嗤う日本の「ナショナリズム」日本放送出版協会このアイテムの詳細を見る |
若手の研究者です、なかなかの切れ者ですが、この本に関しては辛口で☆二つ。
タイトルと内容にズレがある感じがします。
連合赤軍に記憶する総括という言葉、80年代消費社会を表した糸井重里、右か左かではなくて、好きならばどっちでもいいというコンセンサスがつくられ、今のネット文化の土台になったという。
著者が育った時間を概観することがそのまま現代のインターネット的メディアを語ることになっている。
北田の総括によれば、今のナショナリズムは、宮台のいう「終わりなき日常を生きろ」からの脱出ワードであり場所であるという。これは人々がもつ共同幻想であるが、日本においては暴走する恐れがあるのではないかという。自由主義や民主主義といった核がこの国にはない。あえて言えば近時、攻撃にさらされることの多い戦後民主主義というものが核であった。
戦後を総括するということの先に何も見えないところが不安であり、ネット上にはその不安しか見えないとする。
冒頭で自己目的化した総括を引き合いに出し現代のナショナリズムとつなげたことは見識であるが、成功しているとは言いがたいように思う。
JOHNY
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