新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ

全国紙の元記者・中村仁がジャーナリストの経験を生かしたブログ
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人質事件 敵を利する過剰報道

2015年01月31日 | メディア論

   過激派の狙いにはまるな

                         2015年1月31日

 

  イスラム過激派組織「イスラム国」による人質拘束事件は、1月末現在、ぱたっと進展が止まったかのようです。日本のメディアはこの10日間、連日、大量の紙面、時間を割いて報道を続けています。今朝も、新しい材料はないのに、主だった新聞は1面、社会面、国際面などを事件の記事で埋め尽くしていました。テレビも同様です。メディアの意図とは別に、過剰報道は相手の巧妙な宣伝に手を貸す結果を招き、かれらの狙いにはまっているのではないか、という声も聞かれるようになりました。

 

 大事件、大災害が起きると、日本のメディは怒涛のように情報を流し始め、いつまで経ってもそれが止まらないという傾向があります。他の大切なニュースは二の次になり、明けても暮れても、同じ題材一色になります。日本ばかりでなく、海外のメディア、マスコミに共通しているにせよ、他社を横目ににらんだ過当競争が激しい日本は、特にその傾向が強いかもしれません。

 

    メディアの自己矛盾

 

 今回の過剰報道は国内的テーマの場合と違い、イスラム過激派組織が対象になると、異質の問題をはらんでくるような気がします。「残虐非道、冷酷無比。人間のすることではない」、「かれらのテロには絶対に屈してはならない」、「国際協調によってかれらを根絶しなければない」という主張は正論です。そのような考えに沿って流される情報、記事はかれらの正体を知る上で、役立ちます。一方、そうした報道をさせることこそが、実は彼らの狙いだ、という指摘には耳を傾けなければなりません。そこに今回の報道の難しさ、自己矛盾があると思います。

 

 メディアは日々の動きを報道すると同時に、かれらの宣伝工作の狙いを知っておく必要があります。中東調査会の高岡豊上席研究員の指摘(1月29日、読売)には鋭い視点があります。「世界の注目を集める事件を起こし、今、各国の報道機関が報道している。これだけでも、イスラム国は十分すぎるほどの宣伝効果を得ている」、「標的として日本とヨルダンを選び、最大の宣伝効果を狙い、次々に手を打ってきている」というのです。

 

 安倍首相は「言語道断で、許すことのできない暴挙だ」と指摘し、メディアは「当然の指摘だ。断じて容認できない」と論評しています。まったく正しい指摘です。恐ろしいのは、われわれに「非道な映像であり、残虐な行動だ」といわせることこそが彼らの狙いだということです。かれらが言いたいことを、われわれが宣伝してあげてしまっているという問題です。恐怖の組織であるというイメージを国際的かつイスラム社会の内部にも広げようというのが、宣伝戦略の目的だというのです。

 

    綿密な宣伝戦略を持つ

 

 

 中東、イスラム研究家の池内恵氏は「イスラム国の知名度が世界的に高まったのは、巧みなメディア戦略の影響が大きい」と主張します。メディア宣伝部隊の「アル=ハヤート・メディア・センター」を擁し、宣伝映像の背後にも綿密な計算や技巧を施しているといいます。一台20万ドルほどもする機材を使っており、映像を分析すると、撮影には4-6時間もかけていると推測されるというのです。そうだとすると、本当に恐ろしい集団ですね。

 

 「議論は終わった、行動あるのみ」、「終末の日に神の意思で世界は崩壊する」と信じているといいます。国際規範に逸脱する結論を導きだしており、これに反論する法学者がでてこないと、過激思想を正当なものとみる次世代が育つと、池内氏はいいます。そういう連中に対しては、「テロ集団にすぎない、テロはテロにすぎない」と、批判するだけではだめで、彼らの行動原理、戦術を分析して、対応しなければならないようですね。

 

     野党議員を責める前に 

 

 新聞の社説などで、「野党の一部議員は、安倍首相の中東歴訪が過激派を刺激した、と批判する。そうした批判は日本の援助の趣旨をねじ曲げ、テロ組織を利するだけだ」という指摘をみかけます。その通りでしょう。同時に、「相手を利している」というなら、「報道そのものにも問題があるのではないか」という視点をメディアが持たなければならないところに難しさがあると、思うのです。

 

 だから報道を止める、あるいは自粛するというのでは、報道機関の使命を果たせません。どうするかです。「新しい展開がないのに、無理して紙面を埋め、番組を作って過剰報道しない」、「報道しながら相手の手のうちを読む」ということはせめて、できると思うのです。相手は日々の報道ぶりを分析し、手を打っているそうです。こちらも怒涛のように情報を流すのではなく、相手のメディア戦術をよく分析しながら情報処理をしなければなりません。

 

 大震災の時など、何十日も何ヶ月も紙面を関連記事で埋め、その流れができると、いつまで経っても止まらないということが多いのです。そうしておきながら、「震災に対する過剰反応が経済、景気を冷やしている」と主張することがありました。実際は、過剰な報道が社会経済の過剰反応を招いていること多いのですね。人質事件の報道でも、意図しない結果を招いているのではないか、という自己分析は、メディアとって、絶えず必要だと思います。



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