歴史修正主義バージョンを借りてきました。高橋哲哉氏です。
いまよんでいる「戦争責任」とあわせよめばいいようにおもいます。お友達がレジュメを作るとのことなので私もざっとまとめてみようとおもいます。
今日ある人と話していて、「退屈で絶えられないのですが・・・」と吐露したところ、
「質のいいディスカッションがたりないんだね」といってもらい、すこし力が抜けました。
自分で言うのではなく人にいってもらえてよかった。
思考パターンがある形に収斂していて、その方向からでないと場が成立しない。
フロンティアにいるのだろうなとおもいます。
JOHNY
いまよんでいる「戦争責任」とあわせよめばいいようにおもいます。お友達がレジュメを作るとのことなので私もざっとまとめてみようとおもいます。
今日ある人と話していて、「退屈で絶えられないのですが・・・」と吐露したところ、
「質のいいディスカッションがたりないんだね」といってもらい、すこし力が抜けました。
自分で言うのではなく人にいってもらえてよかった。
思考パターンがある形に収斂していて、その方向からでないと場が成立しない。
フロンティアにいるのだろうなとおもいます。
JOHNY
昔、藤原帰一先生が「学者の対話の目的は正確な現実認識の追求や自らの新しい認識の発見にある」と仰ってた。
でもいざ、人と対話してみると、前提の事実認識でのズレや、私の方が説明の不十\分さで、なかなか芳しい結果を出せない。
…でも、質の良いディスクールを生み出すこと自体が難儀なだけで、生み出す努力は欠かせられない。
私も僅か1割でも良い結果出せたら嬉しいし。
何かつかんだという手応えは感じます。
でも同時に自らの無知や認識の甘さも痛感するのです。
突き抜けるには諦めずに不断に努力する事が必要なのか…