izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

「去年マリエンバートで」〜詩的で繊細、贅沢な世界に浸るひととき。 

2019-11-03 14:56:53 | 映画

1961年に制作され、その年の「ベネツィア国際映画祭」金獅子賞を受賞した「去年マリエンバートで」。

映画史に燦然と輝くその映画が、半世紀の時を経て、シャネルの全面サポートのもと4Kデジタルリマスター上映された!

監督が、当時”ヌーヴェル・ヴァーグを先導した”アラン・レネ。脚本が、”ヌーヴォー・ロマンの騎手"と称されたアラン・ロブ=グリエ。そして衣装は、当時78歳のココ・シャネルによるオリジナルデザイン!!

知性と感性と、自由な想像力に満ちた時代を切り開いた3人。。。その名前を聞くだけでワクワクしてくる。ヒロインを演じるデルフィーヌ・セイリグはまさにシャネルのイメージそのまま!シンプルで飾らず、エレガント、そして謎めいている。 

絢爛豪華で奢侈を極めたようなバロック風の建物ーー彫刻や金箔で縁取られた壁や天井や柱、前庭に整然と広がる直線的で人工的な庭園、ヒロインが着ている「これぞシャネル!」と言えるモダンでクラシカルなドレスの数々。。。計算されつくした圧倒的な美しさにため息が出る。
登場人物は女と、男と、女の夫と思われる男の3人。去年、同じ場所で出会い心を通わせた女と男。女はまるで覚えていないという。男は記憶を積み重ねるように去年の約束を思い出させようと語る。。思いが通わない、交わらない会話、ストップモーションのように静止した時間と場所。。。夢と現実の間を彷徨うように行きつ戻りつする二人。。まどろむような女の表情(そういえば、当時”アンニュイ”という言葉があった)、時に苛立ち、それでも静かに情熱をもって語り続ける男。。。どのシーンをとっても完璧に構築された映像と言葉がある。

 

「去年マリエンバートで」を観たはいつ頃のことだったのだろう。。。ほとんど幻のように思える映画だったが、ワタシにとっては、一度観ただけで、数十年経ってもその記憶やイメージが時折り浮かんでくる、特別な存在だ。

この映画について、ジャコメッティは「めくるめくような夢。何週間経っても私は、あの世界のことを考え続けている」と記しているが、まさに、一度観ただけで魂の奥深くに残る。”一度は観ておく価値がある映画”と言える作品であります。

恵比寿ガーデンシネマで上映中。

 

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映画「COLD WAR あの歌、2つの心」モノクロ画面に心が震えた。。。

2019-07-07 11:11:47 | 映画

ヒューマントラストシネマ有楽町で、「COLD WAR〜あの歌、2つの心」を観た。

ポーランドのパヴェウ・パヴリコフスキ監督。ポーランド、イギリス、フランス合作の、寡黙で美しい映画である。モノクロ画面の光と影のコントラストが、闇や影があった当時の時代背景を感じさせ、それと対比するかのような素朴な自然のありのままの風景を描き、ヒリヒリするような切ない情感を醸しだしている。まさに、“心と五感を刺激する”音楽と映像美で綴る心が震えるラブストーリーだ。

 

「COLD WAR」とは、1949年から1989年のベルリンの壁崩壊まで続いた冷戦時代のこと。

1949年の冷戦の渦中にあるポーランドで出会ったヴィクトルとズーラが、数年ずつの時を移してはベルリン、ユーゴスラビア、パリと場所を変え、引き裂かれてなお求め合う2人の15年に渡る激しい愛のお話だ。

導入部で繰り広げられるポーランドの民族音楽・民族ダンスのおおらかで力強い明るさ、にまず感動!

舞踊団の公演を通して何度も歌われる『2つの心』が、ズーラによってパリのライブハウスでジャズにのせて歌われるのだが、同じ曲でもまったく違う曲想にその心の切なさが重なり、胸を締め付けられるよう。。

紆余曲折の後にヴィクトルはポーランドに戻り、服役を経たヴィクトルがズーラと巡バスに乗り、延々と畑がひろがる田舎の十字路で降りるラストシーンも印象的だ。広大なポーランドの田舎道の十字路のベンチに座る2人。「あちら側に行きましょう。眺めが良さそう。。」という言葉で映画は終わる。。。。バスを降りて、2人が次に乗るバスは来るのだろうか。。。結末はない。余韻が残るだけ。。

音楽への思いとお互いを求める心は時にヒリヒリと痛く、”冷戦”という時代に流されながらも、『2つの心』で結ばれ、互いへの燃え上がる愛だけは貫こうとする二人。

ズーラを演じたヨアンナ・クーリクは、民族服を着て舞踊団で歌う若い時代と、その後年をへてパリで再会した時の様子がそれぞれに素晴らしい演技で、この作品でヨーロッパ映画賞女優賞を受賞している。 

見終わって、こんなにも強く心の底から求めることが、自分にはあっただろうか。。と思う。

映画の中でヨアンナ・クーリクが歌うポーランドの民族歌「2つの心」は、ポーランド語とフランス語バージョンでジャズ風に歌っているもの(「Dwa Serduszka」と「Deux cœurs」)がしみじみと心に響く。。。即購入!で繰り返し聴いている。

 

https://coldwar-movie.jp/index.html 

 

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「鷺娘」と、同時上映の「日高川入相花王」で、玉三郎の”美”を堪能

2019-06-27 15:23:07 | 映画

上映中の「誰もがそれを知っている」を観ようと、有楽町ヒューマントラストシネマ(名前が長い!)に。

ぺネローペ・クルスと、ハビエル・バルデムが主演、イランのアスガー・ファルハディ監督によるオールスペインロケのサスペンス作品だ。ぺネローペ・クルスといえば、「ライブ・フレッシュ」、「オース・アバウト・マイ・マザー」や「ボルベール〈帰郷〉」等々、スペインを代表する逞しい女性を演じて大好きな女優。

さらに、共演する夫のハビエル・バルデムは、なんと言っても「ノー・カントリー」の不気味で不条理な殺し屋役が強烈な印象で、この映画はJ:COMの映画チャンネルで何度も繰り返し観ている。

二人が夫婦だったとは全く知らなかったが、この二人が主演しているなら外れなし!と思って、やっと何もない水曜日になって駆けつけた。。。。しか〜しっ!

14:15分の回に間に合うように20分位前に窓口に行ったら、14:15分の回はすでに満席!!え〜っ!である。予約しないで行ったワタシがいけなかったのか、でもね、そんなに人気があるなら広い方の上映館でやってよ。。である。

 

で、「誰もがそれを知っている」は諦めて、もうひとつ行きたかったシネマ歌舞伎、坂東玉三郎の「鷺娘」が東劇でかかっているのを思い出し、「あっちは14:00から。なんとか間に合うかも」と、急遽、銀座駅から日比谷線に乗って一駅「東銀座」まで。東銀座駅に着いて地上に出れば東劇はすぐだ。チケット買って、エスカレーターで劇場入り口に着いたら「まもなく上映時間です」のアナウンス。席に座って、汗がおさまる間もなく映画が始まった。

最初に上映された「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」が、浄瑠璃を人間が演じるという指向の舞台の映像で、玉三郎は人形として清姫を演じる。人形遣いは尾上菊之助だ。船頭役は市川九團次で、上半身は人間、足は人形というしつらえも面白可笑しい。

清姫の激情が大蛇となって川を渦巻き、その波間波間に清姫が浮かび、沈む。。。つい先日読んでいた大島真寿美の「渦〜」を思い出しながら、いつしか玉三郎が人形のように見えてくる。安珍・清姫のストーリーはよく知らなかったが、短めで軽く楽しめるものだった。

 

続いての「鷺娘」は、雪が降りしきる中で玉三郎が演じる白鷺の精の舞の静謐で精緻な美しさに、息をのむ。1991年のイギリス公演では「まさに東洋のジゼルだ」と絶賛を浴びた完成度の作品。道ならぬ恋に身をやつし、遂げられない想いに苦しみ、やがて息絶える。。幻想的なストーリーだ。

何度もの衣装の早変わりや、ゆっくりと静かな踊りを創り上げるまでには、想像を絶する体力・精神力が要求されるだろう。この舞台を創り上げるまでの過程を想像するとその美への希求の強さに圧倒される。

ナマの舞台とはまた違う、大きなスクリーンで観る臨場感もあり、シネマ歌舞伎は結構気に入っているのだった。次のお楽しみは、11月の「女殺油地獄」。これも凄そうだよ〜。。。

その前に、やっぱり「誰もがそれを知っている」も観に行かなくっちゃ!

 

 

 

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「フランケンシュタイン」の作者 メアリ・シェリーの物語「メアリーの総て」を観る

2019-01-08 15:08:30 | 映画

ゴシックロマンの金字塔とされる「フランケンシュタイン」が出版されて200年。これまで多くの著名な監督によって映画化されている。。。。ロバート・デ・ニーロが演じた(Fコッポラ制作/ケネス・ブラナー監督)哀しみに満ちたフランケンシュタイン(ラストは切なかった。。)、コミカルな映画「ヤング・フランケンシュタイン」(メル・ブルックス監督)では、哀愁に満ちたバイオリンの調べとジーン・ワイルダーが演じた「フロンコンスティン博士」の可笑しさ(博士の末裔である大学教授は“フランケンシュタイン”と呼ばれると”フロンコンスティン!”と訂正するのであった)。ワタシ的には、古いモノクロ無声映画で(いつ頃の作品だったか??)、《怪物》が湖の畔で少女と花摘みをしているシーンが美しく印象に残る。

ストーリーは何となく知っていても、ちゃんと読んだのは、国書刊行会という出版社が出していたゴシックロマンシリーズで読んだのが最初。かなり前のことだ。分厚い本だったような気がするが、重層な描写やストーリー展開が面白く、引き込まれるように読み耽ったものである。

 

メアリー・シェリーが「フランケンシュタイン」を書き上げたのは1818年。メアリーは18歳だった(!!)

19世紀始めのイギリスといえば、まだ女性の権利が認められず、社会的地位は低く、ロンドンの街はまだ暗く貧しく薄汚れていた頃。そんな時代に、18歳の女性によって「フランケンシュタイン」という《怪物》が生み出されたのだ!(初版は匿名であった)

 

 墓地で詩作を重ねていたメアリーはやがて詩人シェリーと出会い、強く引かれあって暮らし始めるも彼は妻子持ち。しかも生まれた子供は幼くして病死、シェリーは“自由恋愛”の名の下に次々と恋人を作り、元妻は自殺。。。

たった一人の愛を求め、裏切られ、孤独の中に捨て置かれ、傷付けられ、そんなメアリーの心が「フランケンシュタイン」という《怪物》を産み出し、結晶となり”英国文学史上最も若く、最もセンセーショナル”と称される作品とへと昇華される。

 

 スコットランドの冬景色や、ふとした街路の影、バイロン卿の館・・・ 箇所箇所に挿入される映像は美しい。それに主役を演じるエル・ファニングの初々しくも意思の強さを感じさせる表情も美しく、深く心に残る映画でありました。

 

 

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観ました「ボヘミアン・ラプソディ」!素晴らしかった!

2018-12-26 13:59:38 | 映画

12月24日はクリスマスイヴであると同時に、妹の誕生日でもある。

今年の24日は「見に行かない?」と誘いもあり、妹と一緒に『ボヘミアン・ラプソディ』を観に川崎チネチッタへ。

 

『ボヘミアン・ラプソディ』は言わずと知れたクイーンのフレディ・マーキュリーのストーリー。

パキスタン系のイギリス人であることや容姿へのコンプレックスなどのため孤独や疎外感を抱えていた若者(後のフレディ・マーキュリー)が、その後生涯の”ファミリー”となるバンド仲間と出会い、斬新な(そして美しい!)曲の数々を生み出していく・・・We Will Rock You、チャンピオン、キラークイーン、RADIO GAGA ・・・・。「クイーン」を知らなくても、その曲は誰でも一度は耳にしたことがあるはずだ。

 

1971年結成のクイーンの活動が最高潮だったのが、1975年〜80年代中盤。この頃、私は編集の仕事が忙しくオンタイムで体験してはいなかったが、ある子供服メーカーの撮影時にモデルを頼んだアメリカ人の子供(5歳くらい)が、「♪ we wil we will  rock you〜 ♪」と歌いながら踊りながらスタジオに入って来た(!)ことをよく覚えている。

こんな子供が口ずさんでいるンだ!!とビックリした覚えがある。

1991年にフレディ・マーキュリーがエイズで亡くなってから、ミュージックビデオやラジオ(主にAFN)や、その後音楽TV「Music Air」で、繰り返し何度も観て、(それにエリザベス女王の戴冠ン十周年記念かなにかの時に、ブライアン・メイがイギリスのどこかのお城の塔の上で”GOD SAVE THE QUEEN”を演奏する映像を観て!)、あらためてクイーンが単なるロックバンドに留まらない、スケールの大きいアーティストとして存在していたことを知った。

 

映画の中でフレディがオペラ「カルメン」を聴いているシーンがあったが、フレディ・マーキュリーが創りたかったのは「オペラ!」。「ボヘミアン・ラプソディー」は壮大なロックオペラだ。身体が震えてくるくらい心に響き、訴えかけ、グイグイと歌詞のストーリーの中に引き込まれていく。。プロデューサーも仲間達も、誰も出来上がるまでは想像もしていない音楽世界だったと思う。

圧巻が、1985年に行われたアフリカ難民救済のための史上最大のチャリティコンサート(ライブエイド)!2会場で総計12時間、84カ国で衛星生中継されたこのライブ、そうそうたる顔ぶれのアーティストが参加する中で、解散直前のギリギリ状況から参加したクイーンは(エルトン・ジョンが舞台裏で悔しがるほどの)圧倒的なパフォーマンスでその場に集まった観客とTV中継を観ていた世界中の観客を魅了する。

映画では、彼はこの時点でエイズにかかっていたことになっているので、字幕で読む歌詞が余計に胸に迫ってくるのであった。ライブエイドのシーンを観ながら、ワタシは、今の日本に欠けているもの(そして今の若者がうっすらと求めているもの)はこれじゃないかな?とふと思ったのでありました。

 

メンバーのブライアン・メイ(g)とロジャー・テイラー(ds)が制作スタッフとして参加していて、そんなこともあってか、クイーンとフレディ・マーキュリーへの愛・リスペクトが全篇に満ちていて、その中にいるような一体感がある。

フレディ・マーキュリー役のラミ・マレックは、最初は違和感があったもののどんどんフレディ・マーキュリーと一体化してくる感じで、髪を短く切ってからはほぼフレディ・マーキュリーそのまま。ギターのブライアン・メイ役の俳優もまるで本人か?と思うほどよく似ているのね。

 

どの曲も歌詞が素晴らしい(字幕スーパーだとよっく意味が分かるし!)、圧倒的な歌唱力、意味のある言葉、力強いリズムとロジャーのドラムの響き、ブライアンのギターの美しく叙情的なフレーズ、重層な音の広がり。。。。爆音上映で観たらもっと迫ってくるだろうな〜。

会場には、当時はもちろん知っているはずがない若い世代と、当時を知る世代のいずれもカップルが多い。つまりはどの年代にも受け入れられる熱気がスクリーンから放出される。これってやっぱり本物のアーティスト、クリエイターだったといえる。本物の音楽は時代を超える。誰が聴いても素晴らしいものは素晴らしいと共感できる。本物の凄さ!を実感しました。

 

 

 

 

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