昨夜の地震おどろきましたね

2015-05-31 08:27:29 | 写真
昨夜8時24分大きな地震がありましたね。

と他人事のように言って居ますが、ほとんど自覚がありません。

初めの3度は「揺れてるな」、最後4度目は「かなり揺れてるな」

でもこの間と同じだから…。再び寝入って先ほど8時に目が覚めました。

起きてすぐメールを見た所、イギリスから昨夜地震を心配したメールがあり

ことの大きさに驚いています。

5月29日午後8時30分に家を出て、相模原市南区東大沼経由で新潟へ

星峠のポイントに到着したのは午前2時前。

帰着はごご4時過ぎ、就寝は午後7時。

というわけで地震は夢の中。

前日分を誤って削除してしまいましたので、再びアップしておきます

2:04
F405
40.9秒露光
ISO 800
24mm



F4.5
104.7秒露光
ISO 1600
24mm



5月30日午前3時44分の写真です。

F4.5
1.3秒露光
ISO 1600
24



到着直後の写真(前日アップ)から1時間40分経過しています。

既に星は消え、画面左側は赤く染まりはじめ、画面右上は夜の色が残っています。

日の出はこれより59分後の4時33分でした。

今回は。偵察を含めて遠征したのですが、期待通りの薄い朝靄がでて万々歳でした。

星空の棚田、星空(天の川)、田に映る星を撮りたかったのですが、天の川は失敗でした

次の機会には、VRをoffにして思い通りの☆を撮りたい。









東京下町路地裏Ⅱ

2015-05-30 08:00:00 | 写真
路地を歩いていると、道路に映る陽射しと影に魅せられる。

真夏であれば、影を選んで歩くといったところであろうか。

家並み、歩く人、自転車。なんのことはない普段の光景であり

なんの変哲もない。と思うのが普通だろう。

今回は、あるがまま、照っていれば白とび必至でなんの考慮もなく撮ってしまったが、

次回は少し考えてシャッターを切ろうかと思います。

あんまり変わらないと思いますが、撮影者の意識は変化する。








東京国立博物館・鳥獣戯画

2015-05-29 08:27:01 | 写真
昨日5月28日、朝飯も食わず、相模原を6時10分に出て、上野に8時50分到着した。
いつものパターンなので安心して博物館に向かった。
以外にも人は並んでいなくて、やはりウイークデーなどと悦にいっていた。
入口に小さく「待ち時間30分」と書いてあったが、気にせす敷地内へ。
そこには「待ち時間30分」の正体があった。
4列縦隊で入口から平成館入口まで延々と列が作られていた。

ようやく平成館内へ、時刻は9時45分、50分並んだことになる。
エレベーターを上がって、人々は全て”第2展示室”へ、躊躇なく後に続く。
”第2展示室”入口から長蛇の列。
待ち時間は「80分」と知らされた。

堂々巡りを繰り返しやっと「鳥獣戯画、甲巻」の巻物にたどり着いたのは、
昼の12時。(130分並んだことになる)

なんと博物館到着後3時間が経過していた。

巻物は20Mほど、「立ち止まらず、少しずつ前にお進みください」の号令のもと

ゆっくりと前へ、蛙とウサギの相撲や、猿と兎の追いかけっこを見てきた。

つかれたーーーーーー。

今日は仕事があるし、もう家に帰ろうと思った。
上野駅公園口の左端のいつもの食堂で生姜焼き定食を食べて、いくらか元気になり

帰り道の(よていはしていたが)新宿駅西口「思い出横丁」、「歌舞伎町」を歩いた。






ここは撮影可。これ以降平成館内は撮影禁止。



新宿西口「思い出横丁」





歌舞伎町に廻って居酒屋店内の、マスターと美人のお客を撮ろうとして
少しあわてて。RAW+Bの解除作業をしていしまい、”TIFF”画像になってしまった。
もう少し、電球の赤黄色味のある色だった。ホワイトバランスAUTOでは互いに相殺しあうようで、
味気ない色になってしまう。やはり良く気を付けて場面に合わせなくてはと反省。

またアップする予定です。
本日から明日にかけて出かけるので、その後になります。



東京の路地裏

2015-05-29 08:00:00 | 写真
今回のシリーズは東京京島を取り上げています。
月島、向島、門前中町、新宿等々行ってみたい撮ってみたい街は沢山あります。
横浜もそのうちのひとつです。

今日は路地。

子供の頃の街には人ひとりが通れる小道が沢山ありました。
区画整理という名のもとに、次々と姿を消してゆきました。

最近生家の近くを歩いたのですが、道路はこんなに狭かったっけと驚きました。
子供の頃路地を縦横無尽に走り回り、鬼ごっこや、かくれんぼをした路地。






今も路地にはいろいろなもの、思わぬ物が潜んでいる。



子供の頃に見た風景

2015-05-28 08:00:00 | 写真
小学生の頃(54年~60年前)毎日通った道にあった風景。

家の形をしていれば上等だった、記憶では、防空壕に住んでいる人もいた。

生まれた家の四畳半の家族団欒の場の窓のすぐ近くに防空壕の穴がぽっかり開いていた。

横須賀の山の家屋のあるうちの一番てっぺんに住んでいた私の格好の遊び場、探検の場でもあった。

そんな防空壕を住まいとする人がいても、違和感はなかった、。

戦後10年~15年経った横須賀。

流石に防空壕の住人はいないが、此処にも多分人は住んでいるのだろう。





東京のあら捜しをしているわけではない。
殊更奇を衒っているわけでもない。
東京の生活そのものであると思う。
戦災に遭っていれば、この風景は一挙に失われていただろう。
廃墟ではなく、人間が生活している場なのである。
華やかなオフィスビル群のすぐ横、東京スカイツリーの真下に息づいている現実である。
そして、オフイスビル群より、東京スカイツリーより確実に華やかで充実した、物を大切にして生きる
日本人がここに生きて、生活している。

いつか失われてしまうであろう桃源郷。