(一)
もうすぐCafeがなくなります。ネットの世界へやってきて、4年と10ヶ月。ID名を変えることなく生息し続けた、私にとって大切な居場所でした。エッセイを書き、仲間と語り合い、楽しい思い出ばかりじゃなかったけどね…
虚と実が交錯する中、心を痛めたことも、何度かあった。解釈や感情の行き違いを、じっくり紐解く余裕もないまま、加害者のごとく晒し者になったのは、一度や二度ではない。それでも何とか保ってこれたのは、交流を続けてくれた人たちのおかげ。本当に、心から感謝します。ありがとう。
(ニ)
Cafeが終わるにあたり、鬱々と溜め込んでいた気持ちを、解放してみます。できるだけ正直な心の内を、残しておきたい。誰かを気遣ったり、媚びへつらったエッセイは、後から読んでも、イマイチ好きになれないのです。自分でもね。ただ表現の方法は、考えたいと思います。
この『LAST MESSAGE』を読んでくれる人は、ほとんどが今の仲間。大切な人々に、不愉快な思いをさせて、終わらせたくはありません。「涙は呑んで、感情を口にする」かつての私に、そんなメッセージを送ってくれた仲間がいましたが、久しぶりに気になる小説を再読したら、ストンと腑に落ちた。そんな感じです。おっそ~~~
(三)
Cafeでの交流。和やかなムードに心がほぐれ、しょっているモノを傍らに降ろせる時もあれば、張り詰めたムードに心が曇り、リアルの生活にまで影響を及ぼす時もあった。Cafeは、あくまで息抜きの一つ。その範疇を超えれば、身も心も侵食されていく。
ここには社会の中で、或いは家庭の中で、役割を持って生きている人が、たくさんいた。そんな人々がしばし寛ぎ、仲間と語らい、ぼんやり考えをめぐらせる。そうしてまた、リアルの生活へと戻っていく。Cafeとは、本来そういったものではなかったか。
ある人にとっては、しごく当前のことだろう。しかし、その当前のことを学び取るまで、私には、途方もない時間がかかった。その間には、大切な親族も失った。今も正直、ネットと適切な距離を置けているとは言い難い。それでも家族との団欒だけは、守っていきたいと思っている。
リアルが、虚構世界に負けてはならない。そう感じているから…
(四)
ネット上でのキャラクターと、リアルに存在している当人は、ぴったりとは重ならない。限りなく近い人もいるだろうし、とてつもなく遠い人もいるだろう。また同じ対象、或いはその行動を眺めていても、受け取り方はそれぞれ。個人の立ち位置や、それまでの経験により、見え方だって変わる。
だから気にする必要などないのだ。どんな解釈をされようと。それでも相手の目に映る、決して美しくない自分を受け止めるのは、辛かった。当人にだけ分かるスタイル、関係者ならピンとくるスタイル、何れにしても、訪れたページに綴られていたのは、私への揶揄、皮肉、非難。
一つ一つの言葉が心に刺さり、涙が止まらなくなった。時には何ヶ月も、エッセイが書けなくなった。一方的見地の公開、信頼していた仲間との行き違いほど、そうした流れになってゆく。そうしてそれは、どう考えても、やり場のない心情の吐露という領域ではなかった。
当事者間で言葉を交わす余地は、本当になかったのだろうか?
(五)
虚の世界においても、心ある交流ができればという思いで活動してきた。その気さえあれば、いくらでも世界の広がる土壌ではあったが、広く薄い関係よりは、限られた範囲内であろうと濃い関係を望んでいた。一人一人の仲間の存在を、意識できる位置でいたかったのである。
しかし、そうした状況が往々にして摩擦を生むこともあった。仲間同士が良好な関係を保てるとは限らない。或いは逆に、間に入っている人間が気をもむ程、接近してしまう。そんな事情に端を発する緊迫感が、時に場を覆っていた。誰が、どこで、どんな振る舞いをしているか。ガラス張りの交友関係が、関係者の神経をさらに刺激する。
嫉妬する側、される側、とばっちりを受ける側、ひと通り経験して、くたびれ果てた時期があった。結局似たようなことが繰り返されているだけじゃないか…。自分なりの小さな城を大切に守っている人、ネットの特性を利用し交流を謳歌している人、個人的な感情を隠そうとしない人、周囲との調和や公共性を重んじる人。相反するタイプも行き交うCafeという空間。諍いが起きても不思議じゃない。
自分の城について言えば、私はただ、みんなと仲良くやりたかった。「穏やかな交流になっていくまで5年、それまで頑張ってください。」仲間の言葉にあった期間を迎える前に、Cafeはその幕を閉じる。
(六)
誰かにトキメク感情を否定はしないが、公開された場である以上、二人の間の話だけでは済まないということ。自分の書いたものが誰かに影響を及ぼすかもしれないということは、意識しておいた方がいいのではないか。周囲にバレていないと思っているのは、当事者だけなのである。
虚構の世界からリアルの世界へ。その残骸を目にして、苦しくなったことが何度かある。しかし悪い側面というのは、なかなか伝わらない。甘美な部分だけが増殖され、新たな犠牲者を生み出すのだ。確かに、Cafeがなくなるのは寂しい。が、その反面致し方ないと感じるのは、こういった形態を使いこなせる程に、私たちは成熟していない。
たぶんね…
(まとめ)
これでいいのだろうかと思い続けてきた、Cafeの側面について書いてみました。おそらく、ネット上の同様のコミュニティに、大なり小なりついて回る問題ではないかな。それを意識しているか否かは別にして。私はね…それなりの年齢を重ねてきた人たちには、格好よくあってほしいんですよ。勿論、自分自身も含めて。
公開された場に籍を置いている以上、その振る舞いは、いろんな人の目に晒されています。人の目にどう映っているか…それにとらわれ過ぎてもいけないが、無自覚でもいけない。例え頭の片隅にでも、意識しておく必要があるのではないか、とCafeの活動を通じて感じました。
ここは、様々な人たちが、つながり合っている空間です。そうして、それぞれの人たちに想い(心)があります。たった一人の人間に放った矢が、他の人に刺さることもあります。状況を見てとって、心を痛める人もいます。本人は意図しなくとも、知らず知らずのうちに、誰かを巻き込んでいるかもしれないのです。時には、愛の言葉さえもね…
そうして、基本みんなが息抜きに来ている場であるということ。寛ぎにきている場で、気が滅入るような記述を見たら、その人も辛くなります。リアルで何がしかを抱えているのは、みんな同じ。あなただけではないのです。時には、愚痴を吐きたくなることもあるでしょう。しかし、ここで元気をもらったら、しばらく自分の足で歩んでみませんか?人の心は吸い取り紙じゃない。大切な友人の心ほど、こんなことを聞かせて苦しくないかな?と、気にかけることも必要だと思います。
Cafeを卒業しても、新しい場所で、みんなが気持ちよく過ごせるように、そんな環境づくりを願っています。
もうすぐCafeがなくなります。ネットの世界へやってきて、4年と10ヶ月。ID名を変えることなく生息し続けた、私にとって大切な居場所でした。エッセイを書き、仲間と語り合い、楽しい思い出ばかりじゃなかったけどね…
虚と実が交錯する中、心を痛めたことも、何度かあった。解釈や感情の行き違いを、じっくり紐解く余裕もないまま、加害者のごとく晒し者になったのは、一度や二度ではない。それでも何とか保ってこれたのは、交流を続けてくれた人たちのおかげ。本当に、心から感謝します。ありがとう。
(ニ)
Cafeが終わるにあたり、鬱々と溜め込んでいた気持ちを、解放してみます。できるだけ正直な心の内を、残しておきたい。誰かを気遣ったり、媚びへつらったエッセイは、後から読んでも、イマイチ好きになれないのです。自分でもね。ただ表現の方法は、考えたいと思います。
この『LAST MESSAGE』を読んでくれる人は、ほとんどが今の仲間。大切な人々に、不愉快な思いをさせて、終わらせたくはありません。「涙は呑んで、感情を口にする」かつての私に、そんなメッセージを送ってくれた仲間がいましたが、久しぶりに気になる小説を再読したら、ストンと腑に落ちた。そんな感じです。おっそ~~~
(三)
Cafeでの交流。和やかなムードに心がほぐれ、しょっているモノを傍らに降ろせる時もあれば、張り詰めたムードに心が曇り、リアルの生活にまで影響を及ぼす時もあった。Cafeは、あくまで息抜きの一つ。その範疇を超えれば、身も心も侵食されていく。
ここには社会の中で、或いは家庭の中で、役割を持って生きている人が、たくさんいた。そんな人々がしばし寛ぎ、仲間と語らい、ぼんやり考えをめぐらせる。そうしてまた、リアルの生活へと戻っていく。Cafeとは、本来そういったものではなかったか。
ある人にとっては、しごく当前のことだろう。しかし、その当前のことを学び取るまで、私には、途方もない時間がかかった。その間には、大切な親族も失った。今も正直、ネットと適切な距離を置けているとは言い難い。それでも家族との団欒だけは、守っていきたいと思っている。
リアルが、虚構世界に負けてはならない。そう感じているから…
(四)
ネット上でのキャラクターと、リアルに存在している当人は、ぴったりとは重ならない。限りなく近い人もいるだろうし、とてつもなく遠い人もいるだろう。また同じ対象、或いはその行動を眺めていても、受け取り方はそれぞれ。個人の立ち位置や、それまでの経験により、見え方だって変わる。
だから気にする必要などないのだ。どんな解釈をされようと。それでも相手の目に映る、決して美しくない自分を受け止めるのは、辛かった。当人にだけ分かるスタイル、関係者ならピンとくるスタイル、何れにしても、訪れたページに綴られていたのは、私への揶揄、皮肉、非難。
一つ一つの言葉が心に刺さり、涙が止まらなくなった。時には何ヶ月も、エッセイが書けなくなった。一方的見地の公開、信頼していた仲間との行き違いほど、そうした流れになってゆく。そうしてそれは、どう考えても、やり場のない心情の吐露という領域ではなかった。
当事者間で言葉を交わす余地は、本当になかったのだろうか?
(五)
虚の世界においても、心ある交流ができればという思いで活動してきた。その気さえあれば、いくらでも世界の広がる土壌ではあったが、広く薄い関係よりは、限られた範囲内であろうと濃い関係を望んでいた。一人一人の仲間の存在を、意識できる位置でいたかったのである。
しかし、そうした状況が往々にして摩擦を生むこともあった。仲間同士が良好な関係を保てるとは限らない。或いは逆に、間に入っている人間が気をもむ程、接近してしまう。そんな事情に端を発する緊迫感が、時に場を覆っていた。誰が、どこで、どんな振る舞いをしているか。ガラス張りの交友関係が、関係者の神経をさらに刺激する。
嫉妬する側、される側、とばっちりを受ける側、ひと通り経験して、くたびれ果てた時期があった。結局似たようなことが繰り返されているだけじゃないか…。自分なりの小さな城を大切に守っている人、ネットの特性を利用し交流を謳歌している人、個人的な感情を隠そうとしない人、周囲との調和や公共性を重んじる人。相反するタイプも行き交うCafeという空間。諍いが起きても不思議じゃない。
自分の城について言えば、私はただ、みんなと仲良くやりたかった。「穏やかな交流になっていくまで5年、それまで頑張ってください。」仲間の言葉にあった期間を迎える前に、Cafeはその幕を閉じる。
(六)
誰かにトキメク感情を否定はしないが、公開された場である以上、二人の間の話だけでは済まないということ。自分の書いたものが誰かに影響を及ぼすかもしれないということは、意識しておいた方がいいのではないか。周囲にバレていないと思っているのは、当事者だけなのである。
虚構の世界からリアルの世界へ。その残骸を目にして、苦しくなったことが何度かある。しかし悪い側面というのは、なかなか伝わらない。甘美な部分だけが増殖され、新たな犠牲者を生み出すのだ。確かに、Cafeがなくなるのは寂しい。が、その反面致し方ないと感じるのは、こういった形態を使いこなせる程に、私たちは成熟していない。
たぶんね…
(まとめ)
これでいいのだろうかと思い続けてきた、Cafeの側面について書いてみました。おそらく、ネット上の同様のコミュニティに、大なり小なりついて回る問題ではないかな。それを意識しているか否かは別にして。私はね…それなりの年齢を重ねてきた人たちには、格好よくあってほしいんですよ。勿論、自分自身も含めて。
公開された場に籍を置いている以上、その振る舞いは、いろんな人の目に晒されています。人の目にどう映っているか…それにとらわれ過ぎてもいけないが、無自覚でもいけない。例え頭の片隅にでも、意識しておく必要があるのではないか、とCafeの活動を通じて感じました。
ここは、様々な人たちが、つながり合っている空間です。そうして、それぞれの人たちに想い(心)があります。たった一人の人間に放った矢が、他の人に刺さることもあります。状況を見てとって、心を痛める人もいます。本人は意図しなくとも、知らず知らずのうちに、誰かを巻き込んでいるかもしれないのです。時には、愛の言葉さえもね…
そうして、基本みんなが息抜きに来ている場であるということ。寛ぎにきている場で、気が滅入るような記述を見たら、その人も辛くなります。リアルで何がしかを抱えているのは、みんな同じ。あなただけではないのです。時には、愚痴を吐きたくなることもあるでしょう。しかし、ここで元気をもらったら、しばらく自分の足で歩んでみませんか?人の心は吸い取り紙じゃない。大切な友人の心ほど、こんなことを聞かせて苦しくないかな?と、気にかけることも必要だと思います。
Cafeを卒業しても、新しい場所で、みんなが気持ちよく過ごせるように、そんな環境づくりを願っています。
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