京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その330)周山街道をそって山の中・西明寺ー1

2012-08-27 00:13:45 | 京の話題

前記「高山寺」から周山街道を少し戻り、細道を入っていくと「西明寺」が有ります。

清滝川に架かる「白雲橋」を渡ります。

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橋の右や左の風景は絶景です。

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石段から見上げる「西明寺」の「薬医門」です。

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「西明寺」は「古義真言宗」に属し「槇尾山」と号します。高雄山(神護寺)・栂尾山(高山寺)とともに三尾の名刹の一つとして有名です。

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寺伝では「古義真言宗」である「西明寺」は、天長年間(824~834年)に「空海」(弘法大師)の弟子「智泉法師」が「神護寺」http://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/11/4_91a3.htmlの別院とした事にはじまります。

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寺領は山寺にしてはさほど大きくは無いですが静かな良いお寺です。次記へ 。

右京区梅ヶ畑槇尾町2

(たわごと) 20数年前に長期、ベトナム出張に行った、思出-4

昨日の、ベトナム編の続き。お仕事の現場は、ホーチミン(旧サイゴン)市から自動車で4時間位の、田舎です。心配です。ホテルや食事?それは後にして、空港に到着して(PM5時頃)なかなかお迎えが来ません。同行の「通訳」公衆電話にかじりつき、通じてんのかな?夜が更けてきました。

結論:連絡不足で今日は来ません。なら、わてらわどうなんね、怒り浸透。通関でケチが付き、この始末。言い忘れていましたが、この空港の待合場所の汚いこと(今は、違うと思いますが。そこで夜あかし、あかんで、治安も悪そうで、大きな荷物持って、金持ち風。強盗にでもあったらひとたまりも無。

捨てる神有れば、救う神有り?一人の若者が近づいて、優しく「ビッグタクシー ホテル OK」て。見透かされているかも。運否天賦この際どうでもなれ。乗りました、小型のワゴン車に、ガタガタの。大きな荷物を後ろに積んで。

ここからが、ベトナム風ジェットコースタ。私か前の右に座りました(もちろん右側通行ですから)シートベルトてなもんは有るわけないし、飛ばす事。ほとんど信号無視状態。(後で聞くと、その時分は、道路交通法てなもんは、ちゃんと法整備されていません。今は違いますが)

昼は、自転車・バイク・ぼろ車で一杯ですが、夜中はすいています。それに、信号機の電球の三つに一つは玉切れ。(こんなとこで死んでも、嫁はん迎えに来てくれんやろ、遺言書でも書いといたらと、独り言)

ホテル?に案内され、若者にタクシー代、いくら・いくら?「まあ、ええは10USドル位渡したら堪忍してくれるやろ」10USドル渡したら、小躍りしていました。当然です(あとで分かりました、前記で日当は、1USドル位。10日分、いっぺんに稼いだんやから)安宿で一夜明かしました。決してホテルでは無いです、はたごです。一晩、5USドル位でしたか。(何度も、行って慣れれば、ホーチミンでは外国人向けの一晩100USドル位の所に泊まりました、が、それも後日談)

朝、早くにお迎えが来ました。いよいよお仕事場の工場へ。田舎道をガタガタと、4時間位。我々どこに連れて行かれるのや。その時分の国道は、中央のほんのわずかが舗装、あとはあぜ道。なんと道路の中央は、ベンツが堂々と、その横は日産のトラック、その横はバイクの行列、その横は自転車、その横は「シクロ」その横は水牛の荷車です。社会主義国です、貧富の差のはげしい事。(シクロは御存じのとおり、自転車の前にお客用の椅子を乗せている、安い人力タクシー。車にでもぶつかったら、前のお客から即死?)途中でバイクの事故が多発してました、救急車来るのかな?

嬉しい風景が目に入りました。乗り合いバスです。なんと京都の市バス。運転席だけ左にして、乗り降りは右です。その他、塗装や表示も一切書き換えなし。「京都市バス・祇園行きや円山公園行き」これどこに行くのや?まあ、現地の方は、阿吽の呼吸で行くとこがちゃんと分かっているみたいです。二日ほどほとんど寝てない状態で、田舎の新しい工場(プラント)へ着きました。

この後は、後記にて。

ベトナム土産、螺鈿細工の額

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京の話題(平安京その329)周山街道をそって石水院(国宝)で有名な・高山寺-2

2012-08-26 00:29:52 | 京の話題

またしばらく、平安京の地方へ。周山街道を北に行くと「高山寺」が有ります。

「高山寺」の創建は、宝亀5年(774年)平安京遷都事前で、第49代「光仁天皇」の勅願による「華厳宗」の寺院、「神願寺都賀尾坊」(とがのおぼう)に始まるとい合われ、平安初期には、「天台宗」にかいしゅうして「都賀尾寺」と称しました。

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その後、荒廃しますが、「神護寺」http://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/11/2_ff87.htmlを再興した「文覚上人」によって再建れて「神護寺」の別所となりました。

やはり、このおてらの一番は「石水院」です。

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ここ、苔はてた石段を登って行くと、右手に国宝「石水院」の門が有ります。

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「石水院」は五所堂ともいい、鎌倉時代の様式を伝える貴重な遺構で、「寝殿造」の傑作と言われています。

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「石水院」は貞応3年(1224年)に「後鳥羽上皇」の「賀茂別院」から移され、天文16年(1547年)の兵火でも焼失をまぬがれました。現在の「石水院」は明治期に移して改築したものです。

「石水院」に入るとまず、目に入るのは、「善財童子像」が有ります。

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また、寺宝の「鳥獣戯画」(複本)が展示されています。

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「文覚上人」に師事していた「明恵」は、建永元年(1206年)に「後鳥羽上皇」の院宣をえて、「華厳宗」復興のため道場をこの地に開設して、「華厳経」の「日出先照高山」から勅額をたまわり、「高山寺」としました。

まだ、この奥には見所が有ります。

右京区梅ヶ畑栂尾町8

(たわごと) 政治・経済のたわごとも今はアホらしくて。

20数年前に長期ベトナム出張に行った思い出-3(300回記念は何も有りませんでしたので、このベトナム項目を最後まで閲覧頂いた方に、ベトナム特製の螺鈿細工の額を、もらって頂きます、当時に買ってきたもので、今は貴重な物と思います。但し、数に限り有り)

まずは、お金のこと。当時は日本円は当然通用しませんでした。なんと言っても、USドルがものを言います。それも、1ドルや5ドル札。このお札を沢山持って行きました。今の、ベトナムは経済的に多いに栄ていますが。当時の、経済はまだ開発途上中。

一つ質問、ベトナムの通貨は?ドンです。このベトナム・ドンは日本と多いに関係が有ります。日本の昔の通貨の「銅」から、「ドン」と来たらしいです。これも日本との友好のあかしです。近年も新幹線は日本の物を採用して頂きました。

話は、元に戻しますが、当時、工場で働く方の「日当」は?USドルで約1ドルぽっちです。当時の為替が、1ドル=100円でこれをベトナム・ドンに替えると、なんと、10000ドンです。

当時の最高札は20000ドン札(当時の為替で、約2USドル、200円)2003年からインフレのため、1000000ドン・50000ドン札も発行されているようです。

当時の最高紙幣旧20000ドンです。

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5000ドン札(0.5USドル、50円)

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旧500ドン札500ドン札(0.05USドル、5円)

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200ドン札(0.02USドル、2円)このお札は貴重です、めったにお目にかかれません。

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100000ドン・500000ドン・札も現在は流通しているようです。なんと、お札が16種類、複雑です。

全て、ベトナム革命の父「ホーチミン」の肖像です。、

現在は、円高で為替レートはこの70パーセント位です。という事は、20000ドンが日本円で140円位です。しかし、どなたでも経験が有ると思いますが、日本ほど、お札が綺麗な国は有りません、触るのも気持ち悪い位のお札ばかり。今は貨幣も有りますが、自動販売機なんて有りません、また子供が飲み込むため、あまり流通していないです。

土産物店で(この土産もの店での話は別に有り)、初めはUSドルで値切り、そのレートで、ベトナム・ドンを払うと嫌われます。当時は、よほど、自国の通貨が信用出来なかったのでしょう。自国のお金が信用出来ないとは哀しいです。理由はご想像にまかせます(今は、違いますが)

当時の、労働者の賃金は、1ヶ月30日働いて、約30USドル位(3000円)です。(安い!!!)

お酒の事。当時は地元のビンビールも有りましたが、我々は、怖くて(何が?)外資系ハイネケンの缶ビールを飲んでいました。この缶ビールが1缶が1USドル、なんと労働者一日の日当です。瓶ビールは4000ドン位でした。面白いのは、この瓶をかえすと、3000ドン位かえしてくれます。なんとな中身より瓶の方がうんと値打が有りました。(味は御想像にまかせます、不思議な中身)

我々外国人は、1缶1USドルのハイネケンを湯水のように飲んでいました。今から思うと、何か差別したようで申し訳ない気持ちです。ウイスキーの面白い話も有りますが、また。

長くなりました、次へ。宝くじの傑作な話も次記へ(不思議な宝くじにお目にかかりました)

ベトナム土産、螺鈿細工の額

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京の話題(平安京その328)周山街道から山奥へ・石水院で有名な・高山寺-1

2012-08-25 00:08:59 | 京の話題

まず「石水院」を参拝した後、

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「石水院」をでると大きな寺領がひらけています。

この「金堂」寛永11年(1634年)に「仁和寺」の古御堂を移したものです。

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「明恵上人」の「開山堂」です。

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「明恵上人」は、入宋した「栄西」から茶の種を贈られ、茶園を広げました。そのため、室町時代にはやった「闘茶」では、栂尾産の茶を本茶、それ以外を非茶として、その茶を当てる事を競いました。(香を当てる、香道と同じようなものです)

この緑の寺内を散策すると、都会のお寺とまた、趣きの違う爽やかな気持ちになります。

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「高山寺」は昭和41年まで「真言宗御室派」の別格本山でしたが、現在は単立寺院になっています。

右京区梅ヶ畑栂尾町8

(たわごと) 20数年前長期ベトナム出張に行った思い出-2(300回記念は何も有りませんでしたので、このベトナム項目を最後まで閲覧頂いた方に、ベトナム特製の螺鈿細工の額を、もらって頂きます、当時に買ってきたもので、今は貴重な物と思います)※ベトナム最終回までポチってネ。

政治・経済・芸能のたわごとは暫く置いておきます。

ベトナム人の事。ベトナムは東南アジアの諸国の中で、非常に勤勉で真面目な人達です。気質は日本人に似ているかも。当時、ホーチミンから自動車で4時間位の超田舎に、台湾企業のプラントが有り、そこに試運転に行ってきました。やはり、まだベトナム戦争の傷跡ははなだなしく残っていました。ホーチミン (旧サイゴン)空港の上空で空港を眺めると、滑走路の両側は「砲台」がづらりと並んでいるのに驚きました。

工場の人達は、現場で働く方はベトナム人、少し上のクラスの方は中国系華僑(簡単な漢字も通用します)管理職は台湾人です。このベトナム系華僑?の方と漢字で筆談すると、やはり、北と南のベトナムの確執は有り、北ベトナムを嫌っていたようです。(北はあまり経済的にひらけず、南はホーチミンを中心に多いに経済が豊かになっているようです。(現在は、知りませんが)

まず、そこに暫く居るには、この国の経済レベルを知る必要が有ります。早く言えばお金です。入国時にパスポートを、その当時は一人を入国さすには時間のかかる事。根ほり葉ほり、ここだけの話ですがパスポートに20USドル札を挟んで渡すとフリーパス、社会主義国特有の弊害です。私は、絶対渡さず、トランクの隅々まで・・・・音楽のCDや本を入れていました、別部屋へ、それを何処か検査するとこへ持って行かれ・・・・・こっちは日本語で堂々と。暫くするとしぶしぶ返してもらい無事入国。時間がかかります。(初めは、心臓が飛び出るほどドキドキしてましたが、堂々と)長くなりますので次へ。

ベトナムの紙幣

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ベトナム土産、螺鈿細工の額

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京の話題(平安京その327)創建は古い、通称は・わら天神・本当の社名は?

2012-08-24 00:08:01 | 京の話題

この神社を、正式名「敷地神社」といっても、解かる方は少ないと思います。通称「わら天神」と言えば「安産の神様」で有名です。

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「わら天神」はの祭神は「木花之開耶姫」(このはなのさくやひめ)です。サクヤヒメは「大山祇神」(おおやまづみのかみ)の次女で、高千穂に天孫降臨した「ニニギノミコト」の后となり、一夜で懐妊し、この説から「サクヤヒメ」を祀る「敷地神社」は安産の神として信仰されました。

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この神社はもとは、「金閣寺」の北にあって北山の神天神社と称していました。「敷地神社」(わら天神)の創建時期は審らかではないですが、社伝では、天長5年(828年)に第53代「淳和天皇」が勅使を使わして止雨祈願したことが「類聚国史」るいじゆうこくし)にみられるといい、その後、室町3代将軍「足利義満」の北山造営のため、いまのちに移ったとされています。

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この社で授けられる安産祈願の「藁」(わら)の護符に節が有れば「男の子」、節が無ければ「女の子」が生まれるいい伝えられています。ここから「わら天神」も名前が通称となりました。

類聚国史:編年体である六国史の記載を中国の類書にならい分類編纂したもので、「菅原道真」の編纂により、寛平4年(892年)に完成しました。

北区衣笠天神森町10

(たわごと) 政治・経済のたわごとも今はアホらしくて。

20数年前に長期ベトナム出張に行った思い出-1(300回記念は何も有りませんでしたので、このベトナム項目を最後まで閲覧頂いた方に、ベトナム特製の螺鈿細工の額を、もらって頂きます、当時に買ってきたもので、今は貴重な物と思います。但し、数に限り有り)※ベトナム遍最後までポチってネ。

今では、ベトナムと言えば若者達の観光国、グルメでTVなどで良く出ていますが、その当時は、書店に行っても「ベトナム」の本は「地球を歩く」の本だでけでした。私が、担当したプラント(台湾のプラント会社がベトナムに工場を作りました)当然、担当者の私が、試運転の係。会社では、台湾(私の好きな国です)・タイやシンガポール・インドネシアは経験が有りましたが、ベトナムは初めてです。

今では、ベトナムの入国はパスポートだけで入れますが、その当時は、当然、ビザが要ります。ここが、肝心な所です。まがりにも社会主義国です。社会主義国は、もう崩壊して、ロシア・中国・キューバと、このベトナムくらいです。社会主義国はお金が物を言います。お金で公務員は自由自在。ビザは普通、2ヶ月から3ヶ月位かかりますが、お金次第で1ヶ月以内で取れます。一度、ビザを取れば、確か、半年くらいは出入国自由でした。

あの時分は、会社の待遇は良かったです、飛行機は「ビジネスクラス」。しかし、関空からベトナム唯一の窓口、ホーチミン空港への直行便は有りませんでした。キャセイで香港まで行き、ここで越境、香港からホーチミン(サイゴン)空港へと。

所が、ベトナムへの飛行機内での出来事。配られた黄色の書類、表はベトナム語、裏は英語(社会主義国に入国するには、持ち物の告知が義務ずけられています、例えば思想的な雑誌・新聞・ビデオ・CD・本等はNG、この書類を見て、ちんぷんかんぷん。勿論、日本語が解かる乗務員は誰一人もいません。(香港からベトナムの飛行機です)気の小さい、私は、辞書と首ったけで、機内食も食べずに胃がいたくなるほど奮闘。一緒に行った者は、ノー天気。機内食を食べながら、書いたらうつすから頑張ってやて、アホみたい)

後日談、三度目にベトナムに行く時は、日本航空が関空からホーチミンへの直行便ができました。なんと、直行便の始発に当り、関空では盛大なセレモニー。しかし、ええ加減なものです。この申告書は私はもう手慣れたもの。さらさらと書いていると、日本人の乗務員(スチワーデス)か「お客様、手慣れてますネ。書き方教えて下さい」やて、あんたが本職やろ。始発便で乗務員も初めての経験でチンプンカンカンプン?(飛行機会社てそんなもんです)

初発便でも教育はゼロ、親切な私が、乗務員に指導してあげました。しかし、日本航空の直交便でなく、初めに乗った、香港からのキャセイでのインドネシアの美しい乗務員と仲良くなり機内で暇な時、ブロークン英語で楽しくお話していました。(たまにはい事もあります)

さあ、これからがベトナム・国際ホーチミン空港へ着いてからが大変。何しろ、日本語からベトナム語に通訳する人が当時はいませんでした。(台湾のプラントの仕事ですから)日本語から北京語に通訳して、北京語からベトナム語に通訳すろ為、二人の人間が必要です。只の、観光なら良いですが、プラントの立ち上げ、専門用語が多く要ります)この仕事で、神経がまいり、完璧に鬱状態に陥りました。(うまく、伝わるわけが無いです、そんな状態で仕事しろとは大胆な)

ベトナム・ホーチミン空港に着いてからのお話は次に。(何しろ20数年前のベトナムですから)面白い?やら、情けないやら、今思うとゾーとする事も有ります。

ベトナム土産、螺鈿細工の額

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教の話題(平安京その326)小金持ちに成るかも・金攫八幡宮

2012-08-23 00:09:49 | 京の話題

この「金攫八幡宮」(きんかく)は「小北山八幡宮」とも呼ばれています。

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貞享2年(1685年)に山城国「石清水八幡宮 」より分霊されました。以前は産土神(うぶすまがみ)として、土地の者から信仰する人々が加護をうけて今に至っています。

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祭神は第15代「応神天皇」でこの母親は「神功皇后」です。

天皇の神徳は「我が国文教の祖」「殖産興業」の守護神として崇めれ長寿で、「延寿の大神」として厚く崇拝されています。

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この社の境内の東側には大きな「小金モチ」の木が有り、この御利益が有る事も有名です。

北区平野桜木町

(たわごと)

日本国は正式に我が国固有の島「竹島」の韓国の不法占拠の問題を、オランダ(ハーグ)の国際司法裁判所に単独で提訴することになりました。民主党の日本国の為に、唯一の行った国益はこの事だけかも?

シリアでジャーナリスト山本様が政府軍の銃弾に倒れ亡くなりました。心から御冥福を。それでは無いですが。ベトナム戦争の事。

ベトナム戦争の記憶は有りますか?1975年4月30日サイゴン陥落で終戦しました。その熱もさめやらん、17年後に、3ヶ月ほどベトナムへ仕事に入っていました(ベトナムの資料は、地球を歩くの本が有るだけの時)。色々な、苦労や面白い話が有りました。その事はまた出来れば明日に、何しろ、人差指がこの始末です、雨だれ打ちやミスタッチ、「往生しまっせ」、こんなセリフ何処かの漫才師が言っていました。