JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

欠落した一章

2011年12月31日 23時52分15秒 | in the forest
携え続けていたモノがあった。

その存在は、かつてに比べ小さくなっていたのだけれど-

それでも携え続けていた。

最後は、意地もあって手放さずにいた。


日頃は、小さな箱の中に、鍵をかけて閉まってある。

それを取り出す機会は、何年も訪れないのに、

それでも手放さずにいるのは、

二人をつなぐ糸を永遠に失うのが、怖かったからだ。


勝手な言い草かもしれないが、

いつか話のできる時が来れば、と考えていた。

いろんなことを、語り合ってみたいと思える、相手だった。

そうして私には、伝えたい心の内があった。


想い入れの度合いが変わってしまったのは、仕方がない。

そのことについては、相手を責めるつもりもない。

ただ、もうちょっと理解し合いたかった。

少なくとも、そういった場面と努力を、持ちたかった。


完全無視という状況の中、

自分なりに辛抱強く、関係改善の兆しを待っていたが、

そのうちこちらの心も弱っていき、働きかける気力も失せた。

そういったことに対する免疫がなかったのである。

大人になって、初めて受けた扱いだった。


何に、そんなに拘り、関係を維持しようとしたのか。

あったことが、なかったことになるようで、悲しかったのか。

すべてが、なし崩しに消え去っていく・・・

そんな事態に、我慢ならなかったのか。


実際物事は、なし崩しに収まっていくものではない。

私は、それを静かに受け入れられる程、強くはなかった。

あなたが放り出したモノは、誰かが引き取ったのだ。

そのことだけは、忘れないでほしい。


携え続けていたモノを、小箱から取り出し、手放した。

これが私の、本当の、断捨離。

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じんちゃんの2011年 -後編-

2011年12月31日 17時36分00秒 | 歳時記
④ 南 美希子トークショー

数ヶ月前にイベント企画を知り、興味をもったものの先へ進めず。そのうち学校行事や日々の雑用に流され、忘れかけていた。再び意識へ入ってきたのが、トークショー前日の朝。まだ間に合うゾ!「これも何かのご縁、行ってみよう」と、申し込んだのでした。

さてトークショーは、’GRAMOROUS’というファッション誌の編集長 藤谷英志との対談形式になっており、うららかな光降り注ぐホテルの小宴会場で、1時間ほど催されました。まぁ・・・場所が場所なんで、覚悟していたのだけど、お客さんの華々しさには、ひっくり返りそうになった(笑)。これには、ちょっとしたからくりがあったのですが。

私ね、家の書棚から南 美希子のエッセイを引っ張り出して、持参したの。折に触れ、繰り返し読んでいた作品。『男の勘違い』という1980年代後半に出版された本でした。’いろんなお客さんがいるだろうが、これを所持しているのは私くらいだ~’なんて妙な自信があり、受付でサインを頼んでみた。

「昔から南さんのエッセイを読んでいます。できましたら、サインをお願いしたいのですが。」前の人は背中を向けて会場へ歩き出していたし、後ろの人はいなかったので幸いだった。数名いたホテルのスタッフは、「そうですか。ちょっとこちらではわかりかねますので、ご本人に聞いてみますね。」との返事でしたが、本とサインペンを託して会場へ向かいました。

座席に荷物を置き、トイレへ行って戻ってくると「お客さま・・・」スタッフから本を手渡された。見開きのページに、私の名前と、南さんのサインと、日付。わ~い!即行で書いてくれていました。 すべては、他のお客さんに秘密裏に行われたプロジェクト。しっしっし。

昔から、コスメ関連に興味をもたれていた南さん。現在は、そちらの仕事が増えているのねぇ。トークショーのお客さんも、美容に関心のある方々が多く、シルク姐さん(元非常階段)の今昔みたいな気がしないでもない。話題は、やはり美容と健康がメインで、誰もが聞き易い内容となっていました。食事や睡眠についてなど。(←美容も健康も、これに尽きるのだそうです)

「ところで藤谷さんとは、渡辺淳一先生を通じて、知り合いになったんですよね。」なぬっ⁈渡辺淳ちゃんとな。「渡辺先生が、僕の跡目は彼に任せたとおっしゃるほどの色男。モテモテでいらっしゃるんですヨ。」と持ち上げる南さんだが、その言葉を石田衣良にも吐いているのは、ご存じないようで。困るなぁ~淳ちゃんは。そこここで「僕の跡目は君に任せた」なんて言うてたらアカンよぉ。 ま、勝手に任されて困惑してる人が、ほとんどだろうけど。

トークが終わると食事会。南さんがワイドショーのコメンテーターの仕事を離れてから大分経つ所為もあり、絵に描いたミーハーおばちゃんはいなかった。’今のお客さん’中心だなと思いました。元テレ朝のアナウンサーで、古舘伊知郎と同期って知ってる人いるのかね。お嬢さまや有閑マダム風も、お見かけしましたが、ずっと働いてきて退職、さてこれからの時間をどう使おうと好奇心をもって参加している方もおられましたし、忙しい仕事の合間を縫って飛び込んできた方も。

驚いたのは! 藤谷さんと南さんも、一緒のテーブルに着くのです(ただし関係者席)。そうして写真撮影タイムがあるの。私は眺める側でしたが、化粧直しに席を外した際、南さんとお会いしたので、お礼かたがたお話してきました。「あんなに古い本を持っていてくださって、ありがとうございます。」「折に触れ、何度か読み返しています。」「確かもう絶版になってるんですよ・・・」「ええーっ!?そうなんですか。若い頃と、しばらく経ってからと、受け止め方も違って面白いですね。」「内容が、ちょっと時代遅れなのね。」

バブルの時代に書かれたものだから、今には当てはまらない状況もある。しかし、タイトルになっている「男の勘違い」ぶりって、そうそう変化していないんじゃないかなぁ。内心こっ恥ずかしかったと思いますが(過去を押えられてるってね)、大人の対応をしてくれた南さんでした。はんなりしたグリーンのドレスに、アップにした髪・・・55歳はの今も華があります。 ソツなくスラスラと喋る中に、時折混じる「えへへへへ」という笑いが、少女のようで可愛かったな。


⑤ リアルCafe

ひょんなことから学校へ通い始めました。自分なりの居場所を見つけたからです。じんちゃんが生息していて不思議でない所とは・・・ じゃーん図書室なのだぁ♪現在息子の中学で、諜報活動をしておりますの(←ボンドかよ)。人が寄る所には情報も集まる。学生・ママ仲間・教師が顔を出す図書室には、いろんな情報が行き交うのです。

他県から越してきて地元や学校の様子に不案内だった私も、訪れる人々と言葉を交わすうち、何となく現状が見えてきた。今の中学生は勉強と部活に忙しく、図書室に足を運ぶ余裕などないんだね。そんな状況の中、何とか本を手にしてもらいたい。本好きの子は勿論そうでない子にも、きっかけを与えられたらなぁと、おばちゃんたちは考えているのです。例えるならば、図書室向上委員会?たかじんさんにちなみ、図書室行って委員会でもいいんですが。

当初は決していい環境じゃなかった。『ハリーポッター』シリーズは、パチられて全巻そろってない。教室からはやたら遠い。おまけに暗いし、古臭い本ばっかりだ。それでもいがぐり頭の少年が、精一杯伸びをして棚の上段にあった『羅生門』を手に取った時、じんちゃんは感動したね。 好きな子は、どんな環境であろうと、それを超えてつかみにくる。この灯火を絶やさず、つなげていこうじゃないか。

まずは何ができるやろ。おばちゃんたちは、部屋の雰囲気作りから始めました。殺風景な図書室に、ほんのりと彩りを添えてみる。折り紙で、飾りを作ったり・・・ベタな活動やけどね(笑)。他校の図書室を見学する機会があったのですが、日差しがさし込む心地良いCafeのような空間だった。 慌ただしい時間のあいまに訪れる、くつろぎの場。そういったスペースとして図書室を捉えれば、本に興味がなく接点を見い出せないという人たちにも、扉を開くことができるのではないか。

部屋の空気は、ちょっとした模様替えにより柔らかくなった気がします。腰を下ろして、おばちゃんたちとお喋りしていく生徒も、少しずつでてきました。部活のこと、友だちのこと、先生のこと、親のこと。思いを吐き出して帰っていきます。調子がいい時は、ドラマや本の話。ごくたまーに恋バナ。

魅力ある図書室になるよう、本の購入にも知恵を絞りました。’図書室に置いて欲しい作品って何やろ~’ 学生・図書のおばちゃん・教師、それぞれの立場から考えてみた。需要をにらみながら、己の趣味をさりげなく忍び込ませる(←こら)。予算には限りがありますので、どうしたら希望が通るのか、作戦を練る必要も出てきます。そうやって購入本が決まっていく過程は、楽しかったな。

アンケートを取ると、圧倒的多数の生徒から「ライトノベルを入れて欲しい」という反応がある。アニメ化された作品も多く、とっつき易いのでしょう。小説だと山田悠介(『親指さがし』『リアル鬼ごっこ』の作家ね)のホラー小説 。多くのニーズがある以上、それを無視することはできません。かと言って、何でもOKという訳にもいかないのが実情。折り合いをつけられるポイントは、どこなのか・・・大人からの視点で子どもに読ませたい作品と、子ども自身が求めている作品は、違うのよ。たぶんね。

今の子には、ダークな世界がウケている?息子を通したリサーチ(友だち関係)や図書室に来る男の子たちの読書傾向を眺めていると、そんな感触があります。文豪で言うと、太宰治や芥川龍之介。湊かなえの『告白』がヒットしたのも、わかる気がするなぁ。吉本隆明さんの『真贋』というエッセイに、読書の功罪について書かれていて、実もあれば毒もあるぞと。私はね、ダークなものを決して否定しないが、どこかで違う世界も押さえておいてほしい気持ちでいます。(好きな太宰作品で『走れメロス』が挙がると、ホッとするのねぇ)

そうそう。ちょっと驚いたのが、星新一の人気。私の学生時代から活躍されていたショートショートの作家さんですが、今の小中学生にもウケています。現役であり続けることって難しい。残っているとしても、かつてのファンに支えられている作家が多い中、星新一は違うんですよ。友人曰く、「短くて読み易いからじゃない?」。けど、それだけかな?とも感じる。何が若い世代を惹きつけるのか。赤川次郎ではなく、眉村卓ではなく、筒井康隆ではなく、星新一である理由があるはずだ。

活動にあたって、お仲間さんにも相談に乗ってもらいました。「本の紹介ポスターを作るといいよ。」という案は、担当の先生の意向とも重なり早々に実現。絵の得意な生徒たちが、思い入れたっぷりの作品を可愛らしく描いてくれました。お気に入りの本なので熱が入る。このポスターがきっかけで、購入することになったライトノベルもあったな~。
http://dengekibunko.dengeki.com/newreleases/4-8402-1585-5/

担当の先生はじめ、おばちゃんたちにとって、ライトノベルは未知の領域。生徒に支持されてるジャンルと言えど、我々に基礎知識もなく、どんな作品を入れたらよいのかわからない。’そうだ! 餅は餅屋!!’と、これまた別のお仲間さんに助けを求めるじんちゃん。こちらのお仲間さんは、その感性が理解できる年代だけに、学生の意向を捉えたプランを掲げてくれました。それを参考にセレクトされたライトノベルが、現在図書室に並んでいます。

それから・・・ 「図書室だより」で、いろんなジャンルの本を素敵にアピールしてはどうかという彼の案はね、私がこの手で実現させました~(爆)。どれくらいの生徒が、保護者が、目を通してくれたのかわからないけれど、息子の部活仲間からは、即反応があって面白かった。何より息子がびっくりしてた。オススメ本は一部しか紹介していないので、機会があったら、また書いてみたい。

ここのお仲間さんのアイデアが、地方のある中学校で形になった。 これも一種のコラボかな。


⑦ アントキノイノチ

独身の高齢者が病魔に冒された時、周囲は・・・親族の死を通して、いろんなことが浮かび上がった1年でした。自分なりの見送りができて、悔いはないものの、疲れた~

んっとね、じんちゃん叔父宅の遺品整理を手伝ってたんです。必要なモノ・必要でないモノを分別する、必殺仕分け人。ここでも断捨離か~。仕事関連の資料や趣味のモノから、本当に少しだけれど、叔父の人生が垣間見えました。いやはや一人の人間が生きてきた足跡って、スゴいねぇ。簡単に始末できるもんちゃうわ。食料品、衣類、生活必需品、書類、本、DVD・・・ おまけに現場の汚染度は、レベル’フォー!’(←レイザーラモンかよ)。

このね、ほとんどゴミ屋敷と化した家内の処置が大変だった。各部屋に数年間の新聞、及びその切り抜きが山積み!食卓台、ソファー、ベットの上、和室。足の踏み場もないとは、こういう状態なんだと驚いた。まったくどこで生活してたのかって感じですよ。座る場もない。寝る場もない。家中モノであふれていて、重要書類や貴重品が埋もれまくり。

一つ、また一つ、いらないモノとして処分したり、引き取り手を探したり。除けていかないことには、浮かび上がってこないのもあるので、いや~時間がかかりました。数カ月間、休日返上で頑張った。遊びの予定を入れていても、ギリギリまで叔父宅で作業。疲労困憊で現地へ向かってたのよ。トホホ。

亡くなるまでは、病に臥せった叔父の処遇をめぐり、親族が対立。デッドヒートを繰り広げる伯父(兄)と叔母(妹)の間をかいくぐり、私にできることを粛々とやっていました。ともすれば双方から連絡が入り、争いに巻き込まれる。きょうだいなのは母なのに「じんちゃんに変わって」と。嬉しないゾ。指名料をいただきたいくらいだ。母もまたマイペースな人なので、その対応をめぐり誤解やら何やら。紐解いていこうとするのだけど・・・うーん。むちゃくちゃ労力がいる。

それぞれの立ち位置が見えた数ヶ月。’かわいそう’だけでは、やっていけないのが実情だった。終末医療の理想と現実。少しでも気持ちの良い環境で人生を終えるのが理想かもしれないが、それが可能な病院(ホスピス)は限定されるし、巡り合わせのものでもあるし、動いている人が整えようとすると、その人の手間がかかる。絵に描いたようにはいかないよ。私は・・・動いてくれる人(伯父)がいるだけ、幸せじゃないかと思った。

遺品整理を手がけた者の特権として、叔父が所有していたDVDや本を譲り受けました。古い名画のDVD(西部劇や戦争もの、スパイものを中心に)がたくさん今にして思えば、初めて『大脱走』を目にしたのも叔父の家でした。

持ち帰った遺品のDVD上映会。まずは007第一作『ドクター・ノオ』。ショーン・コネリーのあまりのかっこよさに、ぶっとびました。頭髪が薄くなってからしか知らなかったもんで。スタイルよく、ワイルドであり、そうして意外と気品があった。ボンドと言えば、ロジャー・ムーアだと思っていたけれど、ショーン・コネリーを知ると、ロジャー・ムーアはニヤケに見えてしまう・・・。なんせ私がまともに見たのは、選りに選って’お笑い’『ムーン・レイカー』だからなぁ。

意外な拾い物は『あずみ』。以前テレビで観て、冒頭でお茶を入れに行っている間に、ファンだった瑛太が死んでしまい、「そりゃないよ~!」となった作品なんですが、じっくり観ると、なかなかよくできておる。カット割りが素晴らしいです。 上戸彩、キレイに撮ってもらってたなぁ。

今年の秋、奇しくも遺品整理業を扱った映画が公開されました。『アントキノイノチ』(岡田将生くん主演) 。この中で現場リーダーの原田泰造が、こんなセリフを吐きます。「故人の名誉を守るのも、俺たちの仕事なんだ」まったくもって、その通り。叔父のベッドの上にも、パンティー(←新品)があったしな。バラすな~。現実って、そんなモンす。現場にいた者は失笑を隠せず、伯父に至っては「なんだこりゃ~」夫と息子はぷぷっ。私「せやけど、捨てるのはもったいないね。アンタはきなよ。」娘「いや~ん」

私はね、人間らしくていいじゃないと思ってるの。でも、そんなものは受け入れられないという人もいるだろう。なので、故人への思い入れいっぱいの叔母には話していません。おそらく伯父も隠してるんじゃないかな。それがいいのか、悪いのか。ますます現実を知らない叔母が、想い出に浸り乖離していくのだけど。ピンクと白で、フリフリの可愛らしいパンティーでした。私は、はきたくともはけない。 腹がはみ出る。悪かったな!!という訳で、今年はこれにて締めさせていただきます。みなさん、ありがとう。よいお年を♪

http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=C1YutKFqtvU&feature=endscreen

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じんちゃんの2011年 -前編-

2011年12月28日 09時05分00秒 | 歳時記
今年はエッセイ8編かぁ~。もうちょっと書いてもいいよね。想いを言葉にするのに時間がかかると言え、遅すぎだ!一方で旬のネタが、あら溜まっていく~という訳で、この1年を振り返りながら、そんなネタを放出してみたよ♪


① 浜田省吾 ON THE ROAD 2011 ツアー

4月24日神戸ワールド記念ホールの公演へ行ってきました。アットホームな雰囲気は変わらず、元気の出る、温かいコンサートでした。

休憩ナシ。約3時間半の長丁場。15年というブランクの間に(結婚と共に、LIVEから足が遠のいてしまったのよ)、そのスタイルも様変わりしていたけれど面白かった~。「無理のないよう、リラックスして聴いてください。」と浜省からのメッセージがあり、それぞれ自分のペースでトイレへ行ったり、煙草を吸いに行ったり・・・。席を外すタイミングを見極めるのも難しいねぇ。何かもったいなくて。てへ。

オリジナルアルバムが出ないままのツアーということで、その分過去のアルバムから、いろんな曲が聴ける内容となっていました。これはありがたい。実の所じんちゃんは『誰がために鐘は鳴る』までしか聴いとらんのよ。『恋は魔法さ』や『I am a father』だって、浜省ファンを自認するお仲間さんとの交流を通して知ったくらい。なので、この形態は嬉しかったな。

長年のツアータイトルである『ON THE ROAD』で幕を開け、なじみの曲が続く。順不同で、ざっと紹介致しますと、『J.BOY』『A NEW STYLE WAR』『愛の世代の前に』『終わりなき疾走』『HELLO ROCK & ROLL CITY』『僕と彼女と週末に』曲目があり過ぎて、どれをやったのか、わからなくなる・・・

ステージの上の空間にスクリーンがあって、そこに映像が出るの。歌詞とリンクさせた内容であったり、ステージの浜省の姿であったり。広いホールだったのだけど、距離感を感じず見易かった。 ’ひぇ~ステージ遠いわー’なんて不満はなかったな。

『恋は魔法さ』で、体を左右に揺らしながらギターを弾く浜省。かわいい『MONEY』(だったと思う)で、黒のレザーコートに身を包み熱唱する浜省。カッコいい。途中からそのコートを脱ぎ、ぶんぶん振り回していたので、客席に投げ入れるのかと思いきや・・・左腕にかけました。まぁね、いちいち投げ入れていたのでは身がもたないでしょう。せやけど、カッコええコートやったなぁ。 コートかよ!

しんみり聞き入ったのは『君が人生の時』。ROCKに転向する前、POPSを歌っていた頃の、懐かしいナンバーです。’覚えてるで’ 心の中で相槌を打つ、じんちゃんであった・・・鶴瓶かよ!

アンコールはね、『ラストショー』『I am a father』『こんな夜はI MISS YOU』etc。客席の真ん中に、小さな丸いステージがあって、そこへ主要メンバーが移動。各方向から見えるように、浜省は周囲を回りながら歌う 。キメの所で、観客の正面になるように向き合ってくれるから、皆大喜びなのでした。

ホーンや弦楽器を交えた構成には、年齢と共に質の良い音楽を聴いてほしいという願いが込められているようです。ビート主導ではなくね。音響も耳に優しかった(笑)。

’明日からまた頑張れるよう’ 「4時半開始のROCKコンサートなんて、どこにある!?」などと苦笑しながら、’あまり遅くにならず、遠くから来た人もちゃんと帰れる’といったスタッフ側の気遣いも伝えていました。ファンも社会の中核を担ってる世代だからなぁ。

じんちゃんも、コンサートに絡めてゆっくりなんて思ってたのに、結局ギリギリまで用事をこなし、会場へ直行。家庭を持ってる女性は、そこに行き着くまでにくたびれてしまったりするね。ただし、終了時間が8時頃だったので、夕食を兼ねて小1時間程くつろいで帰りました。コンサートの余韻にひたりながら。


② 株主総会

魅惑の人妻に、一番似合わない話題。我ながら、何故こんな場に立ち会っているのかって感じです。発端は、父の遺産相続。現金は葬儀と共に去りぬ~で、残ったのが株やったんです。とりあえず相続したものの、よくわからない・・・ 。 株主総会へ出席するのに、ドレスコードはあるのか!?とマジで悩めるアホっぷりでした。

行きの電車で、どこかの総会へ出席予定のサラリーマンと乗り合わせまして、「某企業の総会には、おかしな不動産屋が出入りして軽く場を荒らしている」トカ「進行を妨げる総会屋とは逆の、前方の席に位置して場を盛り上げるサクラのような役割の人がいる」ナド思わぬ情報を小耳にはさみ、前知識としてインプットするのであった・・・ 

’ハイソな方ばかりやったら、どないしょ~株主総会て、どんな人が来るねんな。’という問題外の所から、出発している私にとっては、見るモノ、聞くこと、すべてが新鮮で楽しかった。案外フツーの、おっちゃん・おばちゃんが、出席なさっているのですね。

私と同じく「父から相続したものの来る機会がなく、今回初めての出席です」なんて主婦もいましたし、この方がまた、ごっつー主婦目線の発言をしてらして、でもそれは決して馬鹿にできないことで、うなずきながら、耳を傾けた場面もありました。

前社長のファンだった母は、退任の挨拶に見えていたのをとらえ、「ああ、やはり今年来ておいてよかった。」そのお顔を、しかと目に焼き付けておりました。冥土の土産かよ!

ずっと前からー 金のこと 
好きだった何よりも~
やっと私にー 来たチャンス 
のがーせーなーいの~

朝一番、Cafeの前に昨日の値動きをネットでチェックする様は、さだめし’MajiでKabuする5秒前’ 。ドス黒い広末涼子ねぇ~~~

もっと知りたいー 金のこと 
ライバルに差をつけて~
そっと耳もとーで さーさやく 
儲かるーよーと~

あっという間に気がフレて、さよならの時が来んよう、気をつけよう。違う意味で、こうなるのんも嫌やしな。

Majiで今夜眠れない 
真夜中の5秒前~
真夜中の5秒前~


③ In My Garden

実家へ移り住んだら、花の世話やら草抜きやら落ち葉拾いやら、漏れなく付いて参りまして。往生しております。集合住宅のベランダでさえ、持て余し気味だったんだもの。ガーデニングは、つくづく魅惑の人妻に向いてない。どうせなら園芸より演芸の方がええわい・・・ブツクサ唱えるじんちゃんであった。

大の花好きで、庭の手入れをかかさなかった母も、齢と共にそこへ降り立つ機会が減り、その役割が私にかかってきました。気候のいい時期は、庭の水遣りを含む、ひと通りの家事を終えると、もうお昼。それでも四季折々の風景を味わう時間も悪くはなく・・・お天道さまが動いていく模様を肌で感じるのは、なかなかオツなもんですね。

春からは、野菜作りも始めました。トマトにきゅうり、ピーマン、なす、パプリカ、ズッキーニ。おお~ラディッシュしか作ったことのない我が家にしては、結構なチャレンジではないか。してその結果は…聞かないで~~~~!

ピーマンの出来が最も良かったな。目にも鮮やか、比較的質のいいモノが、たくさん収穫できました。パプリカも、まぁまぁ。赤や黄色のフルーツパプリカは、サラダに散らして美味しくいただいた。

ズッキーニはねぇ、最初の数本は瑞々しく立派だったのに、次第にしなびていき…どんどん上に実がついてきて、それが重く垂れ下がるもんだから、手入れし辛かったよ。ケッケッケ。じんちゃんの体と一緒ちゃうんかい。やかましいわ!しかも短命やったしな。殺すな~

トマトにきゅうり、そしてなすは、ベランダでも手軽に作れると聞いていたけれど、意外と苦戦しました。トマトとなすは、瑞々しさが足りない。きゅうりは、さして収穫されぬまま、その一生を終えました。ふん。私のことじゃないからね!

野菜でも作ってみるか。きっかけは夫の失職と、私のアルコール騒動。これに、娘のエコ開眼が加わっての展開だったのですが、ホンマ何がきっかけで物事が動き出すやら、わかりまへんなぁ。

庭で過ごすようになってから、空を見上げることが多くなりました。夜は月。洗濯物を抱え、しばし佇むじんちゃんであった・・・ はよ、取り込めよ!!

http://www.youtube.com/watch?v=YzzZKK_z0TQ



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ミューズの晩餐 My essay,My life -青春の門-

2011年12月20日 12時09分20秒 | My essay,My life
2010.12.29

43歳の誕生日。

じんちゃんは一人、大阪の某夜景スポットにおりました。


駅近のささやかな名所であるこのビルには、映画館あり高層階に広がる庭園あり、殊に夕方から絶好のロケーションとなって、ビルそのものの魅力が、燦然と輝き始めるのです。

ちょっとちょっと、じんちゃん「寂し過ぎるぞ~~~」
そんなお仲間さんの声もあったのだけどね。

夫や娘の身辺の心配ごとは、落ち着く所へ落ち着いたものの、今度はクリスマス。 心機一転、家族ができるだけ明るい心持ちで過ごせるようなんて頑張っていたら、くたびれてしもた。夫がいつ明けるともわからぬ休みへ突入する一方で、娘は可愛らしいお客様たちを連れてきてパーティーや。年の瀬の行事を片付けた後、とにかく一息つきたかった…

っと、この記述へたどり着くまでに一年がかりですよ。渦中にいた時、どうしてたんかな〜思て見返したら、案の定よどんでた。そら時間かかるはずだぁ(笑)。さて今回は、そんなあれやこれやの裏側で進行していた、思春期の娘のお話。愛知から兵庫の片田舎へやってきた、去年の春にまで遡ります。

母と子どもたちと私の暮らしが始まり、しばらく経ったある日、娘から 「お母さん、ちょっと」 声をかけられた。「何?」「2階へ来てくれる?」どうやら、人気のないところで話をしたいらしい。転校したばかりで、新しい環境へ慣れていかなくてはならない時期、初日から意気投合した女の子もいたけれど、まぁいろいろあるんやろなと。娘の心を量りつつ、小机挟んで向かい合った。

「んーっと…」娘はモジモジしていたが、やがて意を決し「今日コクられた」残りの言葉を一気に吐き出し、にっこり笑った。あらっ、結構可愛いやないの♪(ちょっちブル顔なもんで)相手はどんな子やろ。しかしチャレンジャーやな~。にしてもはやっ。んでもって小沢一郎にコクるて!頭の中で、さまざまな所感が一気に渦巻く。しかるに、その奥底に横たわっているのは、暖かく柔らかな感情。ああ、カグワシイ香りやわぁ。

兄にしろ、この妹にしろ、幼き頃から無邪気にちょ色気ネタを提供してきたものの、自身の恋バナにはまるで縁がなく…。母は、いささか味気ない思いをしていたのよ。「どうなの?」時折こちらが水を向けても、「あっしにはかかわりねぇことで」木枯し紋次郎みたく素っ気ない反応があるばかり。つられてこちらも、歌い出したくなるわぃ。どーこかでぇ だーれかが きっと待っていてくれる〜♪そーか、やはり待っていたか。だれかが風の中で。

「お兄ちゃんとお父さんには内緒だよ。」ちょっと真顔になって、娘は言った。そりゃそうだ。日頃からかっている妹に、先を越されたとあっては、兄貴も面目なかろう。しかし父さんもダメか~(笑)。こうして密やかに、女子の世界が形成されてゆくのであーる。

娘は、ぽつぽつと話し始めた。「休み時間にね、静かな所へ連れて行かれて」「うんうん」「好きですって」「ほうほう」「えーっ!?って、びっくりした。」「あはは。そりゃびっくりするわね。」突然、雷に打たれたようなものなんだから。「で、どうしたの?」

「しばらく考えて、やっぱり聞かなかったことにするねって言ったら」「何て答えた?」「うん。そうしてなって。」お互い笑顔で締め括ったらしい。「それで終わっちゃったの?」「だって…まだ早い。」「そっかー」「付き合える訳でもなし。」彼女なりに、一生懸命導きだした答えなのだろう。意外と現実的な思考回路であることに、いささか驚いた。「お母さんは、どう思う?」キターっ。

「お母さんは、そんな経験ないからなぁ。」胸より薄い過去の恋バナ帳をペラっと紐解いてみるものの、該当項目が見当たらない。大体、卒業の折に回したサイン帳で、クラスの某男子から返ってきたメッセージが 「天ザル覚悟しろ!」。兄貴どころか母も面目なーし。それでも、自分なりの考えは伝えることにした。

「まだ早いと思う気持ちは、大切にしていたらどうかな。周囲に流される必要はないよ。それから…」 私にできる、数少ないアドバイスを口にする。「クラスの子には言わない方がいい。仲の良い友だちだって、受け取り方は様々だからね。」困るのは、勝手な妄想で現実をふくらませた挙句、やっかまれる事態。面白がって囃し立てる男子も鬱陶しいが、心の中で不機嫌の種をじっとり増殖させる女子も大概で。微笑ましく眺めてくれる人ばっかじゃないからねぇ。

「にしても楽しい思い出やね。」「うふふ」「どんな子?」「勉強ができるタイプじゃないよ。」「スポーツは?」「どうかなーよくわかんない。」「ええ子やん」「そうかなぁ~」「ええ子やて!」母さんはわかる。’うちの娘を好きになる子に、悪人はいない’ (←お仲間さんの浜省ファンの法則をパクってもた)親バカやな~

その夜、愛知に残って引越し作業をしている夫に、こっそりメールを打った。「コクられたらしいよー♪花ちゃん。」「本当?」「相手の子、マニアやな。そうに違いない。」「あはは。おめでとうって言っといて。」「それが、まだ早い言うてるねん。」「へぇ~そうか」「あの子の準備ができた頃に、好きです言うてくれる人おるんかしらん。」「まぁ、いろいろ相談にのってやってよ。」夫とメールでこれだけ語り合ったのは、後にも先にもこの時だけである。ぶはっ。

まもなく家族そろっての生活が始まり、それから程なく授業参観の案内が届いた。むふふと内心ほくそ笑んだのは、’風の中の君’ (ふうくんと名付けるヨ)が見られるから。ワクワクしながら当日を迎え、夫と二人学校へ。どの子やろ〜教室の後ろから、一人一人の生徒を目で追っていく。おばちゃん先生頼むで。わかるように当ててや。振り返った娘に、小さく手を振り微笑んでいると、聞き覚えのある名前が耳に入る。ふうくんだ!グルリ見回した先に、立ち上がった男の子は… 優しい目をした、丸顔の、可愛らしい少年だった。

学年も半ばにさしかかり、緊張感の薄れる頃になると、実像が見えてくるのかしらん。娘は、ちょっぴり口をとがらせながら、ふうくんの話をするようになった。「今日は腹を立てて先生に物を投げつけた。最近いけないことばっかりしてるよ。」 気の強い女の子をつついて、泣かせてしまった日もあった。それから…「ふうくん、いろんな女の子にコクって、みんなに断られてるの。」「へぇ~」「私の所へ来たのも、転校してきて何も知らないと思ったからじゃない?」

ありゃりゃ とんだ裏話が露見してしもたんやねぇ。けれども不思議と、悪い印象には傾かなかった。それでもメゲずにアタックし続ける。見上げたもんやないか。告白時の娘との遣り取りから、一種の清々しさを感じていた私は、彼をチャラ男だと決め付ける気になれなかったのだ。それに… 彼が泣かせた女の子は、たまたま娘にイジワルしていた生徒だったのよね。にひっ。

そんな時、恋なんてまだ早いと言っていた娘の心を、すこーしだけほぐしたモノがあった。私がベッドの上へ放り出していた、中谷彰宏のエッセイである。どういう訳か、ふとその本を手に取った娘は、パラリとページをめくり視線を落とすと、「この字は、何て読むの?」目についた言葉を指でなぞり始めた。

「ぐたいてき」「ぐたいてきで、ちいさい、ほんのささいなことから… あ、これはわかるよ。こいでしょう?こいがうまれる。」続く本文を読もうとして、早くも躓く。「お母さん、この字…」「れんあい」「れんあいで、いちばんハッピーなところは、ほんのささいなことにあります。れんあいを… お母さん」「きわめる」「きわめるには、ディテールをきわめることです。」「ちょっと難しいかな。」初めて開く、大人の本なのだ。『ふたりのロッテ』や 『オズの魔法使い』のようにはいかない。「まずは、目次だけ読んでみたら?」

こうして、思いも寄らぬ不思議なレッスンが始まった。新たに出会う漢字や慣れない熟語に戸惑いながらも、娘は10ページあった目次を、読みあげていった。「イケるやん。」「本当?」「大丈夫。どんどん読みなさい。」各タイトルを追っていくだけでも結構なボリュームなのだが、ひと通り目を通すと、内容がほぼ分かる仕組み。恋にまつわる中谷語録を、娘は面白いと言った。

「お母さんも大好き。書いてあることは、至ってシンプル。ああ、その通りやなって、ストンと納得する。で、前向きな気持ちになる。」元来そういった傾向じゃないからこそ、手にしているのだ。どうせ後ろ向きよ。サクサク進めないわよ。ぐちゅぐちゅした感情を持て余してるわよ。

季節が変り、冬になった。クリスマスの足音が近づいてきたある日。所用で外出していた私が帰宅すると、いつになく弾んだ母の声が、耳に飛び込んできた。「今日は珍しいお客様がきたわ。」「誰よ」「男の子」「ふぅん」「明るい声でねぇ、こんにちはぁ!言うて、メグちゃんと一緒にな。」

メグちゃんは、娘がこの地へやって来て、一番に仲良くなった友だちだ。クラシックバレエをたしなむ彼女は、存在しているだけでキラキラとオーラを放つ。大人びた派手な造りの顔に、クルクルとカールした髪、背が高く、スタイルもよく、田舎の小学校では、バリバリ目立つタイプなのだ。当然、そうした個性は収まり切らずにいる。女子の中にちんまりと存在してるガラじゃないからなー。そうか。男子を連れてきたか。

「男の子が来るなんて初めてね。同じクラスなの?」ひょっとして、ふうくんかしら…。娘は、こちらの心を知ってか知らずか、にっと笑い「コウちゃん」。「あら、新しい名前ね。」「楽しい子やで~。ホンマ屈託のない。うわ~ここの家、床暖房入ってるー。 あったかいわぁ言うてな。」 気合を入れたリフォーム結果に賞賛の言葉をもらい、母はご満悦であった。

こうして、木枯し巻いかけていた娘の心は、周囲の環境と共に、少しずつ回復していった。転機となったのは、「一人でメソメソしてないで、先生とこ行こ!」ふうくんの言葉だったそうである。戸惑う娘を引っ張っていって、事情を話す場にも立ち合ってくれたというから、やっぱええヤツやん。

いろいろ振り返ると、大変だったと感じるあの頃の中にも、不思議な明るさがあったのだなぁと。きっとこういうことなのだろうと思います。’ほんのささいなことに、人生の幸せがある’ ですよね? 中谷さん。😉


http://www.youtube.com/watch?v=dhkU2-I-EPs
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ミューズの晩餐 My essay,My life -分岐点-

2011年12月15日 10時25分00秒 | My essay,My life
さて、あっという間に師走ですよ。去年は、この時期いろいろあったな~。夫からのSOS、娘からのSOS。こうしてネットをやっている折にさえ・・・

ほらほら呼んでい・る・わ

今日もー また誰か~

家族のピ・ン・チ♪

と、今でこそ昇華して綴れるようになったものの、当時の家族を取り巻く状況は、彼らの言葉をベースに推し量るしかなく、そうして思う所はあれど、己の考えを強いる訳にもいかず、結局どう解決するかは、当事者の問題だもんなぁ。

一人、気を吐いたのは息子かしらん。 淡々と自分の道を歩み続け、明るい話題を提供してくれた。期末テストの5教科合計で学年上位へ食い込んだのを柱に、運動会他の学校行事を通して、日頃の努力を浮き彫りにした。

「母さん、家庭科(裁縫)の作品制作、クラスで1番に仕上げたんだよ。文化祭でも展示されるの。」ぶはっ。女子を差し置いてかい。母より大きくなった体を持て余し気味に、ちくちくと針を動かす様を思い浮かべ・・・笑ろてしもた。

おっと、心に木枯らし舞う娘の描写で終わっていたのだった。転校したばかりの頃、愛知から送り出してくれた親族の心配をよそに、新たな居場所へいち早く適応した娘。その揺り返しが、2学期も後半になってやってきた。

女の子の世界は難しい。ぐーっと接近したかと思ったら、さーっと離れていく、かと思えば戻ってくる。で、やっぱり意地悪な子がいる訳ですよ。そういった子から攻撃を受けている時、仲良くしていた子とも、いろんな事情で離れていたりして。

絶え間なく困った状況が続いている訳ではないのだけど、ポツッポツッと山があり、そんな時には、不機嫌な面持ちで帰ってきて、ランドセルを蹴飛ばしたりする。まったく、プレイガールかと思ったよ(←華麗な蹴り上げ←沢たまきかい←ふる~)。

夫の仕事をめぐる膠着状態は、意外な出来事が突破口となり、変化を見せ始めた。さる機関から、自宅へ電話が入ったのである。明るみになったのは、社長の非協力的な姿。支給されるべき手当が降りぬまま、数カ月が経過していた。

手続きに必要な書類を催促しているのだが、動いてもらえない。自分に何の益があるのかとドヤされたり、忙しいからと電話を切られたりする。正式ルートでは進展が見込めそうにないので、家の方と相談したい。担当者の物言いは柔らかだったが、ホトホト困っている状況や、それをどうにかして打開しようという決意は、伝わってきた。

年の瀬を迎え、何かと物入りな時期であることを気遣っての、直談判だった。「他の方々には手当が降りて、お宅だけなんです。ちょっとした額でもありますしね。」「すみません。あの…いっぱいいっぱいの現場で…」

しかし、どんな状況であれ、誰かにあたって気を紛らすなど間違っている。とばっちりを受ける側は、いい迷惑だ。「現場(客先)では、どんな感じなん?」夫に聞いたことがある。「それが、愛想いいらしいんだ(笑)。」特定の人間にだけ矢を放っているつもりなのだろう。が、そうした行為は得てして誰かに見られていたり、白日の下に晒されたりするものだ。

とにかく、第三者の証言は、夫も辛抱が足りないのではという私の疑念を払い除けてくれた。’頼まれたことを放置し、周囲に不快感を撒き散らし、何がサービス業だ!’ そんな対応を裏でしていて、お客の真のニーズが汲み取れる訳ないのである。惜しくはないかな…未成熟な人格の元を離れても。

それでも、一歩を踏み出した先に新たな居場所が見つかるのか、不安が頭をもたげる。あわよくば見つかったとして、当人がやっていける環境である保証はない。思い切る時期は、今でいいのか。ここでチャレンジする価値は、本当にないのか。夫も私も、数日間考え続けた。

本音は、すぐにでも辞めたい夫。辞めるにしても、せめて次の方向性を考えてからと思う妻。切ったら楽になるのは、わかってるよ。一時的にね。でも、そうやって生涯やり過ごす訳にはいかないんだ。

人生には、いくつかの分岐点があると共に、それぞれが我慢のしどころ、踏ん張りどころとなっている。どこまで向き合い、どこで見切りをつけるのか、果たしてどのような選択が良いのか。結果はすぐに訪れないから、見守る側だってしんどい。

自分自身のあり方もかなり迷ったが、何度目かのSOSに、こう答えた。「後になって、君が言ったからと私の所為にされてはたまらない。最終的な決断は、自分でして。」「わかった。」夫は、電話を切った。

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