JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

お疲れSUMMER 2

2018年08月11日 12時22分20秒 | 想い
弱り目に祟り目じゃないけど、いろんなことが重なり、いささか疲れておりました。きっと根本的に、生活を立て直さなければいけないのでしょう。

キャパちっちゃくて要領悪いクセに、抱えているモノが多過ぎるんかなぁと、思ったりもします。自分のことのみならず、人のことまで。正直、ええ加減にせぇーよ!って時があるのよねぇ。

余程、心を許されてるんでしょうか?実に様々な話が、じんちゃんの耳に入ってくるんですよ。中には、表沙汰にできないマル秘事項も。なんだかな~

好むと好まざるとに関わらず、他者の問題に巻き込まれる人って、そんな器じゃないタイプが多いですね。自分は自分、人は人と割り切れない。嫉妬心や競争心が強い一方で、話を聞いているうち妄想が膨らみ、悩んでいるはずの相手を、いつしか羨ましく感じてしまう。

だったら、そういったポジションへ近づかなきゃいいのよ…

向いていないことに、何故手を出してしまうのか。わかっているようで、わかっていない己の習性。しかし場面変わると、自身にもそういった部分がなきにしもあらずで。

アチャー
ブーメラン ブーメラン ブーメラン ブーメラン

昔の歌は、ようできてますねぇ。(さすが阿久 悠さんだ!)きっといつかは戻ってくるだろう。

うっすら予測していたものの、速攻やったな。まぁそんな訳もあって、あまり偉そうなことは言えんのです。じんちゃんは、そこまで正義の人でもないしね。

2年程前になるかな。。。同じような時期に、本音と建前があまりに違う現場を目の当たりにして、嫌になってしまった経験があります。

私は、所謂場を仕切るのが好きな人の、傍らにいる状況が多かったんです。この仕切るのが好きってのが、クセモノで。以前『チッチキチー♪』というエッセイでPTAネタを書いた時に、「やりたくてうずうずしている人にはやってほしくない」というコメントが挙がったのですが、わかる気がした。

ワンマンなんですよね。「みんなのため」「人のため」と言いながら。ホンマに周囲のこと考えてるのん?私から見ると、どうも説得力がなくて。だって陰では、まったく違う反応をしてたんだもん。

人には表裏があって当然だと、職場での人間関係について、口にしていた友人がいた。その言葉を耳にした時、「ふーん。そういう解釈もあるんやなぁ」と思ったけれど、あまりに落差があるの、私は苦手だな。一体、何を信用していいのかわからなくなる。

それに、無理をして表面を繕っても、仕方がないというか…心とウラハラな言動は、自分にとって望ましくない流れを引き寄せ、結果蓄積したイライラが嫌な形で顔を出す。近くにいると、そういった諸々が、見えてしまうんだね。

防虫剤のCMじゃないがー
ああ、知りとうなかった 知りとうなかった 知りとうなかった〜ですよ。

腹に一物あるなら、奔走なんかしなきゃいい。過度にアピールしなくたって、認めてくれる人は認めてくれる。負けん気も、ほどほどにしとかんと、しんどくなるだけだよ。

あの時、人の振り見て、己は気をつけようと感じたことです。

その後、周囲や自分の編成が変わり、聞きたくない話を耳にする機会はなくなりました。不愉快な思いを広げたくなかったので、当時の裏事情はできるだけ胸の内に収めているものの、自分を分かってもらう為の最低限の主張は、もう少ししても良かったかなとも。

あったことをなかったと言い、なかったことをあったと言い、どんな力業を使っても、意図する方向へ持っていってしまう。

現場で残り続ける人って逞しいわ。それを要領いいとか、小器用だとか言うのなら、私はそんな術いらない。そうまでして押し通すつもりもないし、誰かに勝とうとも思わない。

だからモロに波をかぶって、コケてんだよー!ただし、押し通してしまったが故の弊害もあるはずだ。変化した方がよかった時に、変化できなかったのだから。

人それぞれ長い人生の中で、いろんな影響を受けながら、形作られてゆくものがある。我が身を取り巻く環境って、大切よ。

誰かと近づいたり、離れたり。振り返れば、不思議とその時々の自分にとって、必要な編成になっていたんですね。

さて、お疲れモードのじんちゃんが最近よく聴いているのは、横山輝一さんの『Lovin' You』。心浮き立つ明るいリズムに癒やされていたのですが、よくよく歌詞に耳を傾けると、結構哀しい歌だった…

衝撃ヒットから25年目の真実やわ。(←もっと、はよ汲み取れよ)