*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。18回目の紹介
原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-
1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた
高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。
事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、
一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。
死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。
そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、
あまりにも生々しく記録されていた。
(P3「まえがき」から)
「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」
2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。
「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。
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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介
菊池氏は、65年に京都大学工学部原子核工学科を卒業。その後、原子燃料公社(67年の動燃発足に伴い吸収)に入社し、動燃の核燃料部計画課長、企画部調査役、企画部次長、秘書役、企画部長を経て、95年のナトリウム漏れ事故直後から「もんじゅ」の所長を務めた人物だ。
動燃のスポークスマンとしてメディアにたびたび登場し、”ミスタープルトニウム”とも呼ばれる。約50年もの間、「原子力ムラ」で過ごしてきた”原発推進派”の中核を担ってきた人物である。
そんな菊池氏は、なんと答えるのか。取材班は、菊池氏にも直撃した。
ーKチームの最高責任者は菊池市では?
「誰の発案ってことではなく、何かを短時間に実現するために、ひとつの連帯チームが必要だと私が言った記憶はあります」
ー菊池氏が一番詳しいと聞いたが。
「え、そうだったかな。Kなんて(イニシャルは)いっぱいいるよ」
ー(文書をみせながら)「予算をプールする」とは裏ガネの意味か?
「プールっていうか、補正予算みたいなものだからね。年度の最後だから、新規に何かやるなら(各部署からカネを)集めるしかない」
ー内部でも秘密の組織だからプールしたのか?
「いや、秘密っていうか、皆さんの取材と同じですよ。何かやるならチームを組むでしょ。回収ウランが大きなテーマで、成功させましょうというチームですよ」
ーではなぜ「プールする」と書いてあるのか。
「それは、書いた人の趣味でしょう。でも、仕組みとしては、そうせざるを得ないじゃないですか。年度の最後だから(各部署からカネを)集めることになるでしょう」
ー1ヶ月で数千万円も、何に使ったのか。
「回収ウランの輸送の準備とかいろいろかかったんじゃないか。実際にどれくらいかかったかはわかりません。一般的にはそんなにかからないでしょうけど。実際の額はわからない」
ー岡山市内に事務所を作った?
「それは、県庁との連絡が必要ですから。そんなのどこでもやるでしょう?どこの会社だって官庁対応の営業所とか事業所は作るじゃないですか」
ータレントを使い「洗脳」するとの記述もあった。
「(資料を書いた)Yがしたいと思ったことを書いただけじゃないか。彼は現地の先鋭部隊ですから。そういうのをコントロールするのが私の役目。やりすぎな部分は止めますよ」
ー石原慎太郎氏の名前も出てくるが。
「ないですよ。石原さんなんて来るわけないですよ」
※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/30(木)22:00に投稿予定です。