ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

スシラ ブディ ダルマ・2章 物質力-1

2016-09-24 | 日記

物質は地球上においては、原子レベルではその姿を自ら変える事は稀なことであります。

そのような、自ら変わる性質をもつ物質は放射性同位元素とよばれており、ウラニウムは人類にとって有用であるために特によく知られている放射性物質になりました。

放射性でない物質は地球の寿命とほぼ同じ程度のあと50億年ほどは安定して地球を形造ります。

しかしながら、今から50億年ほど経過すると太陽が巨大化しそのために地球は太陽に飲み込まれてしまうでしょう。<--リンク

地球を構成していた物質はそこでばらばらに分解され、ガス化します。

さて、そういう訳で地球の寿命の残りはあと50億年ほどであります。


そうして地球上での我々人間の肉眼で確認しやすい物質の変化といえば、「化学による物質合成」でありましょう。

たとえばプラスチック製品、合成繊維、洗濯用洗剤、塗料、などなど化学合成された物質で世の中は満たされております。

これらは皆、物質の持つ化学的な活性を人間が理解し生活に役立つように応用した結果であります。

そうしてそれらは皆、一見死んでいて動かない様に見えている物質の内部に活発な運動が、あるいは相互作用が存在している事を示しているのであります。

それらの運動・相互作用は速すぎて、あるいは小さすぎて人間の肉眼では捉えることはできませんが、物質力の「物質を理解し使いこなす」という力を使って人間はそのような運動を理解してきました。

そうしてさまざまな人工物を作り出していったのであります。


話が少々飛びますが、物質力の上の存在は植物力であります。

この力によって、地球上にはじめて生命がもたらされました。

その結果が植物の誕生です。

さてこの植物というものは、外部に存在するエネルギーを使って独自の方法で化学合成をおこないます。(注1)


そうやって、自分の体を構成する高分子を生み出しています。

そうではありますが、そのような化学合成が行える基本は物質そのものがもつ内部運動による化学活性が存在するからなのです。

そのように考えますと、上位の生命力はその下の生命力の活性状態を有効に使って、それとは質の異なる、上位の生命力の存在状態を作り出している様に見えます。

そうしてそのような階段状に進化・向上していくという構造が生命力の階層間の基本的な構造であるとするならば、人間力を超える次のレベルでも当然そうなっているように推測されるのであります。

(つまりは我々の意識状態というものは、我々が通常の日常生活で持っている様な、使っている様な、個人的な個別意識、エゴ(自己関心、自己利益重視)、あるいはパーソナリティというようなものを超えた意識状態に到達するのが次のステージの必然であるように思われるのであります。:注4


ところで我々人類の特徴を「物質力を使って人工物を作り出す種族である」と考える事ができます。

その場合、250万年~180万年まえあたりからそのような「人工物を作り出す」という兆候が見られ始めます。<--リンク

きりのいい所で、人類が人工物を作り始めたのは200万年前としましょうか。

その時点で明らかに人は自然を理解し、それに手を加え始めた、言いかえれば意識的に物質力を使い始めたのであります。

つまりは人は動物から人間へと変わった、それまでは人間の中には主に動物力までの力が働いていましたが、それ以降は同じ物質力ではありますが、人間が存在することになってようやく働き始めることができる部分の物質力を使い始めたのであります。

言い方をかえますれば、人間力の登場によって人は動物から人間になり、そうして次第に物質力のもつ2番目の相の力、自然を理解し、それに人の手を加えて人工的な何かを作り出す、ということを始めたのであります。

さて、そのように考えるとすれば、「アダムが地上暮らしを始めた、その時に4つの諸力が与えられた、」という話で象徴されているイベントは約200万年前ということになりそうです。(注2


この時以降、特に物質力の人によって、あるいは人の頭脳の働きによって、あるいはハートとマインドによって、活性化される部分が発揮する力が人の特徴となり、やがては人類の文明の爆発的な展開につながっていくのでありました。

特に2万年から現代にまでつながる文明の展開はこの力なしでは起こり得なかったでありましょう。

ちなみに日本の縄文文化のスタートは1万5千年前と言われています。<--リンク


この物質力を活性化させて使うという事は、逆に言いますれば、我々の頭脳が物質力によって刺激され、活性化されている、、、ということでもあります。<--リンク

つまり物質力と人の頭脳、思考力は非常に相性がいいのです。

いや、相性がいい、、、どころではなく、「もはや過剰に良すぎる、というレベルに来ている。」、その結果「人間に指導されるべき物質力が逆に人間を支配している」、というのがバパの主張であります。


宇宙が始まり展開してきたのは、まさに物質が始まり展開してきた、物質の、そうしてまた物質力の歴史そのものであります。

そうして、この物質と言うものがなければ宇宙は存在せず、銀河もなく、地球もなかったでありましょう。

ましてや、人類の歴史などというものはあるはずもなく、それらすべてが物質によるものなのであります。


他方で、バパによれば、生命力の階層のなかで物質力はベースになるものでありますが、その位置は一番低いところにあります。

そして、その物質力を基盤として植物力が存在し、動物力が存在し、最後に人間力に至るのがこの3次元世界の決まりであります。

そうして、この4つの諸力はアダムという主人公によって使われるものでなくてはならない、ここで言うアダムとは本来の人を象徴する存在でありますが、「4つの諸力のうちのどれか一つが主人公の座にすわっているのではだめですよ」、とバパは主張しているのであります。

そのような観点から、「現代では多くの人が主人公の座に物質力を座らせているようだ」、とバパは警告しています。

それでは本来の主人公はどうなっているかと言いますれば、物質力によって活性化した思考力やら意志力やら欲望によってぐるぐる巻きにされ、部屋の隅に放置されている、、、そんな状況の様です。

あるいは物質力の威力に目がくらみ、または物質力の魅力にとらわれてしまい、我をわすれた状態、本来の自分がお留守の状態ともいえますか。

(ちなみに物質力と人の頭脳、思考力との関係、相互作用について、このような観点で説明をされたのは、私が知る限りではバパが初めてであるように思われます。:注3)<--リンク


このような状況は当然、改善されなくてはいけません。

そうして、そのための手段、方法がラティハンであります。

物質力をいやがったり、さげすんだりする必要はありません。

もともと「生活に役だつように上手に使え」といって手渡された存在であります。<--リンク

ですから、うまく使えばいいのです。

ただし、物質力に酔っぱらっていてはいけません。

主人公はあくまで目を覚ましている事が求められているのであります。


(注1)木星の衛星エウロパの場合<--リンク

エネルギー源は熱であります。

そうして、水と多様な鉱物があれば生命誕生の可能性がある、、、とそのようにNASAは考えているのであります。


注2)アダムがいつごろから地上で暮らし始めたか?

ユダヤ民族の始まりをアダムとするのであれば、今から5000年ほど前ということになりそうです。(聖書より)

そうして、上記の200万年と5000年ではそれこそ「桁違いな話」になってしまいます。


あるいは、バパによれば700万年前にも地上には人類がいたとされています。(77・11・1 リマ)

そして地球史年表によれば650万年頃にヒト族とゴリラ族が分岐した様であります。<--リンク

そうでありますれば、バパの主張とWikiの主張はほぼ同じ様にみえます。

ただし300万年前のルーシーの姿からしますれば、人類といいましてもそれは現在の我々の姿からはかなり離れていたものと思われます。<--リンク


(注3)物質力の不思議

この宇宙で最も理解できないのは、それが理解できるということだ。」 アインシュタイン<--リンク

このアインシュタインのコトバが物質力の不思議を言い当てています。

我々は自然が、宇宙が理解できることをとりたてて「不思議だ」とは感じません。

生得的にそのような能力を持っている為に、「当然のことである」と感じているのです。

そうして、アインシュタインほどの思索の人でなければこの不思議さには思いが至らないのであります。


このアインシュタインの質問に対してバパは次のように答えるでありましょう。

「それは人間に思考力と物質力が与えられているからである」と。


アインシュタインの質問を今風に言いなおしますと「AI(人工知能)は自然を理解できるか?そうして発見と発明ができるのか?」というものになります。

このAIに対する質問の答えはいまだに出ておりません。

しかしながら、AIは思考は可能でありますが、物質力を使う事は出来ないと思われますので、バパの答えは「NO」となるものと思われます。

(注4)
次のロハ二(Rohani)のステージには、何かの影響を受けて到達できる、、、というものではなさそうです。

ラティハンによって内部感覚が浄化され、整理され、そうしてロハ二の段階の生命力が入ってこれるぐらいの十分な広さが内部感覚に準備されてようやくそのようになるかと思われます。

そうして、その結果はと言いますれば、「生死の問題にけりがついた人の誕生」になるものと思われます。

PS
もともと4つの諸力は「地上の生活に役だつように上手に使え」といって手渡された存在であります。

そうでありますれば、地上での人間の生活全般(仕事、家事、エンタプライズなど)にこれらの諸力がかかわり合いを持つ事は当然の成り行きです。

そしてその時のキーワードは「人間の存在」です。

我々の存在を通じてこれらの諸力が働き、その結果登場してきたのが我々の文化と社会でありましょう。

以下個人的な分類になりますが、各カテゴリーと諸力の関係を示します。

人間力:人間への理解ーー>社会、政治、法律、文化、宗教、芸術、教育、知識欲、結婚、福祉と争いごと(戦争)、ムトマイナー(nafsu mutmina)

動物力:動物への理解ーー>牧畜、酪農、漁業、動物との暮らし、種族保存本能、共存と食物としての利用、スピアー(nafsu supia)

植物力:植物への理解ーー>農業、林業、園芸、植物との暮らし、共存と食物、食欲、生活材料としての利用(衣、住)、アルアマー(nafsu aluama)

物質力:物質への理解ーー>宇宙、地球の理解ーー>科学、技術、商工業、医療、金融、そうして経済発展と貧富の格差、金銭欲、地球温暖化、アマラー(nafsu amarah)


いずれの項目も人間の存在を抜きにしては考える事ができません。

そういう意味では、人間力の存在によって人間が登場し、そして登場した人間によってこれら4つの諸力が有効に使われてきたという事ができます。

そうではありますが、残念ながら時代は混迷を深めております。

これはバパに言わせれば、「4つの諸力を使うべき主人としての人間が、本来のあるべき立場を忘れたためである」と言う事になりそうです。

さてそういう訳で「スシラ ブディ ダルマ」の記述はそのような混迷の時代である「現代:1950年代のジャワ」から始まるのでありました。

PS
バパのトークで気をつけなければいけない点、それはナフスを上げる順序です。

物質力にはアマラー(nafsu amarah:赤)が、そうして植物力にはアルアマー(nafsu aluama:黒)がいつも対応しています。

ですので4つの諸力の順番にならべる場合は1、アマラーamarahーー>2、アルアマーaluama ・・・となります。
(70・12・5、72・11・3、85・6・25、85・7・2 etc)

しかしながら単にナフスの事を述べる場合(諸力との関係を言わない場合)はインドネシアの伝統にそった順番になります。

つまり1、アルアマーー>2、アマラー ・・・と順序が逆転するのでありました。
(57・9・29、59・8・6、59・8・7、63・9・13、81・6・18 etc)

そうして、二代目の並べ方は常に後者であります。
(99・12・16、01・7・12、02・2・28、02・3・3、03・2・14 etc)


そういえば2代目のトークではスシラ ブディ ダルマであつかわれている物質力から始まる4つの諸力についての言及がほとんど無いようであります。

そうして、この4つの諸力を介して我々は世界と、社会と、文化と、人々と相互作用をするものでありますれば、この事に注目しないということと、2代目の内向きの態度と言うものの間にはなにやら関係がありそうな気がいたします。(16.10.1)


PS
少々先走った話で恐縮なのでありますが、諸力がどのようにして我々に影響を与えるのか、その経路について。

物質力は見る、聞く、触るという3つの感覚器官が主な入口の様です。

つまりは我々が眠りから目覚めて、部屋の中を認識する、目覚めを意識したとたんに働き始める様です。

そうして、再び眠りに落ち込むまでその状態が続きます。

それゆえにバパが主張されているように、この世に目覚めて存在しているだけで、特に何をする訳でなくともすでに物質の世界におり、そうして人里離れた山の上、あるいは森の奥に行こうとも物質力の影響を受けるのであります。


植物力と動物力は通常は「飲み食いする」つまりは食事という行為に結びついています。

これは実際に「食べ物を体の中に取り込み消化、吸収する」行為になります。

そうして、その際に働く感覚は主に視覚、味覚、臭覚、そうして触覚(歯ざわり、舌触り、のどごしの感じ、胃の中での感覚など)でありましょう。

その上で個人的な経験を付け加えますれば、消化、吸収の過程でも人に対しての一定の影響力を持ちそうです。


そうして人間力は人と人が出会う事、関係し合う事でお互いに影響を与え、そして受取ります。

ここでは見る、聞く、触る、そうして臭覚と味覚、そういう意味では基本となる5つの感覚すべてが総動員される事になる訳であります。

・・・とまあ、そういうことになっている様です。
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