京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その312済)山奥の雲ヶ畑、行きつく先は究極の・志明院

2012-08-09 00:10:14 | 京の話題

このような山中に寺院が有るとは、平安京の寺社を散策して、多分、後にも先にもこんな経験は初めてと思います。

細々とした府道61号線を左に曲がると、この寺院のためだけの細道が5Kmほどあり、行きつく先はここ「志明院」です。まず驚いたのは、入山料が300円これは仕方ない、しかし小さなチラシが50円、なんと山門からのカメラの持ち込み禁止。初めてです。なんでも、修験者の邪魔になると言う事です。カメラは門番おばちゃんに預けて、預カードを引き換えにもらいました。しかし、肝心のカメラは窓口に置いておばちゃんは何処かへ?まあ、ここへ来るものは私くらい物好きしかいないし、さっそく入山しました。

雲ヶ畑の奥、行きつく先です。(ここで道は終わりです)

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ここ「志明院」は「岩屋山金光峰時志明院」といい、「真言宗」のお寺で、どこにも属さず単位の寺院です。寺伝によると、役行者が白雉(はくち)元年(650年)に開創し、後に「弘法大師」が第52代「淳和天皇」の勅願により再建したと言われています。「弘法大師」自作の「不動明王」を本尊としています。

以上の為、山名とあわせて、「岩屋不動」と呼ばれるようになりました。

山門、ここまでは撮影やカメラはOK(堅い事いうお寺は初めて、ここまで来た甲斐が無?しかし値打は有るかも)

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その後、第59代「宇多天皇」の勅願所となり、室町幕府や皇室からの崇敬をうけて隆盛しました。大永8年(1515年)第105代「後奈良天皇」は天下静謐の祈願にこのお寺の諸堂開扉の詔(みこと)を下し、その勅願成就により「志明院」の勅額を与え、以来それが寺名となりました。

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天保2年(1831年)の失火により山内はほとんど焼失し、現在の諸堂は明治以降のものです。

ぎりぎりここまでの撮影が限界です。(修験者は一人もいませんでした)私だけ?

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本堂の裏には、「飛龍の滝」(飛龍権現)が有ります。

このお寺の尊崇されたのは、この地が鴨川の水源地であることが要因になっています。死ぬまでは、一度散策されては。交通機関は一切有りませんが。但し、自力で・・・・・前記、大和国近くの「笠置寺」http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120306に次ぐ究極の散策でした!!!

北区雲ヶ畑出谷町261

(たわごと)

今度のオリンピック、女性がダントツに強いです。サッカーにバレーボールに卓球に競泳にアーチリーみんな団体競技、柔道に至っては唯一の金は女性。やはり、今の女性は「肉食系」に成ったのでしょうか。女性のアスリートに万歳!!!毎晩、寝不足ですが、頑張って奥山に分け出でてます。(昨夜の女子バレーボールは感動でした、人間最後まで諦めたらダメとつくづく思いました)

昨夜の「野田総理」と自民党の「谷垣総裁」公明党の「山口代表」との党首会談で、3党合意を踏まえて「一体改革関連法案」が成立した後、近いうちに「国民に信を問う」との事。面白くなってきました。消費増税は廃案には成りませんが、多分、解散は九月。総選挙は九月の中旬から下旬?これで、漁夫の利を得る党はさてさてどこでしょう。(赤字国債法案や定数是正は多分先送り?)

面白くなってきました、これでやっと我々国民の民意が表明出来ます。このタイタニック状態の日本丸の船長は誰になるのか。