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My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

恋愛戯曲

2010年10月08日 10時05分43秒 | 映画
鴻上尚史さん監督・脚本の『恋愛戯曲』を観た。B級映画なのに(←スンマセンっ)、涙が止まらなかった。ヒロインであるガケっぷち脚本家の感情一つ一つが、どこか覚えのあるもので(なんて言うと、ちょっとおこがましいかな)、つい引き込まれてしまったのだ。

表現の世界に生息している人間。とりわけ、身を削るように創作活動を行っている人間にとって、笑えないシチュエーションや、切実な問題が描かれていて、面白く拝見した。-ただし、『ザ・マジックアワー』における三谷幸喜ほど通俗的な娯楽に昇華させるのが巧みではなく、そういう環境にない人が観てどこまで楽しめるか、感情移入できるか疑問なのだが-

徹底したエンターティメントという観点で捉えるなら、出来のいい作品とは言えない。全編に’ベタやな~’’アホくさー’感がつきまとい、設定の甘さも否めない。しかし映画の魅力は、内容の良し悪しだけでは量れないのだ。多くの人間に満足感を与えなくとも、誰かの心に訴えかける要素があれば、その人にとって印象に残る映画となる。私は、今の自分がこの作品に出会えたことに、感謝したい。

シナリオ〆切まで、あと5日。仕事の進行を促しに来た初対面のプロデューサー(椎名桔平)へ、ヒロイン(深田恭子)は突如爆弾を投下する。「じゃあ、私と恋に落ちて。」「はっ?」そりゃ びっくりするよね。けどこうした言葉を放つのは、彼女自身そういった状況から生み出されるモノが、大きな力となり得ることがわかっているからだ。

power of love。化学反応の如く、AとBが触発されスパークする瞬間ってあると思う。やがて舞い落ちるカケラをかき集め、そこから自分なりのメッセージを掬い取り、文字にしていく・・・その舞台が必ずしも恋愛である必要はないが、身近で分かり易いきっかけなのは、確かだろう。

自らの経験を刻むスタイルだけでは、限界が訪れる。作家の小川洋子さん(『博士の愛した数式』原作者)も、指摘していた。「に比べて、想像の世界は無限大なのです。」だけどもね、そこで羽ばたける翼(資質)を持っていなければ、無理なんだ。「結局自分を書き続けているの。想像力のない脚本家なのよ。」こうした心持ちは、痛いほどわかる。自信満々に映っていた彼女の、それが裏の顔なのだった。

外から見た世界と実情は違う。その姿は、かつての仕事上のパートナーである男性(鈴木一真)の言葉からも、浮き彫りになる。「彼女は、孤独な女王さまだったんです。」己の才能を信じ切れず、輝きを失った時、周囲にいる人たちも離れていってしまうのではないか・・・そんな怯えの中で、心から甘えられる人を求めていたのだろうと、彼は後に気付くのだ。

自分を生かす道を見つけられるのは、幸福なことだと思う。しかし道を進むうち、時に霧の中へ迷い込んでしまったりする。そこから抜け出すのは本人次第だが、この人の声なら聴けるかなという相手が傍にいると・・・いいよね。

その場限りの優しさで、彼女が望む言葉を口にするイケメンくん(塚本高史)より、 時に反目しあっても、心からのメッセージを伝え続けたプロデューサーを、やがて彼女は受け入れていく。インスピレーションを得る糸口にと仕掛けた’虚’の恋愛から、さてどんな’実’がこぼれるのか。

「書く為に恋に落ちるんじゃない。書くことが、恋した証なんです。」このセリフは、私の心を救ってくれた。好きな道を歩んでいく上で、だからこその拘り、苛立ち、悲しみetc・・・といった感情を抱えてしまう時がある。それが引き金になって関係がこじれたり、苦い経験だって幾度かした。それでも、書き続けるのか?

美しい面ばかりをなぞれる訳じゃない。物事の本質を描こうとすれば、醜い面をさらす結果にもなるだろう。自分だけでなく、周囲もね。そんな戸惑いが- 少し吹っ切れた。 黙っていても想いは伝わらない。傷つくこと、傷つけることを恐れていては、関係を深めることもできない。人と人とをつなぐ文字という手段を、信じてみよう。

瀬戸際に立ってる女ってのは、無意識に男の気を惹くもんだ。それを愛情と勘違いしてしまう場面もあってな。よく考えることだな。(BY 北方謙三『黒いドレスの女』より)北方語録は興味深い。映画の中の椎名桔平さんに、教えてあげなくちゃ♪