今年も春のお彼岸がきました。
彼岸の入りとなった18日に、永代納骨供養塔「安穏の塔」のご供養をさせていただきました。
そして21日、彼岸の中日に本堂で春季彼岸法要を厳修させていただきました。
さて、お彼岸とは、なんでしょう?
お彼岸の中日は、昼の長さと夜の長さが同じになる日です。
こんな日は1年間に2回あって、
それぞれ「春分の日」と「秋分の日」ですね。
お彼岸とは、それぞれの日の前後3日間を含めた、7日間をさします。
「彼岸」とは、川の向こう岸のことをいいます。
それに対して、自分がいる側の岸辺を「此岸(しがん)」といいます。
川の向こう岸とは、何の苦しみも悲しみもない理想の世界で、
こちら岸は苦しく、つらいことばかりの娑婆の世界。
お彼岸とは、その苦しみに満ちた世界から、
西にあるといわれるような理想の世界へ向かおうとい気持ちを新たにする日です。
しかしそれは、今いるこの世を捨てて新しい場所へ行きましょう、
という意味ではありません。
むしろ、「今いるこの世界を、理想の世界に近づけよう」という
気持ちをしっかり持つための意識強化週間、とでもいいましょうか。
普段の生活の中で起こる、つらく苦しい出来事でも、
より強く、より優しく成長する機会だととらえて、
自分の生き方を見つめなおしてみましょう。
私も含めて、人は自分の欲望や主義主張を通そうとして、
自らを苦しめていると思いませんか?
「放てば満てり」という言葉があります。
なにかをしっかりと手に持っている状態で、別のなにかを持ちたくても持てません。
しかし、果てしなく欲しがるから、苦しくなる。
これを解決する方法として、単純なことですが、
一旦、手を広げてしまうのです。
人は、手の中になにかを握って生まれてきます。赤ちゃんの手は、グーでしょ♪
だから最初に、「放つ」動作が必要になってきます。
気がつくと、際限なく手に入れようとしている自分がいます。
お彼岸を迎えるこのときに、
いちど立ち止まって、握りしめているなにかを手放してみませんか?
永代供養墓の前で、お釈迦様は今日も静かに坐禅をされておりました。
彼岸の入りとなった18日に、永代納骨供養塔「安穏の塔」のご供養をさせていただきました。
そして21日、彼岸の中日に本堂で春季彼岸法要を厳修させていただきました。
さて、お彼岸とは、なんでしょう?
お彼岸の中日は、昼の長さと夜の長さが同じになる日です。
こんな日は1年間に2回あって、
それぞれ「春分の日」と「秋分の日」ですね。
お彼岸とは、それぞれの日の前後3日間を含めた、7日間をさします。
「彼岸」とは、川の向こう岸のことをいいます。
それに対して、自分がいる側の岸辺を「此岸(しがん)」といいます。
川の向こう岸とは、何の苦しみも悲しみもない理想の世界で、
こちら岸は苦しく、つらいことばかりの娑婆の世界。
お彼岸とは、その苦しみに満ちた世界から、
西にあるといわれるような理想の世界へ向かおうとい気持ちを新たにする日です。
しかしそれは、今いるこの世を捨てて新しい場所へ行きましょう、
という意味ではありません。
むしろ、「今いるこの世界を、理想の世界に近づけよう」という
気持ちをしっかり持つための意識強化週間、とでもいいましょうか。
普段の生活の中で起こる、つらく苦しい出来事でも、
より強く、より優しく成長する機会だととらえて、
自分の生き方を見つめなおしてみましょう。
私も含めて、人は自分の欲望や主義主張を通そうとして、
自らを苦しめていると思いませんか?
「放てば満てり」という言葉があります。
なにかをしっかりと手に持っている状態で、別のなにかを持ちたくても持てません。
しかし、果てしなく欲しがるから、苦しくなる。
これを解決する方法として、単純なことですが、
一旦、手を広げてしまうのです。
人は、手の中になにかを握って生まれてきます。赤ちゃんの手は、グーでしょ♪
だから最初に、「放つ」動作が必要になってきます。
気がつくと、際限なく手に入れようとしている自分がいます。
お彼岸を迎えるこのときに、
いちど立ち止まって、握りしめているなにかを手放してみませんか?
永代供養墓の前で、お釈迦様は今日も静かに坐禅をされておりました。
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