*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」を数回に分け紹介します。1回目の紹介
原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-
1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた
高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。
事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、
一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。
死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。
そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、
あまりにも生々しく記録されていた。
(P3「まえがき」から)
「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」
2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。
「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時)が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ムラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。
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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第5章 プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約」 の紹介
厳戒態勢下の「あかつき丸」入稿騒動
1993年1月5日午前6時50分。フランスから喜望峰経由で3万キロの長旅を終えた輸送船「あかつき丸」の4800トンの巨体が、日の出の薄明かりの中、茨城県東海村の東海港にゆっくりと滑り込んできた。
早朝だというのに、辺りは物々しい雰囲気が漂っている。1100人の警官と70隻の巡視船艇が厳戒態勢を敷いているのだ。岸壁では、150人以上の報道陣がカメラを構えてかたずをのんで見守っている。海外のメディアも交じっている。頭上を見上げると、海上保安庁や報道各社のヘリコプター約20機が、けたたましいローター音を響かせながら飛び交っている。
会場も穏やかではなかった。入港に反対する環境保護団体「グリーンピース」が5隻のゴムボートと大型クルーザー「エクスタシーA号」を繰り出して「あかつき丸」の針路を横切ったり、猛スピードで後を追跡したりと妨害行為を繰り返す。慌てて駆けつけた警備の巡視艇と追いかけっこを繰り広げたあげく、臨検されるゴムボートもあった。
地上にも、「あかつき丸」を歓迎しない人々が多数、押し寄せていた。東海港の北側にある久慈川河口の浜辺では、反対派の5団体が集めた約640人がキャンプを張って徹夜で船を待ちうけ、横断幕を掲げながら抗議のシュプレヒコールをあげる。僧侶10人が読経で反対をアピールし、若者達がギターに合わせて「反プルトニウム」の歌を歌った-。
民間の貨物船にしか見えないたった1隻の船がここまでの騒ぎを呼んだのには、理由がある。「あかつき丸」の積み荷は、原爆100個分の材料にもなり得る「1トンのプルトニウム」だったからだ。
※続き「プルトニウム輸送船「あかつき丸」の日米密約 」は、9/8 19:00 紹介予定です。