杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

南京事件ー蒋介石に何が起きていたのか?

2007-03-13 12:44:01 | Weblog
 
 東中野修道氏の「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」を読めば、南京事件が捏造されたものであると言うこれまでの諸研究に止めを刺すものである。

 しかし、深田匠氏の「日本人の知らない二つのアメリカの世界戦略」にある、以下を読むと反日ではなかった国民党が、蒋介石が何故謀略を、という思いにもなる。
(P72)ちなみに昭和41年9月に岸元首相の名代として5名の日本人台湾視察団が訪台し、蒋介石と面談している。そして面談の際、その5名の中の一人である田中正明氏が松井大将の秘書であったことを思い出した蒋介石は、田中氏の手を硬く握り締めて涙を流しながら‘南京虐殺など無かった。松井閣下には誠に申し訳ないことをした’と告白している。この蒋介石の涙の謝罪は、日本人訪台団、通訳、蒋介石の側近らが全員耳にした歴然たる事実であり、南京大虐殺なるものは一切存在しなかったことを当事者が認めた貴重な証言である。」

この謎を解いてくれたのはユン・チアンの「マオ」(毛沢東)である。南京事件は1937年12月10日に始まり13日未明に陥落するが、その丁度1年前の1936年12月12日蒋介石が張学良によって監禁された西安事件がある。蒋介石はソ連に人質に獲られていた息子経国の命と引き換えに第2次国共合作に応じることになり、このくだりは東中野氏も述べている。そしてここに到るまでが蒋介石にとっての頂点であったようだ。

「マオ」の日本での出版は2005年11月、「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」は2006年5月であるから東中野氏にとって「マオ」を充分に咀嚼する時間がなかったのだろうと思うが、私が加えておくべきと考えている内容を以下に述べておく。

1.まず、「マオ」で一番ビックリしたのは南京事件が書いていないことであった。そして、このことが私の南京事件を良く調べてみようということのきっかけになった。いままでは、なんだか日本人だけが南京事件を否定しているような違和感が正直言ってあったのだが、「マオ」が取り上げていないのならという気持ちに変わった。

2.「マオ」で一ヶ所だけ南京事件を取り上げているが、これは形を変えた事件の否定と思われる表現である。
(p351)(スターリンの言うことを聞かない毛沢東はスターリンの指示によりNO1から追放されるー純一郎注)王明が実権を握った1937年の12月を、毛沢東は非常な苦々しさをこめて後年たびたび振り返っている。一方、これとはきわめて対照的に、まさしく同じ時期に起こった大事件でありながら毛沢東が長い人生の中で一度も言及しなかったことがあるー南京大虐殺だ。推定で30万人近い中国の民間人や捕虜が日本軍によって虐殺された事件であり、抗日戦争において同胞にふりかかった最大の悲劇であるにもかかわらず、当時もその後も毛沢東は南京虐殺にいっさい言及していない。

3.国共合作により国民党宣伝部が活動を開始するのは南京事件の直前の1937年12月1日とある。そして初代の宣伝部長は 邵力子(シャオリーツー、以下シャオとするー純一郎)であると、東中野氏も述べている。そして以下が「マオ」。

(p326)1937年2月、スターリンが息子の帰国を中々認めないのに焦れて、蒋介石はまたひとつ中国共産党に譲歩を行ったが、これは後々に重大な影響を及ぼすことになった。蒋介石は、共産党のスパイ、シャオ(1925年に蒋経国をソ連につれて行った人物)を、メディア対策を統括する国民党中央宣伝部長に任命したのである。シャオの仕事は、メディアと世論の強い反共姿勢を方向転換させることであった。蒋介石はモスクワに対して破格の好意を示したわけである。
 これを境に、ソ連に関する報道は広範かつ好意的なものになった。中国共産党の善良なイメージ作りも進んだ。その年の夏には、シャオと毛のあいだで毛の自伝を出版するアイデアが練られた。自伝は毛をもっぱら善人として描き、抗日戦争に関する毛の発言集を付録につけて抗日愛国者も強調していた。毛は「日本帝国主義と断固戦い抜こう、、、」と、熱烈な愛国者を気取った題詞を書いた。本は11月1にちに発売され、ベストセラーとなった。毛の成功を決定的にした神話、即ち共産党こそが抗日に最も熱心であったという神話が作られたのは、この時期だ。実際、この神話のお陰で、のちの毛政権の中枢となる人材も含めて何万人もの人々が共産党に入党したのだった。

 蒋介石は自らの組織に共産党敵を導き入れてしまったことになり、コミンテル流の謀略的宣伝に貶められることになるが、その最も大きな影響を受けたのが我が日本である。彼らの初仕事が南京大虐殺の捏造であった。
 私は「物事の両面を知るーマッカーシー旋風のB面」という記事を書いていが、残念ながら、何故かヤフーのブログからは拒否られてGOOにしか掲載していないが、日本のゾルゲ事件、アメリカのルーズベルト政権内のあまたのソ連スパイがいたことを取り上げている。そして今回中国での南京事件と、大東亜戦争の影には常にコミンテル=スターリンの謀略があったと言うことであり、その最大の被害者は日本である。そして気をつけなければいけないのは、中国をはじめ独裁国家というものは今もってそのような謀略でもって、軍事的であろうがなかろうが、前に立ちふさがる大国を貶めようと画策しているということである。日本は明らかのそのターゲットである。早く対応しないと中川政調会長ではないが「日本は中国の省の一つ」にされてしまう。