ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

バパの魂(jiwa)あるいはロホの概念・/2 物質の魂(物質力)-3

2016-08-26 | 日記

バパの観点は(それは今までの引用から明らかであろうが)イスラムの観点というよりもアニミズムの観点により近いと言えそうです。

そして、汎神論のチャンピオンであるイブン・アル・アラビー(1165- 1240)(注1)でさえも、断固として物質や材料内部の魂の存在を信じていません。<--リンク

だからと言って、バパの見解はインドネシアでは一般的であるアニミズム的観点と同じかといえば、それらに対しても非常に異なっています。(注3

というのも、物質にも魂が宿ると信じている者達は、通常は犠牲をささげ礼拝することによってそのような存在を喜ばせ説得しようとするのであります。
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一方バパは物質内部の魂の存在を信じているにもかかわらず、これらの魂を崇拝する事を彼の弟子たちに禁止します。

そして反対に、それらの魂がバパには人間の情熱の主なゼンマイ(動力源:訳注)であると見えているので、「ラティハンに従う者達はそれらの魂を適切に制御するように」と主張しています。
・・・・・

我々は以前にも、この様な概念はイスラム教の基礎を持っているようには見えないということを指摘しているが(注4)、しかし我々は「すべての賢明なものが ruh(ルーフ)を持つ」という見方をする少なくとも二人の著名なスーフィーを知っています。

アブドルKarfmアルJilani(Abd al-Karfm al-Jilani (al-Jilly))(1366-1424)は彼の本(アル・インサン アル・カミル al-Insan al-Kamil)の中で言います、<--リンク

すべての賢明なものは、創造されたルーフ(ruh)を持っており、それによってその形態(surah)が存在し、そしてその形態のルーフ(ruh)は言葉(lafz)の意味(ma'na)の様なものです。

ーー訳注:ma'na マナ ー>原始宗教に広くみられる、超自然的で畏敬 (いけい) の対象となる非人格的な力。生物・無生物を問わず転移・伝染して力を発揮するとされる。(注3


またシャムスディン パサイ(Shamsuddin Pasai)(?-1630)(注2)はほぼ正確にバパが使う魂についての専門用語と一致する魂の一連の用語を説明しています。

シャムスディン パサイ(Shamsuddin Pasai)は言う、「神への道を示す以外の目的を持っていない専門用語の長いシリーズがあります。」

すなわち、Ruh idofi(イドフィ)はムハンマドの魂(haqiqa= njawa)です。

Ruh rohani(ロハ二)はムハンマドの身体の本質です。

Ruh Djusmani(ジャスマニ)は、人体の本質です。

Ruh hajawani(ハジャワニ)は、動物の体の本質です。

Ruh Nabati(ナバティ)は、植物の体の本質です。

そして、Ruh Djamadi(ジャマディ)は、不動体(自分では動かない物)の本質です。

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このような比較から、バパは「自分の枠組みにアニミズムの教義と呼ばれるようなものを導入し、そのためにシルクを犯した」と簡単に非難することができる、ただ一人のムスリムではない事は明らかです。

引用注:シルクを犯すーー>イスラム教ではアッラー以外のものを崇拝するという、偶像崇拝や多神崇拝の罪の事をさします。
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物質力はここまで、英文はこちらを参照願います。<--リンク


注1イブン・アル・アラビー (Ibn al-'Arabi)(1165年7月25日- 1240年11月8日)<--リンク

アラブの アンダルシア地方 イスラムの学者 、 スーフィーの 神秘的な詩人 、そして哲学者 。

彼は幾人かの実務家によってスーフィズム 「最大のマスター」として、また、本物の聖人として有名である。


「ゼロからの世界の創造」を示す5段階のレベルをもつ「存在一性論」を唱える。

それは「世界は唯一神からの流出である」という汎神論でもありました。

詳細は「イスラーム哲学の原像 井筒俊彦 岩波新書」を参照願います。

参考:ロホとナフスの物語(その3、7つのロホ)<--リンク

このイブン・アル・アラビー の世界のとらえ方、「存在一性論」が基礎となり、そこから下記シャムスディン パサイも含めて初期のイスラムの教師達が教え広めた「マルタバト・トゥジュ( Martabat Tujuh )」が派生し、そうして発展しながらインドネシア国内に拡散していくのでありました。<--リンク


注2シャムスディン パサイ(Shamsuddin Pasai)(?-1630 年)<--リンク

王国の支配者に関連する4つの最も著名な聖職者の一人。

イブン・アル・アラビーの思想を発展させたマルタバト・トゥジュ( Martabat Tujuh )の教えをアチェで教えた。<--リンク

彼が影響を与え、17世紀およびそれ以前の数十年の範囲内のアチェにおけるイスラム知的の形成と発展の歴史の中で大きな役割を果たしました。

アチェ州
サムドラ・パサイ王国やアチェ王国の時代からイスラーム教学の拠点としての歴史があり、インドネシアの中でもイスラーム信仰が強い地域である。


以下、シャムスディン パサイの用語 と バパが使った用語の比較です。

Ruh idofi(イドフィ)はムハンマドの魂(haqiqa= njawa)です。<ーー>Roh ilofi(イロフィ)諸生命力の王。

Ruh rohani(ロハ二)はムハンマドの身体の本質です。<ーー>Roh rohani, 聖者の生命力。(perfect man or Insan Kamil)

Ruh Djusmani(ジャスマニ)は、人体の本質です。<ーー>Roh jasmani, 人間の生命力。

Ruh hajawani(ハジャワニ)は、動物の体の本質です。<ーー>Roh hewani(へワ二)動物の生命力。

Ruh Nabati(ナバティ)は、植物の体の本質です。<ーー>Roh Nabati, 植物の生命力。

Ruh Djamadi(ジャマディ)は、不動体(自分では動かない物)の本質です。<ーー>Roh Rewani(レワ二、ライワニ), 物質の生命力


注3)ma'na マナ:日本人になじみのあるのは、お寺や神社からもらう「お札」や「お守り」であり、それはまさにそのような「霊力がものに込められていること」を期待したものであります。

またインドネシアではクリスと呼ばれる短剣がそのような「霊力をもつお守り」として認められており、あるいは「お札」に相当するものがラジャと呼ばれる「紙に書かれた霊力をもつとされる模様」であるように思われます。


(注4)物質の内部に魂、あるいはある種の生命力が存在するという考え方は基本的にはアニミズムのものでありましょう。

イスラムの中にはそのような考え方は存在せず、そうしてスーフィーズムの中においてでさえまれなものであります。

そうして、バパの指摘の独創的な事は「古くからあるアニミズム的なもの」としての物質の魂、あるいは物質の中にある生命力、を主張したのではなく、物質と人の頭脳が相互作用をする、物質と人の思考が結び付いている、という事を主張した点にあります。

この事実が人が宇宙を、そうして自分の周りの環境を理解できることに結び付き、そうして科学上の発見と発明に結び付きました。

その結果が今日のものすごい物質文明の到来であります。

つまり、本当に今日的なテーマとして「物の魂、物質力というもの」を再定義しなおしたのがバパなのでありました。

そうして、Kafrawiさんのこの「THE PATH OF SUBUD」は全般的によくまとまっており、大変に参考になるのでありますが、「何故にバパがこのタイミングで物質力をもってきたのか」という点についてはさすがに推察するまでには至らなかった模様であります。

追伸
ジャワイスラムの9つのロホの中の9番目に Roh Rewaniがあるのでは?」という質問がありそうです。<--リンク

確かに Roh Rewaniという名称は使われていますが、その働きはバパが説明しているものとは基本的に異なり、「人の脳をコントロールして、人の目を覚ましておくもの、意識を覚醒させておく働き」というのがメインの様です。

そしてバパが主張されている「物質と頭脳を結び付ける働き」についてはジャワイスラムの中では言及はなさそうです。

そういう訳で、結局バパは「Roh Rewaniという名称を借りて物質力を説明した」、ということになりそうです。

追伸
物質力の性質、働き、ナフスとの関係については以下の様な記事もあります。
・スシラ ブディ ダルマ・2章 物質力の性質と働き<--リンク
・スシラ ブディ ダルマ・2章 物質力とナフスamarah<--リンク

以上、原典はこちら、THE PATH OF SUBUD (1969) Author: Drs Kafrawi : Kafrawi McGill University Montreal.<-- Link

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「バパの魂(jiwa)あるいはロホ(Roh)の概念」一覧にはこちらから入れます。<--リンク


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