新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ

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パリ大行進の裏側に潜む問題

2015年01月13日 | 国際

   異様な雰囲気のパリ 

               2015年1月13日

 

 イスラム過激派による銃撃テロ事件で、追悼デモがなんと370万人の大行進に拡大し、「パリ解放」(1944年)をしのぐ歴史的規模になったそうです。文明の衝突なのか、差別される移民を組み込んだ欧州の根深い社会問題なのか、「言論の自由を守れ」が事件の核心なのか、テロリストの暴発なのか、欧州を考察するさまざまな解説、分析がこれから無数に登場し、現代史における位置づけがはっきりしてくるでしょう。

 

 犠牲者17人に対し、1万とか2万人の追悼集会、デモなら驚きません。それが、仏独英などを先頭に50か国の首脳らが行列に加わり、フランス全土で370万人もが参加したとなると、戦争でも起きたおきたのかと思いますよね。表面的な動きの底流になにがあるのでしょうか。

 

    正直にものを言えない

 

 フランスを初めとする欧州は、異様な雰囲気に覆うわれているようです。フランスの歴史人類学者のエマニュエル・トッド氏は、日本の新聞のインタビューで「テロは正当化しないが、フランスが今回の事態に対処したいのであれば、冷静になって社会の構造問題を直視すべきだ。北アフリカ系移民の2世、3世の多くが社会に絶望し、野獣と化すのなぜか」と指摘しました。興味深い点は「こういうことをフランスで発言すると、袋叩きにあう。だからフランスでは取材に応じていない」をわざわざ語ったことです。フランスが異様な空気に包まれていることを示唆しています。

 

 フランスは冷静な判断能力を失っているというのです。トッド氏は「事件の背景にあるのは、経済が長期低迷し、若者の多くが職につけないことだ。中でも移民の子が打撃をこうむる」、「社会に絶望する移民の子がイスラムに回帰するのは何かにすがろうとする試みだ」とも主張します。前回のブログでわたしは、同じフランス人の経済学者のピケッティ氏が「社会的格差が歴史的にみて、広がっている」ことを実証的に分析した著書のことを紹介しました。やはり社会格差、失業、希望の喪失などが背景にあるのですね。イスラム国、過激派、主導権争いなどを含め、中東専門家は事件の背景についてさまざまな解説をしています。それだけでは、事件を解明できません。

 

 日本は戦争責任を国際社会から過剰に問われています。大きな流れで考えれば、フランスを含む欧州諸国はかつて多くの植民地を持ち、その旧植民地からの移民が流入し、今回のテロを起したという構図でもあります。この近現代史をふりかえることもしなければなりません。

 

 欧米主要国はパリで関係閣僚会議を開き、国境管理の強化、テロ情報の共有などを決めるそうです。応急措置としては、それも必要なことでしょう。テロを封じ込めるという目先の対策だけで、本質的問題が解決するのでしょうか。首脳としては社会的な格差の拡大がテロの温床なっていることを認めたくないです。そこから目をそらさすために、空前の規模のデモが組織され、かれらはその先頭に立ち、自分たちは必死に動いているのだというポーズを見せているとも考えられます。

 

     「言論の自由」を乱用するな

 

 前回のブログで、事件の発端になった風刺画にも節度が必要だとかきました。中東に詳しい酒井啓子千葉大教授は「問題なのは、イスラムの預言者や信仰を低劣な絵でけなすということだけではない。それを毎年、キャンペーンのように続けている。イスラム教徒は自分たち全体が侮辱、差別されていると思う」と指摘しています。ヘイスト・スピーチといって、差別的表現、憎悪をあおる表現は国連の国際規約でも制限することが認められています。今回の風刺画はそれにふくまれるのかどうか。「表現の自由」の御旗を掲げればすむというものではないのです。

 

 「表現の自由を認める」ことと、「シャルリー(テロの対象になった新聞社)を認める」ことは違うのではないかと、酒井氏はいいます。そうだと思います。「表現の自由」も内容のレベル次第で決まるのです。テロ事件で多くの犠牲者がでましたので、今は、そのことを問える雰囲気ではないのかもしれません。過激派憎しから、いつおきるか分らないテロへの恐怖心から、デモに参加し、「言論の自由を守れ」と叫ぶ前に、「言論の自由、表現の自由に値するか」を吟味する冷静さがほしいですね。

 

 

 



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