JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

夫婦再生(後編) 

2008年02月26日 08時35分00秒 | 夫婦
 もう私、ブチ切れまして。反乱を起こしました・・・ちょっと、ええ加減にしいや~!『極妻』の高島礼子もびっくり。初めて強い口調で、夫へ言い返しました。「どうしていけないの?」と。「私は10年間、ストレスをため続けてきたのよー!」 あまりのド迫力に、息子(小4)は布団の中で、カタカタ震えていました。目が覚めてトイレへ行きたくなったものの、とても出て行ける雰囲気じゃなかったと言います。こんな父と母の姿を見たことは、なかったのでした。翌日妹(小1)と相談してましたよ。どげんかせんといかん。ちなみにこの時の諍いは、第一次夫婦戦争と名付けられております。(詳しい内容は、昨年5月10日のエッセイをご覧ください)夫が家にいると、精神的に追い立てられる感じがして安らげなかった。仕事の形態上、在宅率が高かったのです。ドラマにネット・・・何かへ深く入り込みたいというのは、そんな現実からの逃避なのかも。自分の世界をもつことは、私にとって大切でしたから。とりわけ書くことは精神安定剤代わりだったので、それを邪魔されるのは我慢ならなかった。だから、第一次夫婦戦争は必死で戦いました。過去の怨恨もぶちまけました。書くことと同時に、仕事にも係わっていたことです。

 数年前、私は地方局のTVモニターをしていました。その局が製作した番組を視聴、感想をまとめるという内容で、テレビ番組に関する意見を友人たちへ語っていた私には、うってつけの作業でした。当時も様々な年代の方との刺激的な出会いがあり、楽しい活動だった覚えがあります。微々たる収入の割に全精力を注いでいたので、とても割りに合う仕事ではなかったけれど、それでも好きなことをやっているのが、満足感へとつながっていました。さて、面白くないのは夫。最初こそ、忌憚なき意見をどこまで書いていいのか躊躇する妻に、「君は局の提灯持ちか?」とナイスな助言をしていたものの、いつしかつまらないといったムードを、撒き散らすようになりました。

 ある時、テレビ出演の話が巡ってきたんです。見ている人なんてまずいない、早朝の視聴者ご意見番組。それでも看板アナにインタビューされるという、得がたい構成になっていました。こちらがいくら望んでも、訪れるものではない機会。乗ってみたいと思いました。が、幼い子どもを抱え、夫の協力なしには話を進め辛かった。それでおそるおそる切り出した結果が、しれっと一言「で?」。もうね、雰囲気的にそれ以上進められる感じじゃなかった。夫婦ってなんなの・・・途端に虚しくなりました。「大変恐縮でございますが、お願いが」と平身低頭に出れば、「認めてやる」つもりだったのでしょうか。それが男の沽券ですか。最終的には出演できることになったものの、どうせなら始めから気持ちよく協力してくれればよかったのにという思いは拭えませんでした。夫婦とはいえライバルなんですよ。自分より上をいくのは好まない。任期が終わって「またやってみたいな♪」と、素直な気持ちを口にした時にも、「もう二度とやってほしくない」隣室から吐き捨てるようなつぶやきが。この人は、私がやりたいことに協力してくれる人じゃない。逆に足を引っ張られる。ご飯を食べながら、涙がこぼれました。それから夫に対して諦めというか、不信感がね。友人には「下手に下手に出て言うことを聞かせちゃうのよ~」なんて言われるんですが、何でそこまで気を遣わなアカンの。それよりは、言いたいことをきちんと伝えたい。過去何度となく呑み込んだ言葉、もうガマンしたくない。

 モメるくらいなら黙る。そんな妻でした。鈍感だから、毎回のように夫に否定されていると気づくのにも時間がかかりました。なんせ「違う」が口癖。事実の相違ではなく、私個人の意見を口にしている時にも「違う!」なのです。これ、結構キツいですよ・・・。不愉快な思いばかりじゃない。傷つくことだって。そんな時も、黙って腹を立て、黙って泣いていました。それが何になる?相手はねぇ、様子がおかしいなとは感じても、何に対してそうなっているのか、わかっていない。こちらはある意志をもっての沈黙であっても、むこうには通じない。怒っているのか、傷ついているのか、或いはあきれているのか、様子を見ているのか、サッパリわからない訳です。夫にも、実はそんな所があって、どうでもいい反論はしてくる癖に、大切なことは正面切って伝えてこない。ぼそっと、あさっての方を向き、気持ちを吐いていました。どこかで、向き合うのを避けていたのだと思います。結果、物にあたったり、子どもにあたったり・・・それがまた、こちらの神経に障る、その繰り返しでした。大きな喧嘩がなかったとはいえ、そういういざこざは何度もあったのです。私の胸の中には日常的に不満分子がたまり、ある時はストレートに、ある時は形を変え、友人へ吐きまくっていました。今よりヒドいですよ。3日と空けず長文メールがどかどかと。

 ではここで、私の心の内を『木更津キャッツアイ』のように、きゅーっと巻き戻してみましょう。去年の今頃まで。「ここは私の居場所じゃない。」友人向けのメールで、周囲をドキリとさせるつぶやきを放ちました。専業主婦ってやりきれんわという思いが、MAXに達しようとしていた時です。田嶋先生始めフェミニストの人たちがわーきゃー言ってる家事労働からの解放だとか家事労働にも賃金をとか、そういうことじゃないんだよな。胸張って生きたいよ。この肩身の狭さは何なんだ・・・。心配した友人が、こんなメッセージをくれました。「確かに三食買っても事足りる世の中、専業主婦の値打ちはないかもしれないけど・・・それでも今は家にいたい。それに無給だけど、無償の奉仕ではないと思う。子供と走り回って運動になる、一汁三菜の食事を作って食べられる、晴れた日には布団だって干せる、自分にもメリットがあるはずよ。」うん。私もそういった恩恵を受けてきました。何気ない日常の中に小さな幸せがいっぱい転がっていることも知っています。けど欲を言えば、わずかながらでも自由になるお金がほしい。そうしてやはり、認められたいのねぇ。

 夜回り先生の本(水谷修著『あした笑顔になあれ』)に、会社で上司が部下に、部下である夫が家庭で妻に、妻が子どもに、自分のうっぷんをぶつけて、うさをはらしていく構図がでてきます。相手を否定的にとらえながらね。そうして、「それでは子どもがかわいそう。子どもだって褒められたい、認められたいんだから」と続くのですが、アタシだってそうだよ!と思った。大人だって認められること、必要とされることを望んでいる。仕事に限らなくとも、存在意義のある場がほしいというのは、誰しも共通ではなかろうか。大人を救うのが子どもを救うことにつながっていく・・・。”子どもより親が大事”あらあら太宰さん(『桜桃』)になっちゃったよー。けど、そう感じましたねぇ。残念ながら専業主婦の私は、夫に認めてもらえませんでした。夫はね、時間という概念でしか物事を量っていない。いかに効率よく進めていくかという視点です。ったくトヨタイズムかよ。が、そのトヨタイズムだって、効率だけを追及している訳ではないはずだ。効率以上に大切にしているもの、それがトヨタを支えているのでしょう。確かに、家事の内容は夫に満足を与えるものではなかったかもしれない。しかし少なくとも、家族にとって居心地のよい空間は提供してきたつもりです。そこは認めてほしかった。ダメな所ばかり数え上げられるのは辛い。ここで認めてもらえないなら、私を必要としてくれる世界へ出て行く・・・そんな気にもなります。例えそれが、幻の世界でも。

 第一次夫婦戦争から数ヶ月後、ドカンとまた大喧嘩をやらかしました。「どうして追い立てられるように家事をこなさなければならないの!」 夫は、ちょっと一息という感覚を許さないのです。どんどん進めて大きく時間をとる方が有効だと。「それはあなたの考え方。家事をやっているのは私なの!!」ポカッと大きな時間なんて空いていらんねん。気が狂うねん。せやからあんさんのお母はんやって、ぎゃーつく息子の家庭にからんでくるのやろ~。こちとら暇を持て余さんように、ペース配分しとるんじゃ。早いのがいいのかというとね、夫が勝手にイラついて参入してくるのですが、決してありがたくはないんですよ。その掃除機のかけ方じゃ、折角取り替えた畳の表面がこすれます~カッツンカッツンあてて家具が傷みます~その洗い方で、お茶わん欠けてます~スポンジすぐダメになりました~もう手伝ってくれなくていいよって感じなの。だから、一つ一つはっきりと、指摘させていただきました。きょとんとしてた。そんな側面、考えもしなかったんでしょうな。自己満足で人の領分を引っ掻き回していくな!以後親切で手伝うことはあっても、イライラして介入することはなくなりました。あ~すっとした。

 もう遠慮はしない。場の空気を乱すちゃちゃは、その場でチクリとやり返します。勢いあまって、「あの言い方はないと思うわ」と息子に指摘されることも。子どもは公平に見てますネ。それでもいいんです。争うのが目的じゃないから。そのステージへ行き着くまでには、「大丈夫?心が荒れてない?」と友人に心配もかけましたが、こんなメールを返しました。「夫婦の問題はね、こじれているようで翌日仲良くなったり。で、またケンカしたり。そういう事の繰り返しなので、他人さまよりは意外と修復可能なんです。うちはそうだと思っています。今年になって色々勃発してるのは、私が今までのように自分の言い分を抑えなくなったのが要因で。でも、言わなきゃわかんないでしょ~。」

 そうさな・・・悪口ばかり言うのも何なんで、夫のいい所を。正面切って思いを伝え合えなかった10年間、どんなに険悪なムードになっても、翌朝必ず夫の方から「おはよう」と、声をかけてくれました。こんな時は私の方が頑なで、蚊の鳴くような声でしか応対できませんでしたが、それでもその一言をきっかけに会話が始まることが多々ありました。それもあって、どうにかやってこれたのだと思います。

 ドラマ『佐々木夫妻の仁義なき戦い』、人ごとじゃないですねぇ。几帳面な夫とガサツな妻の争いだそうで、どこぞの家庭と一緒です。ドラマみたいに体を張ったぶつかり合いではないけれど、それでも過去2回の夫婦戦争は、再生へ向けての足がかりとなりました。ただし息子曰く、「第三次夫婦戦争が起こった時、家族は崩壊する・・・」。核戦争かい!で、妹相手に「二人が離婚したらどっちについてくか、考えとけよ。」「お母さん!」「ん~じゃあ、おいらは父さんかな。」子どもなりに気を遣っているのですね。優しい息子です。娘はどこまでも正直だ(爆)。

 おっと、夫婦再生へ向けての足がかりがもう一つ。愛情確認行為。規則正しいリズム運動が効いて、夫の椎間板ヘルニア、治っちゃいましたから~!主治医もビックリ♪私の存在意義は、どうやらこちらにあったようです・・・。この年になり後戯の大切さを知る。キモくね?人のセックスを笑うな!!やはり、体を張ったぶつかり合いがよろしいようで。


夫婦再生(前編)

2008年02月08日 15時37分00秒 | 夫婦
  ’もう一度、妻を口説こう’私たちの世代をターゲットにしたCDが、去年売り出されました。『R35』というアルバムです。チャゲ&飛鳥の『SAY YES』、米米CLUBの『君がいるだけで』、藤井フミヤの『TRUE LOVE』など、ドラマやCMを通して90年代前半にヒットした恋の名曲を集めたものでした。実は、このアルバムの宣伝通り、夫に再び口説かれまして・・・。一体何から、妻を取り戻したかったのか(笑)。お仲間さんにこの話をしましたらね、「夫君は、じんちゃんの扱いに気を遣っているのでしょうね?」と。なんやえらい哀れな男みたいに見えるでしょう?(うんうんと頷くな!) 違うんですよ。ここへ至るまでに、紆余曲折があったんです。それはまた、別の話。

 こう見えて?私、従順な妻でした。えーっと驚かれる方がほとんどでしょうが、現にそうなんだから仕方ない。人に逆らって波風をたてるという行為は、しない方だと思います。リアルの世界ではね。ただ自分という強固な核があって、どうしても納得できないことには従いたくない。そういう時には、逆らいもしないが従わない。そんなスタンスをとってきました。ただしこれは、余程の時にしか出さないカードです。相手方にも、ちょっとどうよ!っていう部分がある場合ね。

 夫はねぇ、思ったことがすぐ口に出る。この場面でその言葉を吐いて、何が楽しいのん?みたいな。家族でハウステンボスへ行ったんですよ。博多から長崎まで、ハウステンボス号というかわいらしい列車に乗り、駅について改札を出たら、風車が見えるんです。瀟洒なホテルも。ちょっとした別世界なんですよ。つい嬉しくなって「わ~い、風車だぁ」って走り出そうとしたら、「どうせモーターで回ってんだろ」。ふぅ~。喜び半減。久しぶりに鯛を買ってきたんですよ。小さいのを二つ、塩焼きにして、四人家族だから分け合って食べてたんです。息子が一口食べて「この鯛うめっ!あ~幸せだなぁ」とうっとりしていたら、「どうせ養殖だろ」。

 笑い事ちゃいますよ。すべてがこの調子。小さな幸せに水を差すんです。言うたら悪いけどねぇ、私は人に自慢できる学歴であるとか、勤め先であるとか、あるいは家柄とか、そういうものを捨てて夫を選んだんです。人にどう思われるかより、自分がどう思うかでええよな。対外的な満足感なんかいらん。日常の中に幸せがあれば、それでいい。せっかくのご縁、大切にしようじゃないか。そういうつもりで嫁いできました。その為には、親も泣かせました。父は私の考えを理解してくれる人でしたが、母は少し見栄っ張りな所もあって、「この結婚には納得がいかない」と言い張っていました。仕方ありません。母には母の立場があり、私への期待もあり、親と子の歴史もありましたから。一人娘だったので、とりわけ思い入れもあったでしょう。「大きなことを望んでいる訳ではないの。せめてもうちょっと、何とかならないの?」母の気持ちは痛いほどわかりましたが、こればかりはどうしようもありませんでした。ココリコの遠藤と離婚した千秋の気持ちも、少しだけわかるな。私はあんなお嬢様じゃないけれど。(彼女の立場を理解してあげてほしかった。遠藤くんには。)

 夫の元へやってくるまで、私たち家族の中では、色んなドラマがあったのです。それぞれが、胸のうちで泣いていた。気張らん時代とはいえ、女性側の家族からすると娘を取られるという感覚は拭えない。関西から出て夫の親族が揃う名古屋へ行くという地理的な状況の所為で尚更でした。それでもね、結婚式では気持ちを収めて笑ってくれたんです。反対に、夫の両親は号泣でした。車で20分の所に居を移すのによ。いや、そんな感情じゃないんだ。今まで一つ屋根の下で暮らしてきた息子が、巣立っていく。よくぞここまで成長したなぁと、万感胸に迫るものがあった。そんな所かもしれませんが、泣き過ぎだ!はっきり言って友人たち、失笑してましたから~。(トホホ)

 私の両親を慮って踏ん張ってくださいな、その後もいくつかの局面で感じました。’何を甘えてるんです’ キツい嫁ですかね。あまりに寂しい寂しいと連発されると、そう思いたくもなるんですよ。だって、すぐそこにいるのに。何かあった時に駆けつけられる距離。これって大きいですよ。ちっとも来てくれない・・・。現役は忙しいんです。そう思うのなら、そちらから来てください。うわっ、じんちゃんコワいな~ジャガー横田並みやな。こんな鬼嫁にいじめられて(口には出しませんで!いかな私でも)気の毒に。そう思うでしょ?けど、あちらさんもあちらさんなんです。息子が独立して家庭を構えた以上、もう少し遠慮してほしい。嫁を思い通りにしようったって無理ですよ。うちの親からすると、自分の娘さえ思うようにならなかったんだから。寂しさは、自ら解決するしかない。日頃の人との付き合い方とかね・・・ちゃんと種蒔いとかなって思うの。若いうちから。多少不自由ながらも動くことができる。美味しく食事もできる。夫婦ならではの楽しみを見つけてくださいな。一緒に行動できるお仲間さんも。たまには、みんなそろって♪それに不服はありません。しかしハナから当てにされるのはご遠慮したい。私たちには私たちの生活がありますから。寂しい人に振り回されたくありません。

 びっくりしたぁ?おいおい、ここのキャラと違うやないか。えっへへー。手を差し伸べるったって、やみくもにそんなことをしていたら、自分が崩壊します。相手は選んでるんだ。おそらく、いい気になって甘えてくる人には、手を差し伸べていないと思います。そうして、本当に大切な人だけよ。そこのアナタどきっとしない。

 決して夫の親族との付き合いを拒否していた訳ではないので、誤解なきよう。義父の顔を立て、その流儀を汲み、今の世の中そのやり方は歓迎されんねんけどなぁ!特に奥方には・・・と思われることにも、従ってきました。子どもが小さい間はお祝い事に招き、手料理でもてなしたりもしました。自分の親にはしてもらうばかりです。中々手が回りません。それでもよくしたものでね、10年経つうちに少しずつ状況も変わっていきまして、随分過ごし易くなりました。’2週間に1回’’月に1回’(←これ、結構重荷だったんですよ~)そんな訪問リズムは崩れました。会いたくなったら向こうも来るし、こちらからも子どもたち自らバスに乗って行く。私も自分の時間ができ、精神的に楽になって、義理の間の不満はうんと減りました。

 さて、夫ですがな。小さな幸せに水を差す夫。うちみたいな貧乏一家はねぇ、家族間のトークが娯楽の役割を果たすんですよ。静かな時は熱を出している時とトイレにこもっている時(何をか言わんや)という息子を筆頭に、日常から色んな話が出ます。息子が喋りだすと、負けん気の強い娘も口を開く。夕食時の会話は、家族間の交流や情報伝達や癒しや・・・娯楽以外の意味合いも兼ねてるんですよね。その会話の腰を折る。決して口数が多くない男がたまに口を開いたと思ったら、余計な一言なんだ。人のささやかな幸せに対してもそうです。ドラマを見ることが唯一の楽しみだったのに、ことごとく邪魔されました。誰しも’これさえ与えておけば機嫌よく物事が進行する’っていうものがあるでしょう?私にとっては、それがドラマ。かわいいものだったのよ。慣れない土地へ来て、一から人間関係を築いていって・・・ストレスだってたまります。本当は家事だって得意じゃないの。それでも頑張ってやってたの。息抜きくらいさせてよね。

 去年からネット活動を始めたでしょう?目くじらの矛先は、ネットへ変わりました。あれもダメ。これもダメ。妻が夢中になるもの、これ全部ダメ。極端な話ね、本を読んでいてもダメだったの。もう私、ブチ切れまして。反乱を起こしました・・・