この「若一神社」(にゃくいち)の御親祭は「若一王子」(にゃくいちおうじ)です。いうよりも「平清盛公西入八条殿守社」という名前で有名です。
創建は宝亀3年(772年)に鎮座されたと社伝に有ります。
第49代「光仁天皇」の時代、唐より「威光上人」が来られました。「天王寺」に住まわれ、紀州熊野に詣たとき迷う苦しむ人々を救おうと、「御分霊若一王子」の御神体を笈に負い旅立ちこの地に来られました。森の中の古堂に一夜を明かし御神意に従い安置し奉斎鎮座しました。
「平清盛」公の時代、六波羅在住の頃、この地は浅水の森と称し風光明媚でした。しして、この地に別邸を造営して住まわれました。
「平清盛」の御手植の楠木です。
清盛公、帰京の後、清盛邸内を探した所、東山築山に夜光が放たれました。清盛公は喜び、自ら三尺ほど掘れば、土の中から「若一王子」の御神体が現れました。
社を造り鎮座し、「開運出世」を祈りました。翌年、仁安2年(1167年)に「太政大臣」になりました。
主な御利益は「出世開運」です。
下京区西大路八条上ル
(たわごと)
日本航空ジャンボの悲惨な墜落事故から、27年経ちました。520人もの乗客・乗員の方が亡くなられました。今でも、あの事故のユースを鮮明に覚えています。
あの時点まで、飛行マニュアルは、飛行機の損傷を出来るだけ少なくするため(あわよくば近くの空港に不時着陸)陸地の方へ回避するとう事でした。もしも、太平洋に胴体着陸していたら、多くの方が救われていたでしょう(海猿の映画のようにはいかなくても)確か、尾翼のラダーとエレベーターが操縦不能でした、しかし、少なくとも一発のエンジンが生きていて、主翼のエルロンとフラップが機能していたらなんとか、海の方に旋回出来たはずです。 (蛇足ながら、ラダーは尾翼の垂直に有り、飛行機の方向を変える物。エレベーターは尾翼に有り飛行機の昇降を変える物。エルロンは主翼両翼に有り飛行機の左右の傾きを変え緩やかに旋回する物で、旋回時は普通これを主に使います。フラップは主翼両翼に有り、飛行機の揚力を多きくする物。)
あの時、「ダッチロール」と言う言葉がはやりました。まさに、今の日本の政治は、このダッチロール状態です。
国会は今、お盆休みですて、こんな大切な時に「国会議員」はお盆休み。休日返上で、ちゃんと働け!!!(ボランティア議員なら別ですが)
また、中国の漁船軍団が我が国固有の島「尖閣諸島」に向かっています。中国当局は、漁船の為止められないと言う事です。我が国の海域に不法侵犯すれば、堂々と拿捕する事です。今の、政府にはそれだけの覚悟は無。堂々と拿捕すれば、少しは、与党民主党の支持も上がるかも?国際法上なんら問題の無い事が何故出来ないのか不思議な日本。
※昨日の(たわごと)に一部誤記が有りました。訂正しました。