JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

ミューズの晩餐 My essay,My life -激突-

2011年09月13日 09時40分00秒 | My essay,My life
去年から心に溜めていたこと、ようやく吐き出しまして、肩の荷が少し降りた気分です。(*^_^*)関西へ戻ってきて何が嬉しいって、心置きなくたかじんさんの番組が堪能できる!もう、’じんちゃん胸いっぱい’よ。いっぱいになった所で、ほしのあきのバストには負けるけどね。やかましいわ。

さて、こうして始まった実家暮らし。まずは、ネット環境を整備するにあたり、PCを新しくしました。リビングの一角を解放し、穏やかな日差しを感じつつ、創作活動♪のはずが・・・ 時折聞こえてくるの。ハーメルンの笛の音が。あ、ご近所さんが奏でるアメイジング・グレイスやった。いささか心もとないんですが、それもご愛嬌と、気を取り直しPCへ向かおうとすると…笛の音に混じり、薄ら寒い呪文のごときものが。私、そっと耳をすましました。どうやら発信源は、我が家のキッチンのようで。

「・・・・・アホ!アホ!アホ!アホ!」奇妙な掛け声と共に、ダークな感情が徒党を組んで行進してくるーっ。こういう時はね、右から左へ聞き流す。気にしない。気にしないー。気にしない~♪ 一休さんの心持ちで、再び創作の世界へ入ろうとすると、今度は掛け声が変わった。「・・・・・キライ!キライ!キライ!キライ!」もぉ~ 集中できやしねぇ。

娘と同居言うても、嫁ぎ先で築き上げたモノを引っさげて帰ってきた訳ですから。気に食わんことも多い。食事、お風呂、掃除、洗濯。暮らし全般に渡り、互いの文化が火花を散らします。とりわけ食事は、母特有の美意識が働き、周囲との軋轢が生まれ易い。

お値打ちの食材を使って調理したものは、ハナから印象が悪いらしく、舌平目のムニエルは、口へ入れる前から「こんなクサい魚!」とケチをつけられ、ハタハタの煮付けも 、激烈な辛口コメントと共に切り捨てられ・・・たまりかねた息子が「庶民ナメんじゃねぇぞ」とつぶやく。自分の範疇にないモノ・理解し辛いモノへの態度が極端なのだ。80近い人間に異文化を受け入れろとは言わないが、それを前向きに捉えている状況に水を差さないでほしい。

調味料には、とりわけうるさい。○○ならこのメーカーという枠組みが、きっちりと構築されており、その他の商品に付け入る隙はない。愛知が誇る’味噌料理’は、散々な目に合った。何故だか並々ならぬ対抗心を燃やしていて、その文化を排斥しようとするのだ。「関西風の上品な味付けが一番」とのたまい、「伍代夏子も、そう言っていた」と付け加えるが、’それは、コンサートへやって来た人へのリップサービスだろ~’と、家族は内心鼻白んでいる。アサリの味噌汁、たまには赤だしで飲みたいがね。夫や子どもは愛知出身だもんで。

世界各地で勃発している紛争は、こうして起こるのか、と一家庭の出来事ながら納得する。自分の尺度で相手を測り、その領域に立ち入り、勝手気ままに振る舞う。そういったことが、混乱や小競り合いへ発展していく。

ある日、裏のゴミ置き場に、私の部屋の戸棚にあった写真立てが無造作に捨ててあったのには驚いた。お気に入りの俳優のプロマイドを入れ、ウン十年に渡って飾り続けていたのだが、本人の了承もとらぬままポイッ! 今更目くじら立てて怒るほどの情熱も持ち合わせておらず、’ああ~’とため息をつくに留まったが、せめて一声かけてくれればよかった。置いてあったモノが失くなり、まず疑いをかけられるのは母だ。己の裁量で人の事柄を推し進めるから。

しかしこれが自分の領分となると、思い切りが悪くなる。嫁入りで携えて来たままタンスの肥やしと化している布団類は、「ええ生地を使ったものなんや」と譲らない。実家が持たせてくれたものには、さぞや特別な想いがあるのだろう。が、使う機会のないまま、今の時代にそぐわなくなってしまっているのを見ると、’もったいなーい。若く体力のあるうち、自分たちの為に利用すればよかったのに’と感じる。

ふわりと軽い布団が横行している現代、真綿の布団はずしりと重く、出し入れも大変なのだ。着物も食器も先に同じで「いつか誰かが」「お客さまがいらした時まで」と、しまい込む。でも日頃使わないものが家の中の空間を締めているのは、ストレスなんだよね・・・

「その空間にも、お金を払い続けているのよ(固定資産税)」こんな視点を教えてくれたのは、私が関西へ戻ったのを知り、久しぶりに連絡をくれた友人だった。そこで生活する人間にとって快適な空間を作り出す為、-入ってくるモノを断ち、要らないモノを捨て、モノへの執着から離れる- ’断捨離’というワードが、このところ雑誌の見出しを飾っていると言う。

降って湧いた’おもいッきり生電話’に、待ってました!とばかり窮状を訴えた。母の身を案じ同居へ踏み切ったのに、「その言い草はないんじゃない?」と感じることしきり。基本姿勢は滅私奉公で、何かをしてあげることに喜びを見出そうとするのだが、そのベクトルがズレており、イマイチ周囲に感謝されない。プライドの高いお姫様なので困るetc・・・

「そうは言っても、お母さんのやりたいという気持ちも汲んであげなきゃ。」「元気でいてくれるのは、ありがたいことよ。」「異文化の衝突。うんうん。それもあるだろうけど、お母さんのお家なんだからサ。」「何度も同じ話をするのは、うちだってそうよ。私は黙って聞いてあげてるよ。」みのもんたのごとく、イタい所を突かれてしまった。(^_^;) それはまるで奔放な妹を諭すお姉ちゃんのようでもあり、「ははーっ。」深く頭を垂れ聞き入った次第です。はい。

父の遺品整理の話にもなった。大量の本と、ビデオテープ、音楽関係のモノ。明らかに趣味じゃないのは処分したが、その前に資料として内容を確認したいのもあり、3年がかりでコツコツやっていこうと決めた。気取った内容ならカッコつけられるんだけどね、カセットテープに入っていたのがラジオの贔屓番組(笑福亭松喬の歌謡大全集)から録音した、お色気川柳のコーナーだったりするんだよ。

「お色気川柳、遺されても困るよね!」と別の友人にはツッコまれたが、私は気に入って聴いていた。 いつしか娘にインプットされていまして(笑)。ある時、夫と皇室の話題で語り合っていると「美智子さん?レッツ都々逸 (どどいつ)の?」と、横合いから素っ頓狂な反応が入ってビックリ。娘にとって美智子と言えば、松喬さんの相方’鈴木美智子’なのである。まったくパーソナリティ冥利に尽きるね。しかし、インプットされたのが川柳の内容じゃなくてよかったよ。

余談ですが、ビデオテープからは『ボキャブラ天国』が発掘されました。若手芸人がネタを競うコーナーに、吹越満が出ていて(ワハハ本舗)と注釈が入っていた。ワハハ出身なのは知っていたけれど、まさか『ボキャ天』に出ていたとは。これが、キモいし、暗いし、ネタおもろないねん。それから『探偵ナイトスクープ』には生瀬勝久が。リーグ優勝で歓喜した阪神ファンに、道頓堀へ投げ込まれたカーネルサンダース。その行方を、ヘドロにまみれて追っていました。吹越さんも、生瀬さんも、今では立派な役者さん。何だか感慨深いわねー

本は、映像や音楽のようにサクっと進まない。自分のモノでさえ、ともすれば’積読(つんどく)’状態へ陥りがち。それを何とかしようと、断捨離を始めたのだが・・・「本は安易に捨てちゃダメ。中からへそくりが出てくるかもよ。ムフフ。」「あ~それ、あり得る~」「それに今は身の丈合わなくても、いつかお父さんの本から教えられることがあるかもしれない。とっておきなされ。」「うん。そうだね。」快適な空間を作り出す。その道のりは長い。

取り立てて波風のない時期に動いて、あらゆる環境が落ち着きを見せてきたのが約半年後。それから日々の生活ペースに慣れるのに、さらに1年を要しました。何事も一気には解決しない。一つ一つの案件を、地道に片付けていくだけ。それでも・・・「世界は日々変化している。毎日時間が来ると夜が明ける。でもそこにあるのは、昨日と同じ世界ではない。」 (BY 村上春樹『海辺のカフカ』)

最近母は、嫁入り布団をベッドパッドに作り変え、日常で使い始めました。そうして着物も、随分手放しました。自分の中で思い切るキッカケや時間の猶予が、必要だったのだと思います。日々の生活で笑ったり怒ったり、ドッカンドッカンぶつかり合って、疲れたりもするけれど娘曰く「お母さんとおばあちゃんは、どんなにケンカしても、すぐ仲直りしているねぇ」それが親娘、されど親娘なのでしょうか。ちなみに夫は、母と衝突すると「なにがあったん?」ニヤつきながら聞いてきます。余程人の諍いが面白いらしい。 (−_−#)