ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

矛盾していますよ

1957-09-21 | 日記
地球上には「唯一全能の神」に信仰をもつグループがたくさんありますね。

アブラハムの宗教といわれるユダヤ教、キリスト教、イスラム教はその
代表例でしょうか。


ここにあるグループの人達がいたとします。

その人たちは「唯一全能の神」に信仰を持っていますが、「自分たちの
グループは宗教ではない。」と言ったとします。

でもそこに入る新しい仲間はみんなの前で信仰を宣誓しなくてはいけません。


さて、普通世間ではそのような人達のグループは「宗教団体」と呼びますね。

それで少しも困りません。

自分たちの宗教に誇りを持っていますからね。

むしろ「人として当然でしょう。」というところでしょうか。


でもその人たちは「自分たちは宗教ではない。」といいます。

どうしてでしょうね?

何か下心でもあるのでしょうか?

「何故」って、これは本当に混乱した理解に苦しむ状況をつくる事になりますからね。

・・・・

2012.12.30

PS
59LON8.1(ロンドン)
アブラハムの宗教がお気に入りの模様です。

PS
宗教団体とほとんど同じことを言ったりやったりしていれば
世間では「それは宗教だ」といいますね。

当事者が「いや、宗教ではない」と一言コトバで言えば
宗教でなくなる、、、と言うような訳にはいきません。


我々もコトバよりも行動をみてその人がどういう人か
判断します。

同じように人々は我々のコトバよりも行動をみて判断する。

これはバパに言われるまでもなく、当然のことでありますね。


PS
協会のルールでは上記の「信仰の踏み絵」が入会の条件になっています。

でも「信仰の自由」は保障されなければいけません。

「我々は宗教ではない」と主張しているのですから当然の事でありますね。

でもなぜかこの事にはルールを作る皆さんには思いが至らない様であります。

本当に不思議な事でありますね。


PS
日本で「唯一神への信仰」という教義を広めたいのなら宗教団体を名乗るのがまっとうなあり方でありましょう。

「一般社団法人を名乗りながら教義を広める」、、、というのでは「団体の誠実さ」が疑われても言い訳ができませんね。

ちなみに「唯一神への信仰」で「魂がサルベーション(救済)される」とするのはアブラハムの宗教では「基本中の基本」となる話であります。

PS
協会が「我々は宗教ではない。」というならば「しかしながら、神への信仰が必要だ」などという事は言うべきことではないでしょう。

それは結局のところ、「我々は宗教ではないが、宗教だ」と言っていることと同じことになるからです。

そうして「神を信じているが、これは宗教ではない。なぜならば、教義がないからである。」などという理屈は到底世間で通用するものとは思えませんね。

少なくともこの日本という国では、そんな説明をされても誰にも理解されないことでしょう。

しかしながらラティハンを受けて見れば「ああなるほど」となるものであります。

それゆえにバパは「体験が先、説明は後」と言われたのでありました。

PS
ラティハンというのはインドネシアが発祥の地であります。

そうであれば、彼の地では常識とされる考え方が協会の中に入り込むのは、まあ致し方ない事でありましょう。

しかしながら、我々インドネシア以外の国の住民は「それはインドネシアでしか通用しない、ローカルな考え方である」という事をしっかりと認識しておく必要があります。

さて、通常我々は「神を信仰している」という人については「その人は宗教を持っている」と見なします。

そうしてそのような判断はたいていの国では妥当なものでありましょう。

しかしながらインドネシアでは状況が異なっています。

なにせ全ての国民は「唯一の神を信仰する事」が憲法の序文で求められているのですから。<--リンク

そうして「宗教」の定義も国によって定められています。

スラム、プロテスタント、カトリック、仏教、ヒンドゥー教、儒教に属する宗派のみが「宗教」とされます。<--リンク

それ以外の「唯一の神を信仰する者達、グループ」はクバティナン(信仰団体)と呼ばれて別の扱いをされています。

ちなみにインドネシア以外の国々では、これらのクバティナン(信仰団体)に相当するグループは「宗教」あるいは「新宗教」として認識されています。


さて、以上の様に宗教と信仰をとらえるのがインドネシアの常識であります。

そうでありますので、インドネシアにおいては「唯一の神を信仰します。」という宣誓は「私はインドネシアの国民です」と言っているのと同じで、誰にとっても何の抵抗もないものなのであります。

さて、所変われば、常識も変わります。

インドネシア以外の国では「唯一の神を信仰します」というのは「信仰告白」とみなされ、その方は「アブラハムの宗教」を自分の宗教として信仰している事を示すものになるのであります。

さてこれほどの認識のギャップが発生しているにも関わらず、世界中のどこの国でも「唯一の神を信仰します」と言わせようとする協会のスタンスは本当におかしな、グローバルでない、ローカルスタンスそのものなのであります。

(注:インドネシアにおいては「唯一の神」は「Tuhan Yang Maha Esa」と書かれ、それはアブラハムの宗教の神を含みますがそれに限定されません。
それゆえにインドネシアではパンチャシラ Pancasilaの下、「全ての宗教は唯一神への信仰をしている」とすることが出来るのです。<--リンク)

PS
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