ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

月をさす指

1958-07-07 | 日記

ラティハンの説明にはバパや私のトークを引用してください。

ご自分の体験や理解を話さないで下さい。

聞く人が混乱しますから。


これ、2代目の我々への注意事項です。

バパのトークや自分の説明の正統性を主張したい気持ちは
よくわかりますが、現実には無理ですね。

それに我々はテープレコーダーじゃありませんものね。


そして所詮言葉によるラティハンの説明などはもともと無理なものです。

まるで畳の上で水泳の練習をするようなものです。

それではいつまでたっても泳げません。

それと同じでラティハンの説明などいくら聞いたってそれは誤解しか
生みません。


言葉に乗せて相手に伝えるものではないからです。

耳から頭に入って理解できるものではないからですね。

内部で受けて運動の形で外部に現れる。

そしてその内容を頭で理解できるのはずうっと先の話です。


言葉による説明やらバパのトークやらは「月をさす指」です。

いくら指をみつめても、指を理解しても月は見えません。

月を見るには「回れ右」をして顔を上にあげるのです。

そうやってこそ天空に浮かぶ月が見えるのです。


簡単な事ですね。

「回れ右」をすればいいのです。

でも「指が大事だ」と思ってる限りは「回れ右」はできません。

そしてすべて言葉による説明は「指が大事」と誤解されます。


「回れ右」はラティハンを受けることです。

そうやって最初に月を見てしまうのです。

それからバパのトークを読むのです。

そうすれば少なくとも「指が大事だ」などというへんな誤解は
しなくても済みますからね。


12BDO5.12(バンドン)



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