goo blog サービス終了のお知らせ 

原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※5回目の紹介

2014-09-30 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。5回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※4回目の紹介

 前章では、動燃と政治家との”癒着”の歴史を伝えた。だが、この一件からわかるのは、動燃が永田町だけでなく、霞が関の官僚とも”一心同体”となって「工作」に邁進する姿である。福島第一原発の事故でも
「規制する側」の行政と「規制される側」の電力業界との癒着が大きな問題となったが、こうした構造は昔から当然のように存在していたのである。


 さて、これらの事実に科技庁側の当事者はどう答えるのか。当時の原子力局長で、現在は金沢学院大学の名誉学長を務める石田氏は電話で取材に応じ、こう答えた。

「20年前のことで記憶が鮮明ではないが、放送された自分のインタビューの内容がこちらの意図とフィットしていなかった記憶はあります。カメラを回して取材したときにどの部分をお使いください、というのをきちんと言わなきゃいけないところだった。ただ、ディレクターを呼んで抗議したのかは覚えていません」

 肝心の、「やらせ抗議」について聞くと、

「動燃にテレビや新聞を使って組織的な抗議をさせたことは、まったく記憶にありません。動燃内部のメモは色々あるんでしょうが、私はコメントする立場にないと思います」

と強く否定する。ただ、動燃側が科技庁に命令されていたという構図については異論があるようで、語気を強めてこう反論した。

「動燃は科技庁と同様に、プルトニウムをきちんと用いていくべきだというスタンスを強く持っていましたから、動燃が全然やりたくないことを、科技庁が頼んでやらせたということはないと推測します。特定の新聞社や放送局に抗議するようなことを動燃が組織的にやっていたとは思いませんが、報道の中身が必ずしも客観的でないという向きを持っていたことはあったと思います」

 抗議の場に同席した元動力炉開発課長K氏も、

「もう20年も前の話でしょ。おっしゃっているようなことは記憶にないですね」

と言うばかり。資料は「科技庁の指示」があったことをはっきりと記録しているのだが、両人から説得力のある説明を聞くことはできなかった。


 NHKにも見解を聞いたが、「昔のことなのでわからない」(広報担当者)という。そこで当時、番組にかかわったNHK関係者に聞くと、

「確かに、番組の放送後に科技庁に担当ディレクターらが呼ばれて抗議を受けたという話は聞いていました」

 と鮮明に覚えていた。抗議に対し、特に謝罪や訂正は行わなかったという。

「あの番組はNHKが総力を挙げて取り組んだ大型企画。隙がないように相当、知恵を絞って作ったため、内容には自信があった。それでも、公共放送であるNHKが”国策”に正面から疑問を投げかけたことが、科技庁には許せなかったのではないか。ただ、あのころは局の幹部も骨のある人が多くて、圧力に屈するようなことはなかった」


◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 この一件でもわかるように、「原子力ムラ」のマスコミや反原発派への警戒ぶりは尋常ではない。そのことを示す資料が、「未萌」と題された、A4用紙をホチキスで束ねた分厚い冊子の中にもあった。

「未萌」は、動燃職員の有志の会「未萌会」が定期的に発行していた会員向けの冊子だ。「未萌会」では社のOBや電力会社の幹部を呼んで講話を聞く会などを開いていたが、同時にマスコミや反原発派への対応などを研究する勉強会を開催し、徹底した対抗姿勢を見せていた。

 88年6月に作成された冊子「未萌」には、「反原発運動関連資料」と題した資料集が残っていた。科技庁や電気事業連合会(電事連)、そして日本原子力産業会議(原産会議)と、「原子力ムラ」の”オールスター”ともいえる組織が資料の作成者として名を連ねる。動燃はこうした組織と横の連絡を取りながら、さまざまな「工作」のノウハウを磨いていたのだ。

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、10/1(水)21:00予定です。

<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書 ※現在、紹介中です

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※4回目の紹介

2014-09-29 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。4回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※3回目の紹介

<30年かけて研究開発に取り組んでいることへの非難がおかしい>

<他の国がやめたから、日本もやめるという理論はあまりにも稚拙だ>

<日本がエネルギーを確保するために研究開発をすることがなぜいけない。日本は世界から大量のエネルギーを輸入している。将来、途上国が大量にエネルギーを使い出したら、どうするのか。足りるとでも思っているのか>

<他の国はプルトニウム利用をやめたというが、では後どうしているのか。どんな将来を考えているのか。その視点が欠けている。そうでなくてはプルトニウム利用をやめた後、日本はどうあるべきかを考えられない。報道姿勢が無責任である>

 これまで30年もかけて取り組んできたのだから批判を許さないという主張は論外にしても、プルトニウムに変わる将来のエネルギー政策を提示していないから「核燃料サイクル」の問題点をしてはいけないという理屈は、あまりに都合が良よすぎるだろう。次のような表現には、思わず時代を感じてしまう。

<経済性、経済性と言うが、一国の安全保障を考えるのにその一面からしか捉えないのはあまりにも単純だ。エコノミック・アニマル的発想だ>

「エコノミック・アニマル」とは、日米貿易摩擦が問題となっていた当時、仕事に熱中しすぎる日本人を批判する言葉として流行していた言葉である。もちろん、番組では経済性以外の問題点もきちんと指摘されており、的を射た批判とは思えない。そもそも、福島第一原発事故を経た現在、全国で停止中の原発の再稼働に際して、原子力ムラの面々はその「経済性」だけを一面的に捉え、声高に掲げているではないか。


 話を戻そう。マニュアルの中には、こんな文言もあった。

<将来のために研究している人に失礼だ。料金不払いも考える>

「将来のために研究している人」というのは、つまり動燃自身のことであろう。「核燃料サイクル」の問題点をいち早く指摘した番組内容は、特筆に値するものだった。こうした指摘を素直に受け止めて反論するならまだしも、「失礼だ」「受信料を払わない」といった感情的な批判で終わらせようとする姿勢は、実に稚拙だ。

 動燃関係者がこう解説する。

「NHKは受信料で成り立っているので、視聴者の声に弱い。それを科技庁、動燃もよく知っていて、弱点をつこうと視聴者の声を装うことにした。これは、もともと電力会社がよく使う手ですが、それを動燃がまねてやったということでしょう。原子力ムラでは、常套手段ですよ」

 その後、「もんじゅ」は95年12月にナトリウム漏れ事故を起こし、運転停止。それからもトラブル続きで再稼働の目処すら立たないにもかかわらず、現在も毎年約200億円の税金が投じられ続けている。”国策”の「核燃料サイクル」は、完全に頓挫している。番組が20年前に警鐘を鳴らしていたことが、まさに的中しているのだ。

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、9/30(火)21:00予定です。

<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身 ※現在、紹介中です

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※3回目の紹介

2014-09-26 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。3回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※2回目の紹介

 動燃の立場は弱く、科技庁の官僚には逆らえなかったという。

「科技庁の役人は普段から新聞やテレビをよくチェックしていて、反原発の記事が載った時など、職員が一日に何度も科技庁に呼ばれ、『どうなってるんだ!』と叱責されることもしょっちゅうでした。とにかく科技庁の意向は絶大で、何かあるたびに「逆らうと予算がつかないぞ』と脅されていたのを覚えています。不都合なことがあれば、すぐに動燃を使うのが科技庁でした」(同前)

 資料には「天の声」の主が科技庁の誰だったかまでは具体的に書かれていない。ただ、「その場にいた科技庁幹部が、上層部を慮って指示したのではないか」(同前)という。両者の関係性を考えると、動燃が「やらせ抗議」の指示に逆らえるはずもないことは明らかだ。指示は事実上の「命令」である。


◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 この「やらせ」は実行されたのか。

 答えは「YES」である。それは、資料に記された内容からも十分に裏づけられる。

 資料にはこの日の夜、動燃のT氏がさっそく動燃本社の各部署に電話をかけ、課長、係長などの管理職クラスに「やらせ」の指示を伝えたことがメモされていた。

<N労務課長代 19:55 了解>

<H労務課長 19:40 不在>

<H経理課長 19:42 本人「日曜日は不在なので電話できない」>

などとT氏が懸命に連絡をとっていた様子がうかがえる。

この資料は、動燃本社広報室から東海事業所総務課へファクス送信された記録があり、指示は地方にまで伝達され、全国規模で「やらせ工作」が行われたことが用意に推測できる。

さらに生々しいのが、資料に添付された2枚の「マニュアル」である。

 1枚目は<NHK各放送局一覧>と題され、東京や大阪、名古屋など全国の主なNHK放送局の所在地と電話番号が書かれていた。「経営委員会」「考査室」などと具体的な部署名まで記されている。その下には、番組の再放送の日時と、<☆電話及び手紙をお願いします>

とあった。「やらせ抗議」の連絡先を各自が調べる手間を省くために、ご丁寧にも一覧表を作っていたのである。


 2枚目は、さらに驚愕の内容だった。

<NHKスペシャル 調査報告 プルトニウム大国・日本」を見て(Example)>
と書かれ、なんと電話や手紙による「抗議」の例文がずらりと並んでいるのだ。以下、少し長いが引用する。

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、9/29(月)21:00予定です。

<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※2回目の紹介

2014-09-25 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。2回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※1回目の紹介

 資料には、この時のやりとりの概略が記録されていた。冒頭に<16:30~17:50 原子力局長室にて>とあり、抗議が実に80分にも及ぶ”長丁場”だったことがわかる。

 科技庁側の出席者は、当時の石田寛人原子力局長と、K動力炉開発課長、S調査国際協力課長の幹部3人。いずれも科技庁のプロパーのキャリア官僚だ。このうち石田氏は、後に科学技術庁事務次官にまで上りつめた”大物”。東大工学部で原子力を専攻し、64年に入庁、原子力畑を歩んだ。西村氏が亡くなった時には、葬儀で弔辞を読んでいる。

 その石田氏は番組のインタビューにも出演し、「核燃料サイクル」の必要性と素晴らしい未来を熱弁していた。

 記録に<NHKスペシャルに対する不満・誤りは全て言った>とあるように、会談は科技庁側が一方的にクレームをつける展開だったと思われる。

 資料には、次のようなやりとりが記載されていた。

科技庁「技術的に間違いだった。説明の場を設けるべきである」

NHK「その予定はない。しかし上司には伝える」

NHK「番組に対するクレーム、指摘はなかった」

<STA(Science and  Technology Agency=科技庁の略称。以下同)が報道姿勢を非難したところ、NHKは反論。他の指摘については聞くだけ>

 科技庁の強い怒りと危機感が文面から伝わってくる。ただ、対するNHK側も折れずに反論したようだ。

 結局、両者の主張は平行線を辿り、結論は得られなかった。


 問題はここからだ。資料によると、会談後、科技庁から動燃側に次のような「天の声」が発せられたのだ。

<STÀより、雑誌、新聞等のマスコミや有識者を用いたNHKへの反論や寄稿、投稿、電話によるNHKへの対抗手段をお願いしたい、とのこと>

 抗議でプレッシャーをかけることによって、NHKから謝罪や訂正、あるいは予定されていた再放送の延期など何らかの譲歩を引き出そうとしたのだろう。

 なかでも見過ごせないのは、後段の「寄稿、投稿、電話による対抗手段」という部分だ。これは、明らかに「やらせ抗議」の指示としか読めない。投書や電話を使った「やらせ抗議」は第2章で取り上げた資料にも登場した「原子力ムラ」の”十八番”だが、それを科技庁が指示していたとなると、問題はより深刻である。

 国が出資する特殊法人である動燃は、予算という「命脈」を官僚に握られている。動燃OBがこう振り返る。

「通産省との関連もありましたが、動燃の事業の方向性を決める国の原子力委員会の事務局が置かれていた科技庁とのつながりが最も強かった。人事交流も盛んで、常に数人の職員が科技庁の関係部署に出向していた。科技庁の職員は原子力に精通していないので、いわば家庭教師役です。こうした”サービス”も、すべては予算のためです」

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、9/26(金)21:00予定です。

<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※1回目の紹介

2014-09-24 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。1回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 これまでの章で取り上げた数々の「工作」は、基本的には動燃という組織の「単独犯」であった。

  ところが、調査を進めるうちに、取材班は「西村ファイル」の中に衝撃的な資料を発見した。なんと、動燃の所管官庁だった科学技術庁(現在は文部科学省に統 合)が、動燃側に直接「やらせ工作」を指示していた記録が、はっきりと残されていたのである。つまり、数々の「工作」の中には、国家の中枢に位置する霞が 関の官僚たちが”黒幕”となって行われたものも含まれていたのだ。

<科学技術庁とNHKとのやりとり(概略メモ)>

 というタイトルのA4用紙1枚分の手書きメモは、1993年5月28日に動燃広報室によって作成された。欄外には大きく「取扱注意」の印が押されている。

 内容は、NHKの番組に関するものだ。

 その1週間ほど前の同年5月21日と23日、NHKは2回シリーズで、日本の原子力行政をテーマにしたドキュメンタリー番組「NHKスペシャル 調査報告 プルトニウム大国・日本」を放送した。

 当時、国内では91年に高速増殖原型炉「もんじゅ」が試運転を開始するなど、燃やした核燃料からプルトニウムとウランを取り出す「核燃料サイクル」の試みが本格的にスタートしていた。

 しかし、この「核燃料サイクル」は、先にも指摘したとおり、さまざまな問題点を抱えている。

「核燃料サイクル」で生み出される大量のプルトニウムは、原子爆弾の材料にもなり得る。このため、諸外国からは、プルトニウムを日本が保有することは将来の 「核武装」につながりかねないと危惧する声があがっていた。また、高コストで制御も難しい高速増殖炉の開発は、先行するアメリカやフランス、イギリスなどで次々と頓挫していた。現に、すでに「もんじゅ」建設費は当初の予定額を大幅に上回っており、その実現性や経済性には国内でも疑問視されていた。

「プルトニウム大国・日本」は、こうした問題点についてアメリカやイギリス、韓国などでも独自取材を展開し、問題点を浮き彫りにした意欲作だった。

 だが、”国策”である「核燃料サイクル」に正面から疑問を投げかける番組内容は、所管の科技庁官僚の逆鱗に触れたようだ。2回目の放送から5日後の5月28日午後、NHK担当ディレクターと科学文化部記者2人が呼びつけられ、科技庁の原子力局長室で抗議を受けたのだ。

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、9/25(木)21:00予定です。

<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に

原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇


プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※13回目の紹介

2014-09-24 19:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」を数回に分け紹介します。13回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」の紹介 

前回の話プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※12回目の紹介

ー護衛船「しきしま」との連携は?

「しきしまは別行動でした。日本からフランスに行く道中も、訓練しながらいきました」

ー動燃職員は何人いましたか。

「7人だったかな。動燃は船中であまりすることないですからね(笑い)。だって、本当に何もないんですよ、警備のこともわからないですし。コントロール室のコンピュータで温度などの管理をするくらいですから。ほかは、船を動かす乗組員、あかつき丸のもともとのクルー、フランス燃料公社、そして海保13人が乗り組む混成チームでした」

ーいざ、あかつき丸が出航となりました。

「実は、出航直前に緊張する場面があった。港で食料などを積み込んだ後、爆発物の検知作業をすると、ヒット。大変だと大騒ぎになった。フランス軍に依頼して再度、チェックしてもらったら何もなかったが、出航前から非常に切迫した場面に遭遇しました」

ー航海中はどうでしたか。

「寄港が許されず、世界中から反発を受けていることは知っていた。ある時、戦闘機が上空に飛んできた。軍艦も見える。小銃の弾を装填し、安全装置を外して戦闘態勢を整えることが何度かありました」

ー米軍の影は?

「最終的にいたんですが、見える範囲にはいませんでした。レーダーで一瞬、何かを感知することがありましたが正体不明です。ある時、緊急事態になるかもしれないと全員配置についた時、潜望鏡が見えた。どの国かわからないが、われわれについてきている潜水艦があるということだけは認識しました。任務終了後、親しい米軍の人間が『ああ、あかつき丸は知っているよ、ずっとついていたからね』と言うのを聞いて、やはりと思った」

ー航海中、ついて回っていたグリーンピースへの対策は?

「彼らには悩まされました。ずっとついてきたので位置を知られている。それゆえ、あちこちから戦闘機などが飛んでくる。島に近づくと『反対』の怒号が飛び交う。グリーンピースの船をまくために、わざわざ流氷を探して航行したり、しきしまと示し合わせて夜に一斉に無灯火にしたこともあった。特に腹が立ったのは、グリーンピース関係者からとみられる脅迫電話が、日本にいる家族にかかってきたこと。私だけでなく、何人もの海保の隊員にですよ。どこでバレたのかな。やっかいでした。その怒りはいまも忘れませんよ」

ープルトニウムによる被爆の心配はありませんでしたか。

「あかつき丸には四つの倉庫があって、その後ろから2番目にプルトニウムのカートリッジを搭載していましたが、核防護のため、ほかの三つにも同じ形状、重さのカートリッジを積み込みました。これは機密の中の機密で、知っていたのは海保の隊員以外は数人だったはず。船倉にあるプルトニウムを一日何度も見回りに行く。その時は、防護服に着替えて線量計を二つ装着する。浴びた線量は帰国後に教えると言われていたのですが、結局、教えてもらえませんでした。それが2年前に動燃の当時の責任者と再開した際、被曝量を聞くと、一般的な原発労働者の10年から15年分と聞いて、びっくりしましたよ」

ー任務が終わってホッとした?

「任務を終えて、大きな慰労のパーティーがありました。大臣まで来ていて、登壇して名前を紹介してもらいました。しかし、『また任務があるかもしれないから、話しかけられても何も言うな』と厳命されて、非常に緊張した思い出があります。任務は今回限りではない、まだまだ続くと思っていました」

※「プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 の紹介は、本日で終了です(過去紹介分は、下にリンクあり)

本日9/24(水)21:00から「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介予定です。

<第4章 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に

 


<過去に紹介した記事>

プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※1回目の紹介

プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※2回目の紹介

プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※3回目の紹介

プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※4回目の紹介

プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※5回目の紹介

プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※6回目の紹介

プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※7回目の紹介

プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※8回目の紹介

プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※9回目の紹介

プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※10回目の紹介

プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※11回目の紹介

プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※12回目の紹介 


原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇


プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※12回目の紹介

2014-09-23 19:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」を数回に分け紹介します。12回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」の紹介 

前回の話プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※11回目の紹介


 今も続く海上輸送と、取り残されたプルトニウム

 プルトニウムの日本への海上輸送は、「あかつき丸」を最後に行われていない。プルトニウムを燃料として使用するはずだった「もんじゅ」が95年12月にナトリウム漏れ事故を起こして以来、現在に至るまで運転を再開できていないからである。

 当初、使用済み核燃料の再処理を委託していたフランス、イギリスから2010年ごろまでに30トンのプルトニウムが輸送される計画だったが、現在までに日本に輸送されたプルトニウムは約10トン。いまも英仏両国に約35トンのプルトニウムが取り残されたままだ。

 このまま「もんじゅ」が動かなくても、「核兵器の原料となるプルトニウムを日本がためこみ続けることは許されない。このため日本はプルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料を使用する「プルサーマル発電」を09年から始めた。

 MOX燃料の輸送は1999年に始まった。2013年4月、英国船籍のパシフィック・ヘロン号とパシフィック・イーグレット号2隻が東日本大震災後では初めて、20体のMOX燃料を積んでフランスを出港。6月27日、福井県の高浜原発に到着した。船には武装したイギリスの警察隊が乗り込んで警護を行ったが、輸送の詳細は「核防護」を名目に公表されなかった。核燃料の海上輸送は、現在進行形で続いているのだ。


 冒頭の「あかつき丸」の入港は、幸い大きなトラブルもなく終わった。その後、動燃側が作った広報対応の報告書は、こんなことを列挙して終わっていた。

<全体的によかった>

<理事長会見はタイミングもよく、記者の”のり”もよかった>

<プレスからの苦情、不満は殆どきかれなかった>

 自分たちの秘密主義が、国際社会からの深い疑念を招いたことなど頭にない。理事長会見が盛り上がった、などという上っ面の出来事だけで喜んでいてよかったのだろうか。

 権力者の顔色ばかりうかがって、その場しのぎのごまかしに徹するこの体質。彼らが抱えた”闇”は、1995年12月「もんじゅ」事故で一気に社会に知られることになるー。

 この章を執筆するにあたって取材班はあらゆるルートで取材を試みたが、その「秘密主義」のせいか、「あかつき丸」をめぐる情報は極めて少ない。書籍などの記録もほとんどなく、「あかつき丸」の名前を出すだけで口が重くなった旧動燃や旧科技庁の関係者もいた。

 そんな中、当時、「あかつき丸」に乗船していた人物に話を聞くことができた。海上保安庁の特殊警備隊SST(Special Security Team)に在籍していた、住本祐寿氏である。

「あかつき丸に乗ることが決まって、すぐに命じられたのが民間の生命保険に入っているなら解約せよということでした。日本とフランスの往復で120日間もプルトニウムを守るために船に乗れ、というのは想像もつかない仕事で、保険は無理と言ってきたそうです。それを聞いて『本当に大変だな』と思いました」

 と話す住本氏は、海上保安庁に20年間在籍。危機管理、テロ対策、身辺警護などを専門とし、関西国際空港建設時の警備、VIPや皇室警護などを担当した。


ーどういういきさつで「あかつき丸」に乗り込むことになったのですか。

「最初は、海上保安庁が警護を担当するかどうか決まっていなかった。聞いたところ、アメリカとの交渉で日本がある程度やることになり、国としてどこに警護をやらせるか考えた。84年の晴新丸のときは海保から2人が同乗していたことと、当時、自衛隊の海外派兵はタブー視された時代だったので、白羽の矢が立ったようです。その2人は、ゴルフバックに小銃を入れて任務にあたったと伝え聞きました。もんじゅに必要なプルトニウムの輸送というので、すごい仕事を任されたと思いました」

ー任務に当たることが決まり、どんな準備を?

「まず輸送するプルトニウム、放射性物質とはどんなものか、という知識を勉強しました。その後、船での防護にあたる訓練となるのですが、なにしろ軍隊とは思われてはいけない。だから自衛隊や米軍に訓練の依頼はできない。そこで、アメリカの民間会社で特殊訓練を受けました。費用は日本船舶振興会の笹川良一さんの関係する団体が出したと聞かされました」

ー訓練は十分でしたか?

「付け焼き刃で訓練しても、なかなかテロリストには勝てるもんじゃありません。最悪、襲われた場合、絶対にプルトニウムを渡してはならない、万が一のときは、奪取される前に爆発させて船を沈めろ、その役目は高校時代から船を学び、構造に詳しい住本、おまえがやれ、と。いわば自爆しろということで、もちろん命もありません。ずっと爆発物を携帯する、プレッシャーの中の役目となりました。それはほかの乗組員もほとんど知らない」

※続き「プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 」は、9/24(水) 19:00 紹介予定です。

9/24(水)からは、「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介を始めます。

<第4章 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に

原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇


プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※11回目の紹介

2014-09-22 19:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」を数回に分け紹介します。11回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」の紹介 

前回の話プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※10回目の紹介


ー米側に「用心棒代」を払ったのか?

 「要求されたこともないし、払ったことも一切ない。それは確かです。お金の話は一切なかったですね」

ーではなぜ、このような文書が存在するのか。

「事前にそういうやりとりはあったかもしれない。晴新丸が動くまでには6年かかりましたからね、だいたい。行ったり来たりの中で米側とはいろんなやりとりをしました。もしそういう文書があったとすれば、やりとりの中で日本側にそういう用意もあるということで、まずは警備をしてもらって運ぶということが重要ですから、日本側としての負担があった場合でもそれはしょうがないだろうという議論はしたかもしれません」

ー米仏の「独自の判断」と説明していたが、実際は米国に護衛を要請したのではないか。

「そこはあうんの呼吸ですよ。われわれもどういう護衛をすべきか非常に悩みまして、海上保安庁、自衛隊、防衛庁とかいろいろ相談して国内での検証はしました。その上で、ハワイに米艦隊がありますので、そこと米軍の可能性について相談したことは事実です。とにかく最大限日本ができることはしなさいというのが米軍の言い方。どこまでできるか日本に説明してもらった上で、自分たちが判断できると、こういうことなんです。当時はある面じゃアメリカに丁寧に丁寧に説明して仲良くなって、最後は『おまえ、そんなに困ってんなら』という話になったんですよ」

ーあかつき丸の時にはどうだったのか。当時、米の原子力潜水艦がついていったとも報じられている。

「あかつき丸の時は、日本独自でフランスからフルタイムのエスコート(護衛)ですから。今どういう船がどこにいて、という情報は米側に出しました。それは厚木基地からいったと思うんですけど、あとは向こう独自の判断で、どこで守ってるかというのはわれわれは知りません。晴新丸のときのような密接な関係じゃないですね」

 輸送の責任者だった菊池氏に、地元住民の「ランク分け」についても聞いた。

ーなぜ情報伝達を「A」「B」ランクに分けたのか。

「AとかBとかいうのはイロハのイ、ロ、でもよかったんですけど、人数が限られたときに、説明する側の人間も限られちゃうんですね。全部オープンでやってるわけじゃないんで。50人なら50人、ある程度順番をつけないと、ある時間内に全部できませんので。決して序列をつけたわけじゃなくて、期間内にやるために便宜上、整備をしただけですので。Aが重要でBが重要じゃないというわけじゃないですね」

ー地元県議まで「A」「B」に分けたのはなぜか。

「え?・・・・・いやー、それは西村君のメモにあったとしたら東海の方の地元のデータですから、そうすると日ごろ一番関心を持っていただているところには、早く説明しなきゃという、いわば人情ですよね。日ごろからの接触度合いによって順番を決めたんだろうと思います。私は全体を仕切ってるんですから、東海の地元には『ちゃんと順次説明してね』という指示だけはしますけども、あとは現地のほうの判断でやります」

 人情で「国家機密」を伝える相手を選別したというのだから、驚きだ。

 秘密主義については今も考えが変わらないようで、確信を持った口調でこのように説明した。

「一番は警備上の問題で、核物質を奪取されるというのは最大の問題です。普通の人が奪取するんじゃなくて普通じゃない人が奪取するわけで、情報は出さないほうがより安全であるというのは世界の常識ですから。一般人に対して情報をだすなというわけじゃなくて、取ろうという人に対しての防護ですから」

※続き「プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 」は、9/23(火) 19:00 紹介予定です。

9/24(水)からは、「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介を始めます。

<第4章 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に

原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇


プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※10回目の紹介

2014-09-19 19:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」を数回に分け紹介します。10回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」の紹介 

前回の話プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※9回目の紹介

<DOD(米国防総省)の人間の乗船について 前回説明のとおり、居住区の関係から困難である。しかし強いて求められればエスコートの数を減らして協力する。乗船者数、航程、目的、持ち込む装備?>

 動燃側は、強く言われれば、乗員を減らしてまで搭乗を認めるという。しかも、米側の搭乗員が武装していることも想定しているようだ。完全に、アメリカ側に主導権を握られている。

 同じ文書には、日本とアメリカが緊密に情報交換していた痕跡が、いくつも残っていた。

<乗船者の顔写真、特徴の(アメリカ側への)送付について(中略)最低、正面顔写真及び特徴は用意できる予定>

<米国側のコンタクトポイントについて(中略)連絡方法 頻度>

 事前にここまでやりとりしていたのだから、米軍の動きについて「知らない」とした公式見解は、完全に「ウソっぱち」だったのだ。


 プルトニウム輸送の秘密組織「カミュ」

 前出の菊池三郎氏作成の白川一等書記官宛の外交機密文書には、冒頭に「CAMUS連絡」なる、不可思議な言葉が書かれていた。

 取材班は当初、何の意味かわからなかったが、当時の報道などを当たるうちにその正体がわかった。

「CAMUS]はフランス語で「カミュ」。フランスからのプルトニウム輸送のために作られた極秘プロジェクトチームの名前だったのだ。名前の由来は、フランスの高級ブランデーだという。

 組織の長は菊池氏で、スタッフは15人。当時、港区の雑居ビルの一室に部屋を借りて、「晴新丸」との通信などを行なっていた。

 「晴新丸」について書かれた『NHK特集 核燃料輸送船』(85年、NHK出版)では、菊池氏自身が取材に答え、当時、通信に使った奇妙な暗号を披露している。

<花篭親方殿

 土俵入りは、キャッチャー・ピッチャーです。お友達への連絡は、すべて終わっています>

これは、次のような意味だという。

<晴新丸船長殿

 パナマ運河入港予定は、十九日です。アメリカへの連絡は、すべて終わっています>


 「晴新丸」の乗員は、総勢36人。海保職員や警備会社の職員の他に、当然、動燃職員も乗組員として搭乗していた。84年6月に作成された動燃側の資料では、その選別に相当、腐心していたことがうかがえる。

 候補者は防衛大学や商船大学の卒業者などが優先されたらしく、60人以上をリストアップした一覧表も残っていた。調査すべきこととして、次のような項目が列挙される。

<①業務上の都合

 ②家庭上の都合

 ③健康 特に船酔いはダメ

 ④思想>

 確かにテロでも起こされたら一大事だが、相変わらず思想チェックに余念がない。

 選抜された職員は公開前に教育訓練を受け、

<暗号作成・解読>

をマスターすべきことが書かれていた。

 核防護上必要なことなのかもしれないが、「秘密組織」に「暗号」といったおどろおどろしい世界観は、第2章で紹介した「K機関」と通じるものを感じる。実際、「K機関」にも菊池氏がかかわっていた。単なる「スパイ趣味」ということなのかもしれないが、これが「秘密工作」が横行する組織の体質にまで繋がっているのだとしたら、笑って見過ごすことはできない。


 再び「ミスタープルトニウム」を直撃

 果たして、「晴新丸」の護衛をめぐって米側に経費は支払われたのだろうか。日本原子力研究開発機構(JAEA)に問い合わせたが、「当時の資料が残っていないのでわからない」と答えるのみだった。

 取材班に対し何度も「生まれ変わり」を強調してきたJAEAだが、生まれ変わった代償に過去の資料まで捨ててしまったということなのか。プルトニウム輸送はアメリカと国家機密級のやりとりを交わした超重要案件だったはずだ。

 まして、JAEAはいまだ「核燃料サイクル」の開発をあきらめていないのだ。この先、日本に再びプルトニウムを海上輸送する可能性もあるかもしれない。その時に、こんな大事な資料が残っていなくて大丈夫なのだろうか。たかだか30年ほど前のことを忘れ去ってしまうような組織に、放射能の半減期が何万年にもなるプルトニウムをはじめとした放射性物質を扱う資格や能力があるとは思えない。


 そこで、2回にプルトニウム輸送で責任者を務めた「ミスタープルトニウム」こと菊池氏に再び話を聞いた。

※続き「プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 」は、9/22(月) 19:00 紹介予定です。

原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇


プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※9回目の紹介

2014-09-18 19:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」を数回に分け紹介します。9回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」 の紹介 

前回の話プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※8回目の紹介

<輸送当事者としての動力炉・核燃料開発事業団(PNC)は、通常の核物質防護対策の一部を構成する特別な援助を米国政府に依頼する場合であって、米国政府が日本側の依頼がもたらす特別な経費の支払を請求する場合には米側関係者機関と協議のうえ、双方合意の経費を米側に支払うものとする>

 ここにある「特別な援助」とは、その後の展開を考えると米軍艦による「晴新丸」への護衛を指すことは明らかである。日本が依頼した米軍による護衛の「特別な経費」を、もし先方から求められた場合、動燃側が支払うというのだ。いわば「用心棒代」である。

 つまり、米軍の護衛は動燃の公式見解にあるような「独自の判断」どころか、日本側が依頼し、「用心棒代」まで支払う「密約」があったとしか読めないのだ。

 この書類がファクス送信されてから約4時間後、今度は白川一等書記官側から、<科学技術庁原子力局調査国際協力課Nさんへ送付してください>として、さきほどの英文を”添削”した資料が作られていた。「至急」「秘 無期限」などの印がいくつも押されている。先ほどの「密約」に関しては、

<内容についてはOK>

<(1行目)は、動燃が米政府に頼むのか?(日本政府ではないのか?)>

 などと書かれていた。護衛を米国に頼むのは動燃ではなく日本政府ではないか、という意味だろう。だが「用心棒代」の部分には何ら異論をはさんでいない。支払いはすでに日本政府の方針となっていたようだ。

 これらを裏付けるように、その2ヶ月後の7月に行われた動燃幹部と科技庁幹部らの打ち合わせメモには、こんなやりとりが交わされていた。

<米側は緊急時を考え、スタンバイの状況で艦が随伴>

<日本側は要請するという立場をとらず、米側の自発的な対応としたいが、問題をこじらせる可能性あり>

<輸送コストについては、先方から言い出さない限り当方からは出さず>

 軍艦による護衛の費用が、その後、実際に米国側に支払われたのかどうか、西村ファイルでは確認できなかった。だが、日本側は何とか”玉虫色”の決着にしようと、腐心していたようだ。

 ちなみに、93年の「あかつき丸」の時も、日本の護衛艦「しきしま」の他に、アメリカ海軍の原子力潜水艦が追跡していたと報じられた。日本政府はこの事実について見解を示していないが、気になるのはやはり「用心棒代」である。


 緊迫感漂うアメリカとのやりとり

 前出の白川一等書記官宛の機密文書には他に、アメリカ国防総省から日本側への問い合わせを日本語訳した10の文章がついていた。

<船舶からの通信は暗号化されるのか>

<侵入者がキャスク(プルトニウムの収納容器)等を破り、積荷に接近するのに必要な時間はどれ位か>

<敵は緊急時対応通信システムを動作不能とすることはできるか>

<船長に攻撃への対応策に関してどのような指示を与えるのか>

 国会やマスコミへの対応ばかり気にしている日本側と比べ、アメリカ側が使う言葉は<侵入者><敵>とはるかに具体的で、緊迫感がある。プルトニウムの輸送が決して安全な行為ではないことが、この文面からも理解できる。

 また、他の文書を読むと、米国防総省は「晴新丸」にアメリカ人の搭乗まで求めていたことがわかる。84年7月16日に作成された手書きの文書には、<米国側に回答等を求める点>として、次のように書かれていた。

※続き「プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 」は、9/19(金) 19:00 紹介予定です。

原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇


プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※8回目の紹介

2014-09-17 19:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」を数回に分け紹介します。8回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

 「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時)が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ムラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」 の紹介 

前回の話プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※7回目の紹介

 外交機密文書でバレた米への「用心棒代」

 実は、動燃のプルトニウム輸送船は「あかつき丸」が最初ではない。そこから遡ること9年前にも、同様の状況が存在した。

 84年秋、やはりフランスから日本に約200キログラムのプルトニウムを運んだ「晴新丸」である。

 この時も、事前にルートなどは一切明かされなかった。後の報道によれば、同年10月5日にシェルブール港を出港した「晴新丸」はパナマ運河を経由して大西洋、太平洋を横切り、11月15日、東京湾に到着している。

 「西村ファイル」にはこの時の資料も多数、残されていたのだが、ここで注目すべきは海上での護衛についてである。

 「あかつき丸」のときには、核ジャックなどのテロに備えて、公海上では海上保安庁の大型船巡視船「しきしま」がつきそっていた。

 92年春に完成した「しきしま」はプルトニウム輸送船を護衛する目的で日本政府が約150億円をかけて特別に建造した船で、自衛隊の護衛船にも匹敵する6500トンの排水量と、機関砲などの武装を誇る。海保が保有する巡視船の中では今も最大の艦船だ。

 ところが「晴新丸」の時点では、日本は任務に耐えうる独自の艦船を持っておらず、公海上ではアメリカの衛星が絶えずその動きを監視し、米仏の軍艦数隻が周辺で護衛していたとされる。


 これについて、当時の報道などを見ると、日本政府関係者の談話として「両国の独自の判断で自主的に警備した」と説明されている。「晴新丸」を米仏の軍艦が護衛することをAP通信が報じた際に科技庁が作ったマスコミ対応のための想定問答集を見ても、こう書かれている。

<両国の海軍による護衛は、(事実であるとすればそれが、両国の独自の判断によるものと思われ)我が国としてはそのようなことを要求もしていないし、内容についても承知していない>

 護衛は米仏が勝手にやっていることなので知らない、というのが動燃の公式見解だったのである。

 ところが、これもまた「情報統制」による「ウソ」だった。「西村ファイル」に、その内幕が記録されていたのである。

 84年5月15日に送信された「至急白川一等書記官に手渡して下さい」と書かれたファクス書面には、「CONFIDENTIAL](機密)の印が押されていた。

 書面の作成者として名前があるのは、当時、プルトニウム輸送の責任者だった動燃企画部の菊池三郎氏。第2章の「Kチーム」の取材でも名前が挙がった、あの「ミスタープルトニウム」である。送信相手の白川哲久一等書記官は科技庁採用のキャリア官僚で、この時は外務省に出向してワシントンの日本大使館に外交官として詰めていた人物だ。

 内容は米側からの問い合わせに対する日本側の回答で、日本語と英語の両方で、こんな内容が記されていた。

<科学技術庁としては、将来の大量プルトニウムの大陸間輸送については、核物質防護の観点からは航空機輸送が望ましいと考えており、その実現にむけて関係省庁の協力を得て、今後最善の努力をするものとする>

 残念ながら米国からの質問の文書は残っていなかったが、当時、日本政府内で将来、プルトニウムの海上輸送に代わる方法として考えられていた航空機輸送について述べられているようだ。文書には続けて、

<我々は米国政府の全面的な支援を期待するものである>

と書かれているが、航空機輸送の構想はその後、アメリカ国内で反対論が巻き起こり、結局、頓挫している。

 続いて、5カ月後に出港が迫る「晴新丸」に関するやりとりが登場するのだが、その内容は、驚くべきものだった。

※続き「プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 」は、9/18(木) 19:00 紹介予定です。

原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇


プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※7回目の紹介

2014-09-16 19:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」を数回に分け紹介します。7回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

 「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時)が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ムラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」 の紹介 

前回の話プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※6回目の紹介

 帰港先報道にも地元ぐるみで「知らないふり」

 「あかつき丸」の帰港先は東京湾か、東海村か-さまざまな憶測が飛び交う中、11月27日に読売新聞が帰港先が「東海港」だとスクープ報道すると、動燃は慌ただしい対応を迫られる。

 この時、動燃が地元の関係各所に説明に回った際の、何とも滑稽なやりとりの記録が、<読売新聞記事 地元対応>と題された11月30日付けの手書き資料に残っていた。

 地元の東海村企画課長は、こう反応した。

<ルート等詳細については何も聞いていない事で通す。政府決定とあるが、すぐ村に連絡がないことは遺憾であり、国、PNC(動燃の略称、以下同)へクレームをつけたことにする>

 表向きは「情報を知らされていなかった」と動燃と国に文句を言ったことにするという「ヤラセ」でごまかそうとしているのだ。普通なら、文句の1つもありそうだが、文面を読む限り、まったく怒っているそぶりはない。

 おまけに、村議に対する”情報統制”まで注文していた。

<有力村会議員に引き続き内密にと午後説明にまわって欲しい>

 一方、地元漁協の反応には、怒りがにじんでいた。

<国(科技庁)がけしからん。我々(地元)は秘密を守っているのに中央からリークさせるとは>(県漁連幹部)

 冷静か怒っているのかの違いはあるが、地元漁連も村と同じく、帰港先を知りながら「口止め」されていたらしい。

 他の自治体や関係組織の反応も、同じようなものだった。

<県としては「PNCから何も聞いていない」ことで統一する>(県庁幹部)

<PNCからは聞いていないスタンスで通す>(原研)

<問い合わせがあっても知らないで通す>(海上保安庁)

<記事の「出所」についてわかったら知らせてくれ。警備の都合があるとのこと。現時点ではプレスの問い合わせなし。勝警としてはPNCから何も聞いていないというスタンス>(茨城県警勝田警察署警備課)

 東海港の持ち主である日本原電などは、この期に及んで”メンツ”を維持することに必死だったようだ。

<我々は関知していないとの姿勢を通す(理由は原電は嘘をつきたくないことから)・PNCへの注文 仮に東海港を世間に認める場合等には、事前に一報をして欲しい。それは原電だけ恥をかきたくないから>(日本原電幹部)

 日本原電は港の使用契約をめぐり、事前に動燃と綿密に打ち合わせていたことが記録に残っている。さらに東海港へつながる道路も日本原電の管轄であり、<プルトニウム輸送に伴う協力並びに施設使用に関する契約書>という文書まで交わしている。それらの記録は最重要の「極秘」扱いで、「関知していない」ことなどあり得ない。


 いずれにせよ、ここに出でてくる地元自治体や電力会社などは皆、帰港先を事前に知っていながら動燃から「口止め」されていたため、必死で「知らないふり」を演じていたのだ。

 つまり、動燃は「情報管理」の名の下で「ウソ」の口裏合わせをしていたことになる。政官財が一体となった原子力ムラの結束の強さを改めて痛感すると同時に、周囲にまで「ウソ」を強いるこの情報管理体制は、あまりにも危ういと言わざるを得ない。

 もし、住民に避難を呼びかけねばならないような緊急事態が発生した場合に、自治体などは急に「実は私たちも知っていました」と言い出せるのか。結局はさらなる「ウソ」や「つじつま合わせ」が重ねられ、不要の混乱を招くのではないだろうか。

 実際、報道への反応を記した先ほどの資料の中で、茨城県庁の担当者は何かから解放されたようにホッとした様子でこのように発言しているのである。

<オープンになったことでむしろやりやすい面もでてきた。国(科技庁)も再考してほしい>

 もしもプルトニウムを扱う関係者が「ウソ」を強要されることが避けられないというのであるならば、それはあまりにも異常な事態だ。そもそも、そのような物質を扱うこと事態を「再考」すべきではないだろうか。

※続き「プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 」は、9/17(水) 19:00 紹介予定です。

原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇


プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※6回目の紹介

2014-09-12 19:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」を数回に分け紹介します。6回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

 「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時)が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ムラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」 の紹介 

前回の話プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※5回目の紹

 もっとも、情報を公開しなかったのには、「アメリカの意向」という、もう1つのポイントがあったようだ。出港直後の11月12日、科技庁のT保障措置課長が「もんじゅ」の地元である福井県庁を訪れて状況を説明した際には、こんな発言をしている。

<結果として今回、仏とはうまくいかなかったが、米との関係は良かった>

<今回のプルトニウム輸送は日-仏であるが、その背後には日-米がある。日本は米に依存している。米は日本の対応を評価している。仏はPP(核防護)措置をひっくりかえしてしまったが、(米は)日本の措置は適切であるとしている>

 これには少し説明が必要かもしれない。

 先にも書いたが、自国にウラン鉱山がない日本は、ウラン資源の100%を輸入に頼っている。アメリカ産のウランを日本から海外へ輸送する際には日米原子力協定に基づいて、米国の承認が必要とされており、それは使用済み核燃料についても同じなのだ。

 動燃をはじめとする「原子力ムラ」の面々は、ウランやプルトニウムを「純国産エネルギー」とアピールしてきた。だが、実態はアメリカの意向に沿わなければ、輸送すらままならなかった。

 福井県庁でのやりとりからもにじみ出ているとおり、科技庁は地元自治体の反発など眼中になく、ただひたすらに「アメリカの顔色」を気にして、自分たちの組織防衛だけを考えていたのである。


 地元消防にすら「隠蔽」し続けた輸送情報

 ちなみに、この福井県庁での説明の場では、他にも見逃せないやりとりがあった。

 東海港に運び込まれたプルトニウムは、その後、動圏内の「もんじゅ」までトラックに積まれて陸路で輸送されることが決まっていた。これについて、福井県側が、防災体制について不安を抱いていたのである。

<輸送情報は消防庁に流れていない。自治省は消防マニュアルを持っている。輸送の際、消防に情報が行かなければ対応がすぐに出来ないのではないか。心づもりもあると思う>(福井県・県民生活部M次長)

 地元の消防にすら輸送の情報が伝えられていないというのだ。海上輸送と同じようにここでも秘密主義を貫いていることがわかるが、陸上輸送は海上よりも多くのアクシデントが想定される。非常に危険ではないだろうか。

 ところが、科技庁のT課長の反応は冷淡だった。

<事故の場合、一義的に事業者が対応(消火、放射線等の人員がついている)。必要に応じ、消防に応援を頼むことになる>

 確かに動燃も自衛消防隊を持っていたが、規模は十分とはいえない。当時の報道でも、「もんじゅ」の自衛消防隊は従業員と兼務のわずか3班約20人しかいないとされている。納得できないM次長はさらに食い下がる。

<県内では輸送事故の消防訓練までした所もある。情報管理のため、知らさないのか>

 それでも、T課長は事務的にこう言い放つのみだった。

<容器の性能を考慮すれば漏れはない。異常の場合も十分対応できる>

 プルトニウムを格納した容器が頑丈だから、中身が漏れることはあり得ないという。

 いまさら言うまでもないが、これはとんでもない”過信”である。いくら容器が頑丈で性能が優れていても「絶対」はない。東日本大震災に伴う福島第一原発の事故で、いったい何が起きたのか。「あり得ない」とされた全電源喪失という事態に陥り、核燃料はメルトダウンし、周辺地域に放射性物質をまき散らした。いまだに廃炉までのメドもたっていない。事故は起こりえないから備える必要もなという「原子力ムラ」の姿勢は、この当時から一貫していたのである。

※続き「プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 」は、9/16(火) 19:00 紹介予定です。

原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇


プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※5回目の紹介

2014-09-11 19:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」を数回に分け紹介します。5回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

 「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時)が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ムラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」 の紹介 

前回の話プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※4回目の紹介

<「関県議はやむを得ないにしても、その他の県議については説明をしないように。県庁は守秘義務を有するが、一般的に口が軽いことを想定しなければならないためである」>

 関県議も、動燃が梶山氏や塚原氏と同じように組織だって支援していた県議会の重鎮である。一方、ほかの県議は口が軽いから信用するな、というのだ。この発現は県環境局長からの要請として残っていたが、動燃側も同じ見解だったようだ。

<以上の要請に従い、県議は、山口県連会長及び関県議をAランクとした>

 言われたとおり、素直に「ランク分け」反映しているのである。

 地元の東海村議にいたっては、もっとひどい扱いだ。正副議長や原子力特別委員会の正副委員長、自民系会派の会長の5人だけが「B」にカウントされたものの、それ以外はリストアップもされておらず、その理由の解説もない。もちろん「A」ランクは皆無。村議は眼中にないといっていい。どうやら、ランクは中央を優先し、地元に辛くつけられているようだ。


 行政や地元団体のランク付けでも、”地元軽視”の原則が貫かれている。

 警察庁、警視庁、海上保安庁は表の筆頭に記載され、当然のように「A」。説明役も<本社>とされ、動燃本社が担当している。茨城県庁も「A」ランク。ところが、周辺自治体の関連部署は軒並み「B」。資料によって若干のバラツキがあるが、茨城県警や茨城県連も「B」扱いとなっていた。入港時に事故や事件があった時に真っ先に駆けつけなければならないのは地元県警であり、海が汚染されるような事態が起きたときにもっとも影響を受けるのは地元の漁師たちである。いちばん説明が必要な人々ほど、軽く扱われているのである。

「動燃が『地域とともに』と口癖のように言っているのが見せかけだけであることがよくわかった。ランクをつけるなんて許せない」

 資料を見た元県漁連幹部は、怒りを隠さなかった。

 奇妙なのは、東海村で敷地を接する同じ「原子力ムラ」の組織の中でも、ランク分けがなされていることだ。東海原発を運転し、東海港の持ち主でもある日本原電(日本原子力発電)は「A」ランクなのに、研究開発機関の日本原子力研究所(原研)は「B」ランクになっている。その理由は第6章で詳しく説明することにするが、共産党系の労組が強いとされた原研との微妙な距離感が、ここでも見て取れる。


 いちばん気にしていたのは「アメリカの顔色」

 当初、極秘で行う計画だったプルトニウム輸送だが、動燃側の計画は次第に狂っていく。

 最大の要因は、フランスが「あかつき丸」のシェルブール出港を前に、日本が想定していた以上の情報を先に公開してしまったことだ。さらに、出港後は環境保護団体グリーンピースがチャーター船やヘリで「あかつき丸」を追尾して航路を世界中に公表。海上保安庁の護衛船「しきしま」とグリーンピースの船が接触するトラブルまで発生した。動燃の思惑とは裏腹に、輸送は「衆人環視」のもとで行われる事態となってしまったのである。

 こうした事態に、日本側も動揺した。一時は情報公開に転じることが検討されたが、却下されたようだ。科技庁原子力安全課が作成した<日本側が従来公表していた範囲を超えて情報を公開する際の問題点>という資料には、情報を公開した時のデメリットとして、こんなことが列挙されていた。

<従来からのプレス等に対する対応を変更することになり、当庁の行政全体が一貫性を欠く場当たり的なものであるとの印象を世間一般に与える危険性がある>

<当庁が、仏側の対応やプレスの情報振り等の外的要因に屈し、方針を大きく変更したとの印象を与え、当庁の行政に対する信頼を失墜させる危険性がある>

 結局、安全性の問題ではなく、”メンツ”が邪魔をして方針を転換できなかっただけのことなのだ。日本の行政が一度決めたことを決して撤回できないというのはよくいわれる問題点だが、その典型例を示すような思考パターンである。

※続き「プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 」は、9/12 19:00 紹介予定です。

原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇


プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※4回目の紹介

2014-09-10 19:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」を数回に分け紹介します。4回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

 「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時)が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ムラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」 の紹介 

前回の話プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 ※3回目の紹介

 地元住民を「A]「B」にランク分けし、情報操作

 当時、大きな注目を集めることが予想された「あかつき丸」の東海港への入港を前に、動燃側の「情報統制」は、地元・茨城県議会や東海村議会、行政機関に対しても徹底されていた。

「厳秘」と記された92年11月17日付の資料では、事前に情報を伝えるべき地元関係者を「A」「B」の二つにランク分けしていた。説明書きには、こうある。

<A・・・理解と御協力を得るため、積極的に説明する対象>

<B・・・報道その他の情勢により判断し、適宜安全性等を中心とした説明をする対象>

「A」の相手は積極的に情報を共有する”お仲間”、一方、「B」の相手に対しては、報道などで真実がバレてしまったときに仕方なく最低限の説明だけする-というふうに読める。

 実際のランク分けの表を見ると、動燃側の「選別」は露骨だった。

 まず地元茨城県選出の国会議員では、自民党衆院議員だった梶山静六元官房長官と塚原俊平元通産相(ともに故人)が「A」なのに対し、当時、社会党衆院議員だった大畠章宏氏(現・民主党衆院議員)は「B」だった。

 梶山氏、塚原氏といえば、第3章で取り上げたように動燃が組織的な選挙協力を行い、蜜月の関係を築いていた2人。一方の大畠氏も、原発メーカーでもある日立製作所の労組出身で、エンジニアとして原発の設計にも従事したことで知られる。その後、民主党議員となり閣僚経験もあるが、やはり野党議員には冷たいようだ。


 一方、茨城県議は6人がリストに挙がっていたが、なぜか待遇に”格差”があった。山口武平県連会長と、動燃とつながりが深い関宗長県議の2人だけが「A」で、残り4人は自民党系であるにもかかわらず「B」扱い。

 不可解な分類にも思えるが、これについては手がかりがある。茨城県庁幹部との打ち合わせ記録の中に、こんな発言が残っていたのだ。

※続き「プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 」は、9/11 19:00 紹介予定です。

原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇