JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

はっきりしない愛国心と

2006-02-26 22:13:32 | Book
 戦争以外に愛国心を感じるとき。スポーツのビックイベントがあったりするとなんとなく意識し始める愛国心。ナショナリズムとも言い換えることができるのかもしれない。ちょっと前には「プチナショ」なんて言葉も流行っていました。

 小熊英二の大作「民主と愛国」もナショナリズムの言説分析。

自分が所属している国を応援すること、よくしようと思うこと。これ愛国心のすべてということはできないよね。応援することも、よくしようとすることもその具体的な内容においては幅があるから。どんな行いも愛国的でありナショナリズム的であるといえる。

 次期候補(まったくふさわしくないけれど)といわれる安倍氏なんかは、国を愛する心をもて、とかなり頻繁に言及します。

ここには大きな問題があるように思うのだが。彼には彼の愛国心があり、方法も彼なりの選択をしているということはよくわかった。

しかし、だ。

彼が取りたい方法は私のそれとは違う、他の人のそれとも違うだろう。
すると、問題なのは、自己の方法を他者に強制しようとするところ、ここにあることがわかる。

この強制のあるなしをつかってナショナリズムと愛国心をわかりやすく区別してくれた人がいる。

ジョージ・オウエルだ。
オーウェル評論集

岩波書店

読んでみよっと


 「ナショナリズムと愛国心ははっきり違うのだ。二つの言葉はふつうきわめてあいまいに使われているから、どんな定義を下してみても異論が出るだろうが、ここには二つの異なったというより対立する概念が潜んでいるのであって、両者ははっきり区別しておかねばならない。わたしが「愛国心」と呼ぶのは、特定の場所と特定の生活様式にたいする献身的愛情であって、その場所や生活様式こそ世界一だと信じてはいるが、それを他人にまで押し付けようとは考えないものである。愛国心は、軍事的にも文化的にも、本来防御的なのだ。ところがナショナリズムのほうは権力志向とかたく結びついている。ナショナリストたるものはつねに、より強大の権力、より強大な威信を獲得することを目指す。それも自分のためではなく、個人としての自分を捨て、その中に自分を埋没させる対象として選んだ国家とか、これに類する組織のためなのである。」

 愛国心主義者はこのましくもあるがナショナリストは、ね~ということでしょう。そういう人が次期候補のこの国、日本。
スポーツの応援でいろいろ考えることもあります。


                          JOHNY

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