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原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※6回目の紹介

2014-10-31 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、

第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相

を複数回に分け紹介します。6回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」の紹介(プロローグ⇒第8章の順)

前回の話:もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※5回目の紹介

◎カバンの中につまった「隠蔽工作」の証拠

「ビデオ隠し」を主導したのは、当時、「もんじゅ」の責任者だったO所長とS副所長だった。最初に公表された「16時ビデオ」を短く編集することと、事故直後の生々しい現場をとらえた「2時ビデオ」の隠蔽を命じたのである。

 その後、2人は更迭され、最終的に停職1ヶ月の処分を受けている。調査チームの記録によれば、1995年12月30日に都内のホテルで行われた聴取に、O所長はこう弁明した。

<ビデオを殆ど見ていないし、なぜこんな問題になったか、未だに理解できない>
<(12月14、15日ごろにビデオが)問題になってきて、困ったものだと思った>

それどころか、
<忙しくてよく判らない>
<(事故当時の動きの)5~6割はVIP対応にとられていたし、ある意味で被害者だ>

と被害者意識丸出しなのだ。現場を訪れる要人の対応で忙殺されていたというのが彼の言い分だが、現場トップの所長がこの逃げ口上でいいのだろうか。原発事故の際、福島第一原発の吉田昌郎元所長(2013年7月に他界)が東電本社や政府と時に激しく対立しながら必死で対応したことを思い起こしても、あまりにも情けない態度だ。

 最初は頑なな態度を示していたO所長だが、聴取が進むにつれて次第に真相を語りだす。

<(ビデオの)編集については、(ナトリウムの)リーク箇所は判らないし、換気ダクトの穴については出さなくても良いと言った>

 ビデオ改ざんの動機は、編集前の映像にあった換気ダクトにあいた穴が、ナトリウム漏れの原因だと勘違いされるのを恐れたからだという、

 確かに、本当の事故原因は、冷却材の液体ナトリウムが流れる配管の中に取り付けられていた温度計のさや管が、圧力に耐えられずに折れたことだ。しかし、それならば誤解を生まないよう、きちんと説明すればいい。

 さらに「2時ビデオ」の隠蔽については、こう説明する。

<2時の立入調査については、(中略)カメラは当初入ってないと思った>

<2時もの(「2時ビデオ」)についても提出しようとOは言ったが、(これまで説明してきた事実を矛盾する)2時と10時の(現場)立入りで混乱を生じていると聞かされ、技術的に価値がないからという理由で割り切ろうとOが決断した>

 結局、自分で「隠蔽」を決断していたのである。しかも、この「2時と10時の立入りで混乱を生じている」というのは、当初は、職員が午前2時に現場に立ち入ったこと自体を隠蔽し、午前10時に初めて立ち入ったと科技庁への報告書に書いていたことを指す。あまりにもウソが多すぎて、もはや収拾がつかなくなっているのだ。


 別の聴取記録には、こんな物騒な言葉が出てくる。

<市の○○氏に対して、「16時もの生ビデオは、県(の撮影した)ビデオの2番宣旨(煎じ)になるので、これ以上追求すると撮った本人が自殺するかもしれず、追求を少しやめてほしい」といった>

 要は「16時ビデオ」」のオリジナルを出せと迫る地元・敦賀市の担当者に対し、福井県が後に撮影したビデオと同じ内容だし、プレッシャーをかけると職員が「自殺」するかもしれない、と言って追求を逃れようとしていたのだ。

 この一件については、もんじゅ建設所技術課長N市の聴取記録にも、次のように書かれている。

<所長のストーリーはこうであった。
「これ以上追求すると撮った本人が危うい(自殺の可能性もある)」
「所長は16時もの4分ビデオしか知らない」
  市には、オリジナルビデオがあることも匂わせつつ、これ以上の追求をやめさせようとした>

 部下も、所長がウソの「ストーリー」を語っていることは百も承知だったのである。

 O所長は別の聴取記録でも、
<東電での経験から、(中略)今回も自殺者が出る可能性もなくはないと思っていた>
と「自殺」に言及していた。その後の西村氏の死を考えると、なんとも ”意味深” なものを感じさせる発言である。

※続き「もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 」は、11/3(月)22:00の投稿予定です。


もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※5回目の紹介

2014-10-30 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、

第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相

を複数回に分け紹介します。5回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」の紹介(プロローグ⇒第8章の順)

前回の話:もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※4回目の紹介

第8章 もんじゅ事故「隠蔽」極秘記録と西村氏「怪死」の真相

◎西村氏が命じられた「ビデオ隠し」の調査

 ここまで検証を進めてきた「西村ファイル」には、旧動燃が仕掛けた「原子力ムラ」の”工作”の数々が赤裸々に記録されている。

 取材班はこれらの資料のすべてに目を通したが、ファイルは1996年1月12日でぷっつりと途切れていた。その翌日、ファイルの持ち主である西村氏が、都内ホテルの非常階段の下で変死体となって発見されたからだ。49歳という短い生涯だった。

 その「死の謎」を解く最大の鍵となるのが、使い古された茶色い革カバンだ。西村氏が長年、愛用していたもので、最後の宿泊先となったホテルの部屋に残されていた。いまも西村氏の自宅に大事に保管され、つややかな光沢を放っている。黒ずんだ持ち手からは、西村氏の手によくなじんでいたことがうかがえる。

 西村氏が亡くなった後、遺族の手にカバンは戻された。その中に、西村氏が死に追いやられた高速増殖原型炉「もんじゅ」事故をめぐる「極秘資料」が残されていた。


【ビデオ隠し問題】

 95年12月8日に発生した「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故。

 国際原子力事象評価尺度では「レベル1」の評価だったが、それ以上に日本の原子力政策に与えた影響は寛大だった。事故そのものの重大さに加え、動燃による「ビデオ隠し」が大きな社会問題となったのだ。

 当初、動燃は事故翌日の9日午後4時に現場を撮影したビデオ(「16時ビデオ」)を公表したが、それが実は計15分ほどのオリジナルを1分間に編集したものだと発覚。11日には、今度は4分間に編集したビデオを「オリジナル」と称して公開した。だが、このウソも露見し、20日にようやくオリジナルが公開された。さらに22日になって、科学技術庁(現在は文部科学省に統合)の立ち入り調査でそれ以前の9日午前2時に撮影したビデオ(「2時ビデオ」)の存在までもが明らかになった。次々と発覚するウソに、動燃の異常なまでの隠蔽体質が厳しく糾弾された。

 西村氏は21日、この問題の内部調査チームの副団長を命じられ、関係者への聴取を行なっていた。23日には、現場職員の証言によって新たに、「2時ビデオ」が撮影直後に動燃本社に届けられていたことを把握している。これにより、これまで「本社は2時ビデオの存在を知らなかった」としていた動燃の説明が真っ赤なウソだったことも判明した。

 動燃は理事長以下、本社幹部の責任が問われ、ますます批判にさらされながらも、ビデオ問題の決着を年明けの96年1月まで先のばししていた。1月12日、ようやく動燃が開いた会見で、西村氏は記者たちの前に姿を見せたが、動燃本社上層部が「2時ビデオ」の存在をつかんだ日を「1月10日」と、実際より2週間以上遅く説明した。

 その後、西村氏は翌日の出張のため都内のホテルに宿泊。そして13日早朝、非常階段の下で遺体となって発見された。部屋には遺書3通が残されており、警察は飛び降り自殺と断定した。

 西村氏の突然の死で、一連の動燃バッシングは沈静化。一方、動燃側の不可解な対応などに不審を抱いた西村氏の遺族は2004年に損害賠償請求訴訟を起こしたが、12年、最高裁で敗訴が確定した。


「もんじゅ」事故を契機に、日本が「国策」として推し進めてきた核燃料サイクルへの信頼が大きく揺らいだ。だが、事故そのもの以上に動燃の信用を地におとしめたのは、その後の「ビデオ隠し」問題だった。

 動燃は当初、ナトリウム漏れ事故を「事象」と説明していた。これが地元・福井県の自治体や市民から猛烈な反発を受け、「事故」と認めざるを得なくなった。都合の悪いことをとにかくごまかし、隠そうとする体質ー福島第一原発事故の直後に、政府が原発の爆発を「爆発的事象」と言い換え、東電がメルトダウンを2ヶ月も認めようとしなかった、あの状況とそっくりである。

 当初、「ウソつき動燃」との批判が飛び交う中、動燃の本社総務部次長だった西村氏は、内部調査チームの副団長となることを命じられた。妻のトシ子さんが振り返る。

「家で仕事の話をしない夫が、『とうとう、もんじゅの担当になってしまった』と、深刻な顔をしていました。上司の名前を挙げて『なんで自分にばかり仕事を押し付けるんだ』と珍しく怒っていた。そして『我が家の誰かが殺されるかもしれない。みんな通勤通学の途中に気をつけなさい』と言われて、嫌な予感がしたのを覚えています」

 西村氏らの調査チームは、年末から「ビデオ隠し」にかかわった職員らに事情聴取を行った。関係者60人からの聞き取り調査で業務は多忙を極め、徹夜になることも多かった。

「スーツがよれよれになったから会社まで届けてほしいという連絡があって、持っていったこともありました。電話で「家に帰らせてもらえない』とも嘆いていた」(トシ子さん)

 次第に疲弊してゆく西村氏。トシ子さんは心配でならなかった。

 カバンの中には、西村氏が調査したナトリウム漏れ事故とビデオ隠しをめぐる数々の資料が残されていた。その内容は後に”公式記録”として報告書などに記載されたものよりもはるかに生々しく、原子力ムラの隠蔽体質の縮図そのものだった。

※続き「もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 」は、10/31(金)22:00の投稿予定です。


もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※4回目の紹介

2014-10-17 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、

第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相

を複数回に分け紹介します。4回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」の紹介(プロローグ⇒第8章の順)

前回の話:もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※3回目の紹介

 最近でも、13年5月に茨城県東海村にある陽子加速器施設「JーPARC」の原子核素粒子実験施設で放射能漏れ事故が発生。複数の研究員が被曝したにもかかわらず事故後も施設の運転を続け、国や県に通報したのは事故発生から1日半後だった。3・11後も変わらぬ「安全軽視」の姿勢が、大きな批判を浴びた。

「隠蔽」「ウソ」「安全軽視」・・・原子力ムラの「持病」ともいえるこうした体質は、これから見ていく「西村ファイル」からも随所で読み取ることができる。「西村ファイル」は決して”過去の資料”ではなく、いまにつながる原子力ムラの病巣を余すところなく記録した歴史的価値のある貴重な資料なのだ。


 前述の「もんじゅ」事故は日本国民の「原子力ムラ」への不信感を一気に高めることになった。事故から2年後の1997年には、茨城県東海村にある動燃の核燃料再処理工場で火災・爆発事故が発生。事故報告書に虚偽があったことが発覚した。相次ぐ不祥事に動燃への批判が沸騰し、98年には「核燃料サイクル開発機構」へと、看板のかけ替えを余儀なくされる。

 さらに2005年には、日本原子力研究所と統合され、現在のJAEAへと改組。2年度の組織替えを経て「動燃」の名前は社会から忘れられつつあるが、基本的に職員や業務内容などは以前から継続している。

「もんじゅ」は10年5月、約14年ぶりに運転を再開したが、わずか100日あまり後に原子炉容器内で装置の落下事故を起こし、以来、運転再開のメドは立っていない。しかも、この事故をめぐっては、キーマンだった燃料環境課長が11年2月に自殺するという悲劇が再び起きた。原子力ムラの隠蔽体質がもたらす”負の連鎖”は、いまも続いているのである。

 しかも、残念ながら彼らに”自浄”を期待することは、とてもできない。「もんじゅ」で大量の機器の点検が放置されていたことが発覚し、前述のJ-PARC事故と同時期の13年5月、原子力規制委員会はJAEAに運転再開準備を禁じる命令を出した。未点検の機器は、実に約1万2千個。なかには、原子炉内を冷やすナトリウムの循環ポンプなど最重要機器も含まれるというのだから、開いた口がふさがらない。

 福島第一原発事故をめぐる対応を見てもわかるように、「原子力ムラ」の根本にある旧態依然とした体質はいまも何ら変わっていない。

 それどころか、いまだ原発事故の現場では、高線量の放射性物質がまき散らされ、行き場のない汚染水が増え続け、最終的な廃炉のメドすら立っていない状況だというのに、この悪夢のような大惨事をもはや忘れてしまったかのように、再稼働話が浮上している。民主党から政権を奪還した安倍晋三首相率いる自民党は、これまで日本の原発政策を強く推進してきた”戦犯”としての反省など微塵もなく、安全やモラルよりも経済を優先させて原発再稼働を大前提としたエネルギー政策に突き進んでいる。「成長戦略」という名のもとで、安倍首相自らが海外への原発輸出を積極的に進める姿には、国としての意識の低さを感じざるを得ない。

 そして、こうした「原発維持」の流れを協力に後押ししているのが、政官財ががっちりとタッグを組んだ「原子力ムラ」の面々だということはいうまでもない。

 いったい『原子力ムラ」の内部ではどんな力学が働いているのか。これまで彼らがどう結びつき、どう活動していたのか、その実態を具体的に示す物証はほとんどなかった。

「西村ファイル」は、人々の目に触れることの決してない「原子力ムラ」側の視点で作られ、関係者のみが活用してきた内部資料なのだ。本書が「西村ファイル」を解読し、「原子力ムラ」び暗部に迫ろうとするのは、そこに意味がある。

 秘密の業務を強いられて無念の死をとげた西村氏はいま、天国から原子力ムラを告発する。

※続き「もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 」は、10/30(木)22:00の投稿予定です。


もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※3回目の紹介

2014-10-16 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、

第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相

を複数回に分け紹介します。3回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」の紹介(プロローグ⇒第8章の順)

前回の話:もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※2回目の紹介

◎克明な「工作」の記録

 残された膨大なファイルを1枚1枚読み進めていくと、あることに気づかされる。「厳秘」「マル秘」「取扱注意」などの印が押された機密書類が、やけに多いのである。しかも、中身は「核燃料サイクル」開発についての技術的な資料などではない。多くは、動燃が当時、原子力施設の地元住民との間で、あるいは職場内部に抱えていたトラブルの処理や、動燃の表に出せない”裏の仕事”に関するものだ。西村氏は長年、動燃のさまざまな”暗部”に触れざるを得ない立場にあり、家族にも話せない「秘密の業務」に従事させられていたのである。

 トシ子さんが続ける。

「社内結婚ですから、私も動燃のことはある程度、理解できます。でも、役職が上がるにつれて、夫は家で仕事の話をあまりしなくなりました。仕事内容はおろか、出張先すら教えてくれない。亡くなる直前、珍しく会社の話をしたときは、『もんじゅの事故調査を命じられたが、もうイヤだ』と言っていた。残された資料を見て初めて、夫がさまざまなトラブル処理や『工作』にかかわらざるを得なかった状況がわかり、驚きました」

 前出の電力会社の友人も、西村氏の突然の死には今でも疑問を持っている。

「遊びも仕事もできた西村君が自殺するはずがない。当時、自殺のニュースをラジオで聞いて衝撃を受けた。よほど思いつめたことがあったのか・・・。動燃の仕事は国のエネルギー政策、日本経済の発展に直結することだから、国、政府とつながるし、役員との交渉なんかもあったんだろう。想像以上のことがあったとしか思えないよ」


 謎に包まれた死の真相に迫るため、取材班は何日もかけ、山積みの「西村ファイル」を読み進めた。

 その過程では、思わず驚きの声を挙げてしまうことが何度もあった。原発や関連施設をめぐる地元住民や地元政財界へのカネや接待、選挙での”暗躍”、露国なマスコミ対策、そして反対派の市民運動家への執拗な”監視”・・・そこには「国策会社」動燃の、想像を絶する組織的な工作が克明に記録されていた。

 つまり、この資料は日本の「原子力ムラ」の一つの縮図だったのである。

 政財界の癒着構造や情報隠蔽体質など、「原子力ムラ」の特異な体質は、これまでさまざまな場面で語られてきた。前掲の「もんじゅ」事故や、99年に起きた茨城県東海村のJCO臨界事故、そして2011年の東日本大震災による福島第一原発事故後の対応でも、イヤというほど見せつけられたものだ。

 トシ子さんはこう語る。

「東日本大震災で福島の原発事故が起きた時、どうせ東電(東京電力)はまともな情報を出さないだろうと思いましたが、現実にそうだったのでやっぱりと思いました。都合の悪いことは隠すという東電の体質は、動燃ととても似ている」

 福島第一原発の事故後、東電の情報公開への消極的な姿勢は、何度となく批判された。たとえば、事故直後の福島第一原発と東電本店などを結んでいたテレビ会議の記録の公開をめぐる態度だ。

 当初、東電は「社員のプライバシー」などを理由に、公開を拒否し続けた。枝野幸男経済産業相(当時)らに苦言を呈されて、事故から約1年半後の12年8月になってようやく公開したが、映像や音声の一部を加工した上、録画・録音も認めなかった。あれだけの事故を起こしておきながら、まだ真実を隠そうとしていたのだ。

 明らかな「ウソ」もあった。12年2月、事故原因を調べるため非常用復水機の調査をしようとした国会事故調査委員会のメンバーに対し、東電が「原子炉建屋の中は真っ暗で、調査は難しい」と虚偽の説明をして、調査を断念させた。ところが実際は、建屋には明かりが差し、証明もあったのである。

 こうした当事者意識を欠いた無責任体質は、東電だけでなく原子力ムラの骨の髄までしみついたものなのだ。

※続き「もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 」は、10/17(金)22:00の投稿予定です。


もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※2回目の紹介

2014-10-15 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、

第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相

を複数回に分け紹介します。2回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」の紹介(プロローグ⇒第8章の順)

前回の話:もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※1回目の紹介

◎家族にも言えぬ裏の”秘密業務”

 1946年生まれの西村氏は、中央大学法学部政治学科を卒業して69年に動燃に就職。政治に興味を持つ明るい青年だった。本棚には、歴代総理大臣の伝記本がびっしりと並んでいたという。

 入社から数年後、同じフロアの厚生課に勤めていた1学年上のトシ子さんと20代半ばで社内結婚した。トシ子さんがこう振り返る。

「夫はとにかく社交的で人当たりがよく、後輩にも頼られていたから、仲人を頼まれることも多かったんです。動燃に勤めずに、どこかで営業の仕事をした方が良い成績を残したのではないかと思うくらい。何度か他の会社の人に『うちに来ないか』と誘われたこともあるらしい。いま思えば、その時によそへ移っていれば、死なずにすんだのかもしれません」

 主に文書課や秘書課、労務課など事務畑を歩み、茨城県東海村の東海事務所での勤務や、原子力関連団体である日本分析センターへの出向、福井県にある新型転換炉「ふげん」(現在は廃炉)の労務課長などを経験。在米日本大使館にも赴任した。90年には本社総務部文書課長、亡くなる前年の95年には総務部次長と、順調に出世の階段を上っていった。

 70年代後半、電力会社から動燃に出向して西村氏と同じ職場に配属された友人がこう語る。

「動燃プロパー職員は電力会社社員と違って”反官僚的”というか、堅苦しくないところがある。西村君も快活な性格で、飲む、打つ、買うと何でもできた。歌もうまくて、カラオケでロス・インディオスの『コモエスタ赤坂』を熱唱していたのが印象に残っています。頭がよくキレ者でもあり、仕事も素晴らしかった。総務部にいったのは、そういう性格が買われたんじゃないか」


 非常に社交的な性格だったという西村氏だが、一方で別の側面もあった。

「夫が長くいた文書課では、(当時の)科学技術庁や通商産業省など、国に提出する文書作成の責任者でした。文書の文言から句読点まで、相当細かく気にしていた。そんな経歴もあって、幹部が出席する会合に同席し、メモや議事録の作成も重要な仕事でした」(トシ子さん)

 その西村氏が残していた資料が、冒頭の膨大なファイルの数々だった。これら「西村ファイル」の資料を見ていても、西村氏が非常に几帳面できまじめだったということがよくわかる。

 ファイルは仕事のテーマや時系列ごとに分類され、バラバラにならないよう、細かくホチキスでとじられていた。ノート類はびっしりと細かい文字で埋まり、会議の出席者や発言者、その時の時刻などが逐一、克明に書き込まれている。「取扱注意」や「厳秘」などの印が押された重要資料から、何でもないような雑なメモ書きやファクスまで残っていることから、仕事で作成・入手したほぼすべての資料を捨てずに保存していたと思われる。

<村松の晴嵐 太田の落雁 山寺の晩鐘・・・>

 西村氏が愛用してた手帳の冒頭には、動燃東海事業所がある茨城県の名所「水戸八景」が、毎年、決まって同じ場所にメモされていた。はるばる東海村を訪ねてくる客人に観光名所を説明するための「あんちょこ」だったのだろうか。誰からも慕われる社交的な性格は、地道な努力によって成り立っていたことがわかる。

 手帳のスケジュール部分には、その日会った人物とのやりとりなどが小さな字でびっしりと書き込まれ、アドレス帳部分には知人の連絡先のほか、東京や東海村などの飲食店も大量にリストアップされていた。仕事上の接待などに使っていた店なのだろう。時折、連れていった人物の名前や好みの女性までもメモされている。

※続き「もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 」は、10/16(木)22:00の投稿予定です。


もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※1回目の紹介

2014-10-14 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、

第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相

を複数回に分け紹介します。1回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」の紹介(プロローグ⇒第8章の順)

プロローグ
「3・11福島原発」の序曲
それは「もんじゅ」事故から始まった

 ここに、段ボール7箱分にもなる、膨大な資料の山がある。

 それは報告書であったり、「マル秘」の印が押されていたり、手書きのメモであったりー 一部が破れたものもあれば、茶色に変色したものもある。一見してかなり年季が入っていることがわかる。大きさも、B5用紙からA3用紙までまちまちだ。手帳やノート、パンフレットの類も交ざっている。

 だが、これらは決してゴミの山ではない。これまでベールに包まれてきた日本の原子力行政の「闇」が凝縮された、貴重な内部文書の数々なのだ。

 その資料を記し、几帳面に整理してきた男は、もうこの世にいない。1996年1月13日早朝、変死体となって発見されたからだ。男は、なぜ死に追いやられなければならなかったのかー まずは、その話から始めよう。

 男の名は西村茂生(享年49)。動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構<JAEA>)の総務部次長だった。

 動燃は、「核燃料サイクル」の研究開発などの事業を行うために67年に設立された国の特殊法人だ。

 福島第一原発事故を契機に広く注目されるようになった「核燃料サイクル」とは、原発の使用済みウラン燃料から、プルトニウムや燃え残りのウランを取り出して再利用する一連の仕組みをいう。

 「核燃焼サイクル」では燃やしたプルトニウムからさらに多くのプルトニウムを取り出せることから、理論上は無尽蔵といっていいほど某大なエネルギーを生み出せる。このため、50年代前半から資源小国である日本のエネルギー問題を解決する「国策」と位置づけられ、多額の税金を投じて開発が進められてきた。

 動燃はその実現を担う、いわば国の研究機関だ。特殊法人として、その費用の大半を国が負担してきた。優秀な技術者を集めた2千人を上回る職員を擁し、協力会社の人員は3千人以上。国内の研究機関としては最大級の規模を誇る「マンモス国策企業」だった。東京電力、関西電力など商用原発を運転する民間電力会社と並ぶ、「原子力ムラ」のもう一つの大勢力である。


 その動燃の”使命”として位置づけられてきたのが、発電と同時に、原発の燃料となるプルトニウムを生み出す高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)だった。85年10月の建設工事着工から約10年を経た95年8月、ようやく発電開始にこぎ着けたものの、そのわずか4ヶ月後の12月8日、もんじゅはナトリウム漏れ事故を起こす。

 このとき、事故の深刻さに加え、大きな社会問題となったのが動燃の「隠蔽体質」だった。配管から漏れ出したナトリウムが雪のようにうず高く白く積もった生々しいビデオを、事故直後に現場に入った職員が撮影していたにもかかわらず、その存在を隠したのである。「想像を超えた事故隠し」と批判された動燃は世論の集中砲火を浴び、頭を下げ続けた。

 組織の存亡自体を揺るがす騒動の最中、渦中の「ビデオ隠し問題」の内部調査を命じられたのが西村氏だった。

 「ビデオ隠し」の関係者からの聴取を進めていた西村氏は、96年1月12日、科学技術庁(当時)で記者会見に臨み、ビデオ隠しに本社の管理職が関与していたことについて発表した。ところが、その翌13日早朝、宿泊先の都内ホテルの非常階段の下で、変死体となって上司に発見されたのである。

 妻と上司、同僚に宛てた3通の遺書が発見されたことで、警察は飛び降り自殺と断定。上司や仲間を調べなくてはならなかった心労かー マスコミでも、”ナゾの死”は大きく報じられた。

 だが、妻のトシ子さん(67)はこう話す。

「夫の死について動燃に説明を求めても、ほとんど情報を出してくれない。会社にあったはずの遺品も返してくれず、逆にこちらの動向を探るような対応ばかりだった。遺書の内容や遺体の状況にも不審な点が多く、『これはおかしいな』と思い始めたんです」

 不信感を募らせた遺族は、旧動燃を相手取って損害賠償を求める訴訟を起こしたが、2012年1月、敗訴が確定。しかし、いまもトシ子さんは夫の死に疑念を持ち続けている。

 その大きな理由の一つが、冒頭の「西村ファイル」の存在だった。

※続き「もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 」は、10/15(水)22:00の投稿予定です。


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※14回目の紹介

2014-10-14 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。14回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※13回目の紹介

 文書はさらに、見学の対応について、外部(国会、地方自治体議会)から説明を求められた場合の基準を早急に作成する必要があると訴え、その理由を次のように書いている。

<作成の狙い
 ・反対派を差別はしていない
 ・基準により公明正大に対応している(基準の範囲で業務上の都合等を勘案して決定する)>

 要は、反対派だからといって一般と違った対応をしていることはない、と強調することが目的だという。これは原子力基本法で想定された「公開の原則」を踏まえたものだが、実際は、こうした表向きの説明を鵜呑みにできない記述も存在した。

<受入れ方法の統一化>
<例 一般見学者は展示館説明、構内一巡(各事業所による徹底) 例 もんじゅ>

 ここまでは、公開の範囲の問題はともかく、”わけへだてない”という意味で一定の理解はできる。ところが、そのすぐ下にある記述は、これとまったく矛盾するものだった。

<他の一般見学者の場合で施設を見せる場合の理屈 東海 青森件関係者>

 つまり、動燃の事業所がある茨城県東海村や核燃料再処理施設などのある青森県の関係者には施設の中まで見せており、その言い訳のための「理屈」を考えねばならない、ということのようなのだ。


 ちなみにこの資料では、原子力基本法で規定された「公開の原則」について追求された場合の”言い訳”まで用意されていた。

<①原子力基本法にいう「公開の原則」は、「成果」の公開を要求するものであるから、原子力の研究、開発及び利用に関する、ある過程におけるすべての情報をそれが形成される都度直ちにそのままの形で公開することを必ずしも要求するものではない>

<②また原子力施設には、企業秘密、ノウハウ等が含まれ、第2条にはこれらを含めた公開を言っているのではないことから施設のすべてを常に公開する必要はない>

<③別の側面で言えば、原子力の平和利用を守るために核物質防護並びに核不拡散上から、公開出来ない施設並びに機密事項もある>

 原子力基本法では、第2条で原子力資料を平和目的に限り、民主的な運営の下でその成果を公開していくことが規定されている。これが「公開の原則」だ。

 ところが①~③の理屈を読むと、「原則」がもはや完全に骨抜きにされていることがよくわかる。「成果」しか公開しなくてよいのなら、過程についてはいくらでも隠蔽できることになる。「核燃料サイクル」の研究開発機関である動燃の業務など、すべて隠し通せてしまうではないか。

 メディアや反対派に対して過剰なまでに敵意を抱いて監視し、都合の悪い話は封じ込めようとしてきた動燃。見学者への対応という一見、小さな問題からも、彼らが「公開の原則」を歪め、「隠蔽」を可能にする理屈を構築していたことがわかってきた。

 組織にしみついた「隠蔽」体質は、次章のテーマである「プルトニウム輸送」でも、国際社会の白眼視を無視して、存分に発揮されることになる。

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、今回で終了です。

10/14(火)22:00から「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」の紹介を開始します。(『プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった』も一緒に紹介)


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※13回目の紹介

2014-10-10 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。13回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※12回目の紹介

「事前の話では施設の中身をしっかり見せてくれるということだったのに、バスに乗せられて敷地内を一巡しただけで、一度も降ろしてくれなかった。『じゃあ、これで終わりです』と言われて、みんな『えー!』と、驚いてしまった。もんじゅの建物なんて大きくて敷地の外からでも見えるのに、それと何も変わらない。平日なので仕事を休んできた人や、遠方から高い旅費をかけてきた人もいて、『なんや、これ詐欺やん!』『冗談じゃない!』と、怒りの声があがりました」

 動燃側の記録でも、見学団はまず「仮設説明室」で概要説明を受けた後、「もんじゅ建設の歩み」という15分間のPRビデオを見せられ、続くバスでの構内一巡が約15分間。再び「仮設説明室」に戻って25分間の質疑応答で終わっている。この間、正味1時間半ほど。動燃側がスミス氏に手渡した<もんじゅ見学の件について>という文書には、

<構内での写真(ビデオ、映画を含む)は撮影禁止とします。(事業団バスへのカメラの持込みはご遠慮ください)>
<構内一巡中、バスから降りないでください>
<以上の条件が尊守されない場合は、見学をお断りします>

 構内ではバスから一歩も出られず、写真撮影も一切禁止。わざわざ遠方から見学に来てこの内容では、原発反対派でなくともバカにされた気分になるのではないか。

「本当に腹が立ちました。後で聞くと、原発推進派の議員などにはもっと奥まで見せている例もあるようです。相手の政治的な立場によって見学内容を制限しているようですが、本当に説得したいなら、反対派にも『どうぞ来てください、説明します』と、自信を持って内部を見せるべきじゃないでしょうか」(スミス氏)


 本誌はJAEA広報部に、原子力施設の見学者受け入れの基準について聞いてみたが、「その時々の施設の状況によります」

と、なんとも歯切れの悪い「官僚答弁」のような回答しか得られなかった。ところが「西村ファイル」には、この”謎”についても答えがあった。

 スミス氏の「もんじゅ」見学には報道記者も多数、同行していたことから、動燃側も危機感を抱いたらしい。1週間後の4月26日、動燃総務部が<視察・見学対応について(案)>という、見学者受け入れの基準について検討した書類を作成していたのである。

 書類には、受け入れ基準について次のように説明されていた。

 <事業団業務の理解、原子力開発の必要性等を理解してもらうという観点から、見学者等の原子力に対する賛否等の意見(思想、信条)は問わない>

 一見、殊勝なことを言っているのだが、すかさず次のように続ける。

<しかしながら、事業団の都合により見学等の受入れを断ることがある。
①業務上(施設の性格や実施業務の内容および実施状況等)
②日程上(業務の実施工程や他の見学等の受入れ状況)
③目的が見学等の趣旨にそぐわないもの
 ・原子力開発または事業団業務の反対を目的として、抗議行動等示威的行為を行うもの
 ・事業団施設を破壊する恐れのある者
 ・事業団に関する訴訟の当事者(原告)>

 特に③に注目である。前述のように、スミス氏の見学問題の時点で、すでに訴訟の原告は受け入れない方針が明確になったが、「反対を目的として、抗議行動等示威的行為を行うもの」についても、見学を拒否できる道を残している。結局、動燃側による恣意的な選別の余地を残した記述になっているのだ。

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、10/14(火)21:00予定です。

10/14(火)22:00から「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」の紹介を開始します。(『プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった』も一緒に紹介)


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※12回目の紹介

2014-10-09 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。12回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※11回目の紹介 

その内容には、「原子力ムラ」の見学者に対する”本音”が、実によく表れていた。

<原告らが原告団として申し込んできた場合には、裁判上の話なので断わることとしている。(書いたものとしてはない)>(東京電力・立地環境本部M)

<事前に通産省に相談し、了解を得た上で受け入れた(S62・11・26)。当日は、原子力館の応接室で概要説明をした上で、展示室と展望台を見せ、施設そのものは、メインコントロール・ルームだけを見せた>(日本原子力発電・総務部S課長)

 東北電力は、原告が地元の自治体議会議員の一人として施設を見学した際の対応として、こんなエピソードを明かしていた。

<建屋の中(見学コース)へ入るときに、原告本人がガイガーカウンターを持参して、これで測らせてくれと言ったので、東北電力が信用できない(東北電力の測定)のであれば、見学をお断りすると述べたところ、本人は建屋の中に入らなかったという事例がある>(東北電力総務部文書課N,T)

 原告にガイガーカウンターで放射能を測定されたら、不都合な値でも出るのだろうか。東北電力の見学に対するスタンスは、次のような文言からもよくわかる。

<一般の見学者の場合でも特別に許可した場合を除いてPRセンターだけをみせているだけ>(同)

「PRセンター」は原発そのものではなく、「原子力ムラ」に都合のいい情報だけを並べて展示した施設に過ぎない。実質、見学を断っているのと同じである。

 電力会社からの聞き取りだけでは不安だったのか、動燃はさらに、「拒否」した場合の法的問題をクリアするため、法務省の法務専門官を通じて現役検事にも問い合わせていたようだ。<K検事の感触>として、次のように書かれていた。

<基本的には事業団の意思でしょう。法務省としては、なんとも言えません>

<被告が民事訴訟の争っている目的のモノを原告に見せたり、訴訟についての質問に答えたりする必要はないし、断るのが普通でしょう。ただ、断ると大変でしょう>

 検事の見解としては、断るほうがいいが、断ったらその後の対応が大変だ、という。見事なまでに”他人事”な、冷たい対応だ。聞いている動燃職員の歯ぎしりが聞こえてくるようである。


 ともあれ、法務省まで巻き込んだ”すったもんだ”の結果、動燃は見学者から原告を除外するという結論に達した。

 見学当日の記録では、「もんじゅ」を訪れた参加者27名のうち、原告の2名が「仮設説明室」から退出させられている。もっとも、残りのメンバーについても当然、歓待されたわけではなかった。スミス氏が当時を振り返る。

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、10/10(金)21:00予定です。

<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に ※現在、紹介中です


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※11回目の紹介

2014-10-08 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。11回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※10回目の紹介

 

◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に

 「原子力ムラ」にとって原発施設を見学されることは、職員が慌てて右往左往するほどの一大事のようだ。

 そのことをよく表していたのが、

<アイリーン・スミス見学受入れの時系列>

という資料だ。

 そこには脱原発団体「グリーン・アクション」の代表を務めるアイリーン・美緒子・スミス氏が90年4月に高速増殖原型炉「もんじゅ」を見学した際の経緯が時系列で書かれていた。「もんじゅ」の試運転開始が91年5月なので、かなり早い段階での見学だ。

 スミス氏から動燃に対して最初に見学の申し入れがあったのは2月26日のこと。動燃はスミス氏が米国籍のため、「米大使館に申込書を送る必要がある」と説明した。

 スミス氏は指示通り、米大使館に申込書を送った。ところが、3月9日、突如として空気が一変する。

<国際部へアイリーン・スミスが原子力反対派であることが判明したとの連絡>

 米大使館とのやりとりの過程で掴んだのだろうか。スミス氏が反原発派であるということが判明しただけで、まるで”非常事態宣言”が発令されたかのような対応が書かれている。「もんじゅ」側は、すぐさま動燃本社の総務部に連絡をしたようだ。

<総務部はもんじゅよりアイリーン・スミスの件について連絡を受ける>

<国際部はもんじゅからの連絡でアイリーン・スミスが原子力反対派であることが判ったため受入れについて広報、建設本部、総務と協議、検討の結果、受入れはやむをえないと判断>

 最終的に、嫌々ながらも見学を受け入れることにしたわけだが、この判断を下すまでに、実に3月10日から12日までの3日間を要した。施設を見学させるだけで、ここまでの大騒ぎなのだ。

 結局、スミス氏の見学は4月19日に行われることになった。しかし、その見学3日前の16日、スミス氏側に提出させた参加者の名簿を見て、再度、動燃側は「大パニック」に陥るのである。

<午前中、アイリーン・スミスより総務部へ見学者名簿が送られてくる>

<名簿中、もんじゅ訴訟原告団のメンバーがいたことから、対応協議。(総務部、訴対室、国際部、建運本部、広報で協議)>

「もんじゅ訴訟」とは、「もんじゅ」の建設と運転に反対して周辺住民などが原告となって85年に起こした行政訴訟(2005年に最高裁で敗訴が確定)のことで、当時はまだ係争中だった。

 その原告団のメンバーが見学者の中にいたことが、動燃を狼狽させたようだ。4月18日に作成した資料には、<原告(を含む人々)から施設の見学申し込みがあった場合の対応>と題して、東京電力、日本原電、東北電力などの電力各社に同様のケースについてのこれまでの対応を問い合わせた記録が残っていた。動燃の慌てふためきぶりがよくわかる。

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、10/9(木)21:00予定です。

<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に ※現在、紹介中です


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※10回目の紹介

2014-10-07 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。10回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※9回目の紹介

◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識

 さて、ここまで見てきたような資料を「教材」として冊子に掲載していた「未萌会」とは、どんな集団だったのだろうか。

 86年5月に発行された「未萌」第一号は、会の原点ともいえる重要な一冊だ。そこには、発足の経緯についてこう書かれている。

<昭和60年(85年)3月1日、動燃の明日を憂える面々が箱根に会し、「長期的な展望と確かな現状把握を通じ、意識を統一した連帯と広い視野をもったたゆまぬ研鑽に努めるとともに、外部に対し我々の考え方の浸透と理解を得るための時機を得た周到な活動を行う」ために同志の会を結成した>

 メーカーなどからの出向者が多い動燃にあって、会員はプロパー職員に限定していたらしいことは、こんな記述からわかる。

<組織のために生命をかける仲間が団結しなければ発展しない。動燃に集まったプロパー職員の我々が未萌会という場に集い、切磋琢磨し、明日の動燃を切り開く行動を外に向かって起こすことが今重要である>

 冊子では発足から1年間の活動の成果が、満足げに語られていた。

<原子力委員、科技庁幹部等と未萌会メンバーが中心となった懇談の場が多数持たれており、会にとっても有意義な情報が入手できている>


 冊子には「未萌会」という謎めいた名前の由来も書かれていた。中国の前漢時代に編幕された書物『戦国策』の中にある、「愚者闇於成事、智者見於未萌」という逸話からとったのだという。

<これを現代風に解釈すると、愚者は社会的評価がすでになされていることすらも認めようとしないが、これに対して智者は社会のニーズが未だ起こらない前にそのきざしを察知して、未だ誰も気がつかない前にその未来を見て手を打つ、ということになる>

<千見力こそ時代を切り開く原動力であり未来を正しく予測してそれにそなえることこそ我々の目指すところである>

 愚者=一般大衆、智者=動燃と置き換えて読むと、エリート特権意識に凝り固まった彼らの思考パターンが浮かび上がってくる。

 自らを一般人より優れた「智者」と信じて、社会のニーズの未だ起こらない「核燃料サイクル」を推進する。それを認められない「愚者」に、情報を公開する必要はない・・・「未萌会」という名前一つ取っても、このような意識がにじみ出ているのではないだろうか。

 ちなみに、「未萌会」の初期の代表幹事を務めたのは、第二章でも登場した”ミスタープルトニウム”こと菊池三郎氏だった。

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、10/8(水)21:00予定です。

<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」 ※現在、紹介中です

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※9回目の紹介

2014-10-06 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。9回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※8回目の紹介

◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 1988年6月作成の「未萌」の対マスコミ資料の中には、「原子力ムラ」の広報の手法を説明した、興味深いチャート図も含まれていた。

<原子力広報の概念図>と題されたこの図は、<一般市民(原子力不安層)>を、<反原発派>と<原子力広報推進体制>が自陣営に引き込もうと綱引きするような構図で作られている。

 推進側の中心には電事連が位置しているが、その周辺には各電力会社を表す<各社>、核燃料の処理を行う日本原燃産業・日本原燃サービス(現在は合併して日本原燃)などの<関連業界等>、さらには資源エネルギー庁、科学技術庁などの行政機関と、「原子力ムラ」の各組織が矢印で結ばれ、一体となっていたことがわかる。

「ここで重要なのは、電事連の下に広報部、原子力部、立地推進本部という部署名が記されていること。どの電力会社にも同様の部署があり、原子力ムラにおいて非常に力を持っている」(広瀬氏)

 注目すべきは、広報の基本方針を定める機関として存在する<9社原子力広報担当常務会>である。電事連に加盟する電力会社9社(当時、沖縄電力は未加盟)の候補担当者が集まり、戦略を決定していたことがわかる。このような組織の存在は、これまでまったく知られていなかった。

「電力会社はこのような場で反対派つぶしの『工作』の手法についても情報交換をしていた。国の研究機関である動燃はノウハウがないため、電事連から指導をしてもらっていた。その時のテキストの一つがこのチャート図です」(動燃関係者)

 広瀬氏は資料を見て、

<マス・メディアの活用 新聞、週刊誌、女性誌、TVへの広告>

 という記述を指さした。

「これは、多額の広告費を払ってマスコミ業界の『お得意様』となることで、彼らが電力業界に文句を言えない状態にしてしまおうということです。現に、いまも原子力施設のある地方でテレビを見ると、電力業界やその関連のCMが不自然なほど大量に流れていますよ。それゆえ批判的な報道が消えて、地元の人にとって原子力はもう当たり前になって、問題とも思えなくなっているのが現状です」

 また、原発建設に欠かせないゼネコンについては、

<他業界社内報等への働きかけ(例 ゼネコン等)>

 と書かれ、報道機関については<情報提供>という矢印が引っ張ってある。

 チャート図からは、「原子力ムラ」の各組織が一体となって、反原発派との対決姿勢を鮮明にしていたことがわかる。こうした資料を使ってマスコミ対策を研究していた動燃も当然、「推進側」の一翼を担っていたのである。

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、10/7(火)21:00予定です。

<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法 ※現在、紹介中です

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※8回目の紹介

2014-10-03 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。8回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※7回目の紹介

◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 先の電事連の資料では、広瀬氏の活動と並んで、こんなことが「警戒項目」として挙げられていた。

<数多い反原子力記事(週刊誌 写真雑誌等)>

<テレビでの報道 ニュースステーション プライムタイム>

<数多い様々な集会、イベント、ビラ>

 こちらも別紙の資料で<最近の主な反原発関係雑誌記事一覧表>と題し、88年1月から5月までの、雑誌に掲載された原発関連の記事とその著者の一覧表が作成されていた。その数、5ヶ月間でのべ80誌にものぼる。

 登場する雑誌は「アサヒジャーナル」「週刊プレイボーイ」「週刊ポスト」と多岐にわたるが、中には記事だけでなく、<朝日ジャーナル 投書 原発問題を茶化さないで 千葉県25才>と、読者からの投書までも含まれていた。雑誌の隅々まで、穴のあくほど目を通したのであろう。

 その一方で、<原発推進関係雑誌>という別項目が立てられ、文芸春秋の月刊誌「諸君!」(現在は休刊)88年5月号などがカウントされていた。「諸君!」の内容は<広瀬隆著「危険な話」の危険部分 広瀬氏の反原発アジテーションの名調子にはたくさんの疑問がある>というもので、広瀬氏への批判記事である。

 雑誌と同様、原子力問題を扱ったテレビのニュース番組についても一覧表が作られ、テレビ朝日「ニュースステーション」など、10の放送がカウントされていた。広瀬氏の「徹底マーク」にしてもそうだが、これだけのマスコミ監視網を維持するのにも、かなりのマンパワーを必要としたであろうことは想像に難くない。


 これほどの情報収集能力を持つ電事連とは、いったいどんな組織なのだろうか。

 電気事業者の業界団体として52年に設立された電事連の2013年8月現在の会長は八木誠・関西電力社長。主要な役員は、各電力会社の社長や取締役などで占められている。ホームページには、「日本の電気事業を円滑に運営していくとを目的として」設立されたことが記されている。


 だが<沿革>の項目にある年表を見ても、1952年に<9電力会社で設立>とある後、いきなり2000年に飛び、<沖縄電力が正式会員になる>と記されて終わり。60年以上も続く組織の年表が、たったの2項目しかない。その活動内容は判然としないのだ。

 震災後の11年度、政府に公的資金投入を要請しているはずの東京電力が18億円もの会費を電事連に支払い、その負担を電気料金に上乗せしていたことが、朝日新聞(13年4月1日付)が報じている。このことからも電事連は各電力会社から毎年膨大な会費を吸い上げてきたことがわかるのだが、一方で、予算・決算や職員数、具体的な活動内容などは一切公表されていない。いわば「謎の団体」なのだ

 潤沢な予算を使って「反原発派」を徹底監視し、それがわれわれの電気料金に上乗せされているのではないかー「西村ファイル」を見る限り、そんな疑いを抱かざるを得ない。国民の疑念を払拭するためにも、一刻も早く詳しい事業内容、会費の使途を公表すべきだろう。

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、10/6(月)21:00予定です。

<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力 ※現在、紹介中です

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※7回目の紹介

2014-10-02 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。7回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※6回目の紹介

◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 続いて登場するのは、東京電力、関西電力など国内の電力会社10社で作る業界団体の電事連である。経団連と同じビルに事務所を構える、まさに日本最強の「業界団体」だ。

 88年5月に作成された<最近の原子力をめぐる社会情勢>と題された文書は、電事連による資料だった。その内容は、86年のチェルノブイリ原発事故後の世論の変化などを分析したもので、続いて、こんなことが記述されていた。

<情報分析>

<広瀬隆の活動 毎月20回程度の精力的な講演会の開催>

<2月 20回
 3月 21回
 4月 21回>

 広瀬隆氏といえば、反原子力の旗手として80年代から精力的に活動を続けている作家であり市民運動家。87年に刊行した『危険な話』がベストセラーとなるなど、当時、非常に注目が集まっていた。

 その広瀬氏が開いた講演会の回数を、月別に記録している。別紙の<広瀬隆 講演等スケジュール>と題した資料には、さらに88年2月から5月にかけて行われた講演会などの、より細かな情報が一覧表になっていた。

<2月11日 講演会 三重県久居市 久居新生教会 日本キリスト教団三重地区社会部250名>

<2月12日 反原発集会参加 香川県高松市 1000名>

<2月13日 講演会 三重県津市 三重大学原発シンポジウム三重県実行委員会200名>

 ・・・と、こんな調子で、会場の場所や主催者の団体名に加え、各会の推定参加人数までもが、4ヶ月間にわたって実に細かくカウントされている。この間、69の講演会と三つの反原発集会に参加し、東京・渋谷のパルコ劇場で上演された映画後の座談会に出演したことまでもが記録されていた。まさに”徹底マーク”である。

 特に、講演会の推定参加人数などは<170名><90名>などとかなり具体的な数字で書かれており、実際に会場に足を運んでカウントしたとしか思えない緻密さだ。北は北海道から南は鹿児島まで全国を飛び回っていた広瀬氏の動向を把握するためには、かなりの規模の人員や資金を投入する必要があったことは説明するまでもない。

 これに関連して興味深い証言がある。

「以前、不倫調査の依頼があってある電力会社の幹部を尾行していた。すると、別の興信所から『なんとか尾行をやめてもらえないか』と言ってきた。『電力会社は上得意先。仕事をまわすから、尾行を勘弁してくれ』というのです。電力会社には出入りの興信所があり、反原発派の調査の仕事をよくもらっているということだった。尾行をやめるつもりはないと突っぱねると、『原子力ムラを敵にまわすと痛い目にあうかもしれない。知らないよ』と言われました」(都内の興信所)

 資料は88年5月で終わっているが、これは冊子が6月に作成されたためだと思われる。その後も「監視」は継続したと考えるのが自然だ。

 実際に資料を見た広瀬氏は、こう語る。

「実に細かく、よく調べていますね。書かれている内容は正確です。こういう資料まで作っているとは知らなかったけど、特別驚きはありません。私の講演にはよく電力業界の人もよく素性を隠して来ているし、公安当局に尾行されたこともしょっちゅうある。彼らは目つきや態度が独特だから、見ればすぐにわかるんですよ」

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、10/3(金)21:00予定です。

<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>

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 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」   ※現在、紹介中です

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に


科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※6回目の紹介

2014-10-01 21:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。6回目の紹介

原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介 

前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※5回目の紹介

 資料集の冒頭にあるのは、

<最近の反原子力の動きとその対応について>

と題された文書。88年5月26日に科学技術庁が作成したものだ。そこには、霞が関の官僚たちが、2年前のチェルノブイリ原発事故を受けて盛り上がる反原発運動とどう対峙するのか、露骨なまでに直接的な言葉で表現されていた。現在に至るまで変わっていない方針も多いと思われるので、詳しく紹介していこう。

 まず、最近の反原子力の動きの特徴として、次の五つのポイントを挙げる。

<1.感情的・情緒的反対>

<2.素人にわかりやすく、かつ単純明快な論旨>

<3.大衆紙などのマスメディアを通じ、一般大衆を対象>

<4.反対運動の横のつながり>

<5.運動の担い手は都市部などの若年層、主婦層などが中心>

こうした傾向に対する<有機的な対策の展開>として、次のような方針が書かれていた。

<今回の反原子力運動は幅広い論点に立って行われており、一般層へ深く浸透していると考えられるので、国、電力、メーカー、関係法人で分担して、緊密な連携をとりつつ対処する>

 国、電力、メーカー、関係法人・・・後に「原子力ムラ」と呼ばれる組織の総力を結集して対抗せよ、という号令を科技庁がかけているのだ。すなわち、それは国の意思である。

 だが、本当に反原子力の考えが「一般層へ深く浸透している」のだとしたら、それはもはや立派な「世論」であり「民意」だ。それも政策に反映させていくのが、科技庁の役目ではないのか。だが、この文面から、彼らに民意を尊重するなどという発想は、これっぽっちもないのがよくわかる。

 資料ではさらに具体的に、反原発派への対抗策が語られていく。

<反原子力運動の情報を統一的に収集し、それを分析する機能を抜本的に強化する。また、これら反原子力運動への反論については、現在、関係者で行われている作業を支援するとともに、必要に応じてこれを強化充実する>

<反対側のアジテーターに対抗するため、原子力推進側のスピーカーを多数養成するとともに、反対側からの個人攻撃を受けないよう、関係者でサポートする>

 国の役所がこんな謀略めいた内容の文書を作成していたこと自体に驚かされるが、いろいろと意味深な内容である。

「反原子力運動の情報を統一的に収集し、それを分析する機能」とは、いったい何のことであろうか。反対派の監視を専門に行う組織が存在するということなのか。また、関係者で行われているという反論の「作業」というのも気になる。前述のNHKの番組への「やらせ抗議」も、こうした「作業」の一環だったのではないか。

「推進側スピーカー」については、残念ながら具体的にどんな人々を指し、どのような方法で養成するのかまでは書かれていない。現在も声高に原発の必要性を訴え続ける専門家の中に、ひょっとすると「原子力ムラ」が養成した「推進側スピーカー」も含まれているのかもしれないー。

 資料の最後は、こんな言葉で締められていた。

<上記施策に必要な人員、予算の確保>

 露骨な「反対派つぶし」の工作に、国民の税金を使おうというのである。はたして、これまでにどれほどの額が費やされたのか。それらの金額もちゃんと原発のコストに加えなければ、「エネルギーのベストミックス」など見いだせないはずだ。

※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、10/2(木)21:00予定です。

<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>

 ◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示

 ◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身

 ◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書 ※現在、紹介中です

 ◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」

 ◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力

 ◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法

 ◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」

 ◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に