JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

あ・れ・か・ら

2014年06月18日 11時37分07秒 | 想い
少しずつ月日は流れ こんなに離れたけれど
伝えておくれあの人に まだ忘れちゃいないと…

そんな歌があった。
とあるドラマのエンディング曲として流れていたのだが、物悲しいメロディーに惹かれ、よく口ずさんでいた。

あれから、30年以上の月日が経つ。
10代の私は40代になり、やがてその歌詞に、心が疼く齢になった。

ただ、この年代になると、忘れていないことは伝えない方がいいんじゃないかなぁと、思ってみたりする。

「お元気ですか?」
「誕生日おめでとう!」

口火を切る術は、わかっているのだけれど、その先へ思いを巡らすと固まってしまう。無理もない。知りたくもない心根が、さらされてしまったのだから。

信頼していた人に、裏切られた。
陳腐な言い方をすれば、そういう事情で、私はひどく傷ついた。

新たな関係に目くじらを立てる資格などない。それは、自分自身が一番わかっていたことだ。なのにあの時、その資格のなさを今更のように強調され、喉元に突きつけられた。

責められる前に、相手の弱みを打つ。
これが…私より17年間、人生経験をしてきた人のやり方なのか。

どこまで先走った行動をとるのだろう。
どこまで己が、かわいいのだろう。
そうして、どこまで弱い人なのだろう。

かつての愛憎劇で、苦い思いをしているのは、聞いていた。が、その時抱え込んだ恨みつらみを、別の人間で晴らすなんて間違っている。その相手が私であったのは、何よりショックだった。

若い頃お世話になった身であったし、なじみや愛着もあったので、彼とのつながりは大切にしてきた。音信不通の時期にも、私からはコンタクトをとり続けた。

10年近くのブランクの後、偶然にも街で再会(もっとも、その場では気付けなかったけれど)。数か月後、連絡が来た時には、どれだけ嬉しかったか。

出会ってから20年、それ以前にも、それ以後にも、彼なりの係わりを持っていただろうが、どういう形であれ、自分は最後に残る人間だ、という自負があった。

寂しい人間というのは、それ故の事情があり、そうなっている。外部の者が、どうこうできる範疇ではない。壁にぶち当たり、心ならずも去っていったのは、私だけではないのだろう。

向き合って穏やかに話し合う努力ができたなら、互いに抱えていた辛い過去とは、違う決着をつけられたのではないか、少しは自信をつけて、前に進めたのではないか、なんて思っている。

「幸福とは、自分の価値を知ってくれる人のそばにいることである」

誰もがそう望んでいると思うのだけどね、なかなか得難い環境なんですよ、アランさん。

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ささやかな幸福、その後

2014年06月10日 12時18分26秒 | in the forest
とある中学の図書室へ出入りし始め、5年目になる。その間、上の息子が卒業し、下の娘が入学し、担当の先生も、共に活動をしていた母仲間も、入れ替わっていった。

出だしの頃、時にズル休みを挟みながら(笑)、淡々と作業を手伝っていた私だが、思い描いたプランを形にできるのが面白く、いつのまにやら古株と呼ばれる存在に。

去年は一番楽しかった。気心の知れた仲間と学生と、見守ってくれる先生と。図書室向上を目指し、一つになれた瞬間があり、得も言われぬ充実感を味わった。

ポツリ、ポツリ、学友に馴染めない子が、放課後の居場所を求め、或いは空想の翼を広げに、校舎の片隅へとやってくる…そんな初年度の状態から少しずつ前進。根っからの本好き少女や、気の合う仲間たちが集う空間へ、4年という歳月をかけ変化していった。

しかし、中核を担っていた学年の卒業に呼応するかのごとく、流れが変わる。

活動に区切りをつけた仲間を、笑顔で見送ったのも束の間、残ったメンバーは、仕事の比重が増して学校へ来辛くなり、馴染んでいた二代目先生も、他校へ異動となってしまった。

そっかぁ。。。最高の環境は、いつまでも続かないんだね。この仮想世界でも、体験していたことだけど、改めてそう思う。

振り返れば、家では親と対立している子どもたちが、母さんのいる図書室を、どこか嬉しそうに覗きに来ていた。子どもたちがいるから、母が集まり、母がいるから、子どもたちが集まっていた。どちらかが欠けると、もう一方も欠けてしまう。そんなカラクリも、失って初めて見えてきた気がする。第二の保健室代わりに訪れていた子たちだって、必ず足を運んでくれる、ありがたい存在だったのだなぁと。

利用し易い図書室へ向けて、手を掛けたい部分は、たくさんある。もはや私の生き甲斐ともなっている図書活動。状況は、心配していた程悪くない。それでも残ってくれた仲間がいた。頼りになりそうな先生も入ってくれた。

なのに、どうしようもない焦燥感が、襲ってくる。来館者0…。一人、本を整理しながら、ため息をつく。

こうしてコツコツ整えている環境が、誰かに役立つ時は、本当にやって来るのだろうか?今すぐじゃなくていい。数年先でも、数十年先でも。「あ、こんな本がある!!」とびっきりの笑顔と好奇心で、手にしてもらえたら、報われるのだけどね。

人の訪れは、水ものなので難しい。学校という器の中でも、学年というカラーがあり、そのカラーも、段階を経るに従って変化していく。ここ数年は、子どもたちを取り巻く環境も、昔とは違ってきた。LINEの来襲、スマホの台頭。暇があったら、家へ帰ってつながりたいってのが実情だ。

そんな彼らの心に、どう訴えかけていくか。あきらめてしまったら終わり。それでも前を向いて、歩いていくしかない。

まぁ、ぼちぼちいこか。
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