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JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

月と太陽

2015年01月24日 08時48分38秒 | 本と雑誌
新年が開け、ようやく戻って参りました。お世話になった伯父が亡くなりまして。いや~怒涛の年末だった。「今回は大掃除もお節もサボります」友人のメールに、「それいただき!」さすがにお節は無理だったけど、恒例の年の瀬大掃除はお休み。自分の誕生日は、ちゃっかり確保した、じんちゃんです。

年始はね、のんびりまったりしながら、くたびれた心を癒していました。そういう時間が必要な程、摩耗していた。本を読んで、ドラマを見て、友人と会って…それぞれの場面で、面白い巡り合わせがありましたよ。ああ、人生捨てたもんやないな。しみじみ感じる今日この頃です。

娘が、興味深い本を紹介してくれました。『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』二人の作品や手紙、或いは誰かへ話した内容から、各々の言葉を抜き出して対比し、双方が語り合っているかの如くまとめた、名言集です。

例えばゲーテが「希望は、わたしたちが生きるのを助けてくれます。」明るい言葉を吐きますと、それに続くカフカがですね、 「朝の希望は、午後には埋葬されている。」ゲーテの文言に、パサーッと水をかけるようなセリフを吐く。もう私、爆笑してしまいまして。

「希望を失ってしまったときにこそ、良いことが待っているものだよ。」(ゲーテ)
「ぼくがどの方角に向きを変えても、真っ黒な波が打ち寄せてくる。」(カフカ)

「陽気さと真っ直ぐな心があれば、最終的にはうまくいく。」(ゲーテ)
「すべてが素晴らしい。ただ、ぼくにとってだけはそうではない。」(カフカ)

ちょっと!カフカはん、足引っ張らんとってくれるぅ?眉根を寄せつつ振り返る、ゲーテの困り顔が目に浮かぶ。彼だって、根っから能天気な訳じゃないと思うのよ。『若きウェルテルの悩み』を書いた人だもの。暗かったわ~あの小説。人妻に恋して自殺するの。しかも、自分の体験談を元に書いたっていうんだから。御苦労なさったのね。

「太陽が輝けば、ちりも輝く。」(ゲーテ)
「暗闇に戻らなければなりませんでした。太陽に耐えられなかったのです。」(カフカ)

「厚い雲、立ちこめる霧、激しい雨の中から、希望はわれわれを救い出す。」(ゲーテ)
「救世主はやってくるだろう。もはや必要でなくなったときに。」 (カフカ)

あはは。カフカ最高!!でもね、ゲーテの死後約50年経って生まれてきたカフカは、彼の作品を好んで読んでいたそうです。そうして、彼が住んでいた家を訪れたりもしたらしい。その愛情は、生涯変わることがなかったと。時に闇へ引き込まれそうになりながら、幾度も気を取り直して、前へ進み続けた…そういったゲーテの裏側を、カフカは理解していたんじゃなかなぁ。

夕食の席で、ゲーテVSカフカの名言集を披露していたら、夫と息子は、どちらかと言えば自分はカフカ派だと言いました。ああ~すぐ人の話に水をさすもんね。しかし、勘違いしないでもらいたい。カフカは、決して天の邪鬼や皮肉屋じゃない。体質的にゲーテのようにはいかないよというだけで。人の心情への共感力は、ハンパないのだ。「カフカの言葉の方がさ、しっくりくるんだよな。」(←息子)

じんちゃんはね、名言集から香る心意気ではゲーテが好き。 元来、後ろ向き人間ですから、心情的にはカフカなんですよ。でも、そっちへ寄っていくと引き込まれそうになる。ズブズブ嵌って、身動きとれなくなる。だからできるだけ、ポジティブな方へ目を向けるようにしているかな。

愛知の書店で、娘がこの本を目にしたのは、昨年のこと。一緒にいたおばぁちゃんに「どれか2冊、欲しいものを買ってあげるよ。」と言われ、数冊をピックアップ。悩みに悩んだものの、最後に手放したのでした。しかし、彼女の’いつかきっと’といった執念たるや、なかなかのもので、数ヶ月後、学校図書室の購入希望アンケートへ記入。「私の希望通るかしら…」祈るように待つこと再び数ヶ月、今度は連れだって出掛けた大学祭で-

「ちょっと古本市覗いてくるわ!」勝手知ったる階段を、たったったっと駆け上がり、模擬店へ。「あ、これ面白そう」しばし手に取り、チラチラと内容を観察、購入を決めました。しかし、原作朝霧カフカて。あなた、そこへ反応したんですか?どうせなら『海辺のカフカ』(村上春樹)も読みなさい。図書室にあるわよ。中学生には刺激強過ぎないか?って箇所もアリだけど(←下巻:風俗に纏わる記述で、筆がノル春樹さん)。

国内外の文豪がキャラクターとなって、特殊能力(それぞれの作家の作品名を象徴した)を駆使して戦う、アクション漫画『文豪ストレイドッグス』。学祭の模擬店で手に入れた娘は、一気にその魅力にハマり込み、帰りに早速続きを買っていました。「お母さんの好きな太宰さんも出てくるわよ。」「どんな設定になってるのん?」「カッコいいよ。でもいつもどこかにグルグル包帯を巻いてて、ちょっと中二病っぽい。」「いや~ん。イタいとこ突かれてるわ。」「それでキレイな女の人と心中したがるの。」「うふふ。その通りやねぇ。」

現代の作家さんなら、やはりツッコミどころ満載の渡辺淳ちゃんは欠かせないな。

能力名『失楽園』。
なお美という人妻の恋人がいる。白いスリップを着用させ、敵を悩殺。のつもりが、敵より自分が倒れ込む。
殺し文句、敵の耳元で「僕の跡目はキミに任せた」。相手を喜ばせた所で、止めを刺す。この言葉が、実は常套句であることは、伏せられている。

村上龍
能力名『すべての男は消耗品である』。
戦闘中に叫び、相手の戦意を喪失させる。ただし、「お前もその一人だがな」という言葉には弱い。
形勢が悪くなると、限りなく透明に近くなり、敵の背後から襲撃する。決めゼリフは『だいじょうぶマイ・フレンド』。

田辺聖子
能力名『一生、女の子』。
『愛してよろしいですか?』と、たおやかな物腰で近づき、有無を言わさず押し倒す。
たぐいまれなるユーモアの糸で、ねっとりと相手を絡め取り、最後に毒を吐く。
左手薬指の指先に、カモカ(妖怪)というおっちゃんが寄生している。鬼太郎の目玉おやじのように、頼りになる相棒である。

東野圭吾
能力名『さまよう刃』。
念じるだけで、圭吾剣を自在に操ることができる。『変身』『分身』『魔球』と、あらゆる技を使いこなす、ハイスペックの持ち主。
その華やかな筆さばき?で、銀座のお姉ちゃんに、ついうっかりモテてしまい、リーダー格の淳ちゃんと仲違いをしたのは『秘密』。

すんません。遊び過ぎました。能力名に何を持ってくるかが、見所ですねぇ。その作家を象徴する作品が、上手くハマると嬉しい。吉田修一さん、伊坂幸太郎さん、北方謙三さんも考えてみたのですが、「ええ加減にせぇよ!」と怒られそうなので自重します。キャラの立つ百田尚樹さんと岩井志麻子さんも、メンバーに入れたい所♪

さて、先日娘と夜ご飯を食べに行きまして。とあるレストランで、注文したお料理が来るまで本を広げておりますと、「うわぁ、ちっちゃい活字を追ってるねぇ。」娘の手元を見下ろしながら、笑顔を浮かべる店員さんが。

「こんなちっちゃい活字の本、ほとんど読まないよ。例外は、沢木耕太郎さんくらいかな。」「確かトラベルものを書いていらっしゃる方ですよね。」「沢木さんは『深夜特急』が有名ですが、僕はね、これ勧めていいのかわからないけど(チラっと娘を見やり)、『テロルの決算』という作品が面白かったです。」「初めて聞くタイトルかなぁ。『深夜特急』はわかるんだけど。図書室にもあったし。」「お嬢さんも、いつか読んでみてね。今年は羊年にちなんで、『羊をめぐる冒険』なんてのもいいかもしれない。」「村上春樹さん!うちにあります~」「いい作品ですよね。」思いも寄らぬ会話が展開し、心が和みました。

このお店はね、亡くなった同級生と訪れたことがある、想い出の場所なんです。ウン十年ぶりに再会した友人が彼女を仲間に引き入れ、最後の2年程交流があったのでした。ある時メーリングリスト(仲間うちのメール配信)で映画の話になり、「今なら『ノルウェイの森』を観てみたいわ。」つぶやいていた彼女に、「じゃあ一緒に行かない?」と声をかけると「そうねぇ。行っちゃいますか(笑)。」

学生時代以来の再会。お互いわかるだろうか?と、ちょっとドキドキでしたが、わかりました!彼女はしっとりと落ち着いて、大人の女性といった趣き。 昔は才気煥発のしっかり者で、エネルギッシュな人だったのですが、そういった面は、随分なりを潜めていました。「こうして二人で、映画を観るとはねぇ。」「だって私の座右の銘は…」「"鉄は熱いうちに打て!"でしょ?」こちらを眺めながら、いたずらっぽく笑っていた彼女を、今も覚えています。

新年会、お花見、母校の新校舎見学、それからラストとなった夜のお出かけ…仲間内で集まる機会で、顔を合わすことは度々あったものの、共に映画を観たのは、この時一度きり。「春樹さんはね、ボストンに住んでいたことがあって馴染みがあるのよ。私も隣町にいたものだから。」「独特の世界観だよね。海外でも読まれているそうだから翻訳向きなのかな。映画は、よく観に来てるのん?」「そうねぇ。。。ちょっと前だと『悪人』っていう作品が良かったわ。」「ああ、それY子ちゃんもオシてたよね。」

大学から別の道を歩んでいたので、その頃の想い出話も含め、食事を摂りながら小1時間程お喋りしました。国際結婚、渡米、帰国、そうして離婚。細かい事情が語られることは結局なかったのですが、傍目から見ても激動の人生だったことは、想像がつきます。蓄積された身体や心の疲れは、ハンパなものじゃなかったでしょう。いつか…話してくれる時が来るといいがなぁ。そう考えていたのは、私だけじゃなかったと思う。が、しばらくして突然の病で、あの世へ旅立ってしまった。

「さっきのレストランね、亡くなったお友達と食事した所なの。」「そっかー」「カウンターに並んで座って、いろんな話をしたよ。お母さんね、彼女のことを何でもできるスーパーウーマンだと思っててん。そうしたら」「なになに?」「私、メカオンチなのよ~って」「あはは。」「それで、むっちゃ親近感が湧いてしもた。」「いいお店だったよね。お料理も美味しかったし。」「うん。店員さんと本の話ができたレストラン♪初めてだったわ。」

不思議な体験だったけど、嬉しかったな。沢木耕太郎さんかぁ。いつか手に取ってみよう。(^^)

「行きたい所へ行き、会いたい人に会う。」それが、友を亡くして以来、じんちゃんの座右の銘となりました。万物流転。ご縁もまたしかりですものね。さて今年は、どんな出会いが待っていることやら…

OGPイメージ

Taiyo & CIscomoon - Magic of Love 1999.09.30

talk
https://youtu.be/rDv81ttEFrQ

youtube#video

 


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秘密

2012年03月01日 11時24分49秒 | 本と雑誌
ママ仲間から、東野圭吾の『秘密』を借りました。久しぶりに、心が震える小説でした。ラスト数十ページ、泣けて泣けて…そうして最後に…おっと、これは伏せておきましょう♪

夕食後、自室に引き揚げベッドにゴロンと横になって読んでいると、娘(小5)がやってきて隣に寝そべり、本を覗き込んで言うには、「お母さん、マスターベーションって何?」選りに選って、何でそこへ目がいくねんな。主人公がね、娘の小学校の若い女教師の写真を手にして、トイレへこもるシーンがあるのよ。めったに出てこない描写やねんけどな~

奇しくも息子(中2)のテスト期間中、階下のリビングで必死こいてドリルをやっているのを知っていたので、「お兄ちゃんに聞いてきてみ♪」と言うと「ええーっ!?やだぁ~」笑いながら階段を下りていった。どうやらアヤシイ話題であることは、感じているらしい。続きを読みながら結果を待っていると、クスクスしながら戻ってきて「やっぱり聞けなかったわ。」と、身をくねらせる。

「ま、しゃーないね。」「うん。」「マスターベーションっていうのはね…」「きゃ~!」「止めようか?」「ううん。聞きたい。」

翌日、この顛末を夕食の席で語ったら大ウケ。「ついでに、こんな質問も用意してたんやけどな。 ’お兄ちゃんは、やってる?’ って聞いてみ♪」すると、息子が意味ありげな目付きで答えて言うには、「それは、秘密です…」

妻と娘が帰省中バス事故に合い、娘だけが助かるのだが、その娘に死んだ妻の魂が宿る。妻は、以後の人生を、娘として生きていく…という内容。映画やドラマでは、そこから発生するドタバタが主になっていたのかな?(観てないんすよ~)原作は深いです。専業主婦として、家族の幸せを大切に生きてきた妻が、事故を機に変わろうとする訳よ。「家庭的な奥さんが好きだった」という夫と「そういう自分を否定はしないけど、やっぱり肩身が狭かった」という妻。

ちゃんと勉強したい。そうして自分の可能性を広げてみたい。小学5年生で事故に合った娘は、それからの人生を、精力的に切り開いていきます。中学受験(私立女子校)をし、従来の環境と違う所へ身を置いてみる。しかし、そこへ埋没してもいけないと考え(医学部のある大学を目指すのだ)、次は男女共学のハイレベルの高校へ。明けても暮れても勉強、勉強…のハズが、意義を求めて入部したテニス部で、男子学生に恋されて。もうサ、夫はたまらなくなってくるの。家族だけを見ていた妻が、どんどん新しい扉を開いていく状況に。

で、悶々と葛藤し続ける。ブザマよ~。嫉妬が嫉妬を生んで、最後はストーカーまがい。でも、わかる気がした。妻の体は死に、その魂が娘に宿ったことによって引き起こされる事態となっていますが、そうでなくてもあるでしょう。だから面白い。 人ごとじゃなくね。

バス事故から、被害者加害者の話へも発展するのですが、こちらも興味深かった。運転手は、自ら志願して仕事を増やし、加重労働になっていた。何故そうまでして、お金が必要だったのか?加害者の妻、連れ子、元妻、その子ども…事故の陰に、いろんな立場への想いが潜んでいます。

東野さんて、事件や事故のその後を、よく描いていますね。『さまよう刃』や『手紙』も、そうじゃなかったかな。もち『白夜行』も。そこで終わりではない。 生きている人がいる限り、物事はつながっていくのネ。


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GET UP MY SOUL

2009年12月29日 11時14分00秒 | 本と雑誌
ん?『桜桃忌』ちゃうのん・・・ははーん。また例の中折れやな(笑)。 という反応なら良い方で-ああ、そんなん書いとったなぁ。もう内容忘れてしもたわ。ぐへっ。

沈黙を続けていると、こういう状況になりかねませんからね。続けてサマになるのは、スティーヴン・セガールくらいのもんで。いや、それだって限度があるでしょう(←こら)。という訳で? 年越し前に戻って参りました。(*^_^*)

今年はね、あまりエッセイを生み出せなかった。みなさんとの交流も、活発にはいかなかった。コラボやったり、お題を振ったり、個性的なメンバーが集う’じんちゃん野球部’ならではの企画を、考えていたのだけれど。かけ声のみで終わってしまって、ごめんなさい。

その代わり、リアルの世界で活動していました。実家のこと、地域のこと、いろんな出来事が降りかかってきた一年で、慌しかった~。兵庫の実家と愛知の自宅を、行ったり来たりする二重生活・・・移動の新幹線で、プシュ~ッとビール缶開けてな。膝の上には、売店で買った’週刊SPA!’。これ唯一の楽しみで。オヤジか。

生活に支障が出る程、父の具合が悪化したのが去年の末。「歩こうとしても、膝に力が入らんようになってな。入院や。」この言葉の後、寝室のある二階へ上がることは、もうありませんでした。昨日まで当たり前の状況が、ある日を境に存続できなくなる。父の姿を通して思い知った。欠けてみて、ようやく気付くありがたみですね。短期の入院に、ホッとしたのも束の間、最後の日に医師から告げられたのは、父の体がこれからたどるであろう道のりと、「桜の咲く頃まで・・・どうかな」という余命。残された日々に、何をしてあげられるだろう。どんな助けが必要だろう。考えて動いてみたものの、心のケアはというとねぇ。(-_-)この期に及んで優しくするのも何だかなーって感じで。父にしてみれば、物足りなかったかもしれません。

そんな中、地域の役員を引き受ける機会が訪れました。笑わないでね。じんちゃん、チビっ子たちと、活動しています。 地元行事が絡めば、親子共々多くの人に動いてもらわなくてはならず、準備段階から当日まで、気の休まる時がない。夏の日帰り旅行、秋の区民運動会。行事を一つ終えるごとに、反省することしきり。客観的に見てこうした方がいい、というのはわかっているのだけど、実践は難しい。ああ、やはり私は使われる側の人間だ。その方が向いている。骨身にしみた。トホ~

それでも、こうした活動から、元気をもらうことがありまして-幼稚園年中のチビちゃんがね、ウォーキングで5キロを完歩。 初挑戦で、にこやかに、歩き通しました。運動会では、最年少のリレー選手を務めてくれた。彼の頑張りは、その後を継いだ小学生、中学生、さらには大人へとつながり、例年下位を彷徨うチームが、上位でゴール。これは嬉しかった~。参加希望者の交渉&調整。出場メンバーが決まるまで、いろんなドラマがあるだけに、それが花開いた時には、喜びもひとしおです。じんちゃんも、競技に参加したよ♪はいつくばって、ネットをくぐり、はしごをくぐり、ダンボールをくぐり-’ぶはは。その人生と一緒やん’って、やかましいわ。 このテーマをBGMにしたいところ。大洋ホエールズ時代のパチョレックか!

https://www.youtube.com/watch?v=CjF8sjuPLxU

忙しさに紛れ、父が亡くなっても、その死を悼む余裕は、ありませんでした。母の生活を支えていく基盤づくり、相続手続き・・・ 現実的な業務を粛々とこなし続け、涙を流す時間も与えられない。人の死って、そこで終わりじゃないんですね。それでも世界は、回っていくから。ただ純粋に、父を想って泣きたい。そんな感情も、心のどこかに存在しています。きちんと父をおくれる日は、もう少し先かしら。

優しい気持ちになりたくて、読み聞かせを始めました。娘向けにと手にしたのは、『あしながおじさん』。いつしか私の方が惹き込まれてた。’身寄りのない少女が、ある資産家の目にとまり、大学進学の援助を受ける’という内容は、記憶にあったものの、改めて読むと深い。最終的に幸福を手にするので、一種のシンデレラストーリーと言えるでしょう。が、好意に甘えているだけではない。期待に添うべく努力もするし、受けた援助は返したい、世話になるばかりは嫌だよ! そんな気骨が、主人公のジュディーには、あるのです。そうして、あしながおじさんのあり方も、考えさせられるんだなぁ。

おっかなびっくり経験を重ね、世界を広げていくジュディーを、最初は余裕カマして眺めていたと思うんですよ。それが次第に -よちよち歩きの、かわいいひよこちゃんが、自らものを考え、行動に移すようになると-複雑な心境へ傾くのかな。過度の愛情で囲い込んだり、しつらえた枠組みの外へ羽ばたこうとする彼女を、けん制したり。’どうか私を甘やかさないで。自立させて。’ そんなジュディーの心情と衝突しながら、そこから何かを汲み取り、彼自身も、変わっていくのでしょうね。あしながおじさんのLOVE。それは、一人の少女の中にある才能を信じ込める力。彼女を不幸なお姫様にしておかない、彼の心意気は、好きだな。

「おじさん、わたし、幸福になるひけつを見つけたんです。それはね、今を生きること。すんだことにくよくよせず、さきのことを思いわずらわず、今このときをせいいっぱい生きることです」ジュディーの言葉を胸に、私も頑張ろう~♪彼女と同じく書くことが好きな、ナンチャッテ少女のじんちゃん。来年の目標は・・・あしながおじさんを見つける!!ステキなおじさまに出会えるよう、日々精進致します。かしこ。

https://www.youtube.com/watch?v=0DdgfCKUMyY

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『桜桃忌』 外伝

2009年09月15日 13時53分00秒 | 本と雑誌
 その出来事については、以前武勇伝という形をとって、エッセイにしたことがある。当時付き合いのあったお仲間さんや、初めて心の傷をさらす友人たちに、少しでもショックを与えないよう、自分なりに配慮したつもりだった。 (そうした気遣いは、かなり裏目に出てしまったけれど)誰しも、人の痛みなんて、すき好んで目にしたくない。それは、わかってる。では、どのような理由で、表に出したのか。あの頃の私は、こんなことを伝えたかったのだと思う。’不幸なのは、あなただけじゃないよ’。それでも、核心に迫ることは憚られ、笑いの形態に逃げた。オリエンタルラジオのラップのリズムに乗せ、強盗に襲われながらも立ち向かっていく様子を再現した。「武勇伝 武勇伝 武勇 でん でん で でん Let's go!」

 エッセイ後半で触れたが、男性相手に武勇伝など、そうそう成立しないのが実情だ。取っ組み合いになり、首を絞められても、徹底抗戦したのは事実。だが、その一方で、泣き叫びながら懇願するぶざまな自分がいた。「お願いだからやめて!」 過去の記憶と共に、湧き上がってくる屈辱感。あの時 私は、男の力というものを、嫌というほど思い知った。男が本気を出したら絶対にかなわない。手加減してくれているのだ。いくら女が、口で偉そうなことを言えど、それが現実だろう。

 十分前後のもみ合いが、随分長い出来事に感じられた。「戦ってる場合じゃないよ。逃げなくちゃ!」 と言ってくれたお仲間さんがいたが、そんな選択肢はまったくなかった。男は薄闇の中で息をひそめ、帰宅して部屋に入ってくる私を、待ち受けていたのだ。ドアを開いた私は、横合いから飛び出した相手に口をふさがれ、いきなり押し倒された。恐怖より、何より、どうしてこういう事態になっているのか、という不可解さの方が強かった。’カギをかけ忘れたのだろうか。ベランダから侵入されたのだろうか。あなたは誰なの?何故私なの?どうして・・・どうして・・・’ 同様の被害に合い、死に至った女性の報道を目にする度、そんな混乱の中で絶命した彼女の無念さを思う。一人しか殺していないだとか、その殺害方法に残忍性がないだとか、そんなことが、犯人の罪と罰を測るモノサシになるのは、間違っている。

 とにかく誰かに、知らせなければならない。そう感じた私は、ロフトの階段をガンガン蹴って、階下の住人にサインを送った。私の未来を信じ、東京へ送り出してくれた両親に、悲しい思いをさせる訳にはいかなかった。何とかして、助かる方法はないか。緊迫した状況にありながら、どんな可能性をも探ろうとした。

 予想外に手間取り観念したのか、突如男は、傍にあった私のバッグをひっつかんで逃走した。安堵と共に、男に対していた時には囚われまいとしていた恐怖感が、ひしひしと押し寄せる。助けを呼ぶ力もなく、暗闇の中、カタカタと震える身体を、抱きしめ続けた。都合よく助けに来てくれるヒーローなんて、期待するな。自分を救えるのは、自分だけだ。今も私は、そんな思いを抱えて生きている。

 一息つき、動き出せそうな感覚が、少しずつ甦ってきた。小窓までにじり寄り、カギを開け、窓枠にしがみつきながら、やっとのことで立ち上がった。そうして渾身の力を振り絞り、助けを呼んだ。窓の下には、民家の芝生が広がっていた。その向こうには、煌々と灯りのついた建物があった。人がいるであろう場所に向かって、何度も、何度も、助けを呼んだ。けれど、その家から反応が返ってくることはなかった。

 「どうしたぁー!」 しばらくして、反対側から、複数の男性の声と足音が近づいてきた。裏手にあったゴルフ練習場の客が、駐車場で悲鳴を聞きつけ、駆けつけてくれたのだ。急いで そちら側の窓を開け、男に襲われたことを伝えた。 「キャー こわい」隣の部屋から、おそるおそる顔を出す、二人の学生がいた。私を救える人は、間近にいたのだ。だけど、必死で助けを求めていた時、彼女たちから反応が返ってくることはなかった。誰だって、自分の身が、かわいい。通常でない事態が勃発していると知れば、扉を閉ざしてしまうのが、防衛本能というものだ。あるテレビ番組では、こんなノウハウを伝授していた。危険な目に合い、人の助けを呼びたい時には、こう叫べ。「助けて」 ではなく、「火事だ!」 と。皮肉なことだが、人間心理の的を得ている。身を持って体験した私は、そう感じる。

 通報によって、警察がきた。被害現場の検証。室内の写真をバシャバシャ撮られ、日頃から小奇麗な状態にしていなかった私は、穴があったら入りたい気分だった。部屋干ししていた、決してかわいくも、セクシーでもない下着も、恥かしくてたまらなかった。盗難品が、ないかどうかのチェック。金銭の被害は、バッグに入っていた財布くらいだったが、部屋の中は荒らされ、アクセサリー類は、いくつか持っていかれた。襲った女が身に付けていたものをコレクションする。戦利品というヤツだ。

 現場検証が終われば、警察への移動。被害の証拠写真として、犯人に殴られ腫れ上がった顔写真を、何枚か撮られた。グレーのパンツスーツを着ていた私は、さながらプリズナーの如く、写真に収まった。それが終わると、調書作成。捜査官の方々は優しく接してくださったが、一つ一つの行為は、被害を受けたばかりの身に応える。たとえ仕方のない手順であっても・・・。そんな中、硬直した心を、ふっと緩ませたものがあった。「では、今までお聞きした内容を読み上げます。よろしいですね?」 事件の経過が、年配刑事の口を通して、語られていく。被害者には辛い確認作業なのだが- 調書を耳にしていて、美しい文章を書く人だ、と思った。無味乾燥なトーンでなかったのは、ちょっとした驚きだった。’横溝正史の小説みたい’ 。それがいいのか悪いのかはわからないが、素敵な文章に触れている時、私は幸福を感じる。深夜まで拘束され、身も心も、くたくたになっていた私を、あの刑事さんの文章は、少しだけ救ってくれた。

 駅向こうのエリアでは、一人暮らしの女性が襲われる事件が、続いていた。刃物で脅される状況下で、服を脱がされ、いかがわしい行為を受ける。レイプを免れたからといって、それが何なのだろう。わけのわからない男に、全身を撫でまわされ、陰毛を剃り落とされ・・・ そんな目に合った被害者の気持ちは。彼女たちは、おそらく周囲の誰にも言えぬまま、過去の出来事を封じ込めて生きている。自分を理解してほしい人にほど、真実は打ち明けられないのではないか。それが大きな傷だからこそ言えない、ということがあるのだ。

 犯人は、捕まらなかった。彼女たちも、私も、自分を傷つけた人間がどこの誰かもわからず、文句の一つ(そんなものが相手に響かないこともわかっているが)も言えないまま 時効を迎えた。一刻も早く忘れてしまいたい、という感情だってあるだろう。けれど、果たしてそれでいいのだろうか、と思う時もある。たとえ時効を迎えようが、事件そのものが風化してしまおうが、罪は消えない。心の傷が、完全に癒えることもない。捕まらなかったから、致命的な傷を負わせていないから、セーフという訳ではない。男のしたことは、アウト!なのだ。

 特殊な経験をする人は、限られている。しかし、誰もが心の中に、何がしかの、やるせない想いを抱えて生きている。それを口にするか、しないか、だけの違いだ。最近、表現できる幸せということを考える。それが喜びであれ、怒りであれ、哀しみであれ、つぶやきであれ、心の内を表わせるのは、そうして耳を傾けてくれる人がいるのは、恵まれた環境なのではないかと。太宰さんは、どう考えますか?

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続 桜桃忌

2009年06月27日 20時57分00秒 | 本と雑誌
 太宰治と言えば、処女作である『晩年』から『人間失格』に至るまで、重苦しい影を引きずる作家のように見做されがちです。そうしてその人生は、自殺・心中・麻薬中毒と、不名誉なトーンに彩られています。女性関係もかな。目立つ部分を拾い上げれば、自堕落な男でしょう。ただ、そんな彼にも、慎ましく健康的な生活の中、ペンを走らせていた時代がありました。『富嶽百景』『走れメロス』『津軽』など、この時期にいくつかの良作を生み出していますが、私はね『ろまん燈籠』がすき。5人の兄弟姉妹でロマンスを綴っていく (リレー創作)、素敵なお話です。名の知れた作品ではないものの、軽みのある文体で、素朴な人間愛を描いている。それでいて、ぎゅっと、心をつかまれるんです。

 さて、就職活動をする年齢になり、決意したことがありました。親の意向に屈せず、人生を切り開いてみよう。母は、親戚や知人を通じて、神戸の企業へ就職させたかったようですが、その思惑は頓挫する結果となりました。 売り手市場という状況が、背中を押してくれた。採用になったのは、活動母体が東京になる企業で、こうして私は、自然に実家から離れていったのです。いつしか、彼に会うこともなくなりました・・・

 東京で暮らし始めて、しばらく経った頃。そうねぇ一年半位かしらん。ふと、こんな好奇心が頭をもたげたのです。通い慣れた道の、その先には、何があるのだろう。当時私は、武蔵野市に住んでいました。駅周辺こそ適度に賑わっているものの、少し奥へ入ると、緑広がる落ち着いたエリア。住んでいたアパートは、ちょうど境目の辺りにありました。お天気のよい休日の午後、散歩気分で未知の領域へと足を踏み入れる。ささやかな冒険のつもりでした。こんもりと木々が生い茂る箇所を通り抜け、柔らかな日差しを浴びながら歩いていく。ほどなく水辺に出ます。それに沿った道をしばらく辿ると・・・突然あるモノが目の前に現れ、息をのんだ。そこには、こんな案内板がありました。「玉川上水」彼が、最後の愛人と共に入水心中した所でした。

 クスリ。可笑しさが広がっていく。これが、二人の命を呑み込み、一週間近くも遺体が上がらなかった玉川上水・・・。にわかに信じ難い程の浅瀬になっていたのです。太宰らしいオチかもしれない。「これは悲劇じゃない、喜劇だ。いや、ファース (茶番) というものだ。」彼の『グッド・バイ』という遺作の一文が甦ってきました。ホントその通りになってしまったのね・・・。’自ら命を絶つなんてくだらん。よせよせ。’彼は言っている。体を張った喜劇を通して。こんな風に解釈できるのは、ずっと後のことなのですが。M・C マイ、コメデアン♪

 それでも、このルートは、私のお気に入りの散歩道になりました。近くにいながら、どうして気付かなかったのだろう。今までの自分を、ちょっぴり悔やみながら。彼は、隣町にあたる三鷹に住んでいたんですね。私が武蔵野へやってきたのは、友人の導きだったのですが、彼の魂に呼び寄せられたかのごとく、不思議な縁を感じました。ところが、そんなご縁も長くは続かなかった。一刻も早く、住んでいたアパートから逃げ出したくなる事柄が、私を襲いました。精神的に参ってしまった私は、そのアパートからも、やがては東京という街からも、撤退せざるを得なくなりました。

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