そろそろバラの花

2020-04-30 05:42:17 | 写真

バラの花が蕾を持っている。

咲き始めた花も見かけます。

何しろ早い。

来年はもう咲かないのではと、思うほど競って咲き始める。

そういう目でみると今年の花は、皆怪しさがある。

満開の桜に雪降りなんて、思ってもみなかったことが、おこっている。

桜吹雪という言葉はあるけれど、本物の降雪とは、驚いた。

若い頃にバラを撮ったという記憶が無い。

多分モノクロ写真ではその色を再現することができなかったからなのだと思います。

若い頃の方が、もっと多感であったと思いますので、この辺りで妥協することができなかったのでしょう?

モノクロは、多分なのですが、光の表現の仕方なのではと、思います。

人間の優秀な脳は、目で見えたものを、当事者(見た人)の感じたままに周辺を整理して、見ているのでは無いかと思っています。

その結果、なんども言っているように、こんなはずではなかった写真がたくさん出来上がるのではと、思います。

少なくても、学生にとっては、非常に高いロールフィルムを、失敗しないように慎重にパトローネに巻き取って、傷がつかないようにカメラにセットして

大事に大事に、ファインダーの端から端まで、舐めるように見回して、納得がいってから、もう一度確認してやっとカシャ。

それほど大事に慎重に、吟味してシャッターを切った。

すごくうまいように聞こえるが、ただただお金がもったいなかっただけ!!!

そのようにとった写真と、高速シャッターでまとめてとった写真とは見比べるべくも無い。

多分、フィルムが勿体無いと思っている分、じっくりと見ていたと思います。

その結果バラ等の、花は難しく、撮ることをしなかったのではと思いますが、真相は、花に興味がなかったのでしょう。

この写真は同じ日にとっているのですが、他の日に、アイロンかけ用のスプレーを使って、水滴を作った写真があります

やはりワザとらしさが見えてしまって、本物の水滴にはかないません。

スプレー写真を撮った時は、いいと思ったのですが、いざ雨降り後の晴れ間に撮ったら、へにもならないワザとらしさに嫌気がさしました。

 


モノクロ

2020-04-29 08:39:23 | 写真

どこかの記事で最近読んだのですが、「モノクロ」と言っている写真は「モノトーン」だよと、言われた。

 

フィルムを現像して、印画紙に引き伸ばし機で焼き付けをするという工程で写真が出来上がってゆきます。

その前に、ロールフィルムを使うのであれば、パトローネを用意して、暗室の中で、36枚分を巻かなければ写真を撮ることは、できません。

現在「銀塩写真」(ぎんえん)と言われている「モノクロ」写真。

私が写真を習った時代(1969年〜)にその言葉「銀塩写真」は聞いた記憶がありません。

「モノクロ」という言葉を使っていたという記憶もありません。

「モノトーン」とはどの状態を指して言っているのか、理解できていません。

「モノクロ」でなく「モノトーン」と言っているからには、「モノクロ」に対して「モノトーン」は、下位に位置するものと言っているのだと思います。

「モノトーン」を白、黑、灰色で構成された、色構成の一つの事を言っているのでしょうか。

であるならば、使い方が、少なからずマトを外れていると思います。

黄色の「モノトーン」、赤の「モノトーン」という言い方であれば、間違いはありません。

「モノクロ」という言葉に対比する言葉としての「モノトーン」は、考え込んでしまいます。

もしかすると、英語として考えているのではと、思います。

「モノクロ」に対して「モノトーン」ではなく、「モノクロ写真」の素晴らしさに対してモノトーンだと言っているのかもしれません。

であれば理解することができます。

でもそのあとに続けて、フィルム現像に言及していましたので、何やらわからなくなります。

フィルム現像を本当にやったことがあるのかなと少なからず疑問になります。

私自身も少なからずどころか、フィルム現像については、大いに疑問があります。

学生時代、麻雀をしながら、目覚まし時計を脇に置いて、現像していました??

満貫なんて振り込んだら大変!!うるせー目覚ましだななんて熱くなっていたかな????

現像は、時間と温度と、清掃(特に清掃が肝心)ですから

現像に薀蓄を傾ける前に、当たり牌を振らないようきを使っていました。

モノトーンは単調な、退屈なという意味として使っています。

結論が出なかったのですが、「モノクロ」を「モノトーン」と言って欲しくない、もっと他の言い方があるのではと言いたかった

「モノクロ」と言っていなかった、私の若い頃〔52年前)ただの「写真」だった。

「写真」は、白黒だった。

「モノクロ」と言っていた方もいたのでしょうけれど、お会いしたことはなかった。

念の為カラーフィルムも売っていました。リバーサルもありました。

カッコをつけて白黒写真を撮っていたわけではなく、ネガカラーも、リバーサルも高くて手が届かなかっただけです。

 

なおアップした写真は、相模原市上溝地区の夏祭りの写真です。


Tokyo Disney] Land2005

2020-04-28 10:29:16 | 写真

昨夜の東門前町近辺は、相変わらず賑わっていました。

店の前には、道路に縦に駐輪してたくさんの客が集まっているようです。

この近辺は、いつ酔っ払いが道路に飛び出すかわからないので、ノロノロ運転です。

雨の日は特に怖い。

 

千鳥町付近は、やはり雨が降ったり止んだりで、大気は湿っていて、撮影コンディションとしては最上でした。

炎の色は、いつも通りで、あまりに魅力的ではありませんでした。

一度だけですが、青に近い紫の炎が、強風に煽られて、横に長く吹き出していて壮観でした。

たまに、扇島でも同じような炎が見えることがあります。

千鳥町の夜景には、小雨は欠かせない小道具かなと、思います。

 

私が動き回る川崎、蒲田、池上、馬込付近は、夜に限ってではありますが、非常事態宣言の、ルールが非常によく守られている印象です。

商店街に人景はなく、車も配送車以外は、驚くほど少ないです。

 

ルールがよく守られているな、という感想です。

この様子が全国で行われているなら、事態終息もそう遅くはないなと、実感します。

とは言っても、普通に活動できるまでには、かなり時間がかかることでしょう。

1日も早い終息を祈るばかりです。

下の写真はとても小さな写真です

 

15年の歳月が流れているのではありますが、衣装など斬新です。

記憶では小さなショーが、あちこちで開かれていて、自由に見学していたような気がします。

 

 


15年前のTokyo Desneyland 2005.12.07

2020-04-27 06:48:42 | 写真

15年前、仕事に使っていたEX-Z500というカメラで撮ったもののようです。

500万画素の、当時の私としては、まぁまぁのカメラであったと思います。

仕事用のカメラを持ってデズニィーランドに行ってしまうという、なんとも言いようのない状況だったんだなと思います。

現在のカメラの 1/10弱の画素数でもかなり楽しそうに写真を撮っています。

この後かなり経ってから、確か2010年頃に、ニコンのクールピクス8200というカメラを買った、一眼レフが欲しかったのですが、遠く手が届きませんでした。

当時、仕事先の方が、Nikon D7100を持っていて、羨ましく思っていました。

欲しかったのですが、当時の経済状態ではとても、とても手が出るものではありませんでした。

 

2005年の写真を見てみると、ぶれていようが、ピンボケであろうが、全く気にしていない事がわかります。

まあこんなものという心境だったのでしょう、今もあまり変わっていないと思います。

記録として撮っておこうというレベルです。

 

右下の青っぽい塊はシンデレラ城です。

 

 

12月だったのですが、なんとなく夏っぽいコスチュームに感じられます。

やはり写真は撮っておくものです。

記憶の中では、あることはあるのですが、鮮明ではありません。

あゝそういえばディズニーランドへ行ったなくらいのものです。

写真は、如実に残っています。

15年前の自分を見て、若いなー

金はなかったけど、生き生きしてるなと思いました。

これは当時の会社の旅行の時の写真です。

 

 

 

 


ロンドン早朝

2020-04-26 06:55:53 | 写真

海外に行くにあたって、一脚を用意していったのですが、長時間露光に関しては役に立ちませんでした。

やはり三脚を持って行かないと思って、インドでは三脚を持って行ったのですが、飛行機から降りてから、三脚を受け取るまでが長い!

結局は、三脚も一脚も使えないというところでしょうか。

実際には、国内での撮影でも脚を使用することはほとんどありません。

手ブレの失敗がなきにしもあらずではあります。

最近ではISOを6400まで上げて、呼吸を止めて、脈動は脇の下で止められるだけ止めて、かなりいいせんでシャッターが切れます。

せいぜいA4サイズまでなのですが、止まっています。

1/8は、切る自信があるのですが、それ以下は高速連写しか対処できません。

f8  1.3秒

 

f8  1秒

f8  0.4秒

f8    1/2秒

f8  1秒

f8    1/2秒

ISOはいずれも800

非常事態宣言は本日のTVに依れば、解除は難しそうです。

確かに人は少なく、車も極端に少なくなっています。

早く、この異常事態から抜け出せる事を祈らざるを得ません。

来月からは、千鳥町、東門前町界隈の仕事は、無くなります。

1週間に2度くらいは、千鳥町には行きます。

そういえば日本触媒の、蒸気は再び盛大に上がり始めました。

そぼ降る雨の時の、工場夜景はボーとした感じで素晴らしいです。