JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

A級戦犯発言から

2005-05-30 03:58:30 | マスメディア
A級戦犯は罪人ではない
森岡政務官の発言が論議を呼んでいます。



戦犯を裁いた極東国際軍事裁判について「一方的な軍事裁判」と批判した。
 森岡氏は、かつて「日本には侵略の意図はなかった」と発言し国土庁長官を辞任した奥野誠亮氏の秘書を経て、衆院議員になったという経緯を持つものであるが、事柄への認識を同じくすることに驚くとともに、不用意な発言をするところまで踏襲することにさらに驚かされる。

 この発言から日本国憲法の問題を考えてみたいと思う。
今回の発言から判断すると森岡氏はおそらく日本国憲法に関して、いわゆる「押し付け憲法」という立場をとるものの一人ではないかと思われる。現在の日本国憲法は戦勝国であるアメリカを中心とするGHQによって無理やりに与えられたものである、それゆえ正当性がないという考え方。近時この押し付け憲法だという主張をしばしば耳にするようになった。公的な場で表明されることも少なくない。以前であれば、現体勢の基盤である憲法を公職にある議員などが否定的に論調で口にすることは即、更迭を意味したが近時はそういうこともない、状況は変わってきたようである。政治的にいえば野党の力が相対的に弱くなっていること、それとともに世論というものの批判力も強くなくなったということにその理由はあるだろう。
世論からの批判力の低下、この変化はどのようにして起こってきたのであろうか。

 押し付け憲法論、このような捉え方は一面正しいという見方もできる。GHQの指導の下起草がされたことは事実であるし、それが当時の日本以外の価値観の体現であったことも事実であろう。ただ、ここでいう日本以外の価値観というものは、当然日本にも充当されるべき価値観であったということは戦後日本の経済的繁栄、そして人権尊重の理念などをすこしずつとはいえ促進、達成してきたことを見れば明らかであると考えられる。

 太平洋戦争時下において抑圧されてきたものを解放するためのシステムとしての新しい憲法はその目的において正当性を持ち、主導主体がいわゆる戦勝国側にあったからといって反故にできるものであるとは考えられない。憲法の主導的作成主体の相違があるという事実としての一面が正しいからといって、正当性がすぐさま疑われるということにはならないと考えるべきであろう。
 
 近時の世論の中でもその正当性について疑義を呈しているものは少ないと考える。近時の改憲機運を支える主張は、概ね世界情勢の変化による日本のとるべき軍事的プレゼンスの問題、社会の変化によって生じてきた新しい人権というようなものへの配慮などを考えあわせ、新たに憲法を作りなおす必要があるのではないかという積極的なアプローチであるように思える。
 このように考えると既存の憲法条文に付け加えていくということが求められていることのように考えられる。
 政治家の憲法に対する否定発言を許容する世論の背景にはこのようなものがあるのだろう。



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