JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

平和主義者

2021年09月05日 22時14分02秒 | 想い
学生時代からの友人たちと距離を置くようになって5年になる。理由は「しんどくなってしまった」これにつきる。ガラス張りの人間関係が苦手なのだ。見えなくていい部分が見えてしまったり、気づかなくていいことに気づいてしまったり。勘が鋭いのだと思う。そういった点は、よからぬ方向へも働きがちなのを自覚しているので、時にはあえてアンテナをたたんでいたりする。

便利な世の中になり、東京にいても、名古屋にいても、その気にさえなれば故郷の人々と繋がるツールが登場した。異郷の地で孤軍奮闘していた頃、気心知れた仲間と日常的に語り合い、帰省時に集えるのが本当に楽しく、癒しにもなっていた。だから、そういう機会を設けてくれた友には感謝している。めんどくさいことを引き受けてくれてありがとう。

ただ、長い間そういった状況を保ち続けるうち、いつしか当初の素朴な想いが、歪んできたのではないかと感じるようになった。十人前後の人間が属しているので、何をするにも一筋縄にはいかない。シンプルな要素だけを気に留め、話を進めれば良かったのだが、余計な気遣いや第三者の思惑が絡み、とりあえずの着地点を見つけるまでにも、毎回難儀する有様だった。私より賢い人が集まっていて、どうしてこうなってしまうのか…

構造上の問題のような気がしたが、周囲に上手く説明できなかったし、そうした所で理解できる人もいなかったように思う。その立ち位置からではわからないでしょうねということがあるのだ。加えて皆がいる場と、そうでない所とで、驚くほど発言や対応が違う場合があり、これにはかなり困惑した。異郷の地から故郷へ戻り、少しは協力できる状況になったので幹事を引き受けたりもしたが、内情や裏側を知れば知るほど、はぁーとなってしまう。これは、表の部分だけ眺めている人には絶対わからない。

私がある一件に腹を立て離れてしまったというのが、衆目の一致する所だろう。けれどそれは少し違っていて、もはや何を信頼していいのかわからなくなったのが最大の理由だった。「〇〇へ行ってみようという話になりました。参加される方はいませんか?」と告知しておきながら、これ以上増えると困るのよねと漏らしていたりするのである。「今度Yちゃんのお家でお茶会をするんだけど、じんちゃんはどう?」聞かれているそばから「あまり大勢になるとお邪魔だから…」目の前でシャッターを閉められたこともあった。かと思えば、しばらく経つとまた性懲りも無く「今度Yちゃんのお家で…」と参加者募集のお知らせが繰り返される 。藤井風の歌じゃないが何なん?正直いい気はしなかった。

帰省中の友を囲んでのランチの話が持ち上がり、楽しみにして出かけたものの、集合場所が見つからず、走り回ったことがある。余裕のあるメンバーは、三宮方面からお店巡りをしており、ランチ前に私を含む3人が合流する予定だった。指定されていたのはJR神戸駅の改札。これが、どんなに探しても見つからない。存在しない東口だったのである。ようやく皆の姿を認めた改札でホッとしたのも束の間、それまでの顛末を口にしかけると「ハーバーランドへ行くのは、ここしかないじゃない」同じく合流予定だった友に言われ、体中の力が抜けた。私はいつも神戸高速鉄道を利用していたのだ。

「あの時はアセったねぇ…」「そら見つからんはずやわ」誰かとトホホな胸の内を共有できたら、少しは笑いへ昇華できたかもしれない。もう一人はランチの場所へ直行したので、語り合える仲間がいないのである。幹事にはその後「あれは、西口じゃないっていう意味で東口と書いたのよ」と一蹴された。へっ?そんな言い訳通じます?それにアナタ、昔からこの手のミスが多いですよー!決して器用とは言えない彼女を振り回すかのようなメンバーの言動にも、やれやれだった。「日にち」「時間」「場所」基本的な内容を擦り合わせるだけでスッタモンダしているのに、さらにハードルを上げるような用件をぶち込んでくる。

仕事を抱え、その時その時の出来事をサバいていくのに精一杯。なんだか調子の狂うお年頃でもある。特定の人間にばかり負担がいくのは良くないと、役割の分担制を提案したが定着しなかった。迷走しているなぁと感じ始めて3年、それまで以上にガタピシの度合いが増し、私自身しんどかったから訴えていたのだけど。コロナ禍においても、何故物事がスムーズに進まないのかといった時に、既得権益や岩盤規制の問題へ行き着く場合があるが、似たようなモノじゃないかなぁ。構造を変えるのは難しいのだ。各々に向いている立ち位置、フォーメーションを考えることで、好転の兆しを望んでいたのだが。諦めモードへ突入して数ヶ月後、またまた一波乱あっての最後の場面。「それがみんなの総意だと思うの」幹事に寄り添い続けたメンバーの言葉に、そうかなぁ…と違和感を抱きつつ、反応を待たずして、ひっそりと気持ちに区切りをつけた。藤井風の歌のように、もうええわ。

メーリングリストからは退会したものの、今の私がそれなりに幸福でいられるのは、それまで通りの付き合いを続けてくれた人たちのおかげである。彼女たちは、どちらかと言えば公の場で主になって発言し、場を動かしていくタイプではなかった。が、ふとした機会をきっかけに、自分の気持ち一つで、私と繋がるのを選んでくれた。この5年間、様々な場所や編成での再会があった。東京・名古屋・広島…ウン十年ぶりに姿を現してくれた友もいた。「退会したじんちゃんが一番いろんな人と会ってるやん。しかもレアキャラ捕獲率ハンパないし。(レアキャラはともかく捕獲て…)」とツッコミを受けたりもしたが、みんなで!という枠組に囚われない方がいい場合もあるのだと思う。そうして、あの時だから成立したことも。

元いた場所の現状は、時折漏れ伝わってくる。一貫して感じるのは、やめてよかった〜。疲れ切った末の決断だったので、一度たりとも後悔はしていない。始めたからにはコツコツ続けてしまう山羊座A型気質だが、心底懲りた時には撤退できるのだと、ある意味ホッとした。何事も好意的に捉えていた穏健派のメンバーには、ごめんしかない。私さえ…いやいや、それはよくない。上辺だけを取り繕ったところで、もっと禍根が残ってしまうと思ったのだ。「この間こんな事があってね…」ため息混じりに話すメンバーもいるが、その内容は私からすると「うん、わかる。でも、それって何年も前からよ」というもの。問題点が、何ら解決されていないのだから仕方ない。あの時誰もが正面から向き合わなかった。平和主義者だったってことでしょ?

大勢で集まる機会からは、めっきり遠ざかった。そんな私を支えてくれたのは、曽野綾子さんや弘兼憲史さんの老年向けエッセイだった。〈60過ぎたら不義理も結構〉〈友人を減らしなさい〉という言葉に、ああ私の場合は、少しだけ早くこういう時期が巡って来たんだなぁと。方向性は間違ってないで♪心がスッと軽くなった。自分の身の丈を考えたら、あれこれ抱え込まず、信頼できる-安らげる-仲間が数人いればそれでいい。これからの人生、大切にしたいのは何なのか?頭の片隅に留めつつ、無理なく自然体できらり。藤井風の歌のように。✨