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JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

騒続記

2025年07月04日 09時11分19秒 | 想い

夫の父が亡くなったことから思いも寄らぬ騒ぎに巻き込まれている。内情を知れば知るほど、気分の悪い、納得のいかないことだらけ。

 

間に入っている司法書士グループは一体何やってんだ!?との思いを禁じ得ない。

 

その行動が…危なっかしい人間の背中を押すことにはならないのか?それをきっかけに誰かの人生が転落していった時、責任が取れるのか?親切心のつもりが、仇になることだってあるのだ。

 

信頼とは何だろう。どのようにして築いていくものなんだろう。

 

つくづく考えさせられる今日この頃である。

 

 

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SAYONARA期間

2025年05月04日 11時20分44秒 | 想い

何度目かのお引っ越し。😣

日頃放置しておいて、こんなこと言うのも何ですが、結構な熱量で作業をやってます。

何かの機会に振り返ることって、大切ですね。😌

お世話になった皆さま、本当にありがとう。✨

 

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メサイア -図書室列伝1-

2024年05月29日 09時22分24秒 | 想い

お久しぶりでございます。🙇

間が空き過ぎて、どこから何を語ればいいのかよくわかりませんが、じんちゃんは穏やかな毎日を送っています。

図書室向上委員会の活動も15年目。大方の先生より学校へ生息し続けているので、息子の担任だった先生が唯一の先輩!?年度変わりに残っておられるのを確認すると、心底ホッとします。😅

保護者として出入りしていた時代から、お世話になった先生方を何人も見送り、サビシクなるなぁ~と感じる一方、本を通じての新たな出会いやお近づきもあり、この歳月に培ってきたモノは捨てたもんやないゾと。

コツコツ黙々と手掛けていたコト、見てくれていたのねぇ…去年あたりから、そういう方々の言葉が届くようになりまして。良かった♪私が歩んできた道、間違ってなかった!!ちょっぴり自信をつけ、今に至っています。😌

長い期間やってるとね、いろいろ言われる場に遭遇する訳ですよ。こちらの苦労や努力も知らず、ようそんな発言ができるなぁ…。憤る元気があればいい方で、正直凹むことも多かった。そこまでタフでも鈍感でもないんで。

近年はメンバー各々に事情が重なり、ソロ活動になりがち。また、せっかく立ち上げた連絡ツールも、良好に機能しているとは言えず…😞

虚しかったな。スケジュールを引いて、結局ほぼ自分で完了させるんだもの。さすがに全部は勘弁して〜と、残り少しを割り振ろうとすると、今度はメンバーと軋轢が。

本来なら子どもと一緒に卒業のハズが、蔵書点検の巨大沼にハマり、何年も居残り…。己を優先するメンバーには、既に見切りをつけられていたと思います。解放してあげたいのは山々だけど、ある程度の人員が揃わないと、とりあえずの区切り目まで動かせない。

図書室のそこかしこに積み上げられた仕分け中の本。「一体いつまでこの状態にしておくんですか?」就任時から気にかけていた委員長も卒業してしまった…😮‍💨

少しずつ好転していた側面はあるものの、周囲には上手く伝わらない。無理もない。日々のささやかな変化や感触は、現場に立ち続けてこそわかるものだから。

現場では、春頃から"今までにない風"が吹き出していた。きっかけは、とあるクラスを率いていた先生からの依頼。学校へ来辛い、同級生となじめない…そんな子たちで構成された「我々のクラスへ、図書室の本を出張させてもらえませんか?」

威圧感漂う警官のごときO先生に、すれ違いざま低音ボイスで呼び止められた時には、"ヒッ なんか悪いことした?!"背筋が凍りつくかと…←こら

しかし、この依頼は嬉しかった。出張サービスは、かつて春と秋に行われていた、大掛かりな企画である。各クラスに20冊近くの本がお目見えし、さらに学年内をローテーションしていくので、実に多彩なラインナップを手に取ってもらえるのだ。

ただし、コロナが蔓延しだしてから休止になり、その後復活するも以前のようには…という有様だったので、よくぞその存在を思い出してくださいました!よよ…思わず目頭を押さえそうになった。😢

「新年度が始まったばかりなので、まずは学級文庫からの方がいいかもしれませんね。学生さんに、図書室へ選びに来てもらうことは可能でしょうか?」「それは可能なんですが…」メンバーが揃うかどうかは、当日になってみないとわからない。先生にとっても、私にとっても、ドキドキの船出となった。

 

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GUTS

2014年07月05日 09時15分29秒 | 想い
元交際相手を傷つける事件が、また起きた。男がめっきり弱くなってしまったのを、ひしひしと感じる。恋愛対象を取ってしまったら何も残らぬ、からっぽの孤独な人間が、増えたように思えて仕方がない。

かつて、修羅場の煽りを食うのは、どちらかと言えば、男の側だった。のぼせ上がって、浅はかな行為に及ぶのは女と、哀しい哉相場が決まっていた。フル側とフラレル側、どちらに立つのか、その確立は五分と五分。今の時代だって、苦い思いを噛み締めている女は、いるはずだ。

なのに、反撃の狼煙は上がらない。泣き寝入りというケースもあるのかもしれないが、恋以外に自分を支える何かを持っていたり、事に及んだところで割に合わないといった判断が、働くからではないか。

女性による事件は、依然として存在している。しかし、金銭目的の為に人を殺めることはあっても、恨みごときで己の手を染めることはない、といった思惑が透けて見えるのが、昨今の特徴である。

女性は、ドライで即物的に
男性は、ウェットで感情的に

犯罪の世界を眺めていると、そんな変遷の構図が、浮かび上がってくる。どこまで現代の社会を反映しているのか、わからないけれど。

話を元に戻そう。

男性が元交際相手を傷つける事件は、去年頃からさらに目立ち始めた。ストーカーという言葉で括り、常軌を逸した特殊な人間が起こした出来事のように、語られることが多い。しかし、本当にそうなのだろうか?彼らは狂人で、我々との間には大きな隔たりがあると?

粘着体質なら、程度の差こそあれ、フツーの人の中にも存在している。恋は盲目といった状況下では、尚の事そうした性質が、表面化してくるものだ。気持ちが傾いている時から、追って!追って!追いまくっていたのか。無理矢理切られ、残っていた想いが、余計に募ってしまったのか。

切る方は容易い。こちらだって辛いと言うが、少なくともその判断は、自分で下したこと。ところが、受け止める側は違う。そこで相手のプライドや尊厳に、多少なりとも配慮する気持ちがあれば、また違う展開になっていたかもしれない。

根っからのストーカーに、手を施すのは厄介であるが、踏み止まれる余地のある人々も、いるのではないか。逆上してしまった人間を押さえこむのは、至難の業。その領域へ行ってしまう前に、できることはないのだろうかと感じる。

どこかで踏み止まれるのと、行ってしまうのと、その境目は、何なのか?どういったモノが、自分をつなぎとめてくれるのか?去年起こった事件をきっかけに、幾度となく考えていた。

恋に全体重をかけてしまわない。相手以外の係わりを、いくつか持っておく。今日から明日へ、淡々と自分を流していく作業、没頭できるモノ。若ければなお、そういった術を知らないし、気を紛らわせたり、落とし所を見つけたり、できなかったのではないか。もっと上の世代ですら、自分を持て余して、苦戦しているのだから。

しっかりしろ!!中高年!!

男も女も、互いに感情のある生き物。思い通りにいかなくなっても、仕方がない。そこを強引にねじ伏せてみたって、意味がない。新たな恨みも買えば、傷も負うだろう。’死んでしまうがいい’そんな感情と無縁で生きて来れた人は幸せ。人を恨まず気持ちを切り替えていくのは、そう容易くない。しかし最後まで、あきらめないでほしいのだ。

「しんどくなったり、絶望したり、ぷっつん切れたりしながら、(人間)社会との程よい距離の取り方を学んで、我慢するところと自分を出すところ、諦めるところと頑張ってみるところ、どんなバランスだと自分が幸せか、わかっていくと良いと思う。」

とある映画の所感として、友人が口にしていたのだが、自分自身、彼女が言ってるようなことで、日々悶々としていた。ややもすると、キレイ事で収めようとしてしまう。が、心の内にはいろんな感情が、渦巻いているんだよねぇ。。。

それでも、こう思うのだ。GUTSは、人を傷つける為ではなく、自分が前に進む為に使いたい。

若者たちよ、目先の勝ち負けにとらわれるな。
フラれることを恐れるな!!



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あ・れ・か・ら

2014年06月18日 11時37分07秒 | 想い
少しずつ月日は流れ こんなに離れたけれど
伝えておくれあの人に まだ忘れちゃいないと…

そんな歌があった。
とあるドラマのエンディング曲として流れていたのだが、物悲しいメロディーに惹かれ、よく口ずさんでいた。

あれから、30年以上の月日が経つ。
10代の私は40代になり、やがてその歌詞に、心が疼く齢になった。

ただ、この年代になると、忘れていないことは伝えない方がいいんじゃないかなぁと、思ってみたりする。

「お元気ですか?」
「誕生日おめでとう!」

口火を切る術は、わかっているのだけれど、その先へ思いを巡らすと固まってしまう。無理もない。知りたくもない心根が、さらされてしまったのだから。

信頼していた人に、裏切られた。
陳腐な言い方をすれば、そういう事情で、私はひどく傷ついた。

新たな関係に目くじらを立てる資格などない。それは、自分自身が一番わかっていたことだ。なのにあの時、その資格のなさを今更のように強調され、喉元に突きつけられた。

責められる前に、相手の弱みを打つ。
これが…私より17年間、人生経験をしてきた人のやり方なのか。

どこまで先走った行動をとるのだろう。
どこまで己が、かわいいのだろう。
そうして、どこまで弱い人なのだろう。

かつての愛憎劇で、苦い思いをしているのは、聞いていた。が、その時抱え込んだ恨みつらみを、別の人間で晴らすなんて間違っている。その相手が私であったのは、何よりショックだった。

若い頃お世話になった身であったし、なじみや愛着もあったので、彼とのつながりは大切にしてきた。音信不通の時期にも、私からはコンタクトをとり続けた。

10年近くのブランクの後、偶然にも街で再会(もっとも、その場では気付けなかったけれど)。数か月後、連絡が来た時には、どれだけ嬉しかったか。

出会ってから20年、それ以前にも、それ以後にも、彼なりの係わりを持っていただろうが、どういう形であれ、自分は最後に残る人間だ、という自負があった。

寂しい人間というのは、それ故の事情があり、そうなっている。外部の者が、どうこうできる範疇ではない。壁にぶち当たり、心ならずも去っていったのは、私だけではないのだろう。

向き合って穏やかに話し合う努力ができたなら、互いに抱えていた辛い過去とは、違う決着をつけられたのではないか、少しは自信をつけて、前に進めたのではないか、なんて思っている。

「幸福とは、自分の価値を知ってくれる人のそばにいることである」

誰もがそう望んでいると思うのだけどね、なかなか得難い環境なんですよ、アランさん。

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