ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

ラティハンの感触

2014-03-24 | 日記
本来は無色透明なものとして現れたはずのラティハン。

浄化を引き起こす力として現れました。

でも最初に受けた人は特定の宗教の熱心な信者さん。

そうなるとどうしても無色透明なものに色がついてしまいます。


いや、ラティハンには色はつきません。

でも説明やら解釈やら世界観には色がつきますね。

そうしてその色になじめない人はラティハンを受けることができなくなります。


無限の存在に対してさえ名前を付けたがるのが人間の性(さが)です。

名前というのはあれとこれを区別するためのものですからね。

そうしてそうやって区別を組み立てる事を我々は「思考」と呼んで好んでいます。

おかげで「お前のあれは私のこれより劣る」と。

そういう言い争いができる訳です。


ラティハンはそんなものとは一切関係がありません。

無色透明。

味も匂いもありません。

ですからどなたでも受けることができるのです。


ごたごたを横においてラティハンにすべてをまかせる。

はい、たったこれだけのことなんですけれどもねえ。