葛藤
かっとう
絡みつく「蔦(かづら)」と「藤」
人間って、ずっと、葛藤しながら生きているのかもしれないなあ。
実家のお寺さんでいただいた暦に、毎月仏教から出た言葉として、5月の暦に書かれていたのが、この、「葛藤」
蔦も藤も絡みあったり、まとわりついたりする様子から、抗争や悶着と言う意味にもつかわれるそうですが、
仏教では→
つるがまつわりついて、木を枯らしてしまうように、
「人が欲望に溺れて自滅すること」
「煩悩のたとえ」として使われる。
禅では→
自己はいつでも自己の事実と絡み合って離れることはない。
自分から逃避しない。己をあきらかにすることが、禅の修行で求めれらる。
そうです。
自分から逃れられないから、葛藤してしまうんですよねえ。
でも、絡まっていたこの「葛藤」がぱらりと、溶けると、心は軽くなりますね。
ここ、何年かちょっと叔父さんの事で、複雑な思いがあり、また、(ヨメに出た立場と、実家の長男である弟が、連絡を取っていたため)、直接連絡するのをためらっていた従兄弟に思い切って電話をしました。
そして、(従兄弟から叔母さんに直接連絡しないでくれと言われたと、実家母と弟から聞いていた)、しばらく声を聞いていなかった叔母さんにも、今日電話をして、久しぶりに声を聞きました。
実家の母の言うのには叔母さんは(も)介護を受けながら田舎で一人暮らしをしていると、聞いていましたが、叔母さん曰く、なんでも一人でして、畑も忙しいし、草も生えるし、行きたいところもあるし、趣味の事もあるから、あちこち、車で出かけているとの事で、(86歳)お耳の方も達者で、Yこさんも、Bこさんも、耳が遠いので、かなり大きな声で話さないと聞こえませんが、普通に話して全然困りません。
久しぶりによしこちゃんの声を聞いてうれしかった、また、いつでも電話してな。
と言われて、私も、こだわりのなかった時には、叔父さんはお父さん代わり、叔母さんはお母さん代わり、従兄弟は本当のお兄ちゃんのように思っていた、その時に戻って、体から、蔦がばらりと落ちたような気がして、この記事を思い出したのです。
実家母も体が弱くて、私と弟はよく、叔父さん夫婦にお世話になりました。入院も何度もしていたので、そのたびに世話になりながらも、葛藤があったようです。義理の兄夫婦に多大な世話になり、子どもも本当の両親のように慕い、それに対して複雑な思いがあるのです。
弟は弟で、従兄弟と反目があり、叔父さんの病気の時や、お葬式などの時の諸々の葛藤があり、また、今、自分の母親と妻との間の葛藤があり…。もちろん、介護状態の母親とも色々もめ…。
私も、いろいろ思うところはあっても、言いたくても言えないという葛藤…。
たまたまかもしれないですが、1本の電話で、絡まったものがほどけて行った…。
ものすごく絡み合っているように見えたものも、案外、するりとほどけるものなのかもしれないなと思いました。
久しぶりに、すっきり!です。
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