たなべ りやうじらう のメイル・マガジン
頂門の一針 6566号
頂門の一針 6566号
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共産の夢 立民の立ち位置
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【阿比留瑠比の極言御免】
もう12年前の話だが、当時の菅直人政権の仙谷由人官房長官の考え方を知ろうと著書『想像の政治 政治の創造』を読み、驚いたことがある。そこには、こう書かれていた。
「私たちが若かりし頃、社会主義を夢見たのは(中略)、社会主義社会には個人の完全な自由がもたらされ、その能力には全面的に開花し、正義が完全に貫徹しているというア・プリオリな思いからであった」
個人の完全な自由、能力の全面的な開花、正義の完全な貫徹を「先験的」に夢見たのである。全共闘運動に身を投じた仙谷氏の時代とは異なり、筆者の若い頃には既に学生運動は下火になっており、仙谷氏は本当にそんな非現実的な話を信じていたのかと驚愕(キョウガク)したのだった。
[現実主義の仙谷氏も]
高校時代に公民の教科書か何かで、社会主義が平等を目指すと学んだ際も、「(異性に)もてる者ともてざる者」は永遠に平等になることはないと反発したものだった。
それだけに、当時の民主党の中では現実的な政治手法・手腕を誇った仙谷氏の回想は衝撃的だった。信じ難いほど荒唐無稽に思えたからである。
ところが、共産党のホームページなどをみると、今も学生時代の仙谷氏と同様の見解が掲載されている。例えば、こんなふうである。
「日本共産党が目標にする社会主義・共産主義の社会とは、誰もが自分の持っている力を自由に全面的に花開かせることのできる社会です」
「こうした社会主義・共産主義の社会を、日本共産党は本気でめざしています。まずは資本主義の枠内で民主主義を徹底する社会を実現し、そのうえでさらなる社会発展に挑戦する。『共産党』の名前には、こうした私たちの理想と決意がこめられています」
そういえば共産の志位和夫委員長は、立憲民主党と政権交代後には「閣外協力」することで合意して臨んだ令和3年10月の衆院選時の党首討論会で、次のように熱を込めて語っていた。
「人類の社会は資本主義でおしまいか。私はその次に進むことができる。社会主義、共産主義です」
このときの志位氏は、立民との選挙協力で衆院選に勝つことで、共産党綱領にうたう「次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が課題となる」段階に近づいたとばかりに高揚しているようにみえた。
[秩序転覆こそ原点]
今月12日の本紙政治面は現在、立民と共産は次期衆院選での選挙協力の在り方を巡ってつばぜり合いを演じていると報じていた。立憲共産党といわれた2年前の蜜月状態に戻るのか、それとも距離を置くのか。
前記の共産ホームページにはこう書いてある。
「変革の中心が『生産手段の社会化』です」
一方、マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』は
こう説いている。
「共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する」
私有財産の廃止と社会秩序の転覆が、原点なのである。立民は、のん気に選挙目的で候補者調整だの政策合意だのと言っていいのだろうか。「共産主義の本来の姿」を伝える党と、くっつくことに疑問を覚えないのか。
共産の夢 立民の立ち位置
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【阿比留瑠比の極言御免】
もう12年前の話だが、当時の菅直人政権の仙谷由人官房長官の考え方を知ろうと著書『想像の政治 政治の創造』を読み、驚いたことがある。そこには、こう書かれていた。
「私たちが若かりし頃、社会主義を夢見たのは(中略)、社会主義社会には個人の完全な自由がもたらされ、その能力には全面的に開花し、正義が完全に貫徹しているというア・プリオリな思いからであった」
個人の完全な自由、能力の全面的な開花、正義の完全な貫徹を「先験的」に夢見たのである。全共闘運動に身を投じた仙谷氏の時代とは異なり、筆者の若い頃には既に学生運動は下火になっており、仙谷氏は本当にそんな非現実的な話を信じていたのかと驚愕(キョウガク)したのだった。
[現実主義の仙谷氏も]
高校時代に公民の教科書か何かで、社会主義が平等を目指すと学んだ際も、「(異性に)もてる者ともてざる者」は永遠に平等になることはないと反発したものだった。
それだけに、当時の民主党の中では現実的な政治手法・手腕を誇った仙谷氏の回想は衝撃的だった。信じ難いほど荒唐無稽に思えたからである。
ところが、共産党のホームページなどをみると、今も学生時代の仙谷氏と同様の見解が掲載されている。例えば、こんなふうである。
「日本共産党が目標にする社会主義・共産主義の社会とは、誰もが自分の持っている力を自由に全面的に花開かせることのできる社会です」
「こうした社会主義・共産主義の社会を、日本共産党は本気でめざしています。まずは資本主義の枠内で民主主義を徹底する社会を実現し、そのうえでさらなる社会発展に挑戦する。『共産党』の名前には、こうした私たちの理想と決意がこめられています」
そういえば共産の志位和夫委員長は、立憲民主党と政権交代後には「閣外協力」することで合意して臨んだ令和3年10月の衆院選時の党首討論会で、次のように熱を込めて語っていた。
「人類の社会は資本主義でおしまいか。私はその次に進むことができる。社会主義、共産主義です」
このときの志位氏は、立民との選挙協力で衆院選に勝つことで、共産党綱領にうたう「次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が課題となる」段階に近づいたとばかりに高揚しているようにみえた。
[秩序転覆こそ原点]
今月12日の本紙政治面は現在、立民と共産は次期衆院選での選挙協力の在り方を巡ってつばぜり合いを演じていると報じていた。立憲共産党といわれた2年前の蜜月状態に戻るのか、それとも距離を置くのか。
前記の共産ホームページにはこう書いてある。
「変革の中心が『生産手段の社会化』です」
一方、マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』は
こう説いている。
「共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する」
私有財産の廃止と社会秩序の転覆が、原点なのである。立民は、のん気に選挙目的で候補者調整だの政策合意だのと言っていいのだろうか。「共産主義の本来の姿」を伝える党と、くっつくことに疑問を覚えないのか。
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