なんで使わぬこの表現!
6月1日の正論に登場したのは中嶋嶺雄(国際教養大学理事長・学長)であるが、
‘国家のあり方を忘れた教其法改正’と題して政府案は一種の言葉遊びで政治的妥協に、公明党への政局的妥協が加わり中教審答申に比べて大きく後退していると嘆いておられる。
‘そして最も重要な争点である「愛国心」との関連でみると、中教審答申は、問題をグローバル化が進めば進むほど、日本人としてのアイデンティティーが重要になるとの前提から展開し’と述べ、そしてここからが重要である。「グローバル化が進展する中で、自らの国や地域の伝統文化について理解を深め、尊重し、郷土や国を愛する心をはぐくむことは、日本人として、これからの国際社会で生きてゆくうえで極めて大切である。」
これが答申であると中嶋氏が述べているが、私はこの視点こそが今の教育に欠けていると思う。愛国心や伝統文化がなぜ必要なのか、それ自体も大切であろうが、それがグローバル化に起因するという視点こそ、これからの教育に特に求められるべきものと考える。ただ愛国心や伝統文化に重きを置く考えであってはならないと思うし、英語教育の必要性もおのずと理解が出来ようというものだ。
中嶋氏は政府案を公明党のイデオロギーに振り回されていると批判し、民主党案をましとしながらも、これからの教育基本法、憲法改正へとまともな議論に発展することを期待されているが、そのためには政界の再編成がぜひ必要なことが明るみにでたとして筆をおかれている。これまでの政界再編はむしろ自民・民主の中でのシャッフルを意味すると私は理解していたが、中嶋氏は自公連立こそに無理が出てきている、修正不可能な状態であると述べており、改めて自公連立の弊害の大きさを知ることにもなった。
幸か不幸か、国会の会期延長はなされず、教育基本法も継続審議になると思うが、是非とも今一度教育の原点に立ち返り、上述のような表現に変えて成立させてもらいたい。
6月1日の正論に登場したのは中嶋嶺雄(国際教養大学理事長・学長)であるが、
‘国家のあり方を忘れた教其法改正’と題して政府案は一種の言葉遊びで政治的妥協に、公明党への政局的妥協が加わり中教審答申に比べて大きく後退していると嘆いておられる。
‘そして最も重要な争点である「愛国心」との関連でみると、中教審答申は、問題をグローバル化が進めば進むほど、日本人としてのアイデンティティーが重要になるとの前提から展開し’と述べ、そしてここからが重要である。「グローバル化が進展する中で、自らの国や地域の伝統文化について理解を深め、尊重し、郷土や国を愛する心をはぐくむことは、日本人として、これからの国際社会で生きてゆくうえで極めて大切である。」
これが答申であると中嶋氏が述べているが、私はこの視点こそが今の教育に欠けていると思う。愛国心や伝統文化がなぜ必要なのか、それ自体も大切であろうが、それがグローバル化に起因するという視点こそ、これからの教育に特に求められるべきものと考える。ただ愛国心や伝統文化に重きを置く考えであってはならないと思うし、英語教育の必要性もおのずと理解が出来ようというものだ。
中嶋氏は政府案を公明党のイデオロギーに振り回されていると批判し、民主党案をましとしながらも、これからの教育基本法、憲法改正へとまともな議論に発展することを期待されているが、そのためには政界の再編成がぜひ必要なことが明るみにでたとして筆をおかれている。これまでの政界再編はむしろ自民・民主の中でのシャッフルを意味すると私は理解していたが、中嶋氏は自公連立こそに無理が出てきている、修正不可能な状態であると述べており、改めて自公連立の弊害の大きさを知ることにもなった。
幸か不幸か、国会の会期延長はなされず、教育基本法も継続審議になると思うが、是非とも今一度教育の原点に立ち返り、上述のような表現に変えて成立させてもらいたい。