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新聞 論文メモ

2005-02-02 07:54:22 | マスメディア
2005読売新聞 一月一日 社説評
「脱戦後」国家戦略を構築せよ(対応を誤れば日本は衰退する)2005/1/1
新年初めての社説で何が述べられているかによってその新聞が何を目指しているかを推し量ることができるだろう。読売新聞では次の三点を挙げていた。

1戦後民主主義の残滓、憲法の廃棄(主として9条)
2教育基本法の改正、とりわけ愛国心について
3平等偏重からの転換、自己責任へ

いかにも読売新聞らしい内容である。以下ひとつづつに解説を加えてみる。

1戦後民主主義の残滓、憲法の廃棄(主として9条)に関してはソ連崩壊、911、IT革命という雑駁な世界の流動原因を挙げ、それに対応できる体制を作るということでいわゆる戦後民主主義を否定してみせる。その否定論拠は日本国憲法がGHQによって押し付けられたものであるというものと9条2項の「戦力放棄」の非現実性を挙げる。
 
新聞は日本国憲法をどのように捉えるか
 
私見によれば、この国のジャーナリズムは1952年 から再スタートを切ったといえる。第二次大戦を終えてから1947年に日本国憲法が施行されてからも日本は連合国軍に占領されていた。その初期に言論の自由化政策がGHQによって採られた。

「言論及び新聞の自由に関する覚書」9/10
「新聞の政府より分離に関する覚書」9/24
など、
また1947以降は憲法の中で表現の自由が保障されていたが占領下ではGHQ政策に基づく検閲がされていた。
大戦中、国家に戦争協力を強いられ、ある意味主体性をもてなかった新聞社が終戦で主体性を得たと思ったのもつかの間、あらたな権力に屈しなければならないという状況があった。この状況がかわるのが、サンフランシスコ講和条約以降ということである。そのことからこの国のジャーナリズム(新聞)は1952年に再スタートしたということができるのである。このことは同時に日本国憲法もここから再スタートしたということを示唆するのではないだろうか。
 
 この国の新聞ジャーナリズムは日本国憲法とともにあるのである。過去、権力にゆがめられてきた新聞の自由を保障してくれるものが日本国憲法である。この憲法の精神は平和と民主主義を基調としたものであり、新聞はそれを国民とともに保持する役割を担っている。
ゆえに、第九条派中心問題になりえるのである。すなわち、平和と民主主義を維持するために、「戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認」ということが機能的なのか否か。さらにはそこに自衛権という概念があるのかないのかというようなことが考察されなければならないということなのである。

 この考察の部分を市民に提起すべく新聞は積極的に発言、もしくは言論空間をつくるべきなのであるが、この約半世紀それは十分にはされてこなかった。
 
 この点反省し読売新聞は今、新たな試みをしようとしているのであろうか。答えはNOであろう。社説の中に使われる戦後民主主義の残滓という表現からもわかるように、読売新聞社説のいうところは、戦後日本国憲法の下の民主主義の否定である。それは、自らの言論空間作成機能の否定でもある。なぜならば平和を求める民主主義なくして自由な新聞というものは存在できないと思われるからである。
 
 2教育基本法の改正とりわけ愛国心について
近時、世界で活躍するスポーツ選手などの応援風景にでてくる日の丸君が代、そしてここにセットであるかのような「愛国心」。これについて社説では次のように言う。

「愛国心が是か非かなどということが議論の対象になる国など、世界中、どこにあろうか。こんな奇現象が生じるのは『愛国心』と聞けば、反射的に『狭隘な』という形容詞をかぶせたがり『戦前回帰』『軍国主義復活』などとして騒ぎ立てる”守旧”思考が、いまだに一定の勢力を有しているためだ。」

 この論の中でもし同意できるものがあるとすればそれは「愛国心」自体が悪いものではない、ということであるが、他は論理のすり替えであり同意できない。社説が指摘する狭隘、戦前回帰というような形容詞を使いたがる人たちが言おうとしているのは、「愛国心」がなにものかによって(多くは国家であるが)個人に強制されること、その態様について異議を提起しているのである。これは人間の精神活動に重きをおき、そこに生ずる思想を国家からの自由として確保しようとする近代憲法の考え方といえる。
 これを言論の自由をはじめ、個人の自由の不可侵性を明らかにしたJ・Sミルの著『自由論』にみれば次のような記述がある。

 「政府が国民に対して完全に責任を負っていると否とを問わず、意見の発表を統制しようと企てる場合がしばしばあるとは、危惧するに及ばないのは立憲諸国においてである。但し、政府自らが、公衆全体の不寛容の傀儡となって、意見の発表を統制しようとする場合は別である。それ故に、われわれは、政府が完全に国民と一体であって、従って、国民の声と考えられるものと一致しない限りは、いかなる強制権をも行使することを欲しない」とする。近代の立憲諸国においては政府による言論、思想統制のごときものはゆるされないというのである。また仮に統制をしようとする世論がありそれに添った形で政府がそれを行使しようとした場合もそれは害悪であるとする。その行為は「世論に反対して行使される場合と同様に有害であり、あるいは、それ以上に有害である」というのである。その後に述べられているものも近代憲法の理念の基盤となるものといえるので引用する。「仮に一人を除く全人類が同一の意見をもち、唯一人が反対の意見を抱いていると仮定しても、人類がその一人を沈黙させることの不当であろうことは、仮にその一人が全人類を沈黙させうる権力を持っていて、それをあえてすることが不当であるのと異ならない」とする。このことによって守られるものは人類の利益だという。すなわち、一人を沈黙させることは現代、後世に渡り、もしかしたら真理であったかもしれないことを採る可能性の放棄になるのである。
 ここからいえることは、社説の言うところの愛国心に対する議論の否定は過去から未来へ通してすべての時間における、真理探究の否定ということができるであろう。また、愛国心、を国家の強制力をもって個人に押し付けようとしたときそれは害悪でしかない。国家の強制力を伴った愛国心の出現は、愛国心そのものを歪めていくことになるのである。

3平等偏重からの転換、自己責任へ
社説は 平等の偏重は「戦後民主主義」を培養したニューディーラー左派によるものだという。彼らによって創られた税制は個人所得に対する重度の累進課税であり「平等」思考体系だという。つづけて西欧諸国の消費税の税率の高さをあげそれによって社会保障制度は維持されているということをあげる。ここで社説がいうのは重度の累進課税に苦しむ個人と消費税率が低いため社会保障制度が成り立たない日本ということであり、その元凶が「戦後民主主義」による平等思考であり、ここには「自由」に伴う自己責任の感覚がないという。

 憲法中の平等という概念

 平等が要請される背景には個人の尊厳という価値観がある。これは西欧の市民革命を経て手にされたものであり、数々の思想家によって記されたものでもある。『社会契約論』のルソー、『リバイアサン』のホッブス、『国政二論』のロックがその代表格といえよう。その思想は1776年のアメリカ独立宣言や1789フランス人権宣言へと結実していく。ここで確認されたことは身分制社会の解体であり、自由な諸個人からなる社会の創生ということであった。ここに近代立憲主義の成立を見るのである。近代立憲主義の下で個人は解放され、人一般としての権利を手に入れたのである。すなわち人権というものの存在が浮かび上がることになった。
個人の尊厳、人権という観念は諸個人の平等を要請する。この要請が明らかにされているものに戦後作られた日本国憲法がある。憲法14条にある 法の下の平等は、その端的な例である。そしてここで平等の意味が問題となる。ひとつは絶対的平等という考え方でありそこでは法適用、法内容においての平等が求められる。もうひとつの考え方は相対的平等であり、具体事項に存在する事実上の差異を考慮することを求めるものである。どちらの考え方を採るべきかはどのように決めるべきなのだろうか。おもうに近代憲法が求めたものが個人の解放であり、そこに自由な個人の存在を認め権利を確認したことにかんがみれば、その基準となるべきは、個人の尊厳の確保、人権の尊重のために、ということに求められるべきであろう。

この平等の体現をしてきたのが「戦後民主主義」であると一般的には考えられる。読売新聞社説はこのあり方を否定し、同時に自己責任ということを強調する。自己責任なき平等は好ましくないというわけである。一見この物言いは正しいように受け取れる。
“近代以後、自由を権利として持った個人は、何をしようと、それは個人の選択に任せられるべきである。同時にその結果については個人が責任を持つということにする ”
単純にこの論理を社会に適応すれば確かに自己責任という言葉が出てくるだろう。しかしそこにはある前提がなければならない。
再びJ・S ミル 自由論に照らしてみる。
P151 社会の保護を受けているものは、その恩恵に対して報いる義務があるといい、各人はすべての他者に対し一定の行為の軌道を守らなければならないとする。言い換えると権利とみなされなくてはならない一定の利益を害しない義務があるというのである。これはおよそ人の行為は他者に何らかの影響を与えることになるからその範囲で責任を問われることがあるということである。しかしそこには条件が必要とされる。
“その行為を為しまたその行為の結果に対して責任をとる完全な自由―法律的社会的自由―が存在しなくてはならない”とミルは言う。
 
近代立憲主義の国によってもたらされた日本の「戦後民主主義」が求めた平等思想はミルのいう責任をとるための前提となる完全な自由をもたらそうとしたものであると考えるのが妥当ではないだろうか。個々具体的な事例の中で自己責任というものが問われる必要があることは認められるが、それを性急に一般化し社会の常識であるという結論付けをし、そこから戦後民主主義を攻撃するという論調は、発行部数1000万部を誇る新聞のものとは思えない。
社説の締めくくりは国家100年の計が問われているとして、「戦後」の思考様式を払拭し国家活力維持の戦略的対応を、といっている。
社説にそった方向性がとられたとき一体何が残るのだろうか。言い換ええれば自由と平等を捨てるという思考の上にどのような社会ができるのかということである。新聞というものがその世界で生きながらえていけるのかも疑問である。

戦後60年を迎える年の元旦の新聞社説に自らの基盤を揺るがすような論調を載せられること。このことは、60年前の出来事は遠いということを表しているのでしょう。個人のレベルでは過去を忘れるなと強く思う人たちがいる一方、組織はそれよりも早く過去を忘却していくということかもしれない。社会の木鐸としての新聞とは遥かむかしのことになってしまったのかという危惧を抱いている。


参照文献
JSミル 『自由論』塩尻公明 木村健康訳 岩波文庫
佐伯啓思『自由とは何か』講談社現代新書
樋口陽一『憲法』創文社        

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