源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

重衡生捕(しげひらいけどり)

2006-02-15 02:02:45 | 一の谷の合戦

【 平家物語 重衡生捕 】

本三位中将重衡は生田の森の副将軍であったが、軍勢は皆逃げ主従2人になられた。源氏の梶原源太景季(げんたかげすえ)と四郎高家(たかいえ)は、重衡を見つけ追っかけた。

重衡は、後ろから敵が追ってくるので、湊川、刈藻川(かるも)を渡り、蓮の池を右手に見て、駒の林を左手に、板宿、須磨も通り過ぎ、西に向かって逃げた。追っての源太景季は、追いつかないので弓を放ったら重衡の馬の三頭(さうつ)に当たった。家来の後藤兵衛盛長は、重衡の馬が弱ってきたのを見て、鎧につけていた平家の赤印を捨て逃げてしまった。

重衡は、もう最後と思い馬から下りて兜をぬぎ、腹を切ろうとなさった。そこに、四郎高家がかけつけ、
「それはいけません」と自分の馬に乗せて味方の陣に帰っていった。

後藤兵衛盛長は、逃げ延びた。重衡の乳母子(めのとご)であったので、上京したさいに「恥知らずの
盛長よ。重衡と一緒に死にもせず」と非難されたので、扇で顔を隠したと言うことである。

※・三頭とは、馬の尻のほう。
・重衡の逃げた地名は今も残っており東の砦:生田の森から海岸沿いに西の砦: 一の谷近くまで来た。