カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

カンボジアの教科書から見るジェンダー

2009年01月29日 15時36分39秒 | Weblog
先日、カンボジア女性省に派遣されているジェンダー専門家の中川香須美さんから、「カンボジアの教科書からみるジェンダー」と題するお話を聞く機会がありました。ENJJという、日本大使館・JICA・JBACとNGOとの連携で開催している「教育分科会・人権分科会有志の会」という集まりでの勉強会でした。
カンボジアの教科書にもジェンダーにも興味のある私は、期待をしていましたが、期待を裏切らない、期待を上回る貴重な時間でした。また、好きだったのは、聴講者参加型であったという事です。「ジェンダーとはなんですか?はい、シーライツの桜ちゃん」とさされた時には、ドキリとしましたが、発言をすることで、自分が分かっているのか分かっていないのかはっきりさせることが出来ました。

中川さんのお話は①ジェンダーって? ②ジェンダーと人権 ③カンボジアの教科書におけるジェンダーの3つから構成されていました。

まずは、ジェンダーとは何か。大事なのは、「ジェンダーは分かる」ものではなく、「気づくもの」であるという点です。わたしたちの社会を見る視点のひとつとして、男と女が同じ人間なのに同じように生活できないような社会的な構図を分析する時に役立つのがジェンダーの視点(「気づき」)です。社会に女性に対する差別というゆがみがあることを理解し、それを改革していこうという時に基礎となるのが「ジェンダーへの気づき」なのです。至るところで使用されるようになってきたジェンダーという用語は広い意味を持っていて、簡単には説明できません。一般的には、社会的な性差や性役割規範・社会的に作られた「女らしさ」「男らしさ」を意味します。ところが、カンボジアで「ジェンダー」という言葉を口にすると、意味するところは「妻・女性」という場合が多いそうです。プノンペンなど都市部では、ジェンダー=男女平等として使われることも多々そうです。

中川さんのお話は、ジェンダーと人権に移ります。ジェンダーと人権問題は紙一重です。
「男だから泣くな」「女は飲みに行くな」という概念について、泣きたい時や飲みに行きたい時は、男や女に関わらずあります。「男らしさ=男は泣いてはいけないもの」「女らしさ=お酒を飲んではいけないもの」という社会的固定概念から外れた人、あるいは、同じ固定概念をもっていない人も、世の中にはいます。でも、その社会的固定概念から外れた人というのは、社会的制裁を受ける事があります。例えばカンボジアでは、レイプされた女性は、女らしさを失った女性として扱われ、結婚が困難になるというのがその端的な例です。
社会的制裁を受けないために「女らしさ」「男らしさ」=「ふるまうべき姿」を教え込まれます。「ふるまうべき姿」を教え込まれることによって、「自分のやりたい事」「自分らしさ」が追求できずに、人権問題につながることがあり、ジェンダーと人権は関係しているのです。

カンボジアにおけるジェンダー(性役割規範)とはなにか、「女らしさ」<社会> しとやか、従順、奥ゆかしさ、貞操、<家庭> 両親・夫に従う、家事・家計の切り盛り、「男らしさ」<社会> 指導者、強い体力、女性を守る、<家庭> 家の長、仕事をして家族を支える、妻・娘を支える、これがカンボジアにおけるジェンダーです。一昔前の日本のようだと感じるのは私だけでしょうか?

以上のような、ジェンダーが、カンボジアではどのように作られるのか、それは、両親や教員などの周囲にいる大人、テレビや雑誌といったメディアの力によるものだそうです。またカンボジアには「女性の法(チュバップ・スレイ)」「男性の法(チュバップ・プロ)」という「女性・男性としての振る舞い方」が書かれている行動規範があり、小学校で教えられているそうです。子どもが多くの時間を過ごす学校教育はジェンダー形成に大きなインパクトを持っていると言えます。というのも、幼い頃に叩き込まれた考え方・振る舞い方を変えるのは困難です。自然と「ふるまうべき姿」に縛られてしまうのです。

カンボジアの教科書、中川さんが用いたのは、小中学校の国語と社会科の教科書です。
以下のようなイラストを想像してみてください。
まずは女性像についてです。
① 小学1年生、社会科の教科書:トイレを使用するのは男の子、掃除するのは女の子
② 小学2年生、社会科の教科書:両親の手伝いをする女の子
③ 中学2年生、社会科の教科書:洋服の整頓についてのイラスト
洗濯(女性)→整理整頓(女性)→着用(男性)
教科書に掲載されているイラストで掃除洗濯をしている様子は圧倒的に女性か少女が多いのです。洗濯・整理整頓は女性がするものだという概念が無意識のうちに固定化されます。
④ 小学5年生、国語の教科書にはまた、以下のような夫婦の会話が掲載されています。
夫「何をすれば、はやくお金が儲かるかな」
妻「もしあなたがやりたいと思うなら、商売でも織物でも、何でも私を使ってください。言われた通りにします。反論しません」
こういう文章を読むことによって、子どもたちの中に「妻は夫に従うものだ」という意識が植え付けられます。

次に男性像についてです。
① 小学1年生、社会科の教科書:危険な遊びをしないようにしましょう
木登り等をして遊んでいる子どものイラストはすべて男の子が描かれています。
② 小学4年生、国語の教科書:学校での体育と遊び
運動する子どものイラストはすべて男の子です。
③ 小学3年生、社会科の教科書:助け合いについて
友達を助けている子どものイラストは男の子です。
④ 小学2年生、社会科の教科書:友情と手伝い「優秀な生徒は他の生徒の勉強の手伝いをしましょう」
このイラストの中で、優秀な生徒として勉強を教えているのは男の子です。

このように「男の子らしさ」「女の子らしさ」が描かれているという問題がある一方、ジェンダーステレオタイプを改善する試みもされています。
中学1年生、社会科の教科書です。
チョンバー「みんなが一生懸命勉強したら、モデルクラスになれると思う」
ビボル(男子生徒)「教室をきれいにするべき。掃除は女子の仕事だから、女子にやっても
らおう」
ボパー「絵とか写真を飾って教室内をきれいにしよう」
ティアリー「どの意見もいいけれど、掃除については、全員に同じように義務があると思
う。男子だって女子と同じように掃除が出来るんだから、区別するのはおかしいと思う」
級長「もちろん!モデルクラスになるには色々な要因が必要だと思う。一部の生徒に義務があるのではなくて、みんなで義務を負担しなきゃ!」
ティアリーに拍手です。

中川香須美さん:カンボジア国ジェンダー政策立案・制度強化支援計画プロジェクト
http://project.jica.go.jp/cambodia/0211055E0/index.html