わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
頂門の一針 6529号
頂門の一針 6529号
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岸田氏の定見問われる核の無法時代
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櫻井よしこ
ロシアと勇敢に戦い続けるウクライナのゼレンスキー大統領が5月19日開幕のG7広島サミットに対面参加すると報じられた瞬間から、報道はゼレンスキー氏一色になった。
ロシアの核の脅威に直面し、国土を焼かれ人命を失い続けるウクライナの悲劇と広島の悲劇が重なって、岸田文雄首相の設定した核なき世界を目指す舞台に西側首脳たちが勢揃いした。
世界的な関心が向けられる戦争のさなか、戦争当事国の大統領が戦いの間隙を縫ってサミットに登場した。広島サミットが盛り上がらないわけはない。岸田氏も一気に世界的存在になった。国内においては、論調の異なる二つの全国紙、毎日、読売の世論調査で岸田氏の支持率は各々9ポイントも跳ね上がった。
ゼレンスキー氏は20日午後、日本に着くや、スナク英首相、メローニ伊首相、モディ印首相、マクロン仏大統領、ショルツ独首相と矢継ぎ早に会談し、翌21日はトルドー加首相、ジョコ・インドネシア大統領、尹韓国大統領、バイデン米大統領、サリバン米大統領補佐官、そして岸田首相と会い、記者会見をこなして帰国の途についた。広島の平和記念資料館を岸田首相と二人で訪れ、その印象を心にしみる言葉で語り、改めてロシアを牽制した。
中露を先頭にあちら側の世界はゼレンスキー氏の言動を忌々しく思っただろうが、氏のメッセージはおよそ全世界の共感を呼んだ。すばらしいことだったが、G7、そしてわが国のこれからの道は平坦ではない。
岸田首相は22日に広島サミットの果実をこう語っている。1,法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序維持の重要性を世界に向けて発出する、2,グローバル・サウス(GS)諸国との関与を深める、という二つの狙いを果たすことができた、と。
1,はそのとおりだ。2,についてはそれ程安心してはいられない。GSのリーダーとして招かれたブラジルのルラ大統領は、ウクライナ問題はG7でなく国連で議論すべきだと主張し、インドネシアのジョコ氏も同じ考えだと発表した。
人類史上最大の大軍拡
GSの大国、インドのモディ首相はウクライナ戦争を停戦に導くためにできることは全てすると約したが、今年秋に自らが主催するG20(20か国・地域会合)にゼレンスキー氏を招くか否かは明確ではない。
米国の国家安全保障担当大統領補佐官のサリバン氏は今回のサミットで「圧力」は禁句だったと述べたが、インドやブラジルに中露と距離をとらせようとすること自体、逆効果で、その種の圧力があれば彼らが向こうの陣営により接近しかねない危うさがある。
ゼレンスキー大統領が対面参加したからといってGS諸国の姿勢が一変するわけではない。そのことは日本もよく理解しているはずだ。ブルームバーグ通信は、GS諸国はG7の説得には乗らなかったと報じている。
岸田首相が精力を注いだ核なき世界はどうか。「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」は、サミット開幕日の19日に発表された。戦後77年間、核不使用の時代が続いたことの重要性を強調し、核で威嚇するロシアを繰り返し非難した。北朝鮮、イランも繰り返し非難された。しかし中国に対しては、核軍縮に関する条約について誠実に行動すべきだと定めたNPT(核不拡散条約)第6条などに沿って、国際社会への実質的関与を求めたにすぎない。
現在、自由社会全体に未曾有の脅威を及ぼそうとしている中国の尋常ならざる核増産について、全くなんの警告も発し得なかった。
中国の、人類史上最大の大軍拡はすでに34年も続き、その主軸がいまや核兵器の大増産なのだ。ロシアは米国との核軍縮を定めた新戦略兵器削減条約(新START)の履行を今年2月に停止した。北朝鮮の核・ミサイル開発も尋常ではない。イランの核保有も近い将来あるだろう。その途端にサウジアラビアが核武装し、アラブ諸国もそれに倣う可能性がある。世界は核の無法時代に入ったのだ。広島での核なき世界を目指すという誓約が生んだ感動は、こうした事実の前に呆気なく消えていくだろう。
ちなみに、米国有数の核の研究機関、ローレンス・リバモア国立研究所が3月に「第二の核大国、中国の出現」と題された70頁余りの報告書を発表した。「限りない友情」を誓った中露の核戦力に対処するには、米国は力不足だと指摘している。2035年までに中国は現在約400発の核弾頭を1500発まで増産する。だが米国はロシアに加えて中国にも対処するために必要な数の核を揃えていない、備蓄の中から実戦配備可能な核を出して備えよと警告したのだ。核の運搬手段として26年までに爆撃機、大陸間弾道ミサイル(ICBM)や潜水艦発射弾道ミサイル
(SLBM)などの新たな開発も急げと警告した。報告書は米国の核戦力の現状では中露双方に対処できないとの切迫感に溢れている
日本だけが逆方向
核の無法時代にあって、わが国は如何にして日本の国土を守るのだろうか。その第一歩は、核戦争を防ぐのは結局核の均衡でしかないことに気づくことではないのか。核のない日本が中国の核から日本の国土を守るにはこちらにも強い核戦力が必要だということだ。しかし、岸田氏は非核3原則を貫き核の共有も保有も論じないという。世界が核戦力強化に向かっている今、日本だけが逆方向に突き進んでいる。国際社会の現実と日本の現実の間には大きな隔たりがあり、それは拡大し続けている。岸田氏の理想は現実を踏まえなければ夢想に終わりかねない。
岸田氏が大きな感動の次に直面するのは、こうしたのっぴきならない危機ではないかと思う。
サミットでもうひとつ気にかかったことは米国の関心がどこにあるのかという点だった。バイデン氏はゼレンスキー氏に、米国のF16戦闘機を第三国経由で供与し、パイロットに訓練を施すことを了承すると正式に伝えた。一方で、広島サミット後に豪州を訪れ、日米豪印(Quad)首脳会議を開催し、南太平洋で最大の人口を有するパプアニューギニアも訪問予定だった。しかし、ワシントンで財政問題を処理しなければならないとして、一連の予定をキャンセルして帰国してしまった。
代理として急遽ブリンケン国務長官がパプアニューギニアを訪れたものの、Quad及び自由で開かれたインド太平洋(FOIP)構想の戦略的意義を、米国がどこまで理解し、コミットするのかが見えてこない。米国の関心はロシアへの対処を軸に欧州に集中し、インド・太平洋を見渡すQuadへの配慮がおろそかになっていると言わざるを得ない。
アメリカ外交は一部視界不良なのである。そこを補えるのは日本だけだ。岸田首相にその決意と戦略があるかが問われている。
岸田氏の定見問われる核の無法時代
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櫻井よしこ
ロシアと勇敢に戦い続けるウクライナのゼレンスキー大統領が5月19日開幕のG7広島サミットに対面参加すると報じられた瞬間から、報道はゼレンスキー氏一色になった。
ロシアの核の脅威に直面し、国土を焼かれ人命を失い続けるウクライナの悲劇と広島の悲劇が重なって、岸田文雄首相の設定した核なき世界を目指す舞台に西側首脳たちが勢揃いした。
世界的な関心が向けられる戦争のさなか、戦争当事国の大統領が戦いの間隙を縫ってサミットに登場した。広島サミットが盛り上がらないわけはない。岸田氏も一気に世界的存在になった。国内においては、論調の異なる二つの全国紙、毎日、読売の世論調査で岸田氏の支持率は各々9ポイントも跳ね上がった。
ゼレンスキー氏は20日午後、日本に着くや、スナク英首相、メローニ伊首相、モディ印首相、マクロン仏大統領、ショルツ独首相と矢継ぎ早に会談し、翌21日はトルドー加首相、ジョコ・インドネシア大統領、尹韓国大統領、バイデン米大統領、サリバン米大統領補佐官、そして岸田首相と会い、記者会見をこなして帰国の途についた。広島の平和記念資料館を岸田首相と二人で訪れ、その印象を心にしみる言葉で語り、改めてロシアを牽制した。
中露を先頭にあちら側の世界はゼレンスキー氏の言動を忌々しく思っただろうが、氏のメッセージはおよそ全世界の共感を呼んだ。すばらしいことだったが、G7、そしてわが国のこれからの道は平坦ではない。
岸田首相は22日に広島サミットの果実をこう語っている。1,法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序維持の重要性を世界に向けて発出する、2,グローバル・サウス(GS)諸国との関与を深める、という二つの狙いを果たすことができた、と。
1,はそのとおりだ。2,についてはそれ程安心してはいられない。GSのリーダーとして招かれたブラジルのルラ大統領は、ウクライナ問題はG7でなく国連で議論すべきだと主張し、インドネシアのジョコ氏も同じ考えだと発表した。
人類史上最大の大軍拡
GSの大国、インドのモディ首相はウクライナ戦争を停戦に導くためにできることは全てすると約したが、今年秋に自らが主催するG20(20か国・地域会合)にゼレンスキー氏を招くか否かは明確ではない。
米国の国家安全保障担当大統領補佐官のサリバン氏は今回のサミットで「圧力」は禁句だったと述べたが、インドやブラジルに中露と距離をとらせようとすること自体、逆効果で、その種の圧力があれば彼らが向こうの陣営により接近しかねない危うさがある。
ゼレンスキー大統領が対面参加したからといってGS諸国の姿勢が一変するわけではない。そのことは日本もよく理解しているはずだ。ブルームバーグ通信は、GS諸国はG7の説得には乗らなかったと報じている。
岸田首相が精力を注いだ核なき世界はどうか。「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」は、サミット開幕日の19日に発表された。戦後77年間、核不使用の時代が続いたことの重要性を強調し、核で威嚇するロシアを繰り返し非難した。北朝鮮、イランも繰り返し非難された。しかし中国に対しては、核軍縮に関する条約について誠実に行動すべきだと定めたNPT(核不拡散条約)第6条などに沿って、国際社会への実質的関与を求めたにすぎない。
現在、自由社会全体に未曾有の脅威を及ぼそうとしている中国の尋常ならざる核増産について、全くなんの警告も発し得なかった。
中国の、人類史上最大の大軍拡はすでに34年も続き、その主軸がいまや核兵器の大増産なのだ。ロシアは米国との核軍縮を定めた新戦略兵器削減条約(新START)の履行を今年2月に停止した。北朝鮮の核・ミサイル開発も尋常ではない。イランの核保有も近い将来あるだろう。その途端にサウジアラビアが核武装し、アラブ諸国もそれに倣う可能性がある。世界は核の無法時代に入ったのだ。広島での核なき世界を目指すという誓約が生んだ感動は、こうした事実の前に呆気なく消えていくだろう。
ちなみに、米国有数の核の研究機関、ローレンス・リバモア国立研究所が3月に「第二の核大国、中国の出現」と題された70頁余りの報告書を発表した。「限りない友情」を誓った中露の核戦力に対処するには、米国は力不足だと指摘している。2035年までに中国は現在約400発の核弾頭を1500発まで増産する。だが米国はロシアに加えて中国にも対処するために必要な数の核を揃えていない、備蓄の中から実戦配備可能な核を出して備えよと警告したのだ。核の運搬手段として26年までに爆撃機、大陸間弾道ミサイル(ICBM)や潜水艦発射弾道ミサイル
(SLBM)などの新たな開発も急げと警告した。報告書は米国の核戦力の現状では中露双方に対処できないとの切迫感に溢れている
日本だけが逆方向
核の無法時代にあって、わが国は如何にして日本の国土を守るのだろうか。その第一歩は、核戦争を防ぐのは結局核の均衡でしかないことに気づくことではないのか。核のない日本が中国の核から日本の国土を守るにはこちらにも強い核戦力が必要だということだ。しかし、岸田氏は非核3原則を貫き核の共有も保有も論じないという。世界が核戦力強化に向かっている今、日本だけが逆方向に突き進んでいる。国際社会の現実と日本の現実の間には大きな隔たりがあり、それは拡大し続けている。岸田氏の理想は現実を踏まえなければ夢想に終わりかねない。
岸田氏が大きな感動の次に直面するのは、こうしたのっぴきならない危機ではないかと思う。
サミットでもうひとつ気にかかったことは米国の関心がどこにあるのかという点だった。バイデン氏はゼレンスキー氏に、米国のF16戦闘機を第三国経由で供与し、パイロットに訓練を施すことを了承すると正式に伝えた。一方で、広島サミット後に豪州を訪れ、日米豪印(Quad)首脳会議を開催し、南太平洋で最大の人口を有するパプアニューギニアも訪問予定だった。しかし、ワシントンで財政問題を処理しなければならないとして、一連の予定をキャンセルして帰国してしまった。
代理として急遽ブリンケン国務長官がパプアニューギニアを訪れたものの、Quad及び自由で開かれたインド太平洋(FOIP)構想の戦略的意義を、米国がどこまで理解し、コミットするのかが見えてこない。米国の関心はロシアへの対処を軸に欧州に集中し、インド・太平洋を見渡すQuadへの配慮がおろそかになっていると言わざるを得ない。
アメリカ外交は一部視界不良なのである。そこを補えるのは日本だけだ。岸田首相にその決意と戦略があるかが問われている。
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