JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

平和主義者

2021年09月05日 22時14分02秒 | 想い
学生時代からの友人たちと距離を置くようになって5年になる。理由は「しんどくなってしまった」これにつきる。ガラス張りの人間関係が苦手なのだ。見えなくていい部分が見えてしまったり、気づかなくていいことに気づいてしまったり。勘が鋭いのだと思う。そういった点は、よからぬ方向へも働きがちなのを自覚しているので、時にはあえてアンテナをたたんでいたりする。

便利な世の中になり、東京にいても、名古屋にいても、その気にさえなれば故郷の人々と繋がるツールが登場した。異郷の地で孤軍奮闘していた頃、気心知れた仲間と日常的に語り合い、帰省時に集えるのが本当に楽しく、癒しにもなっていた。だから、そういう機会を設けてくれた友には感謝している。めんどくさいことを引き受けてくれてありがとう。

ただ、長い間そういった状況を保ち続けるうち、いつしか当初の素朴な想いが、歪んできたのではないかと感じるようになった。十人前後の人間が属しているので、何をするにも一筋縄にはいかない。シンプルな要素だけを気に留め、話を進めれば良かったのだが、余計な気遣いや第三者の思惑が絡み、とりあえずの着地点を見つけるまでにも、毎回難儀する有様だった。私より賢い人が集まっていて、どうしてこうなってしまうのか…

構造上の問題のような気がしたが、周囲に上手く説明できなかったし、そうした所で理解できる人もいなかったように思う。その立ち位置からではわからないでしょうねということがあるのだ。加えて皆がいる場と、そうでない所とで、驚くほど発言や対応が違う場合があり、これにはかなり困惑した。異郷の地から故郷へ戻り、少しは協力できる状況になったので幹事を引き受けたりもしたが、内情や裏側を知れば知るほど、はぁーとなってしまう。これは、表の部分だけ眺めている人には絶対わからない。

私がある一件に腹を立て離れてしまったというのが、衆目の一致する所だろう。けれどそれは少し違っていて、もはや何を信頼していいのかわからなくなったのが最大の理由だった。「〇〇へ行ってみようという話になりました。参加される方はいませんか?」と告知しておきながら、これ以上増えると困るのよねと漏らしていたりするのである。「今度Yちゃんのお家でお茶会をするんだけど、じんちゃんはどう?」聞かれているそばから「あまり大勢になるとお邪魔だから…」目の前でシャッターを閉められたこともあった。かと思えば、しばらく経つとまた性懲りも無く「今度Yちゃんのお家で…」と参加者募集のお知らせが繰り返される 。藤井風の歌じゃないが何なん?正直いい気はしなかった。

帰省中の友を囲んでのランチの話が持ち上がり、楽しみにして出かけたものの、集合場所が見つからず、走り回ったことがある。余裕のあるメンバーは、三宮方面からお店巡りをしており、ランチ前に私を含む3人が合流する予定だった。指定されていたのはJR神戸駅の改札。これが、どんなに探しても見つからない。存在しない東口だったのである。ようやく皆の姿を認めた改札でホッとしたのも束の間、それまでの顛末を口にしかけると「ハーバーランドへ行くのは、ここしかないじゃない」同じく合流予定だった友に言われ、体中の力が抜けた。私はいつも神戸高速鉄道を利用していたのだ。

「あの時はアセったねぇ…」「そら見つからんはずやわ」誰かとトホホな胸の内を共有できたら、少しは笑いへ昇華できたかもしれない。もう一人はランチの場所へ直行したので、語り合える仲間がいないのである。幹事にはその後「あれは、西口じゃないっていう意味で東口と書いたのよ」と一蹴された。へっ?そんな言い訳通じます?それにアナタ、昔からこの手のミスが多いですよー!決して器用とは言えない彼女を振り回すかのようなメンバーの言動にも、やれやれだった。「日にち」「時間」「場所」基本的な内容を擦り合わせるだけでスッタモンダしているのに、さらにハードルを上げるような用件をぶち込んでくる。

仕事を抱え、その時その時の出来事をサバいていくのに精一杯。なんだか調子の狂うお年頃でもある。特定の人間にばかり負担がいくのは良くないと、役割の分担制を提案したが定着しなかった。迷走しているなぁと感じ始めて3年、それまで以上にガタピシの度合いが増し、私自身しんどかったから訴えていたのだけど。コロナ禍においても、何故物事がスムーズに進まないのかといった時に、既得権益や岩盤規制の問題へ行き着く場合があるが、似たようなモノじゃないかなぁ。構造を変えるのは難しいのだ。各々に向いている立ち位置、フォーメーションを考えることで、好転の兆しを望んでいたのだが。諦めモードへ突入して数ヶ月後、またまた一波乱あっての最後の場面。「それがみんなの総意だと思うの」幹事に寄り添い続けたメンバーの言葉に、そうかなぁ…と違和感を抱きつつ、反応を待たずして、ひっそりと気持ちに区切りをつけた。藤井風の歌のように、もうええわ。

メーリングリストからは退会したものの、今の私がそれなりに幸福でいられるのは、それまで通りの付き合いを続けてくれた人たちのおかげである。彼女たちは、どちらかと言えば公の場で主になって発言し、場を動かしていくタイプではなかった。が、ふとした機会をきっかけに、自分の気持ち一つで、私と繋がるのを選んでくれた。この5年間、様々な場所や編成での再会があった。東京・名古屋・広島…ウン十年ぶりに姿を現してくれた友もいた。「退会したじんちゃんが一番いろんな人と会ってるやん。しかもレアキャラ捕獲率ハンパないし。(レアキャラはともかく捕獲て…)」とツッコミを受けたりもしたが、みんなで!という枠組に囚われない方がいい場合もあるのだと思う。そうして、あの時だから成立したことも。

元いた場所の現状は、時折漏れ伝わってくる。一貫して感じるのは、やめてよかった〜。疲れ切った末の決断だったので、一度たりとも後悔はしていない。始めたからにはコツコツ続けてしまう山羊座A型気質だが、心底懲りた時には撤退できるのだと、ある意味ホッとした。何事も好意的に捉えていた穏健派のメンバーには、ごめんしかない。私さえ…いやいや、それはよくない。上辺だけを取り繕ったところで、もっと禍根が残ってしまうと思ったのだ。「この間こんな事があってね…」ため息混じりに話すメンバーもいるが、その内容は私からすると「うん、わかる。でも、それって何年も前からよ」というもの。問題点が、何ら解決されていないのだから仕方ない。あの時誰もが正面から向き合わなかった。平和主義者だったってことでしょ?

大勢で集まる機会からは、めっきり遠ざかった。そんな私を支えてくれたのは、曽野綾子さんや弘兼憲史さんの老年向けエッセイだった。〈60過ぎたら不義理も結構〉〈友人を減らしなさい〉という言葉に、ああ私の場合は、少しだけ早くこういう時期が巡って来たんだなぁと。方向性は間違ってないで♪心がスッと軽くなった。自分の身の丈を考えたら、あれこれ抱え込まず、信頼できる-安らげる-仲間が数人いればそれでいい。これからの人生、大切にしたいのは何なのか?頭の片隅に留めつつ、無理なく自然体できらり。藤井風の歌のように。✨

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キセキの逆転

2021年08月28日 17時11分22秒 | 想い
各々の時間

忙しい人にとっても

のんびりした人にとっても

大切なモノに違いはない


以前からぼんやりと感じていたのだけど、できない回答ほど早く返してあげるのが、相手への気遣いじゃないかしらん。見込みがあるのかないのか伝えないまま引っ張り続けるのは、どうなの?って思うけどね、私は。まぁしかし、世の中捨てたもんじゃないようで、「最後まで望みを託して待っていたのに虚しいよねぇ…」なんて身に、ひょいと幸運の女神が舞い降りる。だから人生は♪

何年か前、ゲッターズ飯田さんの開運トークライブというイベントへ参加した。「なんだか胡散臭い香りがするでしょう?」照れ笑いと共にママ友へ報告していると、「それで開運したの?」。あまりにダイレクトな問いかけに、「う〜ん」としばらく空を睨み考え込んでいたら、やはり言わずもがなか!といった体で、爆笑されてしまった。当時は即答できる程の経験を持ち合わせていなかったから、ああいう反応になってしまったのだが、今なら言える。出会い運は、格段に上がったよ!と。

しかしその一方で、手放さなければならなかったモノもある。日常的に関わる友だちは減ったし、子どもたちも巣立っていってしまった。図書室仲間…これだってまぁ全盛期のようにはいかないよね(苦笑)。それでも残ってくれた人たちがいる、いざという時に集結してくれる仲間がいる、未来へ向けて語り合える同志がいるのは、幸せなことなのだろう。

何かと不自由な状況下ではあるけれど、できることを粛々と。去年あたりから、空を見上げる機会が多くなった。虹に雲、月や星…「うわぁ綺麗!」眺めているだけで、心が洗われる。お金もかからないし、すべての人に平等だ。あとは本と、お気に入りの音楽があれば、まずまずかな。

タイトルの『キセキの逆転』。訳あって気落ちしていた頃に、入手困難だったLIVEのチケットが手に入ったの。しかも前から4列目!神戸ではまず取れず、他のアーティストとのジョイントという形だったり、大阪や京都まで遠征したりで、ようやく参加していたのだった(ビジュアル系でもないねんけどなぁ)。嬉しかった〜。その環境がどれだけレアかということは、はたらきかけている当人だけが知っている…。だから、次のチャンスもつかむ。人生ってそんなものじゃない?と感じるのです。

そうそう。あの時ゲッターズさんが伝えていた開運のヒケツ、①素直でいること②きちんと挨拶をすること。なんだ〜そんなの基本じゃん⁈と思われるかもしれないが、こういうのが意外と大切なのだそうである。

https://www.bfjazz.net/


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Ride on Time(後編)秋の巻

2020年09月29日 18時45分25秒 | 本と雑誌
   アントキノトビラ・・・その発端は、五木寛之さんでした。数年前、某銀行主催の金融セミナー第2部に、五木さんの講演会が予定されてまして。その情報を目にした時にね、「お元気でいらっしゃるうち、ぜひともお聞きしたい!」と。いや、その時点で結構なお年だったんですよ。大阪でのセミナーは所用で逃した為、この時は名古屋まで出張しました。地元に住む友人との約束も取り付けて、大変有意義な遠征だった記憶があります。しかも前日は、寺尾聡さんのLIVEに初参戦で・・・。ああ、もうあんな日はしばらく訪れないんだなぁ。

    ここ数年を振り返り感じるのですが、あっ!というタイミングが訪れたら、サッと組み込んで、スッと実行する。そうやって、自分なりの面白体験を重ねてきた気がします。「アンテナ張ってるのね~!」周囲に驚かれたりもするのだけど、引き替えに何かを手放していたり、他の人が捨てているものを拾っていたり、するんですよね。

   『百年人生を生きる~こころの相続~』というテーマでの興味深いお話でした。「相続は、お金や土地・株といった目に見える(=形ある)ものばかりじゃないんですよ・・・」ある時、編集者たちと食事をしていた五木さんは、傍らの女性のキレイな魚の食べ方に目を見張ります。「すごいね!」と感心すると、「母がうるさかったんです。」彼女のお母様も、親の作法を見よう見まねで身につけていったそうで。こうして代々受け継がれてゆくものがあるのだなぁと。

 自身を思い起こせば…本の上を跨いだり、ページの隅をしおり代わりに折り曲げたりすると、父親から大層叱られた。教師で漢文を教えておられたこともあり、書物に対する想いもひとしおだったのでしょうね。『古事記』の素読を始め、菅原道真が太宰府で詠んだ歌・乃木将軍や大正天皇の漢詩など、口伝えで教わったものは、今も頭の中に焼き付いていると。素晴らしい文化の継承ですな。

   このくだりを聞き、ひとり恥じ入るじんちゃん。幼き頃の我が子に口伝えで教えてたのは、『鬼首村手毬唄』(息子)と『宇宙猿人ゴリ』(娘)だよ。子どもたちにしてみれば、迷惑この上ないですねぇ。
"わっくせーいEから~ ついほーされた〜 そのくやしーさは わーすれはしない♪"
ゴリのやるせなき心情、おそらく道真さんと通ずるものが。一緒にすな〜。オルガンを弾きつつ、叙情歌を口ずさんでらした五木さんのお母様とは雲泥の差だ。叙情歌にちなみ、北原白秋や西条八十といった名前が挙がっていましたが、じんちゃんにとって、西条八十と言えば童謡の人というよりは~「ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ」の詩人さんだ。meに刻みつけられてるのん角川文化かよ。

   さて、かつては小学校の教員だったというお母様。若い頃に亡くなられた所為もあり、いろんな話を聞く機会がなかったのだそうです。やがて月日は流れ、当時の教え子から思い出の写真を見せられた時、「ああ!母さんにも、こんな時代があったのだな」と。眼鏡をかけて採点する様、テニスコートへ佇む姿など、五木さんが初めて目にするものだったのでした。考えてみれば、自分は何も知らない。母がどんな青春を過ごしたのか、どういう経緯で父と結婚したのか。いや、それどころか!戦争体験をしていた父からも、聞けなかったままの話が・・・。

 日々の暮らしで、自ずと受け継ぎ、現在も続けている習慣はあるけれど(それだけでなく、五木さんの経歴を拝見していると、親御さんからの文化的影響をひしひしと感じます)、進んで聞き出し、その記憶を相続していくのも、大事だったのではないか。何故もっと耳を傾けておかなかったのか。しつこく!貪欲に!(たぶん今だから言えるんですよねぇ・・・)「国の伝統や文化も、そうやってつながっていくのだと思いますよ。」

   それからは、『遠野物語』で有名な民俗学者柳田國男の『涕泣史談(ていきゅうしだん)』へ。太平洋戦争開戦前(昭和15年)に行った講演の中で、’明治維新以降日本人があまり泣かなくなった。これはどういうことか?’と。古代より数々の文学作品には、「涙」の場面が登場していた。涙を流して泣くのが、内なる感情を表に現す、1つの手法だったんですね。やがて言葉が、そうした身体表現に、取って代わるようになる。言語能力が向上していくにつれ、身体を使った表現の機会は失われいく。

 何かに触れた時、心に生ずるあるがままの感情。それを自然な形で放出するのも、大切なのではないか。江戸時代の学者本居宣長は、『源氏物語』や和歌の研究を通して、「もののあはれ」という理念へ辿り着きます。医師でもあった彼ならばこそ、心や身体の健康という観点からも、いにしえの文学作品に滲む日本人のあり方を、見つめていたのかもしれませんね。
"生きているうちには、辛く悲しい出来事に遭遇する場面もあるが、鍵をかけて外へ出さずにいる限り、それは消えないのだ。永遠に。"

 「私たちも、泣くのを忘れて戦後を生きてきた気がします。」五木さん曰く、そうしたことも相続されなくなったのではないか?と。お芝居や小説など、泣くべき場所や時を持ち、適度に感情を出しながら、カルチャーへ高める。泣きたい時に泣き、笑いたい時に笑い・・・それは車の両輪のようなもので、ちゃんと動かしていると、前へ進む(生きる)力になる。『探偵!ナイトスクープ』西田(敏行)元局長のスタイルは、間違ってなかったってことだな。←こら

   ここ数ヶ月は、コロナ禍の状況にあり、対面で各種文化へ触れる場面が激減しました。特に舞台関連はねぇ・・・大打撃ですよ。ならば!と、近頃はオンラインで参加できるLIVEや講演会も、少しずつ増えています。それはそれで、良い側面(現地へ行かずとも全国、いや世界からの参加も可能!?)もあるのですが、「やっぱり生の魅力には、かなわへんよぉ~」とは、双方経験した友人の弁。そりゃそうだわ。彼女が以前出入りしていたのは、若者たちが集うライブハウス。「四方八方から押されて、身体が宙へ浮きそうになってね・・・」「で、どないしたの?」「隣にいたお兄ちゃん(←ちなみにアカの他人です)にしがみついて、事なきを得た。(^^ゞ」なんて体験をしてたんだもの。濃い!濃い!でもね、じんちゃんにも心当たりがあるの。現場ならではの息吹が、より心を震わせ、お客さんの反応も含めて、記憶に刻まれるんですよね。

   さて、この数年間のじんちゃん。イケてる中高年へ会いに行こうツアー勝手に題しまして、いろんな場所へ足を運びました。本や音楽が好きなので、そういう方面のイベントに赴く機会が多かったけれど、某企業総会の招集通知書に小宮悦子さんのお名前を見つけ、「うわぁ~!ニュースステーションのえっちゃん!好きやったわー」東京まで行ってしもたこともあります。追っかけウーマンかよ。久米宏さんのお隣で、ニュース原稿を手にしていた頃から、ウン十年!?ショートカットに愛嬌あるえくぼが印象的だった’えっちゃん’は、素敵に年を重ねられていました。凛とした大人の女性よ。そのオーラを少しでも浴びたくてね・・・「こちらからお詰めくださーい。」係員の案内をさらりとかわし、小宮さんの斜め前方エリアへ陣取り、にひひと。ともすれば緩みがちになる口元を引き締めまして。ふむふむと話を聞きつつ、さらさらとペンを走らせ、チラチラとえっちゃんを見る。おっさんか!!そんなヒトコマも、楽しい思い出です。こうして溜め込んだ諸々の記憶は、自粛期間中の心の支えになっていました。

   五木さんの講演会も、ご本人の佇まい込みで素晴らしかった!’お元気でいらっしゃるうち’なんて思い込み、申し訳なかったです。「(立松和平さん、寺山修司さんと共に)三大方言作家と言われております。」ちょっぴりはにかみながらの自己紹介。その後の弁舌さわやかな語り口と、降壇の際にスッと背筋を伸ばして去っていかれたお姿。かっけー!!ダンディーの極みですよ。ああ、これが実感というものか。

 昭和とは・・・平成とは・・・こういう時代でした。TV番組等を通じて、目にする機会がありますね。それに対して五木さんは、こうおっしゃっておられました。「資料としてまとめられた内容と、自分の実感が異なる場合があるんです。(懐かしのヒットパレードを眺めていても)」表の歴史とは違う各々の実感、それを言葉にするのも、必要なのではないかと。先人の話を注意深く聞きつつ、自身の体験を通して感じたことを含めて、後の人たちへ伝えていく。何を受け取るべきか、何を伝えるべきかを考えながら。

   私事ですが、今年もまた一人、「語り部」の役割を担っていた親族が、あの世へ旅立っていきました。口数は決して多くなかったものの、法事などで顔を合わせる度に、ポツリポツリ・・・父方、母方、双方のファミリーヒストリーを語ってくれる存在だっただけに、残念で仕方ありません。この所しみじみ感じるのです。「学校」を舞台にした「本」にまつわる活動を、じんちゃんが続けているのは、ご先祖さまが手掛けていたことの継承かなぁと。表立って影響や誘導を受けた訳ではないのに、不思議と自然にその道を辿っている。祖先からのDNAに導かれているのか!?

   興味を惹く対象が多岐にわたる現代で、学生たちに本を読んでもらうのは大変よ。できればお仕着せでなく、自ら選び取ってほしいしねぇ。そんな中、たまーに「おっ!」という場面に立ち会うことがあるの。ある図書委員さんが本の紹介で選んだのが、五木寛之さんの『生きるヒント-自分の人生を愛するための12章-』。図書室にある、あまた蔵書の中から、どういう経緯でその1冊が手に取られたのかわからないけれど、これは嬉しかった!!比較的最近刊行された「愛蔵版」でも「新版」でもない、1990年代のオリジナル版というのが、泣かせるじゃないか。中学生の昨今の読書事情を鑑みるに、奇跡とも思える結びつきです。アニメ絡みのライトノベルや、ドラマや映画などへ映像化された作品が、どうしても目立ってしまうから。しかし、その時々の流行に左右されない、地味かもしれないが良質な本に気づくセンスって、素敵だなぁと思うし、そういった結びつきを見届けられるのは、今の私のささやかな幸福よ。

P.S. 上記の五木寛之講演会でのお話が本になっています。
   
OGPイメージ

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Ride on Time(後編)夏の巻

2020年08月29日 14時33分00秒 | 本と雑誌
すみません。またまたご無沙汰してしまいました。m(_ _)m

その間、世の中がガラリと変わる事態へ…フツーに出来ていたことが出来なくなり、LIVE!講演会!学祭!に元気をもらっていたじんちゃんにとっては、しょっぱい上半期となりました。

去年から予定を入れ半年前後、楽しみに待ち続けていたイベントも、軒並み中止or延期の憂き目に。
1月に神戸で開催された浜田省吾のチャリティーコンサート、2月に大阪で開催された島田洋七講演会、徐々に暗雲が立ち込め出した頃合いでしたが、何とか行きおおせて良かった。心から、そう感じます。

3月には、息子が進学の為東京へ旅立っていきました。
4月には、地元の役員活動が始まりました。
新たな生活サイクル、人とのつながりに、緊張する日々が続いたものの、周囲の方々に恵まれ、何とかこなしております。

昨日から今日、今日から明日。
その時々の自分に出来得ることを淡々と…
そんなスタンスで暮らしているかな。

自粛期間中は、ただいたずらに不安感を煽るもの、真実よりも自分たちの主義主張を優先する報道から距離を置き、昔の本や、友人から借りていた本を、ひたすら手に取っていました。その方が、精神衛生上よかったです。

今の時代にこそ、若い世代にも読んでもらいたい♪
曽野綾子『ボクは猫よ』。
漱石の『吾輩は猫である』のパロディーですが、実在の作家が微妙に名前を変え登場しているので、これはあの方かな?と想像しながら読むのが楽しかったです。
そうして出版された1982年から現在にかけて、ブレることのない綾子節が、やはり私には小気味よいのでした。

諸手を挙げて賛同はしないけど・・・
村上 龍『オールド・テロリスト』。
じいさんたちの手法に抵抗を感じつつ、それでもラストは涙してしまう!?
破壊と再生は、『コインロッカー・ベイビーズ』の頃から脈々と流れるテーマかな。
境界線を越えてしまう人と、そうならない人。そうならない彼らを、繋ぎとめるモノは、何なのか?
龍さんなりの、1つの答えが提示されており、興味深かった。私自身も考え続けていたことなので。

そうして、じんちゃんはここへ行き着く!
原田マハ『本日は、お日柄もよく』。
去年の誕生日、自分へのプレゼントに購入しました。いやー表紙からして目出度い!
言葉の魔術師スピーチライターのお話で、こういう世界があるのね~と。
『総理の夫』に続き、すーっと読めて、明るい心持ちになれる、お仕事モノでした。
解説でお兄様が原田宗典さんと知り、そうなの⁈ 昔むっちゃ好きで、よくエッセイ読んでたよ!!
「たーての糸はあーなたァ~♪」と歌い出したくなる程、感慨深かった。

こんなおばちゃんに、運命感じられてもねぇ。。。
いやいや、馬鹿にしたものでもないのです。
今に至るまで、いろんな変遷がありましたが、あの時に開けた扉が、ここへつながったということが、確かにあるんですね。だから人生は面白い。

昨日は初Zoomで、オンラインセミナーを体験しました。
これもまた、アントキノトビラの後日談なのですが、次回に語ることと致しましょう。

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Ride on Time(後編)春の巻

2019年10月04日 16時23分48秒 | 想い
すみません。随分ご無沙汰してしまいました。m(_ _)m

その間またいろんな出来事があったのですが、まずはこの話題から。
歩いて十数分の所に住んでいた、学生時代からの友人がね・・・
お引っ越ししてしまったんですよ。

神戸の女子校で出会った二人が-
それぞれの変遷を経て、
兵庫の片田舎でクロス。

40年という長い月日のうちには、
私の実家も移ったし、
彼女の実家も移ったし、

お互い結婚もしたし!
でもって、こちらは十数年愛知で暮らしてたし!!

それがね、思いも寄らぬミラクルで
10年前からご近所さん

彼女の結婚相手が、独身時代に購入していたお家が、私の実家の近くで・・・
いや、便利なエリアなら不思議じゃないんですよ。(神戸とか西宮とかね)
よりによって、ここ!?

いつでも会える距離になり、喜んでいたのだけど-
娘さんの幼稚園入園を機に、生活拠点を職場の近く(お母様のマンションがあるのだ)へ移すことになり、
あら~~~

それでも、旦那さんとお家はこちらだったので、地元の夏祭りは一緒に行けてたのよね。
夕方からほんの数時間で、毎年という訳にはいかなかったものの・・・
互いの都合が会えば、楽しく参加していたのでした。

しかし娘さんが思春期になり、とりあえずの仮住まいを続けていくことにも限界が!
で、そもそもの家族の形態へ戻ろうと。
私からすると、それがこの地でなかったのは残念 ですが、娘さんの教育環境や、高齢で一人暮らしに戻るお母様、自分の身体や仕事のこと-
いろいろ考えた結果だと思うので、寂しがってばかりもいられないね。(;^^)ヘ..

ただ、今というよりはむしろ
お互いの子どもたちが巣立っていき、自分たちも年老いてから-
昔なじみの友人が近くにいるというのは、一層心丈夫なんじゃないかなぁと。
そんな風に思っていたので。。。

この状況が永遠に続くとは限らない。
万物流転、やはりすべてのものは移り変わってゆくんだね。
’移り変わる’と言えば-
我が家の娘<花沢女子>も、この春に家を出まして。

いや~ これがまた山アリ、谷アリ、クロードチアリの末だったのよ。
春先からの慌ただしさはハンパなく、ようやくそれが落ち着く頃には、奔走疲れと花沢ロスのダブルパンチで体調不良。
ずっと一緒に暮らしてきた人間がいなくなるというのは、つくづく想像以上に堪えるもんなんやなぁと。

ああ、去年の夏二人で観に行った『センセイ君主』が、懐かしいわ。
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