊に対して、一体、如何なる命令を下されたのか?!
 何故、あなたは、墜落後の乗客の早期救出を命じられなかったのか? 事実、墜落直後、数十名の生存者がいたというではないか。
 そればかりか、早期救出に向かおうとした数名の自衛隊員が、待機命令違反というだけで、なぜ、射殺されなければなかったのか?!
 加藤紘一氏(当時の防衛庁長官)、当日、あなたは、当時の中曽根総理から、一体、如何なる命令を受けられたのか?!
 第一、あなたは、事故当夜、現場の上空まで行っていたというではないか! 一体、何をしに行ったのか? 遭難者を救助する前に、自衛隊が、「大事件」の証拠物件を搬出するのを見届けに行ったとでも言うのか?!

(中略)

 実は、この時、操縦桿を握っていた佐々木副操縦士こそ、少年の頃、私が、心から憧れていた先輩である。まさに、「事実は、小説よりも奇なり」である。
 佐々木先輩のご母堂は、彼の没後、私の母に、こう語られた。「息子は、戦死しました」と。今、私には、この言葉の意味が、よく分かる。今日、そのお母様も、もう、この世におられない。
 『日航123便はなぜ墜落したのか 2010年8月9日』 --> こちら から引用

(抜粋引用終了)

 

 

 日航ジャンボ機墜落と横田基地 

1985年墜落救助のぶざま、元エアマン証言」

日本は現場到着に12時間もかけた」

http://www004.upp.so-net.ne.jp/imaginenosekai/yokota-haijack.html

横田基地所属のC-130機が墜落現場を発見し、座間基地所属の陸軍ヘリUH-1が救助活動のため現場に入ろうとしたが、どうした訳か(日本政府から協力を拒まれ?)、墜落現場の真上でロープ降下しようとしていた救助ヘリと上空で待機していたC-130を引き返させるという不可解な命令が出た。

運輸省航空事故調査委員会の最終報告書には、C-130が墜落現場を発見し位置を知らせてきたことが記載されていながら、その後の米軍の救出行動は一切記述されていない。

 その事実が明らかになったのは事故から10年後、1995年8月27日付の米軍準機関紙「スターズ・アンド ・ ストライプス」パシフィック版が「1985年墜落救助のぶざま、元エアマン証言」「日本は現場到着に12時間もかけた」の見出しでカリフォルニアの地域紙「サクラメント・ビー」の記事を転載したことによる。記事を書いたのはC-130のナビゲーターだったマイケル・アントヌッチ中尉(当時)。その記事には、いち早く現場に到着した同機から見た米軍ヘリの活動、不可解な帰還命令などが詳しく書かれている。

 

彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。

大きな袋に何かを集めて入れる作業を黙々と続け、

上空でヘリコプターがホバリングしながら集めた袋を回収するのみ。

助かるべき多くの生存者が情け容赦なく殺された
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.html より(抜粋引用)
墜落は単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった!

8月13日04:00頃 墜落翌日まだ夜も明けぬ早朝、白バイを振り切って、長野県からオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者達2人。生存者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのをはっきりと聴いた。およそ50人と推測。指が欠損しただけの、比較的軽症の人も。この人は助かる、と確信。既に到着していた100名くらいの自衛隊員。片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグル、また、靴は急峻な山での作業に適した短靴。1時間後、次の部隊が続々と到着。後から来た部隊は山で歩きにくいブーツ着用。

しかし、彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。大きな袋に何かを集めて入れる作業を黙々と続け、上空でヘリコプターがホバリングしながら集めた袋を回収するのみ。何故だ!?何故この部隊は救助をしない!?目の前で多くの人々が手当を待っているというのに!!人命より優先される回収物とは、一体何だ!?以下にその件についてのウェブサイトを紹介する。

「JAL123便墜落事故-真相を追う- 闇夜に蠢くもの(4)」
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9218d78bddf9f12a9d7bdc8ebec1c10a 

このオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者の一人は24年間海外勤務にあって真実を語る機会が無かったが、2010年5月16日、江戸東京博物館にて、その日目撃したことの証言を依頼される。ところが、講演の2週間前、アクシデント発生。車の後輪がバースト。あわや死亡事故につながる緊急事態を咄嗟の運転テクニックで回避する。損傷部分を検証した結果、軍関係者しか持たない、熱戦銃によるものと判明。「123便事件の真実について、これ以上語るのを止めよ」というメッセージが彼に送られる。幸いにも、かろうじて講演会当日は会場に無事駆けつけ、証言することができた

「やがて真っ暗闇のなかに、ヘリコプターの音が聞こえたのです。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん、遠くに行ってしまうんです。このときもまだ何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです」(落合由美さんの証言)。
 このように、1994年9月25日の「ニュース・ステーション」は、日本側の都合による米軍救援活動中止要請が事実であることを報道しています。何ということでしょう。米C-130は午後7時30分に墜落場所を特定し、20分後には横田基地に正確な墜落場所を知らせているのです。もちろん日本側にもその時点で伝えられています。

(抜粋引用終了)

 

 

最重要証拠となるボイスレコーダーには、数々の編集跡がみられる。

さらに大事な部分がカットされている模様だ。

日航機墜落の真実を求めて
「1985年8月12日発生の日本航空123便墜落事故」はネット上でも真実が解き明かされ始めた 
http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/
★★御巣鷹山日航ジャンボ機事件から23年目 特にボイスレコーダの編集疑惑や当時の加藤防衛庁長官の行動にも疑惑が。
最重要な証拠となるボイスレコーダーを一切公開しなかった。10年ほど経ってから、その一部を公開したものの専門家の分析ではその音声には数々の編集跡がみられるとのこと、さらに大事な部分がカットされてる模様だ。
おそらく自衛隊機との交信部分をカットされてるんじゃないかという気がする。(実際、スクランブルした自衛隊機が平行して飛んでいるにもかかわらず、両機が全く交信すらしないというのは考えられないこと。)
・ジャンボ機のあとを、戦闘機みたいなのが2機追いかけていった(『疑惑/JAL123便墜落事故』早稲田出版刊の筆者:角田四郎氏)
・マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の 透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた。―浦和市に住む住民の目撃証言
・飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛んでいるのが見えた。―長野県南相木村中島地区の住人3人

 

 

<当時自衛官で、事故処理に参加した友達の兄貴の告白>
誤射、国家機密、緘口令、事後処理の為の特殊部隊の編成
情報撹乱、ガス、火炎放射器...。まさに地獄以下の有様

生存者をかくまったために 拘束されて送り返された者も少なくなかった

日航ジャンボ123便 ソ連軍機ベア~標的機誤射~緘口令~
事後処理の為の特殊部隊の編成~情報撹乱~ガス~火炎放射器~地獄~
http://www.asyura2.com/09/lunchbreak27/msg/1221.html より(抜粋引用開始)
投稿者 愉快通快 日時 2012 年 2 月 16 日 19:54:18: aijn0aOFbw4jc

翌日のニュースは、もっと衝撃的だった。 日本の救助隊は現場を発見できず、やっと着いたのは墜落の14時間後だと言っているではないか。 私は焦って自分の地図を取り出し、墜落現場を正確に伝えたかどうか調べた。私には自信があった。 伝えた位置は正確だった。海軍のヘリは私の情報に従って現場に来たのだから、間違いない。

我々はあの時、現場の上空を飛んでいた日本の救援隊にを任せた。
それにしても、どうして墜落現場がわからなかったのか?一体、朝まで何をしていたのか?不思議でならなかった。

事故から2週間たって、私は『タイム』と『ニューズウィーク』で 生存者が4人いたことを初めて知った。

『疑惑/JAL123便墜落事故』(早稲
田出版刊)の著者、角田四郎氏は、御巣鷹山の現場登山に行ったさい、ある金属片(添 付ファイル)をひろって持ち帰り、事前説明なしで、友人の航空機の整備士(米国人)に 鑑定を依頼しています。結果はどうだったのでしょうか。結果について書かれた部分を ご紹介します。
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      彼の答えは、私のド肝を抜いた。「たぶん」と疑問視を付けて
      慎重に、しかし、はっきりとこう言った。
      「ミサイル」(This is missile.)
      「まさか!」(Not Really !)
      「たぶん、ミサイル」(Maybe missile.)
         ――角田四郎著、『疑惑/JAL123便墜落事故』より
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179 :NASAしさん[sage]:2009/08/29(土) 09:08:53
NHKアナ「ただいま長野県警から入った情報です。現地に救助に向かった自衛隊員数名が、何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。 続報が入り次第お伝えします」

495 名前:名無しさん@5周年:04/08/12 21:18 ID:jB9y0pGY
これはマジな話なんだが、友達の兄貴が当時自衛官で ●●隊情報●隊と言う部隊に所属していて 救助活動というか事故処理に参加したそうだ。

その兄貴と何年か前に酒を飲んだ時に聞いた話だが
以前から事故処理に従事したと言う事は弟から聞いていたので
興味本位でその時の事を聞いてみたら顔色が変わったので
その話はそこまでにして馬鹿話に切り替えた。

暫く飲み続けるうちに、その兄貴がポツリポツリと話だした。
誤射、国家機密、緘口令、事後処理の為の特殊部隊の編成
情報撹乱、ガス、火炎放射器...。
まさに地獄以下の有様だったそうだ。

隊員の中には精神状態がおかしくなる者や、生存者をかくまったために
拘束されて送り返された者も少なくなかったそうだ。
その兄貴もすぐに退官したが、その際に口外すれば家族にまで危害が
及ぶと言う事を暗にほのめかされ、自殺を考えた事も有ると

(抜粋引用終了)

 

123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。

殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?

彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、

火炎放射器で生きたまま焼かれた。

JAL123便墜落事故の真相① 助かるべき多くの生存者が情け容赦なく殺された
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.html

☆世界の真実の姿を求めて!TV新聞報道では、助かった4人以外に少なくとも生存者が3人、合計7人の生存者がいた(この日本経済新聞の記事は日航パーサー落合由美さんを忘れている。従って8人が正しい。)。しかし、4人は報道直後突然失踪!彼らは一体どこへ消えたのか!?

さらに最低50人くらいの生存者が墜落現場にいた、指先が1本ちぎれただけの男の人もいた、と、まだ夜も明けやらぬ現場に駆けつけた若者は証言!生存者達も同様、墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言。

☆川上慶子さん(当時12歳)は、同乗の両親と妹が亡くなるも奇跡的に生還。病院を退院後、島根の実家に帰った際に証言:墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。しばらくすると前方から懐中電灯の光が近づいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた。(慶子さんは意識が無くなって幸運だった。もしその時懐中電灯の人物に助けを呼んでいたら、彼女の今日は無かっただろう。近くに居た、落合由美さんや吉崎さん母子の今日も…理由は後述。)

この墜落現場で「生き残った罪も無い乗客、乗務員にとどめを刺した者達」は恐らく国籍が日本では無い、と信じたい。来るべき極東有事を演出するために特別訓練された、日本の自衛隊を偽装した部隊の可能性が高いのでは?任務遂行のみに全神経を集中する訓練と共に、部隊を編成するに当たって「日本人を嫌悪する教育」を受けた者達が選ばれたのではないか?

123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?『お前達は何者だ!?乗客乗員の救助に来たんじゃないのか?』現場で何が起こっているのか、理解している人はほとんどいなかったであろう。彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた。

JAL 123 15

 

尋常ならざる遺体の状況 参考ウェブサイト:http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0809.html 

ジェット燃料は高くて1400℃に到達するというが、それは灯油の1100℃とたいして変らない。実体はほとんど灯油と同じと考えてよい。写真の子供は頭部の輪郭が崩れる程激しく燃えており、ジェット燃料(灯油)が原因ならば、まとまった燃料が本人にかかり燃えた、あるいは近くで激しく燃えていたことになる。しかし、子供の遺体に寄り添うように生えた木立にはほとんど焦げ跡がない。しかも雑誌の文面には「紙幣や書類が周囲に散乱していた」(写真誌フォーカス)と記載されている。ジェット燃料はこの子だけをめがけ飛び散り、この子だけを燃やして火は収まったというのだろうか?この不自然な状況を説明する理由を私はこう考える、「この子はごく間近から火炎放射器で焼かれたのだ」と。元記事

当時、遺体の歯形で本人確認を行った大國勉氏(歯科医師、群馬県警察医会副会長)に、青山さん(元日航客室乗務員、青山透子氏)は何度もインタビューを試みている。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。…二度焼きしたような状況だ」。周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、遺体だけが骨の芯まで焼かれているのはなぜか。群馬県の検視報告書において担当医が「二度焼き」という言葉を使ったことは、ただごとではない。

JAL 123 45

写真上:女性4人の生存者が見つかったスゲノ沢の上流で発見された携帯用VXガス兵器と思しき容器。20数年経って、瓶には微量の液体が残っていた。持ち帰る際、念のため何重にもビニール袋で密封したが、調査に当たった方達2人は、密封を解いた途端気分が悪くなり、数日間寝込んでしまったという。

(抜粋引用終了)

 

日航ジャンボ機JAL123便墜落事故の真相を追っていた佐宗氏は、不審死

政治的背景が疑われる不審死を遂げた人、冤罪で捕まった人
http://8260.teacup.com/astroecology/bbs/505

●ワールドフォーラム代表 佐宗邦皇氏
 2009年8月8日、日本航空123便の御巣鷹山に墜落した事件(1985年8月12日)の真相を追っていた佐宗氏は、ビデオの月例会で話している最中、ペットボトル「おーい!お茶500ml」を一口飲んだ、そのわずか30秒~1分程で突然倒れ、翌日死去。