JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

Ride on Time(後編)秋の巻

2020年09月29日 18時45分25秒 | 本と雑誌
   アントキノトビラ・・・その発端は、五木寛之さんでした。数年前、某銀行主催の金融セミナー第2部に、五木さんの講演会が予定されてまして。その情報を目にした時にね、「お元気でいらっしゃるうち、ぜひともお聞きしたい!」と。いや、その時点で結構なお年だったんですよ。大阪でのセミナーは所用で逃した為、この時は名古屋まで出張しました。地元に住む友人との約束も取り付けて、大変有意義な遠征だった記憶があります。しかも前日は、寺尾聡さんのLIVEに初参戦で・・・。ああ、もうあんな日はしばらく訪れないんだなぁ。

    ここ数年を振り返り感じるのですが、あっ!というタイミングが訪れたら、サッと組み込んで、スッと実行する。そうやって、自分なりの面白体験を重ねてきた気がします。「アンテナ張ってるのね~!」周囲に驚かれたりもするのだけど、引き替えに何かを手放していたり、他の人が捨てているものを拾っていたり、するんですよね。

   『百年人生を生きる~こころの相続~』というテーマでの興味深いお話でした。「相続は、お金や土地・株といった目に見える(=形ある)ものばかりじゃないんですよ・・・」ある時、編集者たちと食事をしていた五木さんは、傍らの女性のキレイな魚の食べ方に目を見張ります。「すごいね!」と感心すると、「母がうるさかったんです。」彼女のお母様も、親の作法を見よう見まねで身につけていったそうで。こうして代々受け継がれてゆくものがあるのだなぁと。

 自身を思い起こせば…本の上を跨いだり、ページの隅をしおり代わりに折り曲げたりすると、父親から大層叱られた。教師で漢文を教えておられたこともあり、書物に対する想いもひとしおだったのでしょうね。『古事記』の素読を始め、菅原道真が太宰府で詠んだ歌・乃木将軍や大正天皇の漢詩など、口伝えで教わったものは、今も頭の中に焼き付いていると。素晴らしい文化の継承ですな。

   このくだりを聞き、ひとり恥じ入るじんちゃん。幼き頃の我が子に口伝えで教えてたのは、『鬼首村手毬唄』(息子)と『宇宙猿人ゴリ』(娘)だよ。子どもたちにしてみれば、迷惑この上ないですねぇ。
"わっくせーいEから~ ついほーされた〜 そのくやしーさは わーすれはしない♪"
ゴリのやるせなき心情、おそらく道真さんと通ずるものが。一緒にすな〜。オルガンを弾きつつ、叙情歌を口ずさんでらした五木さんのお母様とは雲泥の差だ。叙情歌にちなみ、北原白秋や西条八十といった名前が挙がっていましたが、じんちゃんにとって、西条八十と言えば童謡の人というよりは~「ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ」の詩人さんだ。meに刻みつけられてるのん角川文化かよ。

   さて、かつては小学校の教員だったというお母様。若い頃に亡くなられた所為もあり、いろんな話を聞く機会がなかったのだそうです。やがて月日は流れ、当時の教え子から思い出の写真を見せられた時、「ああ!母さんにも、こんな時代があったのだな」と。眼鏡をかけて採点する様、テニスコートへ佇む姿など、五木さんが初めて目にするものだったのでした。考えてみれば、自分は何も知らない。母がどんな青春を過ごしたのか、どういう経緯で父と結婚したのか。いや、それどころか!戦争体験をしていた父からも、聞けなかったままの話が・・・。

 日々の暮らしで、自ずと受け継ぎ、現在も続けている習慣はあるけれど(それだけでなく、五木さんの経歴を拝見していると、親御さんからの文化的影響をひしひしと感じます)、進んで聞き出し、その記憶を相続していくのも、大事だったのではないか。何故もっと耳を傾けておかなかったのか。しつこく!貪欲に!(たぶん今だから言えるんですよねぇ・・・)「国の伝統や文化も、そうやってつながっていくのだと思いますよ。」

   それからは、『遠野物語』で有名な民俗学者柳田國男の『涕泣史談(ていきゅうしだん)』へ。太平洋戦争開戦前(昭和15年)に行った講演の中で、’明治維新以降日本人があまり泣かなくなった。これはどういうことか?’と。古代より数々の文学作品には、「涙」の場面が登場していた。涙を流して泣くのが、内なる感情を表に現す、1つの手法だったんですね。やがて言葉が、そうした身体表現に、取って代わるようになる。言語能力が向上していくにつれ、身体を使った表現の機会は失われいく。

 何かに触れた時、心に生ずるあるがままの感情。それを自然な形で放出するのも、大切なのではないか。江戸時代の学者本居宣長は、『源氏物語』や和歌の研究を通して、「もののあはれ」という理念へ辿り着きます。医師でもあった彼ならばこそ、心や身体の健康という観点からも、いにしえの文学作品に滲む日本人のあり方を、見つめていたのかもしれませんね。
"生きているうちには、辛く悲しい出来事に遭遇する場面もあるが、鍵をかけて外へ出さずにいる限り、それは消えないのだ。永遠に。"

 「私たちも、泣くのを忘れて戦後を生きてきた気がします。」五木さん曰く、そうしたことも相続されなくなったのではないか?と。お芝居や小説など、泣くべき場所や時を持ち、適度に感情を出しながら、カルチャーへ高める。泣きたい時に泣き、笑いたい時に笑い・・・それは車の両輪のようなもので、ちゃんと動かしていると、前へ進む(生きる)力になる。『探偵!ナイトスクープ』西田(敏行)元局長のスタイルは、間違ってなかったってことだな。←こら

   ここ数ヶ月は、コロナ禍の状況にあり、対面で各種文化へ触れる場面が激減しました。特に舞台関連はねぇ・・・大打撃ですよ。ならば!と、近頃はオンラインで参加できるLIVEや講演会も、少しずつ増えています。それはそれで、良い側面(現地へ行かずとも全国、いや世界からの参加も可能!?)もあるのですが、「やっぱり生の魅力には、かなわへんよぉ~」とは、双方経験した友人の弁。そりゃそうだわ。彼女が以前出入りしていたのは、若者たちが集うライブハウス。「四方八方から押されて、身体が宙へ浮きそうになってね・・・」「で、どないしたの?」「隣にいたお兄ちゃん(←ちなみにアカの他人です)にしがみついて、事なきを得た。(^^ゞ」なんて体験をしてたんだもの。濃い!濃い!でもね、じんちゃんにも心当たりがあるの。現場ならではの息吹が、より心を震わせ、お客さんの反応も含めて、記憶に刻まれるんですよね。

   さて、この数年間のじんちゃん。イケてる中高年へ会いに行こうツアー勝手に題しまして、いろんな場所へ足を運びました。本や音楽が好きなので、そういう方面のイベントに赴く機会が多かったけれど、某企業総会の招集通知書に小宮悦子さんのお名前を見つけ、「うわぁ~!ニュースステーションのえっちゃん!好きやったわー」東京まで行ってしもたこともあります。追っかけウーマンかよ。久米宏さんのお隣で、ニュース原稿を手にしていた頃から、ウン十年!?ショートカットに愛嬌あるえくぼが印象的だった’えっちゃん’は、素敵に年を重ねられていました。凛とした大人の女性よ。そのオーラを少しでも浴びたくてね・・・「こちらからお詰めくださーい。」係員の案内をさらりとかわし、小宮さんの斜め前方エリアへ陣取り、にひひと。ともすれば緩みがちになる口元を引き締めまして。ふむふむと話を聞きつつ、さらさらとペンを走らせ、チラチラとえっちゃんを見る。おっさんか!!そんなヒトコマも、楽しい思い出です。こうして溜め込んだ諸々の記憶は、自粛期間中の心の支えになっていました。

   五木さんの講演会も、ご本人の佇まい込みで素晴らしかった!’お元気でいらっしゃるうち’なんて思い込み、申し訳なかったです。「(立松和平さん、寺山修司さんと共に)三大方言作家と言われております。」ちょっぴりはにかみながらの自己紹介。その後の弁舌さわやかな語り口と、降壇の際にスッと背筋を伸ばして去っていかれたお姿。かっけー!!ダンディーの極みですよ。ああ、これが実感というものか。

 昭和とは・・・平成とは・・・こういう時代でした。TV番組等を通じて、目にする機会がありますね。それに対して五木さんは、こうおっしゃっておられました。「資料としてまとめられた内容と、自分の実感が異なる場合があるんです。(懐かしのヒットパレードを眺めていても)」表の歴史とは違う各々の実感、それを言葉にするのも、必要なのではないかと。先人の話を注意深く聞きつつ、自身の体験を通して感じたことを含めて、後の人たちへ伝えていく。何を受け取るべきか、何を伝えるべきかを考えながら。

   私事ですが、今年もまた一人、「語り部」の役割を担っていた親族が、あの世へ旅立っていきました。口数は決して多くなかったものの、法事などで顔を合わせる度に、ポツリポツリ・・・父方、母方、双方のファミリーヒストリーを語ってくれる存在だっただけに、残念で仕方ありません。この所しみじみ感じるのです。「学校」を舞台にした「本」にまつわる活動を、じんちゃんが続けているのは、ご先祖さまが手掛けていたことの継承かなぁと。表立って影響や誘導を受けた訳ではないのに、不思議と自然にその道を辿っている。祖先からのDNAに導かれているのか!?

   興味を惹く対象が多岐にわたる現代で、学生たちに本を読んでもらうのは大変よ。できればお仕着せでなく、自ら選び取ってほしいしねぇ。そんな中、たまーに「おっ!」という場面に立ち会うことがあるの。ある図書委員さんが本の紹介で選んだのが、五木寛之さんの『生きるヒント-自分の人生を愛するための12章-』。図書室にある、あまた蔵書の中から、どういう経緯でその1冊が手に取られたのかわからないけれど、これは嬉しかった!!比較的最近刊行された「愛蔵版」でも「新版」でもない、1990年代のオリジナル版というのが、泣かせるじゃないか。中学生の昨今の読書事情を鑑みるに、奇跡とも思える結びつきです。アニメ絡みのライトノベルや、ドラマや映画などへ映像化された作品が、どうしても目立ってしまうから。しかし、その時々の流行に左右されない、地味かもしれないが良質な本に気づくセンスって、素敵だなぁと思うし、そういった結びつきを見届けられるのは、今の私のささやかな幸福よ。

P.S. 上記の五木寛之講演会でのお話が本になっています。
   
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